104:オールオブザワールド
《オールオブザワールド》
3年後。
研究施設宇宙船ノーヴェル。1G区画。
ノーヴェルの1G区画は生活区画だ。
皆の寝起きする部屋があり、食堂があり、リフレッシュ脱皮専用室がある。
リフレッシュルーム。
ナオミとニックの2人は同時に脱皮冬眠に入り、ほぼ同時に起きた。
ニックはまだ眠りながら、獏ダンゴから記憶を取り戻している。
その横でナオミは立ち上がり、呆然と天井を見ていた。
「変わっていない。」ナオミが天井を見ながらボソッと言った。
こんどは足元を見る。足元には繭がある。繭の中の脱ぎ捨てた殻は、獏ダンゴに半分ほど食べられている。3年で半分、小食だ。
「私は変わらなかった。私のままだ。」ナオミの目から涙がこぼれた。
手のひらを見る。そしてぎゅっと拳を握る。
「変わってないのに、変わっている。」ナオミの目が力強く光る。
ナオミは隣の繭を見る。隣で眠るニックを見る。
「ニック、私たちは今まで・・・」
ナオミは大きな声で言った。
「下等生物だったのよおおおおおおおおおおお。」
ニックは眠り続けていた。
ニックが起きたのはそれから2時間後だった。ニックはゆっくりと繭を破り外に出てきた。
「おはよう。」ニックがナオミをじっと見て言った。
「おはよう。」ナオミがニックをじっと見て言った。
「あれ、失敗?」ニックが言った。
「そう思っちゃうほど変わってないのが驚きよね。」ナオミが言った。
「成功?」ニックが言った。
「自分の心に聞いてみなさいよ。」ナオミが言った。
「自分の心?」ニックが胸に手を当てて言った。「うわ、うわ、うわわわわわわ。」
「すごいでしょ。」ナオミが言った。
「なにこれ、心理学の能力?って言ってる自分を分析してる自分を行動学的にって言ってる自分を何言ってるのってツッコミをいれて止めようとしてる自分が最高って落として発言を止めます強制終了。」ニックが驚きながら言った。
「あはははは。」ナオミが笑った。
2人はリフレッシュルームから出て、仲間と合流した。
ノーヴェルのメンバーたちは2人が起きたのを聞いて、全員が集まれる食堂に集合していた。
リフレッシュ脱皮が終わると腹が減る。まずは食事をするために食堂に行く。
2人は食堂に集まった皆から、ブラックホールの接近を聞かされた。残された時間は7年しかなかった。
2人は我々が準備している宇宙船大量製造、宇宙船による脱出計画、宇宙船によるピストン輸送火星移住計画を聞かされた。
そして、宇宙船に乗れなかった者の切り捨てを。
ノーヴェルのメンバー達も2人が変わったのか変わっていないのか、成功したのか失敗したのか、それが気になっていた。
ナオミが口を開く。
「そんな切り捨て案、同意できるわけがない。私たちはやっと進化の道を見出したってところなのに。」
「7年じゃあ、ちょっと時間が足りないかなあ。」ニックが言う。
「2人では足りないわ。」ナオミが言う。
ナオミとニックは目を合わせた。
「あれを使うわ。」ナオミが言った。
「全員、今すぐリフレッシュして。」ニックが言う。
「この薬を飲んで。」ナオミが言う。
「みんなの言いたいことは分かってる。7年しかないのに3年も脱皮冬眠なんてやってられないって意見は分かってる。」ナオミが言う。「でもあえて今このリフレッシュをする意味を察してほしいの。」
「全員一致じゃないと、あれは使えないね。」ニックが言う。
「発動したら、2人じゃ足りない。全員でも足りないかもしれない。」ナオミが言う。
「オールオブザワールド。」2人が言った。
ノーヴェルは強制命令権を持っていた。しかしそれは使いにくい物だった。
約1000人のメンバーのうち、10人の意見の一致で誰か1人に命令が出来る、強制命令権フォーユー。個人の意見を無視して、世界中の誰でも1人、どんなことでも命令できる。
ノーヴェルのメンバーのうち100人の意見の一致で、同時に10人に命令が出来る、強制命令権ナイトオブゴールド。使い方によっては世界経済を大混乱させることが出来る。戦争も起こせる。
約1000人、ノーヴェルのメンバー全員の一致で、世界全ての人に強制的に命令出来る、強制命令権オールオブザワールド。どんなことでも、メンバーのうち誰か1人が「終わり。」と言うまで、いつまででも命令できる。
これは、世界中から集められた最高の頭脳の、全員が同じ意見ならば、絶対に正しいと信じるしかないだろうという、種族全体が間違った愚かな選択をした時の保険だった。
食堂に集まった中の一人の男が言った。
「みんな、素直に従って薬を飲もうじゃない。2人はものすごく頭が良くなったんでしょ?」男が言った。「僕もそんな世界が見てみたいなあ。」
ツキモトだった。彼は今、世界で1番の長寿だった。
30年に1回の脱皮、1パーセントの失敗確率。
その命のギャンブルに10万年も勝ち続けた男。
彼は世界で一番、運がいいと言える。
「お父さん。」ナオミが言う。
「記憶は正常?」ツキモトが聞く。
「獏ダンゴは、私の記憶を3年間維持出来たわよ。」
「さすが。」ツキモトが言う。
「自分で褒めない。」ナオミが言った。
獏ダンゴの記憶の3年維持バージョンを作ったのはもちろんツキモトだ。
「その薬、最高?」ツキモトが聞く。
「最高なんて言葉じゃ足りないわ。別世界よ。」ナオミが真剣に言う。
「うわ、やばい薬だねえ。」ツキモトが笑って言う。
「すごいわよ。」ナオミが言う。
「楽しみだなあ。」ツキモトが言う。
「ちょっと待ってくれよ、そんな詳しい説明も無しに薬を飲めって言われたって、全員は賛同しないよ。僕は素直には従えないな。」言論系の1位がここぞとばかりに反論を始めようとしていた。
しかしナオミがそれを止めた。
「お父さんがこっちについてくれたら百人力よ、お父さんの友達の数はノーヴェルで1番よ。ナイトオブゴールド使えるわよ。」
10人の反論であれば1発で封じ込められる。力技だ。
「長く生きてると友達って増えるね。」ツキモトが言う。
「そんなこともないわ。私の友達はニックしかいないもの。」ナオミが言う。
「それは相棒って言う。それか恋人?」ツキモトが言う。
「ななななななっ。」ナオミが言う。「まあいいけど。」
「ということなんで、みんなで飲もうじゃない。ものすごくヤバイ薬。」ツキモトが皆に言った。
ノーヴェルは自分の頭脳に自信を持っている人だらけだ。そして身体能力だけで頭脳に自信のない人々もいる。
彼らはその薬の誘惑に勝てなかった。3年後に無事に起きたらタイムリミットは4年になっている。しかし最悪の場合はノーヴェルだけ逃げることも出来る。宇宙船なのだ。それほど危機感はない。
ノーヴェルのメンバーは3年の眠りについた。
ナオミとニックはメンバーが眠っている3年間、計画の準備を進めた。
このタイミングに1年版のリフレッシュ中だった者が10人いたが、その10人は脱皮して目覚めると、そのままナオミとニックのサポートをしてもらった。
2人は10人に時間をかけて計画の説明をした。10人はオールオブザワールド発動後に脱皮してもらうことにした。
2人の計画は順調に進んだ。
10人以上いると簡単な命令権が発動出来た。
月の中心まで届く穴を掘らせたり、月で地球帰還用の大型大気圏突入船を作らせたり、月の1億人の住民を徐々に地球に降ろしたり、謎の機械を作らせたり、ノーヴェルを地球と月の間のラグランジュポイントに移動したり、モコソのアップデートプログラムを作ったりした。
そして3年が経った頃、ノーヴェルのメンバーの脱皮が終わった。
起き出したメンバーは、ナオミとニックから計画表を受け取ると、そのまま準備作業に入った。みんな状況をすぐに理解した。これからやることも。
メンバー全員が脱皮から目覚めると、メンバー全員の意見の一致の下に、オールオブザワールドを発動した。ナオミの計画に反対する者はいなかった。
「私たちノーヴェルは今から、全世界絶対命令、オールオブザワールドを発動します。」ナオミが全世界に向けて言った。我々の眠りは浅い、モコソが緊急放送を始めれば寝ていても起きる。
世界の人々はここでブラックホールの接近を知ることになる。
「小さなブラックホールが地球に向かっています。大きさは地球と同じぐらいの大きさですが、重さは太陽の4倍あります。このブラックホールがあと4年で地球に来ます。」
ナオミはノーヴェルの緊急放送専用室から話している。
「このままだと私たちは絶滅します。ですが、私たちノーヴェルが絶対に助けます。どうか皆さん、落ち着いて私たちの言うとおりに行動してください。」
ナオミは落ち着いた声で話し続ける。
「私たちが、全員のモコソに個別に指示を出します。その指示通りに行動してください。これは絶対命令です。種の危険が迫っています。私たちが絶対に助けます。どうか信じてください。我々の出すモコソの指示に従ってください。」ナオミが話し終わると、ニックが準備していたプログラムを起動し、全世界のモコソにデータを送信した。
世界はノーヴェルの指示通りにだいたい動いた。
ノーヴェルからモコソへの指示は、個別とは言わないまでも、大まかなグループに分けてノーヴェルのメンバー1000人がかりで指示を出した。
旧来の1年版脱皮リフレッシュは、指示が出るまで待つようにと指示が出た。
新脱皮薬が全世界500億人にいきわたるように大量製造された。パニックを避けるために多めに製造された。その数1000億人分。獏ダンゴ3年版も同じ数が用意された。
食料が大量に備蓄に回された。
小さなモコソが大量に製造され、陸地にばら撒かれた。
月で謎の機械が大量生産され、月面にばら撒かれた。
月の中心まで掘った穴には、ノーヴェルが作った大きな謎の機械が設置された。
大気圏突入用大型船の製造は加速し、全月市民が地球に降りた。
小さな小さな自動モコソ船が大量に作られ、海に流された。
3年半後。ブラックホール衝突まで半年。
ブラックホールはまっすぐに太陽系に向かっていた。正確には、半年後に地球がある軌道上のポイントに向かっていた。
地球から空を見上げると、天の川の射手座の方角にあるはずだが、ブラックホールは見えなかった。
「準備はほぼ終了しました。みなさんの協力に感謝します。全員で生き延びましょう。」ナオミが言った。
ナオミは、地球と月の間のラグランジュポイントに移動した宇宙船ノーヴェルから話していた。
「私たちはこれから装置の起動準備に入ります。その前に、皆さんに最後になるであろう指示を出させていただきます。絶対命令ですので、よく聞いてください。」
ナオミは話し続ける。
「まず、幼虫たちは低温室で冬眠させてください。低温室が無いご家庭は土の中に埋めてください。それで冬眠します。そして学生たちも冬眠してください。学舎の中は冬眠室になるように出来ています。期間は3年です。」
ナオミは真剣な声で話し続ける。
「そして大人たち、新しく開発された脱皮薬を飲んでもらいます。今からお近くの店頭に並びます。十分な量が用意してあります。1か月以内に飲んで冬眠してください。」
「これは今までのリフレッシュ薬ではありません。この薬の脱皮は3年かかります。全世界が3年眠ります。私たちノーヴェル以外。」脱皮は命懸けだ。ただ皆、失敗の事は考えないようにしている。考えたって仕方がないのだ。
「私たちはもう飲んで脱皮しました。安全は保障します。脱皮成功率は100パーセントでした。」ナオミは世界の不安を消すために説明する。
「全世界が眠っている3年間、電気も全て止まります。お店も全部閉まります。地上の出入口も洪水用ハッチを閉め、完全密封します。起きていてもブラックホールが怖いだけで何の得もありませんので、必ず全員この薬を飲んでください。」
世界がノーヴェルの言うことを素直に聞いてくれることを願う。
「これは絶対命令です。起きていると死ぬ可能性が高いです。必ず飲んでください。では、行動を開始してください。」
ナオミは話し終えた。起きていると死ぬというのは嘘だった。好奇心で起きている人を考慮しての嘘だった。
「言うこと聞いてくれるかな。」隣にいたニックが言った。
「どうかしらね。」大きな仕事を終え、ほっとしながらナオミが言った。
「オハナシオワッタ?」横には幼虫がいた。
「ゼッタイメイレイ、キカナイヒトイル?」幼虫は8匹いた。
「イルネ、マダオロカダカラ。」幼虫はもちろんナオミとニックの子供だ。
「オロカトカイッチャダメ。」2人の8匹の幼虫は生まれた時から高度な知能を持っていた。
「マダワタシタチニハ、ケイケント、ドウトクガタリナイ。」これからだね、ニックは思う。
「マナブコトハ、オオイ。」その通りだね、ナオミは思う。
「はいはい子供たち、部屋に戻ってアニメ見よう。」ニックが言った。
「ナショジオガイイ。」幼虫が言った。
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