11:甲殻歴1999年
《甲殻歴1999年》
今から約8000年前
甲殻歴1999年5月
旧、新東名高速道路トンネル跡。とある山の中腹。
ここは11万年前にヒューマンが作ったトンネルの跡地だ。だが今では、入り口は崩れ、緑と土に覆われ、全くトンネルがあったことを感じさせない。
レンガ文明の残したレンガに刻まれたヒューマンの地図によれば、ここには11万年前に長いトンネルが存在した。
レンガに正確に移されたヒューマンの地図。11万年前の日本の地図は、海岸線の形が今とは大きく違っている。
10万年間の氷河の重みにより、かつての海岸線の地盤の多くは沈降し、今は海に沈んでいる。
海に沈んだヒューマンの文明都市は、影も形もない。氷河に削り取られ、海流に洗い流されてしまっている。
これから、かつてヒューマンが掘り、今は崩れてしまっているトンネルの発掘作業が開始される。
日本国が軍事的に優位に立てる技術の発掘、戦争を終わらせる兵器の発見。それが任務の目的だ。
世界中に微かに残されたヒューマンの遺跡、その多くは氷河に流され、砕かれてしまった。氷河に流されなかった暖かい地域は、レンガ文明が発掘してしまった。荒らしてしまったと言ってもいい。
手付かずの遺跡。湿度の高いこの国で、11万年残る文化的書物や兵器を発見するのは難しい。
軍部は超兵器の発掘に期待して、地下発掘計画に予算を割いている。
「ゆっくり慎重にいけよ。」隊長のオサダが言った。
山の中腹には、スコップを持った者たちが整列している。
「トンネルを掘るんじゃなく、崩れたトンネルに押し潰されているものを発掘するんだからな。」隊長のオサダが200名ほどの部下に声をかける。「100名ずつ2班に分ける。トンネルは2本並んでるからな。」トンネルが2本、高速道路の上下線だ。
発掘は手作業で行われる。入り口の湿った土の部分はスコップなどを使うが、乾いたコンクリートの残骸は手作業で慎重に取り除き、何かが下に隠れていないかチェックする。
掘り進むたびに、天井を器具で固定してゆく。地下都市文明の我々にとってこれは、なんてことない作業だ。
ちなみにここは、発掘作業が終わると、居住スペースに改装される予定だ。
作業は順調に進んだ。
連日の作業でトンネル発掘はかなり奥まで進んでいる。
山の中腹の入り口からトンネル内作業現場まで、平たいキャタピラトラックが何台も入れられ、コンクリートや土砂を運び出している。
作業用簡易ライトが、遠くに見える入り口まで規則正しく並んでいるのが見える。
作業員たちは、石やコンクリートを慎重に取り除き、トラックに乗せていく。その単純な作業を、世間話をしながら続けている。
「何も出てこないですね。」新人の作業員のアイモトが、小型トラックの横で言った。
「そうだなあ。」隣でコンクリートの残骸をトラックに乗せながら、先輩のイシカワが言った。
「うわ、虫!」突然、アイモトが大きな声を出した。トラックの車体に大きなムカデがいたのだ。
「殺虫剤そこにあるぞ。」イシカワがそれを見て、トラックの運転席を指さして言った。
アイモトはトラックから数歩離れて怯えている。
「別に死にはしないよ。」イシカワが運転席の扉を開けながら言った。「ムカデ、どこ?」
「いや、どっか行っちゃいました。」アイモトがちょっと目を背けた間に、ムカデは消えていた。
「なんだ、取ったのに。」イシカワが言った。手にはヒューマン特製強力殺虫剤と書かれた缶スプレーを持っている。
「それ効きますよね。」アイモトが、ヒューマン特製強力殺虫剤を見て言った。
「お前にかけてやろうか。」イシカワが、ふざけてアイモトに殺虫剤のノズルを向けた。
「死んじゃいますよ、ヒューマンじゃないんですから。」アイモトが手を挙げて降参ポーズをした。
「かけたぐらいじゃ死なん。」イシカワが笑って言った。
「でも飲んだら死にますよ。」アイモトが言った。
「ヒューマンだって飲んだら死ぬ。」イシカワが言った。
「それは、そうかも。」アイモトが言った。
「仕事しろ。」イシカワが殺虫剤を運転席に戻しながら言った。
我々は昆虫だが、グロテスクな虫は嫌いだ。
ヒューマンだってネズミは嫌いだろう、同じ哺乳類なのに。
何日も同じ作業を続けていると、さすがに飽きてくるから、作業員は皆、世間話を交えながら作業を続けている。私語はこの現場では許されている。
「何日目でしたっけ。」アイモトがコンクリートを拾いながら言った。
「12日目かな。1日200メートルだから2400メートル掘ったな。」作業をしながらイシカワが言った。
12日間、休日もなく作業を続けている。だが作業員たちは皆、楽しんで働いている。
作業現場はいくつもの大型ライトに照らされ、明るくなっている。
かつてトンネルだった場所。かつて天井を支えたコンクリートは崩れ、土に押しつぶされている。その押しつぶされたコンクリートと土が混ざった地層、高さ2メートル、幅8メートルほどを掘り進んでゆく。
「何を探すんでしたっけ?」作業をしながらアイモトがとぼけて言う。
「超兵器。」イシカワが、ふざけて答えた。「すごいやつ。」
「大量破壊兵器とかですか?」アイモトが言う。
「ヒューマンの小説に出てくる。」イシカワが言う。
「レンガ本は自分も好きです。」アイモトが言う。レンガ文明が残したヒューマンの小説をそう呼ぶ。
「最終決戦兵器。」イシカワが言う。
「巨大ロボット。」アイモトが言う。
「宇宙戦艦。」イシカワが言う。
「何か出てくれれば、疲れも吹っ飛ぶんですけどね。」アイモトが斜めの斜面、コンクリートの残骸に混じった大きめの石を取りながら言った。「あれ?」
「ロボット出た?」アイモトが言う。
「何か出た。いや、何もない?」イシカワが言った。
「え?」アイモトの言葉にイシカワが笑った。
「いや、出た。空洞。」アイモトが大きな石を持ちながら動きを止めていた。
石をどかしたその場所には、小さな黒い何もない空間が見える。
イシカワがアイモトに近寄り空洞を確認して言った。「暗い、深いな。」
「えっと、とりあえずこの石置いてきます。」アイモトが言いながら石を持ってトラックに向かう。
「オサダさん呼んでくるから触るなよ。」イシカワは隊長を呼びに行った。
知らせに駆け付けた隊長のオサダは、小さな穴をのぞき込み、手持ちのライトで中を照らした。
「無傷だ、広いな。」そう言うと、トンネルの発掘作業を2本とも中断させた。少しの振動で崩れる可能性があるからだ。
オサダは20名ほどを残し、作業員の大半に、今日は休暇だと言って発掘現場から遠ざけた。200人のヤジウマは邪魔なのだ。
残った20名ほどが作業を見守る。
「そっと穴を広げていくぞ。」オサダが自ら慎重に手で穴を広げていく。中から乾いた空気が出てくる。「乾いてるな。黴臭くない。」
周りの隊員たちが見守る中、穴の大きさは50センチほどになった。
「とりあえず、大丈夫そうだけどな。」隊長のオサダが頭を穴の中につっこんで言った。
その後、数人で慎重に穴を広げ、楽に通れるほどまでになった。
「そのくらいでいい、広げすぎるな。」オサダが言った。
湿度を上げないように入り口にフタがされ、冷静になるためにひと休みした。
体を休めながら作戦会議となった。
「さて、取りあえず。」隊長のオサダが水分補給しながら言った。「最初に入る探索チーム。」
周りの20名がオサダを見つめる。
「アイモトとイシカワ、それと経験豊富なのでウエダとエンドウな。一緒に来い。」オサダが指名した。
「自分でいいんですかね。」一番経験の浅いアイモトが隊長に聞いた。
「発見者の特権だ、落ち着いて頼むぞ。」オサダが言った。「中はいつ崩れるかも判らない場所だ。分かってるか?」
「えっと。」言われるまでアイモトは分かっていなかった。そして心を決めた。「大丈夫です。」
「じゃあ、行こうか。」オサダが立ち上がった。
5名は恐る恐る、11万年前に時を止めた空間に入っていった。
「全く崩れていないな。」隊長のオサダが、ライトで天井のコンクリートを照らしながら言った。声がトンネルの壁に反響した。
「広いですね。」アイモトは左右の壁を照らし、興奮を抑えながら答えた。声の反響の仕方から広さが感じられた。
「隊長、奥に何かあります。」ウエダは言ってトンネルの遥か遠くを照らした。
それは暗闇の彼方、500メートル以上離れたところにポツンとあった。
「四角いですね、トラックでしょうか。」ウエダが照らしながら言った。
「とりあえず、行ってみよう。」オサダが言った。
近づいてみると、それは四角い小さめのトラックだった。タイヤは長い年月の中で、地面のシミになっていたが、タイヤのホイールがトラックの車重を支えていた。
塗装は剥げ落ち、中の金属は錆びきっている。運転席にミイラは無かった。
「触ったら崩れそうだな。」オサダがトラックを照らしながら言った。
「他には何もなさそうですね。」ウエダが奥を照らしながら言った。トンネルは100メートルほど先で崩れていた。
トラックの記録映像を何枚か撮り、初期段階の調査は終了した。
アイモトがトラックの積み荷を見たがったが、後部の扉は錆びついて開きそうになかった。こういうのが出たら触らずに上層部に報告し、指示を仰ぐ規則だ。
我々はレンガ人ではないのだ、乱暴に遺物を壊したりしない。
初期探索隊の5人はトラックをその場に残し、外に出ることにした。
11万年前の空間から5名が外に出ると、天井の仮押さえに使う板で入り口にフタをして、外気の侵入を抑えた。
その日は調査データを本部に報告して、作業終了となった。
次の日、専門家チームが来た。
本部から派遣されたのは、白衣を着た学者が4人だった。乗ってきた悪路用トラックの荷台には、何やら大きな機械が乗っている。
昨日トンネルに入った5人が彼らに呼ばれ、自己紹介を交わし、自分たちと一緒に中に入るようにと言われた。
彼らは入り口を大きく広げ、重そうな機械を台車に乗せ、トンネル内に持ち込んだ。
トラックにたどり着くと、光を発しない大きいライトのような物でトラックの周りをぐるぐると回りながら調べた。
「隊長さん、どなたでしたっけ。」科学者の一人が聞いた。最初に調査チームのリーダーだと名乗った者だった。名前をカトウと言った。
「隊長のオサダです。」先ほど自己紹介は済ませたのだが、オサダは名乗った。
「どうもどうも、カトウです。」これも先ほど聞いているのだが、カトウはまた名乗った。「それでですね、とりあえず今のところ解ったことですが。」
手に持った携帯端末は機械にコードで繋がれている。その端末の画面を見ながらカトウは説明を始めた。
「とりあえず、トラックの積み荷は鉄で出来てはいない。だがほんの少し鉄が含まれている何かで、ぎっしりと上まで詰まってる。」と言った。
「なぞなぞか何かですか?」オサダが聞いた。
「なぞなぞ?ああ、なぞなぞね。」学者のカトウが笑った。「確かに謎を、今まさに解明しようとしている。」
いかにも癖のありそうなオスである。
「それで、扉はね。」カトウがトラックの後部扉を見ながら話を続ける。「開けない。触らない。ぎっしり何かが詰まっているということは、開けたとたんに崩れてしまうかもしれない。もちろん錆びてるから、やさしく引っ張ったぐらいじゃ恐らく開かないし。」
「なるほど、中身は鉄じゃない。でも鉄を少し含む何かが、上までぎっしり詰まってる。トラックの扉は開けない。」隊長のオサダが言った。「でも中身を取り出したい。」
「そうだね。取り出さないとね。」カトウがトラックの後部扉を見ながら言った。
「どうしますか?」オサダが言った。
「困ったね。」カトウが言った。
結局、トラックの荷台を四方大きな板で囲み、崩れないように補強してから、天井を切り取ることになった。
翌日。
トラックは大きな板で補強されていた。
「火花禁止ね、火気厳禁。」学者のカトウが言った。
火気厳禁。火の粉の出る方法を封じられた我々は、特殊部隊が使う巨大なニッパーのようなものを引っ張り出し、缶切りで缶を開けるようにトラックの天井を開けることになった。
天井の重さが中の物を破壊しないように、作業は慎重に行われた。しっかりした足場が組まれ、何人かで天井の重さを支えながら、少しずつ切っていった。
この作業で1日が過ぎた。7割切ったところで体力の限界が来た。天井を固定し、作業を終了した。
翌日。
残った作業を進め、やっと天井を取り除くと、中には紙でできた箱が沢山並んでいた。
「ダンボール箱だ。」アイモトが言った。
11万年前の段ボール箱は空気の流れの無い空間で、辛うじて昔の形を保っていた。触るとパリっと砕けた。
そしてその下にあった物は、プラスチックの箱だった。
未開封DVDパッケージだった。11万年前のヒューマンの。
我々もディスクに記録する道具は使っている。方式やサイズや素材がヒューマンとは違うが。
「ひとつ取り出しますよ。」天井を取り除くために作られた足場が、トラックを包んで設置されている。その上にいたアイモトがDVDパッケージを取り上げた。
「そっとだぞ。」地面にいるオサダが見上げながら言った。
「あっ。」アイモトがそっと力を加えると、パリンと音をさせてプラスチックのパッケージにヒビが入った。
「代わろう。」学者のカトウが足場に上って、プラスチックを取り出そうとした。
「あっ。」カトウが言った。パリンと気持ちのいい音がした。
プラスチックの劣化はひどく、パッケージは脆かった。割れたパッケージの中にはディスク型記録メディアが入っていた。
「記録ディスクだ。これ全部なのか?」学者のカトウが言った。
ディスクのラベル部分は色が落ち、ほぼ真っ白だった。微かに何かが書かれていたのが判る。カラーで印刷されたディスクのラベルの、黒だけが僅かに残っている。
ディスクの裏側を見ると、金属で出来た記録部分は赤茶色にくすんでいた。
中のディスクが割れなければそれで良かった。
学者たちが見守る中、取り出す作業が始まった。
作業には時間がかかった。そっと上から手を伸ばし、手のとどく所の物を1枚ずつそっと持ち上げ、取り出していった。
トラックの横に折り畳みテーブルを広げ、その上にそっと並べていった。
途中からはワイヤーで宙吊りになり、逆さまになり、我々はひとつずつ慎重に取りだしていった。
深くなればなるほどワイヤーで体が揺れ、作業は一向に進まなかった。
少しの振動でも割れてしまうそれは、輸送など出来なかった。
作業開始から数日後、記録ディスクスキャナーの大きな機械が折り畳みテーブルの横に持ち込まれた。半年前に完成したばかりの機械だった。
正式名称は長いからいい。ちょうごくぼそなんとかだ。
今までに機械がディスクから読み取れたデータは数枚。それもディスクのほんの一部だ。その内容は、全てコンピューターの制御プログラムだった。OSとウイルス対策ソフト、それにオフィスだった。
そしてトラックの積み荷の、記録メディアディスクの解析が始まった。
脆くなったパッケージを慎重に開け、中のディスクをそっと、割れないように願いながら取り出す。
それをスキャントレイの真ん中に裏返しで置く。トレイには十字のしるしが付いている。十字とディスクの中心の穴をピッタリ合わせるのだ。
ディスクは回さない。その代わりに読み取り機械のほうが回るようになっている。ディスクの表面すれすれに丸いスキャン装置が下りてくる。そして、ゆっくりと回転しながらディスクをスキャンしてゆく。
金属で出来た本来の記録部分ではなく、プラスチックに残る凹凸の残糸を読み取るのだ。
1枚を読み取るのに1日かかった。
記録メディアスキャナーは、その与えられた役割をしっかりと果たした。1枚目のデータはすべて読み取ることができた。2枚目も、3枚目も。
トラックから慎重にパッケージを取り出す作業と並行して、スキャナーで読み取る作業を進め、読み取ったデータは軍用秘匿回線で解析研に回された。
そして1枚目の解析が終わった。
解析研でデータを解析されたそれは、映像データだった。
最初にそれを全編見たのは、軍の上層部だった。
それはヒューマンの戦争映画だった。
我々は、動くヒューマンを初めて見た。そしてヒューマンの声を初めて聞いた。
11万年前に、この星で最初に生まれた知的生命体。
レンガ文明が残してくれたヒューマンの研究資料には、ヒューマンの写真やイラストがあったから、ヒューマンの容姿は知っていた。だが、実際に動く彼らの映像を見ると、そこには衝撃があった。
彼らの動きは我々によく似ていた。彼らの話す言葉は、我々と変わらなかった。日本語だった。
言葉が同じなのは、我々の先祖が大昔、言語形成期にレンガで研究したからだった。おそらく発音まで。
そのヒューマンの11万年前の戦争映画を見ながら、我々は思った。
我々は進化していない。
まったく進化していない。
11万年の時が経ち、この地球に生まれた3番目の知的生命である我々は、11万年前と同じことを繰り返している。
暦を作ってから約2000年、ヒューマンと同じ歴史を辿っている。
なんて愚かな生物なんだ。
愚かすぎて笑えてくる。
愚かな我々は、このまま行けば、絶滅したヒューマンと同じ道を辿るだろう。
発掘された戦争映画は何枚もあった。中には音声データが2種類のパターンの物もあった。2ヶ国語だ。あるいは副音声。
我々は全国民に、この戦争映画を見せた。
そして敵国にもこの戦争映画を送った。
全世界に戦争映画のデータを送った。
そして1999年10月、戦争が終わった。
戦勝国の無い、静かな終戦だった。
それ以来、戦争は起きていない。
約8000年、戦争は起きていない。
我々は、ヒューマンではない。その言葉には、深い意味が込められるようになった。
「下の方は全滅ですね。重さで割れちゃってます。」アイモトが言った。
「いいよ、どうせヒューマンの交尾映像だろ。」隊長のオサダが言った。「この辺はそればっかりらしい。」
ダンボールには紙が貼られていた。色あせて読めなかったが、11万年前には、こう書かれていた。
「新規オープン用・映画・ドラマ・アニメ・アダルト他・販売用・DVD4000枚」
残念ながらブルーレイは入っていなかった。
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