100:10万年
《10万年》
ヒューマンやビースターを見ると、非常に愚かに見える。
だが我々を見ると、愚かなものは多数存在していて、我々も彼らとまったく変わらないように見える。
個体の能力の違い、考え方の違い、環境の違い、豊かさの違い、数多くの要因が絡み合う、文明社会の歪み。
その歪みの中で、ヒューマンもビースターも絶滅してしまった。
もしかしたら、彼らは少数だけでも氷河期を生き延びることが出来たかもしれない。
可能性はあったはずだ。
核分裂を使わない選択、武器を捨て戦争を捨てる選択、便利さを捨て生物として強靭になる選択、逆に肉体を捨て機械に頼る選択、巨大な船で宇宙を旅する選択。
ヒューマンは様々な選択の可能性を、その芸術作品で想像した。我々はそれを知っている。
彼らに足りなかったのは、何だったのだろうか。永遠の命だろうか。
完璧とは言えないまでも、永遠の命を手に入れた我々。リフレッシュの脱皮は依然99パーセントの成功率だ。
我々はこの先、さらに高みに上ることが出来るのだろうか。
知的生命の進化の、さらに上のステージに登ることは出来るのだろうか。
10万年を我々が生き延びた時、それは完成した。
甲殻歴10000年記念式典から9万年後、甲殻歴100000年
我々は絶滅しなかった。
我々は10万年を生き抜いた。
大地震で大津波が起こったり、大洪水で地下都市が水没したり、火山の大噴火が起こったり、氷河期が2万年続いたり、機械化された悪の組織が現れたり、テロ集団との長きにわたる戦いがあったり、サイバー戦争があったり、知能を持ったスーパーモコソとの戦いが起こったり、巨大ロボットが戦ったり、様々な昆虫怪人が現れたり、正義のモコソ戦隊がそれに打ち勝ったりした。
10万年を我々は戦い抜いた。
我々は退化を食い止めている。
しかし、進化もしていない。
10万年、退化しないように、絶滅しないようにするのが精一杯だった。
現在はとりあえず平和が続いている。
平和でも生命の危機的状況でも、我々は進化しなかった。
生物として、これが限界なのだろうか。
知的生命体として、これが上限なのだろうか。
進化の可能性、我々の中の超人たち。
世界には、我々の中で1番記憶力の良い者が存在する。
同じように、世界で1番計算能力の高い者が存在する。
世界で一番、論理的思考に優れる者が存在する。
世界で一番、身体能力の高い者が存在する。
個体差というやつだ。
能力測定は、若い頃から繰り返される。数値化され、適材適所のシステムで仕事の候補が提示される。
能力の数は10万を超え、各分野で1位が決定される。1位を選ぶ時には、「但し、健全な精神を保っている者。」という条件が入る。1分野に特化した者には、精神に異常をきたす者がいるのだ。
10万の細分化された分野の1位の者たち。
だが、そのタイトルホルダーは1000人ほどだ。
ほとんどの者が複数のタイトルホルダーになる。
そして1位の1000人ほどのタイトルホルダーは、研究設備が収められた宇宙船に集められる。
宇宙実験施設は完成している。
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