101:宇宙船ノーヴェル

  《宇宙船ノーヴェル》



 地球衛星軌道上、全長1000メートルの長いビルのような宇宙船が、2隻連結されている。

 ビルの上に逆さまにビルを連結し、一直線になっている。総全長2000メートル。

 連結された宇宙船はゆっくりと回転している。船の中心の連結部分には、船から少しだけ離された無回転の設備が2個、後付けで連結されている。


 無回転設備は、回転する船と通路で繋がっている。

 船の回転を、この通路が相殺するように作られている。2個のうち1個は補給船ドッキングベイ、ドーナツのような形をして真ん中に穴がある。もう1個は無重力実験施設、こちらには穴が無い。

 巨大な宇宙船と比較すると小さく見えるが、それなりに大きい。直径50メートルの丸い形をしている。


 中心の2個の施設以外は、ゆっくりと回転をしている。宇宙船の中は遠心力によって重力が作られている。外側に行くほどGは強くなり、居住スペースでは1G前後になっている。一番外側は1Gよりも強い。


 ドッキングベイが回転の中心に取り付けられている場合、その宇宙船は長期居住スペースとして運用中だ。

 そのドッキングベイに、小さな補給船が今ゆっくりと近づいていく。



 研究施設宇宙船の名前は、ノーヴェル。

 宇宙に浮かぶ研究施設ノーヴェルに集められた、1000人ほどの優れた者たち。

 仕事は無い。責任者もいない。宇宙船維持管理のワーカーが100人いるだけだ。

 1000人は自由に何でも出来る。自由に出かけることも出来る。


 誰も何も命令しない空間。


 必然的に物理学系の1位たちは数学系の1位たちと集まって研究を始める。身体能力系の1位は人体研究の1位などに捕まって研究対象にされる。技術系は所属する会社と連絡を取りながら、何やら新技術の図面を引いている。分からない事があると、周りにいる誰かに聞けば相談に乗ってくれる。


 彼らはその施設で存分に能力を発揮していた。

 多少のイザコザは有ったが、問題は無かった。

 トラブルを丸く収める世界1位もいるのだ。



 1隻の補給船が、ドッキングベイにゆっくりと入っていく。船体の小さな穴から小刻みにエアーが出て船体の微調整をする。やがてドーナツの穴の中心で船体から出ていたエアーが止まる。

 ポジショニングコントロールが終わった船体にドーナツの内壁から固定アームが伸び、船体を固定する。補給船の船体から接舷チューブが伸びる。チューブはドーナツの内側の壁に接続された。


 月から物資を補給する小さな宇宙船。接続されたチューブを通って様々な物資がワーカーによってノーヴェルに運び込まれる。無重力だから慣れれば簡単な作業だ。


 研究施設の1位のメンバーが出入りする時も、通常はこの船に便乗する。

 今回は女性が1人、乗客として乗っていた。

 彼女は補給船内からチューブを通ってドッキングベイに入り、そのまま研究施設への連結橋を潜り抜ける。さらに反対側の連結橋を抜けて無重力実験施設へと入って行った。


「ただいまあああああああ。」無重力研究施設に入るなり、彼女は大声で叫んだ。


 彼女の名前はナオミ。新しい進化脳研究の1位だ。ほかに1位は何も持っていない。しかし2位と3位が合わせて200ほどある。


 1位の順位は入れ替わることが多いが、いくつも1位を持っていればこの施設にずっと居ることが出来る。ナオミは1個しか持っていなかった。

 ナオミは3年間、地球の生物研究施設ファーヴルで働いていた。そして3年に1度の能力検査で、やっと1位に返り咲いた。


 だが脱皮のタイミングだった為に、月都市で1年間のリフレッシュ脱皮休暇を取った。月の方が脱皮成功率が高い。ただの都市伝説だ。


 そしてやっとノーヴェルに戻ってきた。

 最初に挨拶をする相手は決まっていた。彼は無重力実験施設にだいたい居る。


 ナオミは無重力実験施設に入るなり叫んだ。「ただいまあああああああ。」

 その声に実験施設の中にいた数人が驚いて振り返る。体を固定せずに浮いていた者は急な体の反応でクルクルと回転している。


「おかえり。」中の1人が答えた。彼の名前をニックと言う。

「もうね、本当に大変だったの地球。」ナオミは3年分のストレスを、古い友人にぶつける。

「たいへんだったね。」ニックはナオミのストレスを優しく受け止める。ニックは医学、細胞学、神経学、DNA学などの1位を持つ。

 ニックは生物学系50以上のタイトルホルダーだ。5位以内の分野は自分でも何個持っているか分かっていない。昔は5位以内の者が次回の試験の問題を作っていたらしいが、今は月都市にあるスーパーモコソタンが自動で作ってくれる。


「アンタのせいだからね。私の唯一の1番を抜くなんて。」ナオミが浮く体を壁の手すりにつかまって固定しながら言う。

「ごめんね。」ニックが優しく言う。ニックは床に靴を固定している。靴は軽い磁石になっていて床にくっつく。


「別に手加減してほしいわけじゃないから抜かされたのは別にいいんだけど地球に3年も行かされるとは思ってなかったから過去の自分に腹が立ってるだけなの八つ当たりなの気にしないでいいけど言わせてくださいごめんなさい。」早口言葉のようにナオミが喋る。

「ごめんね。脱皮したての君はとってもカワイイよ。」ニックが言う。

「そ、そういうところがダメなのよ褒めれば何でも丸く収まると思って適当に恥ずかしげもなくそんなことを言っちゃうところが言われたこっちが恥ずかしいじゃない。」ナオミが言う。「でも許す。」


 脱皮をすると我々の体は20歳に若返る。体だけでなく脳も若返る。脱皮したばっかりはテンションが高い。そして少し精神が不安定になる。思春期になる。


「聞いてよ、地球じゃ重力があってやりたかった研究も半分しか出来ないしさ、私がいた研究所は周りが馬鹿ばっかりでさ。」ナオミの口は止まらない。「信じられないくらいの馬鹿がゴロゴロいるの。」

「馬鹿馬鹿言わないの。」ニックが言う。

「だってね、馬鹿がいるとするじゃない?その馬鹿がね、違う馬鹿を馬鹿にするのよ。その馬鹿にされた馬鹿もね、違う馬鹿を馬鹿にするのよ。馬鹿の輪?何?あの現象。」ナオミが言う。


「馬鹿って今、何回言ったかな。」ニックが言う。

「9回ないしは11回。」ナオミが即答する。「ニックのを含めると13回。」

「馬鹿っていう方が馬鹿だって古い言葉にあるよ。」ニックが言う。

「だからそれを地上の馬鹿たちがぐるぐるとやってるって話。」ナオミが言った。


 壁の小さな窓から地球の青い大気が見えている。

「ふう。」窓の外の地球を見ながらナオミが言った。

「終わった?」ニックが言った。

「だいぶスッキリした。」ナオミが言った。

 ナオミの到着1日目は、ニックに愚痴を言って荷物を自室に投げ入れて終わった。



 翌日。無重力実験施設。

「さて、馬鹿ではない私たちは何から始めましょうか。」ナオミがニックに言う。

「3年間、脳研究を手加減してたから、2人で何かやりたいな。」ニックが言う。

「手加減だとおおおお。」ナオミが言ってニックにパンチを繰り出す。「ああ、無重力だった。」

 ナオミの体はクルクルと回って壁に頭をぶつけた。まだ無重力に慣れていない。


「でもさ、昨日の話だけどね。」ナオミが言う。「馬鹿の話。」

「うん?」ニックは、まだ話し足りないのかという顔をした。

「いえ、真面目な話ね。」ナオミが言う。「知能指数の高い者は、低い者を馬鹿にするでしょ。」

「そお?」ニックが言う。

「その馬鹿にされた者は、もっと低い者を馬鹿にするでしょ。」ナオミが言う。

「そお?」ニックが言う。

「じゃあもっと低い者はどうしてるかっていうと、誰彼かまわず全員を馬鹿にしてるわけ。」

「そお?」ニックが言う。

「もっと言うとね、得意分野が人それぞれあるわけじゃない。私たちみたいに明確に得意分野が確定していれば分かりやすいんだけど、そうじゃない人たちは、他人の出来ない部分を馬鹿にするわけね。」ナオミは話し続ける。「その人に優れた部分があったとしても、そこの評価はしないの。」

「ちゃんと評価する人もいるよ。」ニックが言う。


「そう、そこなの。」ナオミが言う。「その、ちゃんと評価する人としない人の違いって何だと思う?」

「えっと、良い人?」ニックが言う。

「そこも頭の良さだと思うの。」ナオミが言う。「目の前の事を冷静に多角的に分析して、短絡的判断をしないってのもあるし、相手を思いやる心ってのもあるし、いろいろな要素が絡み合ってる中で、的確な発言、行動をする事が出来るっていうのは、頭の良さじゃない?」

「良い人に見える人は頭が良い?」ニックが言う。

「詐欺師を除いて。」ナオミが言う。


「じゃあ、ボクは頭が良い?」ニックが言う。

「1位を50個も持ってる人が何を言っているの?」ナオミが言う。


 ニックはナオミの顔を見ながら固まった。

「そうだった。」ニックが大げさに驚いた。


 その後、心理学系の1位も交えてナオミとニックは何日か話をした。

 だが、心理学系の話はどうも要領を得なかった。話の中で論点が何度もずれていった。その度に、話題を戻さなければならなかった。


 回答をきっちりと出す科学者と、曖昧な統計でなんとなく「こういう傾向が見られる」とまとめる心理学者は、会話に苦労した。

 2人が聞きたいのは、脳のスペックが上がれば他人を馬鹿にしない良い人は増えるのか、という事だった。


 心理学者はその問いに答えを出してはくれなかった。


 暦を作ってから10万年経った今でも、進化を続けるウイルスや細菌は我々にとって脅威だ。DNA技術は10万年もの間、病気への抵抗力の強化や、体の回復力の強化に力を注いでいた。

 DNAを改造して自らの体を怪物みたいにする技術は禁止された。改造しても次の脱皮で戻った。


 ヒューマンの考えたような、体への機械の埋め込み技術は確立されなかった。脳や神経の、機械とのリンクは成功しなかった。それに、脱皮したら全て脱ぎ捨ててしまうのだ。意味がない。


 知能の向上をDNA改良で試みていた時代もあったが、成功しなかった。記憶容量を増やしても、頭は良くならなかった。


 世界で1番記憶力のある者は、何も改良しなくても記憶力が良かった。容量の問題ではないのだ。



 

 

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