イクスペクティエンス ーサピエンス絶滅後の地球の話ー
松岡ヒロシ
1:序章から高尾
《序章》
地球に生まれた最初の知的生物。ホモサピエンス、人類。
西暦が始まる2600年ほど昔、人類は既に地球の多くの場所に広がっていた。地球上の各所で人口を増やし、様々な神を崇めながら文明を発展させ、種として繁栄していた。
古代エジプト、晴れ渡った青空の下、多くの民衆が石造りの大きな広場に集まっている。さわやかな風が、緑を揺らしながら広場を抜けてゆく。
広場に集まった人々は皆、笑顔で誇らしげだ。高くそびえるそれを見ながら、所々で仲間同士が集まり談笑している。
広場の北側には、石造りの高い台座が作られている。その壇上には1人の男が立ち、集まった民衆を眺めていた。
「皆、聞いてくれ。」遠くまでよく通る大きな声で、壇上の男が話し始めた。
「皆の協力により、今までで最も大きなピラミッドが完成した。」
民衆は静まり、男の声に耳を傾ける。
「このピラミッドを、偉大なる太陽神に捧げよう。偉大なる太陽神に感謝を。」
男は顔の前で指を組み、神に感謝を捧げた。民衆もそれぞれに、神に感謝を捧げている。
「そして、この偉業を成し遂げた、我らのクフ王を称えよう。偉大な王に感謝を。そして争いのない治政に感謝を。」
壇上の男は、民衆を見渡しながら話し続ける。
「最後に、この素晴らしいピラミッドを作り上げた多くの民に感謝を。皆に心から感謝する。」
民衆はピラミッドを見上げ、高々と両手を上げた。
集まった人々は、大きな声で口々に何かを叫んでいた。
約4600年後
「キャプテン、潜望鏡深度です。」
「潜望鏡上げろ。」
「潜望鏡上げます。」
「上空警戒。」
「上空、360度クリア。」
「海上警戒。」
「海上、360度クリア。」
「もう1度だ。」
「目視、機影、艦影なし。」
「浮上。」
「浮上了解。」
「空母と通信を。」
「浮上完了。」
「衛星とリンクを。」
「空母、応答ありません。」
「衛星との通信、エラーです。」
「キャプテン、何の通信も拾えません。」
「外気チェック。」
「ラジオ放送も拾えません。」
「通信アンテナ異常ないか、システムチェック急げ。」
「GPSも拾えません。」
「外気チェック完了、放射能レベル、異常値です。」
「副長、どう思うね。」
「どうやら賭けはキャプテンの勝ちですな。」
「もしかしたら、我々潜水艦乗りが最後の人類かもしれんぞ。」
「ハハハ。」
約1万年後
アメリカ大陸フロリダ、朽ち果てた建物。かつて巨大なショッピングモールだった建物の片隅に、数十匹の猫が住んでいた。
彼らが住処にしているそのショッピングモールの大部分は、1万年という長い時の流れの中で、既に崩れている。コンクリートや鉄筋はボロボロになり、瓦礫の山となっている。
端のほうに僅かに残る、屋根のある空間。入口の扉以外はコンクリートの厚い壁に囲まれ、錆びたロッカーが並んでいる。
ある日、1匹の猫が地下に続く扉を開けた。はじめて開けた扉だ。扉を開くと暗闇があった。そして乾いた空気の暗闇の中に、地下への階段があった。
猫は恐る恐る地下の暗がりの中に入っていく。
手には火のついた木の棒を持っている。二足歩行で歩く彼らは、どう見ても猫だ。猫は松明で階段を照らしながら、慎重に恐る恐る下まで降りた。
手に持った松明の光が、地下の暗い部屋を照らし出す。
「ワーオ。」彼は驚きで声を上げた。
地下の部屋の壁には、大きくカラフルな猫や犬が描かれていた。大きく描かれた二足歩行する猫や犬が、蝶が舞う緑の大地の上で笑いながらこっちを見ていた。
「私たちだ。」彼はつぶやいた。
部屋の床には、色あせた絵本が何冊も転がっていた。彼は1冊のページをめくってみる。
そこには、楽しくパーティーをする二足歩行の猫や犬が描かれていた。
「彼らが私たちを作ったのか?」猫は考える。
かつて繁栄したヒューマン。彼らはもう、この近くにはいないらしい。
生まれて此の方、ヒューマンを見たという話も聞いたことは無い。
でも確かに彼らは存在した。
今も少しだけ残る大きな建物。ほとんど崩れてしまったが、それらを作ったのは彼らヒューマンだ。
「もしも、彼らが私たちを作ったのならば、ならば、そうならば。」
猫は考える。ぐるぐると考えをめぐらす。
「彼らが神だ。創造主だ。」
約1000年後
高いビルが立ち並ぶフロリダ。
ビルは赤っぽく、外壁はレンガで作られている。
大きな街を貫く一直線のハイウェイは、時速100マイルで気持ちよく走れそうだ。しかし今は真っ白な雪が分厚く積もっている。
街の中心部に、巨大な三角形の建造物がある。雪が積もり真っ白だが、その巨大な建造物はピラミッドのように見える。
高いビルと立派なハイウエイ、そして巨大なピラミッド。だがそこに彼らの姿は見えない。
雪が街を、静かに包み込んでいる。
メルトダウンした5基の原子力発電所の周りだけ、雪が積もっていない。煙か湯気か、風に流されてゆく。
フロリダの海岸線には、流氷が流れ着いている。見渡す限りの流氷だ。
海からの風はものすごく冷たい。
また、氷河期が来るのだ。
約10万年後
ユーラシア大陸中央部、世界最大の大陸プレートの中央部、タクラマカン。
ピラミッド建設現場。
計画は順調に進んでいる。
世界中から集められた特殊セラミックプレートが、ワーカーによって隙間なく積み上げられてゆく。その特殊セラミックプレートには、我々の英知のすべてが刻まれている。
ピラミッド建築現場の傍らに立てられた指揮所で、我々はディスプレイを睨みながら、ワーカーの作業をチェックしている。
我々のピラミッドが目指した耐久年数は1億年。運が良ければ中心部は50億年保存され続ける。
太陽の寿命が尽き、太陽が赤色巨星になり、膨張によって地球が飲み込まれるその時まで。
もちろん、我々の文明が1億年後も存続しているならば、この未来の知的生命体のために残すピラミッドは必要のないものだ。
ピラミッドを作る我々のシルエットは、ヒューマンと大して変わらない。だが我々の体表面は、硬い甲殻に覆われている。
体内に骨は無い。外骨格生物だ。
生物的分類で言えば、昆虫に該当する。
地球上に生まれた、3番目の知的生物だ。
約1億年後
銀河系中心方向から真っ直ぐに太陽系に向かう、小さいブラックホールがあった。
質量は太陽の4倍程度、その小さいブラックホールは、光速の30パーセントという速さで移動し、太陽系を通り抜け、宇宙の彼方に消えた。
ブラックホールが通り抜けた後の太陽系に、地球の姿は無かった。
【発掘レンガ】
7820608 古代ヒューマンの宇宙船・設計施設跡 調査報告
調査員 柴田
7820601 13:52 現地到着 相模原 健在な建築物無し 建築物の跡らしき瓦礫を確認
7820601 14:00 降り積もった火山灰を取り除く作業開始
7820601 18:00 作業終了
7820602 08:00 引き続き火山灰除去作業を続けながら遺跡発掘開始
7820602 16:00 疲労のため作業終了
7820603 08:00 引き続き火山灰除去作業を続けながら発掘作業継続
7820603 16:00 疲労のため作業終了
7820604 右に同じ
7820605 右に同じ
7820606 08:00 作業開始
7820606 09:50 建物の瓦礫の中に辛うじて読める何かが書かれたプラスチック板を発見
以下 内容を記す
2010年 6月13日19時51分 カプセルの分離信号を確認
2010年 6月13日22時02分 地球撮像に成功
2010年 6月13日22時51分 カプセルが高度200kmに到達。大気圏再突入を開始
2010年 6月13日22
以下 読み取れず
硬化した火山灰により、これ以上の発掘は困難。
隊員の疲労も激しく、今回の調査は終了。
宇宙船の設計図は発見出来ず。改めて増員で挑むべし。
以上。
《タカオ》
防波堤の上にコートを着た1人の男が立っている。名前をツキモトという。
地球に生まれた、3番目の知的生命体だ。
海風に吹かれながら、男は夜の砂浜をじっと見ている。
風が撫でる男の体表面は、上から下まで黒く硬い甲殻で覆われている。外骨格生物だ。頭にある小さな触角が風になびいている。
海は月の光に照らされ、キラキラと光っている。
波が打ち寄せる白い砂浜は、防風林に立つ高い塔から強力なライトによって照らされている。
白い砂浜には、黒く丸い石が無数にゴロゴロと転がっている。石は林檎ほどの大きさだ。
その大量の林檎大の黒い石は、砂浜の遥か彼方まで続いている。
防波堤の上から下の砂浜までは2メートルほど。ツキモトは、足元の波打ち際に視線を向ける。打ち寄せた波が引くと、何もなかったはずの白い砂の上に、黒い石が表れた。
波打ち際に現れたその黒い石はすぐに動き出した。海から遠ざかるように20メートルほど砂の上を滑り、次の波から逃げる。波から十分な距離を逃げると、そこで動きを止めた。
ゴロンと石が砂の上に転がる。石の下には石と同じぐらいの大きさの、黒いカニがいた。
カニは石を降ろすと、カシャカシャと足を動かして体の向きを変え、ゆっくりと海へと戻っていった。
「ごくろうさま。」男はカニの働きを眺めながら、そうつぶやいた。
男は腕に付けた機械を操作する。腕に沿って湾曲したディスプレイが、夜の闇に青白く光る。男は機械のディスプレイに何かを入力した。
カニの名前はマンガン拾い。DNAを改造され、マンガンノジュールを海岸まで持ってくるように作られている。
マンガンノジュールとは、海底に転がる希少金属の塊だ。何万年もかけて深い海の底で作られる。
我々は、マンガン玉と呼んでいる。
マンガン拾いは、太平洋の広い海底を旅しながらマンガン玉を探す。
マンガン玉を見つけると、重いマンガン玉を自分の背中の窪みの上に乗せ、旅を続ける。
マンガン拾いは陸地が近づくと砂浜を見つけ、喜んで石を置いていく。
この一連の行動は、彼らのDNAにプログラムされて彼らの本能となっている。我々の文明を支える、最底辺の労働者だ。
遠い昔に、この男が開発した。
「いかん、待ち合わせの時間に遅れてしまう。」独り言を言いながら、男は歩き出した。
巨大地下都市タカオ。
その酒場は、タカオの海側の地下第2層にあった。
店の入り口には「ハテオウシ海岸」と書かれた古い看板が、オレンジに明るく光っている。
店はもうすぐ夜明けということもあって、賑わいを見せていた。その大半は労働者で、夕暮れからずっと働いていたのだ。
この辺りの沖合にはマンガン玉が多い。
海岸にはマンガン拾いによって運ばれたマンガン玉が大量にある。タカオにはマンガン玉を回収して精製する金属工場も多く、この辺りには労働者が多く集まっている。
昼間の海岸は有害な紫外線によって、マンガン玉を回収する作業が出来ないことが多い。天候に左右される。だから労働者たちは、夜に集中してマンガン玉を回収し、貨物駅まで運ぶ作業をする。
そんな仕事終わりの労働者で賑わう店の奥のほうに、ピラミッド担当の総合科学者ツキモトがテーブルに肘をついて座っていた。
テーブルの反対側には、レンガ文明考古学者オオタが座っている。
二人は小さなテーブルを挟んで話していた。
総合科学者のツキモトは何でも屋。
レンガ文明考古学者のオオタは発掘屋だ。
《時間》
ツキモトが口をひらく。
「1年ぶりぐらいか、どうだい最近の調子は。」
「うーん、ここ1か月ぐらいレンガ文明をほったらかして古代ヒューマン文明の、時計の論文を書かされてるんだけどな。」とオオタは渋い顔で話し始めた。
「めんどそうなの押し付けられたな、100年ぐらい答えの出てないやつだろそれ。」と軽く同情しながらツキモトはブドウの酒に口を付けた。「言っちゃ悪いが、どうでもいい問題だとみんなが思ってるやつだ。」
「全くもってその通り。」
「ストレス溜まってるのか?」ツキモトが笑いながら聞いた。
「まあな、だから聞いてくれ、そのほうが考えがまとまるんだ。」そう言ってオオタもブドウの酒に口を付けた。
話し好きの学者二人が集まると、話は長くなると決まっている。
オオタが言う
「古代ヒューマンの数学は我々と同じ10進法だ。それは誰でも知ってる。」
「誰でもじゃないが、有名だな。」
「暦は365日、正確な天体観測によって4年に1回の閏年を作って修正も加えている。1か月は30日前後、これは星座に由来すると分かっている。」
「星座に由来するのか、知らなかった。」ツキモトが言う。
「だけど時計に関しては彼らは何故か複雑なんだ。1日を10時間ではなく24時間でカウントする。さらに1時間を100分ではなく60分で刻む。1分も100秒ではなく60秒で刻む。60進法と24進法が同居している。我々は1日を10万秒でカウントしているが、彼らは8万6千4百秒でカウントしてる。」そこまで一気に言ってオオタはツキモトの顔をじっと見た。
「我々は1日を10万秒、彼らは8万6千4百秒。」ツキモトが繰り返した。
「そうだ、中途半端だ。」
「彼らの1秒は我々の1秒よりもほんの少し長いのか。」ツキモトは考える。「うん、分らんな。」
「そこが問題なんだ。」オオタが言う。
「数学的に優れた知識を持っていたと思われる彼らが、なぜそんな時計を作ったのか。なぜ1日を24時間に分割しなければならなかったのか。」ツキモトが天井のセラミックタイルを見ながら言う。
「複雑にする理由だな。」オオタが同じように天井を見ながら言う。
「昔、若い研究者が、地球の自転が今より遅くて1日が24時間あったんじゃないですかね、とか言ってたことがあった。」ツキモトは思い出し笑いをしながら言う。「そんなわけないんだ。その若いやつに、そんな頭の悪いやつは労働者にするぞって言ってやったことがある。」
「彼らの時計は正確だよ。水晶の振動数で1秒をカウントしてる。」オオタが言った。「クオーツ時計だ。」
「我々の時計の構造は、ヒューマンのとあまり変わらないだろ?」ツキモトが答える。「詳しい構造は知らないけど。」
「先日、原子時計って言葉が見つかった。何の原子かは特定できてないが、ヒューマンならイッテルビウムあたりまで使ってたかもしれない。イッテルビウムは使いやすいんだよ、あれは、」オオタは言葉を止めた。「いや、本題から少しずれたな、問題にするのは10進法以外を使った理由だ。」
「我々の文化で10進法を使わないものってあるかい?」ツキモトはオオタに聞いた。
「うーん、1か月は36日か37日だろ?それが交互に来る。10か月で365日だ。」オオタは言った。
「でもそれは365日が10で割れないからだな。」ツキモトが言う。
「いや10日を36か月と半月でも1年になる。」オオタが言う。「常識にとらわれてはいけない。」
「そりゃそうだが。」とツキモトは納得できない顔で言った。
オオタは少し考えをめぐらせてから話し始めた。
「そうか、彼らもそうだったんだ。生まれてからずっとそうだったんだ。常識にとらわれていたんだ。そして最初に時計を考えたやつは死んでしまった。残された人々は24に分割する理由は別に気にしなかった。」
「研究者は知ってただろう。」ツキモトが言う。
「そりゃあ学者は知っていたかもしれないが、一般人はそういうもんだと思って気にしなかった。文明がある程度発展してしまったら、世界中の時計を今日から十進法に変えます。なんてのは不可能になってくる。」オオタは11万年前の地球、ヒューマンの時代を想像する。
「なるほどな。」ツキモトが言った。
「だから資料が少ないんだ。あたりまえだからだ。」オオタが少し興奮して言った。
「根本的な解明にはなっていないな。」ツキモトが冷静に言う。
「解明か、そういう資料は発掘されていないな。」オオタが発掘レンガの記憶を頭の中で検索する。
「じゃあその少ないと予想される時計に関する歴史資料を、11万年前の地層から探さないとな。」ツキモトが言った。「もしかしたら、レンガ人が残してくれてるかもしれない。」
「発掘待ちか。」オオタがめんどくさそうに言った。
「すぐに終わるような論文テーマじゃないよ。」ツキモトが言った。
「発掘待ちじゃ気の遠くなる話だし、ひょっこり出てくるのを待つしかないな。」一息ついたのかオオタはイスに寄りかかり、ブドウの酒をゆっくり飲んだ。
「のんびりやれよ、話し相手ぐらいにはなるよ。」ツキモトが笑って言う。
「ありがとう。」オオタは言った。「でもちょっと楽になった気がするよ。イライラしてしょうがなかったからな。やっぱりお前と話すと考えがまとまるんだよな、お前すごいな。風格が違う、年の功ってやつか。」
「5歳しか違わないじゃないか。」ツキモトが言った。
「7歳な、脱皮1回分違うからな。俺のほうが若い。4002年生まれだ、この3千年代生まれめ。」オオタはツキモトに笑って言った。
「それと、この論文が終わったら、またレンガ文明ほったらかして手伝い。」オオタが残念そうに言った。
「どこ?」ツキモトが聞いた。
「そっちのピラミッドの手伝いに回された。」オオタがニヤっと笑って言った。
「あらら。」ツキモトが言った。
「またしばらく一緒だな。」オオタが言った。
「よろしく。」ツキモトが言った。
我々が知的生命体としての文明を築き始めて4000年が経った頃、我々は寿命的な死を克服していた。
今は甲殻歴9998年、記念すべき甲殻歴10000年が迫っていた。
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