19:不死
《不死》
我々のDNAにはロブスターのDNAも内包されている。
それを活性化できれば、年老いた体を脱皮して脱ぎ捨てることができる。
しかし、この実験は動物実験が出来ない。
なぜなら身代わりになるような実験動物は存在しないからだ。
ヒューマンならばサルで実験すればよかったが。
我々はこういう場合、死刑囚を使う。
凶悪犯罪を犯した生かしておくべきではない人物だ。
ヒューマンは映画の中で死刑という刑を否定する文化があったと認識している。
我々にその考え方は無い。
我々はヒューマンではないのだ。
被験者1号は70歳のオスだった。彼にはDNA改変薬剤が投与された。
我々のDNAの中に眠るエビなどの脱皮メカニズムのDNAを活性化する試薬だ。
薬の設計は完璧に思えた。このオスは脱皮をするはずであった。
実験はカメラを何台も据え付けた牢獄で行われた。
最初の1か月は変化が何も表れなかった。
失敗かと誰もが諦めた。
だが、ある日、彼の口元に白い糸くずが付いていた。
しばらくして、彼も糸くずに気が付いた。彼は糸くずを取ろうと引っ張った。
すると糸は口の中に繋がっていた。彼は糸を引っ張った。
すると口の中からスルスルと糸が出てきた。糸は喉の奥から出ていた。
「なんだこれ」彼はそう言いながら糸を引っ張り続けた。
糸は何日も何日も口から出続けた。そして15日ほど糸を引っ張り続けた時、口から出ていた糸が切れた。
そして彼の寿命の糸も切れた。そのオスは老衰で死んでいた。
被験者2号は、70歳の1号よりも少し若い61歳のオスだった。
彼も薬剤投与後1か月は、何の変化もなかった。
そして1か月後、1人目と同じように口から糸を吐き始めた。
しかし彼は1人目と違い、繭を作り始めた。部屋の隅に繭を作り始めた。
それは我々の10歳の幼虫が作る繭と、同じような繭だった。
大きさは子供の物より大きいが、彼は20日ほどで繭を作り上げた。
そして彼はその繭の中で眠りについた。
科学者たちは牢獄にスキャン装置を設置し、彼の繭を毎日スキャンした。繭の中の彼の体の変化を見守った。
彼の体は少しずつ変化していった。彼の体は内側に新しい内臓が作られていった。しかし9か月がたった頃、彼の体はまったく変化しなくなった。
61歳のオスは脱皮の途中で命が尽きていた。
被験者3号は54歳のメスだった。
我々は、もっと若い死刑囚をと要請したが、却下された。若い死刑囚は刑務所内での態度や反省の具合によって、無期懲役に切り替わる可能性があるのだ。
54歳の彼女も投薬から1か月後に繭を作り始めた。そしてサクッと繭を完成させた。若いほうが楽に繭を作れるように見えた。彼女の体は繭の中で順調に変化していった。内臓の内側に新しい内臓を作っていった。スキャン装置でその変化を見守った。
そして繭に籠って1年後、彼女は脱皮した。
彼女の体は繭の中で全てが作り替えられ、脱皮に成功した。
繭の中で彼女の体は、背中がパックリと割れ、中からゆっくりと新しい体が表れた。
そして繭を内側から破り、外に這い出てきた。
体は大人になりたてのような若々しい体だった。
繭の中には、脱ぎ捨てられた古い体がカラカラになっていた。
脱ぎ捨てられた古い体には乾いた内臓もあったが、乾いた脳もあった。
乾いた大脳皮質もあったのだ。彼女の記憶は学校を卒業した時で止まっていた。
彼女の脳に残っているのは学校時代のおぼろげな記憶だけだった。脳は脱皮に含まれないと思い込んでいた科学者たちは驚いた。
記憶を全て無くした彼女は、精密検査を受けた後、政府の下働きのような簡単な仕事が与えられ、厳重な監視のもと、経過が観察された。
彼女は別人のように真面目に働き、日々を過ごしていった。
彼女はもう別人だった。
体が若返り、記憶を無くした彼女は、死刑囚と同一人物と呼べるのだろうか。法律家の間で何日も何日も議論が繰り返された。
そして、別人と認めても良いという事になった。
だが、脱皮薬を開発した研究者たちは、別人になり別の人生をやり直すことは、寿命を伸ばすことではない、という結論になった。
記憶をキープする方法を見つけなければならなかった。
ただ、通常の脳の細胞は一生入れ替わらない。代謝しない。
脳を若返らすとすればこのような結果になる。脳の脱皮を回避すれば脳は老衰でいつか機能しなくなる。
記憶を残しながら脱皮をして若返る。そんなことは不可能だった。
3910年、不死の実験は成功した。しかし、それを永遠の命、長寿の実現と呼ぶことは出来なかった。
だが、その実験の結果は世間に漏れた。
若返るというニュースは瞬く間に広がり、世間では希望者が続出した。
種の繁栄の為に協力したいという者が続出した。
拒否を続けると死刑になるような凶悪犯罪を犯すものが出始めた。これは危険だという事で、一般からも審査を経て実験に参加できるように取り計らわれた。
それでも凶悪犯罪は増えていった。
実験体には困らなかった。
我々は、その後も死刑囚を中心に実験を繰り返した。
そして、脱皮成功の分岐点は55歳ぐらいであろうという結論になった。脱皮に費やす生命力の残量が、脱皮の成功を分ける。
個人差はあるが、54歳から59歳までで成功例が出た。しかし52歳でも失敗例が出た。
多くの実験の結果、50歳ごろまでに脱皮をするのが好ましいが、何歳で脱皮をしようとも1パーセントほどは脱皮に失敗して死亡する可能性があるということになった。
その、100回に1回は失敗するというリスクの大きさもあって、50歳で脱皮し20歳の体に若返り、30年を生きてまた脱皮をするというサイクルが良いであろうということになった。
ただし、記憶は失う。
50歳で脱皮して新しく別の人生を送るか、記憶を持ったまま老いて死ぬかの選択を許されるようになった。
考えてほしい。50歳で脱皮を拒否し、その者が60歳になった時に、50歳で脱皮すればよかったと思ってももう遅い、そんな選択だ。
世界は脱皮ブームになった。
刑務所の中では脱皮は許されず、50歳前後を刑務所内で過ごす者は、寿命で死ぬことになった。
死刑ではない。生物として寿命で死ぬのは自然なことだ。
犯罪率は急激に下がった。
強制脱皮薬は生産数がまったく足りず、高値で取引された。
その値段は、まさしく命の値段だった。
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