16:子供
《子供》
甲殻歴2003年の携帯電算端末装甲の世界的大ヒットから10年後。
2013年。ニホンは統合政府の管理下に入っていた。
「森へお帰り。」
居間の大型ディスプレイにはヒューマンのアニメが写っている。
アニメの中では、巨大な芋虫が走っている。
そして大型ディスプレイの前には、コロコロとした全長1メートルほどの白い芋虫が6匹、横一列で並び身動き一つせずにアニメを見ている。
目がウルウルとして実にカワイイ芋虫たちだ。
「ただいまー。」家の入り口から声が聞こえた。
コロコロとした白い芋虫たちはピクッと反応する。そして玄関までダッシュする。短い脚たちをズバババババっと動かしてダッシュする。
玄関にはアイモトが立っていた。
アイモトはしゃがんで、駆け寄るコロコロとした子供たちを順番に抱きしめる。
「元気にしてたか、ちゃんと勉強したか?」アイモトが子供たちに言う。
「ヤッタ。ベンキョウヤッタ。サンスウヤッタ。」1匹がキーキーと甲高い声で答える。
「リカモヤッタ。」隣の一匹が答える。
「カンジヤッタ。」「チズモヤッタ。」「チキュウモヤッタ」「シゼンモヤッタ」「イキモノモヤッタ」「ソレハキョウハシテナイ」6匹が一斉に喋る。キーキーと騒がしい。
「はいはい、わかったわかった。」アイモトが言う。
「あなた、おかえり。」キッチンから奥さんが出てきた。
「ただいま。変わったことは無い?」アイモトが言う。
「今日、新しい映画の公開だったんだけど、子供たちが今見はじめたところだから、アナタも見たかったら最初から再生して。」奥さんが言った。
「お、いいね。」アイモトが言った。
「なんか大きな芋虫が出てくるやつっぽい。」奥さんが言った。
「巨大な子供?」アイモトが言った。
「そうじゃないけど、まだ見てないから分からない。」奥さんが言った。
「後でじっくり見よう。」アイモトが言った。
「ハイハイ子供たち、戻って戻って。」奥さんがニコニコして言う。
我々は、子供が幼虫の間は名前を付けない。
子供が無事に、成虫に脱皮してから名前を付ける。
それは親の心のガードになる。成虫にならないことが多いのだ。
おそらく、1匹か2匹は成虫にならずに死ぬだろう。それが分かっているから、名前はまだ付けない。
「お父さんは映画は後で見るから、みんなで見ててね。」アイモトが大型ディスプレイの前に戻った子供たちに言った。
「もうそろそろだよな。」アイモトが奥さんに言う。
「そろそろね。」奥さんが言う。
「繭箱、フンパツして高いの買ったからな。」アイモトが奥の暗い部屋を見ながら言う。
「無事に脱皮してくれることを祈るわ。」奥さんが言う。
「みんな元気だからな。」アイモトが言う。
「もう夏も終わるけど大丈夫かしら。」奥さんが言う。
「入りたくなったら自分で入るだろう、気を揉んでもしかたがない。」アイモトが言う。
「そうね、なるようになるわ。」奥さんが言った。
我々は昆虫である。
正確に言えば、節足動物の甲殻類六脚亜門に分類される。
ヒューマンで言うところの、脊椎動物の哺乳類サル目という分類と同じである。
昆虫である我々は脱皮をする。
それが、哺乳類であるヒューマンやビースターとの大きな違いである。
脱皮は人生で2回。幼虫から成虫になる時と、成虫から完全体になる時である。
幼虫から成虫になる脱皮を、完全変態という。
成虫から完全体になる脱皮を、成長変態という。
これが少し分かりにくい。幼虫から成虫を完全変態、成虫から完全体を成長変態。完全体と完全変態がアベコベになる。
だから我々は生物学者以外、完全体という言葉を使わない。
大人と言っている。
幼虫から成虫になる完全変態は、成功率が低い。
1回の産卵でメスは卵を平均10個産む。そして大体6匹か7匹が孵化する。
孵化した時点で基本的な言葉は理解している。ウレシイとかサビシイとかハラヘッタとか教えなくても喋る。これはDNAに刻まれている。
幼虫になって10年は食べて寝て過ごすが、今では基礎教育を幼虫の間にする。
基本的な現代の知識を教える。算数、言葉、生き物、地球みたいな感じに分かれている。
10年後、繭を作り完全変態の準備に入る。暗い部屋に置かれた繭箱の中で1年、体の構造を再構成する。
そして体の再構成が終わると、繭を内側から破り、人の形になり成虫として出てくる。
この時、永遠に眠り続ける者がいる。
繭を破る力のない者がいる。繭を破る力の無い者を、親は助けない。助けたとしても、すぐに死んでしまうからだ。
1年後、居酒屋「ハチオウジ海岸」
アイモトとイシカワが喋っている。
「お前の所の子供どうよ。」イシカワがアイモトに聞く。
「やっと繭から出まして、6匹中5人です。」アイモトが言った。
「おお、良かったなあ。」イシカワが言う。「すごいじゃないか。」
「ウチの奥さんが泣いちゃって、嬉しいのと悲しいのと同時に来ますからね。」アイモトが言う。
「それはどの家でも一緒だな、ウチは前回は夫婦2人で泣いてたよ。」イシカワが笑って言う。
「自分は、なんか呆然としてました。」アイモトが思い出しながら言う。
「ウチは6匹中3人だったからな。」イシカワが言う。
「それはちょっと、自分だったら号泣しちゃうかもしれないです。」アイモトが言う。
「だから夫婦2人で号泣してた。」イシカワが笑って言う。
「イシカワさんの子供さん、もう大人になったんでしょ?」アイモトが聞く。
「2か月ぐらい前にな、学校を卒業して挨拶に来た。」イシカワが言う。
「大きくなってました?」アイモトが言う。
「そりゃあもう、繭から出たばっかりはすごく小さかったのにな。」イシカワが嬉しそうに言う。
「立派に脱皮したんですね。」アイモトが言う。
「そうだなあ、みんな俺に似て体が大きくて、働くところも力仕事らしい。」イシカワが言う。
「仕事先が決まったんですか?」アイモトが言う。
「新しく始まった能力検査みたいなやつあるだろ、あれを受けたらしいんだけどな。」イシカワが言う。「その検査で仕事がだいたい決まるらしい。世界規模で。」
「世界規模?」アイモトが驚く。
「そう、世界規模。」イシカワが言う。
「遠くで働くこともあるんですか?」アイモトが聞く。
「おすすめされる仕事一覧に、世界中の会社とかが書かれているらしいよ。」イシカワが説明する。「その中で好きなのを選べってことらしい。」
「断ったらどうなるんですか?」アイモトが聞く。
「それはそれで、何とかなるらしい。」イシカワが言う。「俺の子供たちは近場で選んだみたいだ。」
「自分なら南米大陸とか行ってみたいですかね。」アイモトが言う。
「なんで?遠いじゃない。」イシカワが言う。
「せっかく世界が平和になったんですし、地球の裏側に行ってみたいです。」アイモトが言う。
「裏側かあ。」イシカワが言う。「どうやって行くんだろう。」
旅客機は存在しない。巨大な鳥に襲われてしまうからだ。
「戦闘機は長距離が無理だし、船じゃないですかね。」アイモトが言った。
「何かもっと速い、泡で水の抵抗を減らす潜水艦があっただろ。」イシカワが言った。
「超速微細気泡包膜潜水艦ですかね。」アイモトが言った。「爆音で潜水艦としては失格というウワサの。」
「それ客船にしないかな、戦争終わったし。」イシカワが言った。
大海横断低音特車が完成するのは、遥か未来の話である。
我々は2回脱皮をする。
我々の2回目の脱皮は、学校を卒業した後である。と言うよりは、脱皮が始まると学問を終了する。
卒業試験のようなものは無い。
成長脱皮はゆっくりと進む。全身の殻が乾燥してきて、痒くなってくる。
1か月ほど痒さに苦しむ。とても勉強なんて出来ない。
その後、殻の下に新しい殻が出来始める。
やがて体の数か所がパリッと割れる。そしてスポッと抜ける。
腕と足はスポッと抜けて、体の前面と背面はベリッと剥がれる。
これはものすごく気持ちがいい。
脱皮した直後の体は白くてブヨブヨしているが、1か月ほどで硬くなる。
その時には脱皮前よりも体が一回り大きくなっている。
頭の殻はペリペリ剥ける。頭は大きくならない。
この脱皮を経て大人の仲間入りをする。
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