第6話 天狗のうちわ

「はー! 真っ白!」


 ふすまを開けると冷たい風と雪が入り込んでくる。

 吐いた息も真っ白!

 外は一面の雪化粧、しんしんと降り積もる雪はおひさまの光を受けて綺麗に輝いていた。

 寒いのは嫌だけど、雪って私は好きだなぁ。

 でもやっぱり温かい季節の方が好きかも。

 二月は寒くてかなわないわ。


「くしゅん! あ、駄目だ。やっぱり寒い」


 いくら雪が好きでもこの寒さはたまらないわ!

 即ふすまを締めて冷気を遮断!

 私は急いで火鉢に手を当てるのです。


「ずーるーいー! 私もほーしーいー! あとさーむーい!」

「お屋敷に響くからやめなさいな、お竹。せっかく江戸に帰ってきたのに」


 はい、いきなりお竹のわがままがうるさいのですけど、私たちは遂に江戸に帰ってきたのです。

 江戸の柳生のお屋敷。剣術道場も併設されたお屋敷は他の大名様と同じぐらいの大きさなんだけど、これはお爺様である柳生宗矩やぎゅうむねのり様のおかげなんだ。

 今の将軍様、徳川家光とくがわいえみつ様に仕えていたお爺様は、将軍様ととても仲が良くて、そのおかげでこんなに立派なお屋敷を頂戴しているのです。

 それをお父様が譲りうけたのですけど、今はおじ様の宗冬様のお屋敷として使っているというわけです。


「おい、妹を黙らせろ」


 むっ、簡単に言ってくれるわねぇ。

 天狗様は部屋のどういうわけか私たちの部屋の天井裏から頭だけを出していた。

 まるで幽霊みたいに透き通っている。でも、かっこうがかっこうなせいか、ちょっとへんてこに見えるのはここだけの秘密だ。


「あのですねぇ、女の子のわがままって簡単には収まらないんですよ?」


 しかも、こうなったお竹は本当に難しい。妹気質っていうのかしら、お父様もお竹には甘かったからなぁ。

 それでもって、お竹がなにをわがままいっているのかというと、小刀の事なのです。


「お姉ちゃんばかりずるいですぅ!」


 簡単に言えば、お竹も自分の小刀もしくはそれに近い何かが欲しいと言い出して、駄々をこねてるってわけ。

 まぁ、あんなに凄いものを目の当たりにしたら、欲しくなるのはわからなくもないけどね。


「ねぇお竹。この小刀は私たち二人のものだよ?」

「でもずっとお姉ちゃんが持ってるじゃないですかぁ!」

「そ、そりゃ危ないし、お竹ってみんなに見せびらかしそうだし」


 ちなみにこの小刀の事はお母様たちには秘密なのです。

 そもそも、いくら小刀とは言っても普通は子どもの私たちが持てるものじゃないしね。

 その事を考えると、お竹はたぶん、忘れて街の人とかに見せびらかしそうだもの。

 だから姉である私が管理するのです。


「ほらっ! そんなこと言ってるぅ!」


 柳生の里にいる間は大人しかったのだけど、江戸についたとたんにこれだもの。

 一応、まだお母様たちが見てる前ではやってこないからいいけど、私たち二人の部屋に帰るとこれなんだよね。

 もううるさいったらありゃしないわ。

 さっきふすまを開けたのも、冷たい風でお竹の頭が冷えないかなぁと思ってやってみたんだけどまるで効果なし。


「あーもう、やかましい。おい、お竹、これをくれてやるから我慢しろ!」


 とうとうしびれを切らせたのか、天狗様はするりと降りてくると、お竹の目の前であぐらをかいて、懐をまさぐって緑色の大きな葉っぱを取り出した。

 いや、違う、葉っぱのような形をしているけど、これ、うちわだ。


「えぇ、なんですかこれぇ?」

「お竹、そういう事言わないの」


 ちょっとは期待していたのか、お竹はぴたりと泣き止むのだけど、取り出されたものを見て怪訝な表情。

 まったく、我が妹ながら失礼な子ね。

 いやまぁ、私もちょっと拍子抜けって感じなんだけど。いまどきうちわをもらってもねぇ。


「ふん、子どもはこれだから。いいか、これはただのうちわじゃねぇ。ま、見てろ」


 天狗様はきょろきょろと部屋の中を見渡す。


「ったく、ちょっとは片付けろ」


 目についたのは部屋中に散らかっている書物の数々だ。全部お勉強の本なんだけど、殆ど手付かずのまま放置してたんだよね。

 ちなみにこの状況がお母様にばれると雷が落ちます。

 それはさておき、天狗様は散らかった書物に向かってうちわを軽く仰ぐ。

 その瞬間、びゅうっと強い風が巻き起こり、書物を風の渦で浮かばせたのだ。

 そして風に持ち上げられた書物は吹き飛ばされながらも、棚の上に次々と重なっていくのです。


「わぁすごいすごーい!」


 まさに手のひら返し。お竹はぴょんぴょんと飛び跳ねながら天狗様に駆け寄ってキラキラした目でうちわを眺めていた。


「ふふん、どうだどうだぁ? これぞ、噂に名高い天狗のうちわよ!」


 おぉ! それってものすごい貴重なものなんじゃないのかしら!


「ま、実際にはこんなものなくても俺様たち天狗は風を操れるがな。ほれ、こいつをくれてやる」

「わーい! ありがとう天狗様ー! えへへ、どうだぁいいでしょう?」


 あっさりと手懐けられている。

 この子、お菓子とかもらったら知らない人にでもついていきそうな子ね……。

 まぁ今は機嫌が治ったからよしとしましょうか。

 単純で助かるわー。


「はいはい、よかったわね、お竹。それよりも天狗様。いいのですか?」

「あぁ。別にそこまで大切なものじゃねーよ。同じものはいつでも作れる。それに、普通に使う分にはただのうちわだ」


 天狗様は「どっこらせ」と言いながらその場で横になって翼を火鉢に近づけて暖を取り始める。


「ひー、なんつぅ寒さだ。羽の先まで冷えてくるぜ」

「あ、ちょっと独り占めしないでくださいよ」


 翼が邪魔で私たちにあったかい空気が回ってこないんだけど?


「もう、羽をどけてください。それより、普通のうちわって言いますけど、さっきはうちわで風を操っているように見えましたけど?」

「いうなれば練習用だな。力のないものでも、そのうちわを使えばさっき見たいに風を操れるが、簡単にゃいかねぇ。集中力を高めて、風をどう操るかを考えなきゃただのうちわだ。お竹じゃ使いこなせるようになる頃にゃばあさんだな。くわーっかっかっか!」


 ふぅん、そんなものなのか。

 一方のお竹は意味もなくうちわを仰いでいる。それでけでも天真爛漫な笑顔を振りまいているのを見るとやっぱりまだ小さい子どもだなぁって感じ。


「んん~えい!」


 お竹は大きく振り下ろすようにうちわを仰いだ。


「無駄無駄、力任せに振っても意味が……」


 と、その瞬間。

 ごおぉぉ! というものすごい音と同時に部屋中を突風が駆け抜けていった!


「は?」

「きゃあぁぁぁぁ!」


 せっかく棚に片付けられた書物も散らばって、ふすまは全部外に吹き飛んで、ついでに庭の雪も飛ばされていく。

 私は床にへばりついて飛ばされまいとふんばり、天狗様は火鉢を抱えて部屋の隅っこに逃げていった。


「あれ?」


 当のお竹はきょとんとしている。


「あれじゃないわよ! なにやってるのよお竹! ちょっと天狗様、そう簡単に使えないって……あ、天井裏に逃げたなぁ!」


 文句を言ってやろうと思って振り向いた先、こつぜんと、天狗様の姿は消えていた。

 に、逃げ足の速い人!

 それより、これどうするのよ! 大変な事になっちゃったじゃない!


「姫ー! 姫様ー! 大丈夫ですかぁ!」

「台風だ!」

「いや竜巻だ!」

「天狗の仕業じゃ!」


 あぁほらお屋敷が騒がしくなってきた!

 どたどたとうるさい足音を響かせて道場のお弟子さんやおじ様の部下の人たちが私たちの部屋まで集まってくる。

 

「いい、お竹。これはただの春一番、春一番の突風だからね!」

「はぁい! えへへ、すごい風!」

「わかってるのかしら、この子……」


 もう、お竹に変なおもちゃを与えて!


「天狗様、馬鹿!」


 結局、この騒ぎは突風の仕業という事で何とか誤魔化す事が出来た。

 まさかお竹が天狗のうちわで吹き飛ばした、なんて言っても誰も信じないだろうし。

 あぁ、それにしても寒い、寒い。

 何でこんなに冷えるんだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る