第7話 寒々江戸の空

「んー! 寒い!」

「寒いねぇ!」


 相変わらず江戸の街は雪が降り積もっていた。

 ねずみ色の雲は重苦しく浮かんでいて、昨日までは見えていたお日様も隠れてしまっている。

 しかもこの寒さのせいで将軍様が病気になっちゃったみたいで、宗冬のおじ様は忙しそうで、お稽古にも付き合ってくれないし、お母様はいつもと変わらず勉強しなさいだし。

 ま、朝は暇だし言う通りにするわけだけど、お昼が過ぎるともう退屈で仕方がない!


「寒い寒いって言ってる癖に外には出るんだな」


 どこからともなく天狗様の声が響いてくる。

 天狗様が宿った小刀は私の帯の中に隠しもっていて、私たち以外には天狗様の声も姿も見えないようになっている。

 天狗様曰く『実体化』という術を使えば見えるようになるらしいけど、ま、流石にこんな街中ではね?


「だってお屋敷にいるのは暇だもん。それに、体を動かしていれば温かくなるしね!」


 というわけで、私はお竹を連れて江戸の街に繰り出しているのです。

 本当ならお付きの従者さんたちがいるんだけど、あの人たちがいると堅苦しくて、自由に遊べないんだよねぇ。

 だからこっそり抜け出してくるのです。


「あ、お姉ちゃーん、雪合戦してるー! 私、入れてもらってくるねー!」

「はーい、遠くまでいかないでよねー」


 お竹はさっそく雪合戦に興じている子たちの輪の中へすんなりと入りこんでいった。

 こんなに寒い日でも私たち子どもは元気いっぱい、むしろ雪が降ってくれて喜んでいる子もいるぐらいなんです。

 雪合戦もそうだけど、雪だるまを作ったり、つららを折っては飴のように舐めたり(これをやるとお腹壊すから嫌だけど)、竹馬に乗ってる子もいた。

 もしかしたら近くの川に行くと凍った川の上を歩いている子たちもいるかも。


「犬じゃあるめぇし、ちったぁ大人しくできねぇのかねぇ……」

「天狗様は寒いのは嫌いなんですか?」

「嫌いだね。夏も嫌いだ。春と秋がちょうどいいぐあいだと思うぜ?」

「あ、それ私も同じです。夏の水浴びは気持ちいいんですけどねぇ……」


 さて、私は何をして遊ぼうかな?

 なんてことを考えていたら、こつんと頭に何かが当たった。


「あいた!」


 頭をさすっていると、今度はその手にもこつんと堅いものが落ちてくる。

 そして、それは次々と振ってきたのだ。


「え、なに、雪じゃない!」

ひょうだな。氷の粒だ。すげぇ量だな」

「痛いいたい! ちょっとこれは駄目だって、お竹ーこっちきなさーい!」


 バラバラと降り出した雹のせいか、外で遊んでいた子たちがみんな蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「うわーん、痛いよぅ」

「大丈夫、怪我してないわ」


 おでこに当たったのか、ちょっと赤くなっていた。

 私はお竹のおでこをさすってあげながら近くの屋根に隠れて、雨宿りならぬ雹宿り。

 雹なんて初めてみるなぁ。


「うわー、氷だけじゃなくてお空も変」


 もとから黒々としていた空模様だけど、さらにひどい感じ。次第に風も強くなってきているように思うし。

 って、風が強くなったせいで雹が当たってくる!

 あちこちでは悲鳴も聞こえるし、バリバリと障子なんかが破れる音も聞こえていた。


「……て、撤退~!」

「撤退だぁ!」


 私たちは急いでお屋敷に戻る事にした。

 その間も体のあちこちに雹がぶつかって痛かったけど。

 

 ──ゲエェェェェェ!


 その時だった。猛烈な風が突き抜けていった瞬間、風の音とは思えないような鈍い声? のようなものが聞こえた。


「え、なに?」


 私は思わず振り向いてしまう。

 容赦なく雹がぶつかってくるっていうのに、私はそんなことよりもさっきの声のようなものが気になっていた。

 でも、それはさっき聞いただけでもう聞こえない。びゅうびゅうとふぶいてきた風の音だけだ。


「お姉ちゃーん、早く帰ろうよぉー!」

「そうだね……」


 たぶん、気のせいだよね?


***


「おぉ、お松、お竹、帰ってきたのかい」

「宗冬のおじ様!」


 お屋敷に戻った私たちを出迎えてくれたのはなんと、宗冬のおじ様だった!

 陣羽織をびしっと着こなしていて、きりっとした姿勢なのに優し気な顔、いつも笑顔で、とっても優しいおじ様なんだ。


「いやいや、今日はなんとも災難な日だ。二人とも、怪我はないかい?」

「はい、大丈夫です!」


 よく見ると宗冬のおじ様もびしょぬれ。陣羽織のあちこちには雹の粒が残っていて、なんだかとっても寒そう。


「おかえりなさいませ内膳ないぜん様」

「うむ、無事帰ってきた」


 お屋敷の奥から現れたのは宗冬のおじ様のお嫁さん、お花さんだった。お母様と同じでものすごーく美人で、おしとやかな人。いつもおじ様の一歩後ろについていて、これぞまさしく大和撫子って感じの人なんだ。

 あ、ちなみに内膳というのはおじ様の名前の一つ。二つも名前があるのってややこしい気もするけど、お侍様になると色々と大変みたい。役職に応じて名前を変える人もいるとかいないとか。


「何とも奇妙な空模様でして……それに突然の事ですので、何も用意が……」

「構わん。雪ならまだしも、雹であるからな。風呂にでも入ってさっぱりとしたい所だが、聞けば何やら湯屋も凍り付いてしまっているとか」

「まぁ……」


 えー、お風呂まで凍ってるの?

 これは参ったなぁ。こんなにぬれちゃって寒いのに、お風呂に入れないのは嫌だなぁ。


「お松さんも、お竹さんも、早く着替えてらっしゃい。温かいお茶ならすぐに用意できますから」

「はぁい、ありがとうございます!」

「ありがとうございますです!」


 やっぱりお花さんは優しい。本当なら今年で二歳になるおじ様の長男、五郎兵衛の子育てに忙しいはずなのに。

 そうそう、この五郎兵衛がね、それはもう可愛いだぁ。最近では私たちをみて笑ってくれるし、元気に動き回ってるし。

 未来の柳生を継ぐ大切な跡取りでもあるんだ。


「お姉ちゃん、早く着替えようよぉ」

「そうね。それでは、おじ様、お花様、私たちはこれで」

「あぁ、風邪をひかぬようにな」


***


「あー、生き返る~」

「あったかぁ」


 それからしばらくして、私たちは二人の部屋で火鉢を囲んでぬくぬくとしていた。

 外はとうとう猛烈な吹雪になっていて、ふすまや戸ががたがたと音を立てていたけど、お竹が天狗のうちわで吹き飛ばした時のように外れる様子はなかった。

 隙間風がちょっと寒いけど。


「ふー、それにしてもすごい吹雪。お風呂も凍るし、道場もお休みだし、外には出れないし。お母様からはお勉強だって言われるし」


 簡単には外に出られないような様子なので、私たちはやる事がなくてだらだらとしていた。

 というか、寒すぎて筆も持てないんだよねぇ。こうして暖を取らないと本当に私たちまで凍っちゃいそう。


「お前らそんなのんきに構えてていいのか?」


 にゅっと天井裏から天狗様が頭を出して現れる。


「えー、だって寒いしぃ……」

「そうじゃなくてだな。この天候だ。いくら冬とは言え、湯屋が凍るものかよ」

「んーまぁ確かに言われてみれば」


 お湯を沸かしたり、薪で火を起こしたりしてるわけだし、温かいはずだものねぇ。

 そんな場所が凍るって確かに変かも?


「言っとくが、このまま放置してたら江戸が氷漬けになるぞ」

「えぇ、それは流石にないでしょう? 江戸の冬って寒いですから。川だって時々凍るし」

「そーじゃねぇ。江戸を取り巻く結界が乱れてる。いや、むしろそれが害意を与えてやがるぞ」

「結界?」


 江戸の結界? なんだそれ?

 私たちが首を傾げてると、天狗様は大きくため息をついて、「やれやれ」と首を横に振った。


「知らんのかお前ら。この街は四方を取り囲むように結界が張り巡らされてる。こいつはすげぇぜ、一体どんな野郎が施したのか知りたいぐらいだ」


 天狗様はするっと降りてくると、当然のように火鉢に当たった。


「おい、筆と紙を借りるぞ」

「うん」

「いいか、誰がやったか知らんが、この江戸の街はどでかい結界の中にあるんだ」


 そう言いながら天狗様は紙に大きく丸を書いて、その中に十字に線を入れた。

 そこに東西南北を書き入れ、北には江戸城、東には川、南には海、西に道と付け加える。


「これ見て、何か思わないか?」

「うーん……江戸城はわかる……川は、平川? 海は海として、道は……東海道?」


 もしかしてこれって地図のつもりなのかな? 東西南北には確かにそれらがあるんだけど。

 それにしても、地図にしてはちょっと乱暴な書き方じゃないかなぁ。


「北に城と書いたが、実際は山だ。それを踏まえてこいつを見てみろ。この江戸の街を取り囲む要素ってのは、実はかなり良いものなんだ。風水、知ってるか?」

「聞いたことはあるけど……友種様とか陰陽師の人やお坊様が時々使う奴でしょ? 占いみたいなものだって」

「ま、今はその解釈でいい。でだ、この風水に照らし合わせると、江戸の街は栄光が約束されたようなものなんだ。四神相応って考え方だな」


 なんだか、難しい話になってきたなぁ。

 お勉強は嫌いなんだけど……。


「……あんまり理解してねぇな。とにかくだ、今の江戸はこの結界が崩れ始めてる。普通じゃ考えられない事だ。俺が見る限り、この結界は数百年は余裕で持つ。だが、このまま放っておけば江戸は滅びるぞ」

「そ、そんな怖い話言わないでくださいよ。冗談にしたって限度があります」


 滅びるとか、物騒すぎます。

 でも、このとんでもない寒さと吹雪を見ると、そう思えてしまうのもあるんだよね……。


「冗談なんざ言わねぇ。とにかく北だ。北の方角に凶が見える」


 天狗様は地図に書き込んだ北の文字を何度も丸でかこった。

 そして新しく文字を書き入れる。

 『玄武』、げんぶ? なんだこれ。


「四神というのは、つまり、土地に宿る神々の事だ。そして北の方角を守護するのは玄武という神でな……大体こんな姿をしている」


 天狗様はそういいながら手足が長くて、しっぽが蛇のようにうねった亀のような絵を描いていく。

 意外と絵が上手!


「亀? 亀が神様なの?」

「あぁ。亀は万年生きるといわれて、長寿と不死をつかさどる。簡単に言えば守り神のような存在だが、なぜかこの方角からまがまがしい気を感じる。玄武は冬を象徴しているからな。この吹雪と無関係とは思えない」


 なんだか話が大きくなってきたような気がする……。


「んー、でもそれが本当だとして、私たちにどうこうできる問題じゃないと思うんだけどなぁ」


 それこそ陰陽師とかのお仕事じゃないのかしら?


「そんな悠長なことは言ってられんぜ? 今夜のうちになんとかしねぇと、この江戸は氷に閉ざされる。玄武の力ってのはそれぐらい強いんだからな」

「えぇ! 江戸が凍るって、そんな……ちょっと信じられないけど。そもそも、なんでその、玄武って神様はこんなことするの? 守り神なんでしょう?」

「俺が知るか。だが、感じられるのはそうだな……怒りだ。神の怒りは怖いぞ? 簡単に国を滅ぼしてしまうからな。だが、しずめる方法もある」


 その時、天狗様がにやりと笑った。

 な、なんだろう? 嫌な予感がする……。


「おう、お松、今夜玄武の所にいくぜ。なぁに、俺の言う通りにしてりゃ明日は晴れだ。うまくいけばの話だがな?」


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