12.ちっぽけな自分を歌え
尻屋埼周辺をジオ目線で見ると、この辺りは非常に硬い岩盤でできているらしい。
海洋プレートが大陸プレートの下に沈みこむときに、海底にたまっていた生物の遺骸が剥ぎ取られて、押し固められたから――だそうだ。
その生物の遺骸というのは、なんとジュラ紀の時代のものなんだって。
それを今こうして見ることができているなんて、やっぱりすごく不思議な気分だ。
「未沙ちゃん! 灯台の土台さなってるとごろは、白亜紀のマグマがもどさなってる閃緑岩で超
弓ちゃんがスマホをこちらに向けて笑っていた。
「ふぉぉおお……」
ジュラ紀の次は、白亜紀!?
なんという歴史のパラダイス――自分で考えておいて、ちょっと意味がわかんないけど。
「ふたりとも、そろそろ次に行こう。下北を一周しようと思ったら、結構時間がかかるんだよ」
「あ、はい」
「次々ぃ~!」
灯台を見おわったあとは、下ばかり見ていたわたしたちに、京介さんが声をかけてくる。
再び車に乗りこみ、津軽海峡に面した海岸線を東に向かって走った。
「もう少し早い時期なら、横浜町の菜の花も見れたんだけどね」
「わいは見さ行ったよ! 超きれいだった。来年は未沙ちゃんも行ぐべ~」
「う、うん」
そんなふうに自然に誘ってもらえるのが、嬉しい。
「ほら、こんな感じだ。菜の花畑の大迷路どがあるんだで」
弓ちゃんがスマホで撮った写真を見せてくれた。
「うわぁ……!」
まさに、見渡す限りの菜の花畑だった。
二枚目には、菜の花を壁代わりにした本当に巨大な迷路が写っている。
これなら迷うのも楽しいだろう。
思った以上のまっ黄っ黄さに、ちょっとだけ目がクラクラした。
ぜひ本物を見てみたいものだ。
続いて訪れたのは、風間浦村にある活イカ備蓄センター。
そう、わたしが下北に住むようになって驚いたことのひとつに、イカの鮮度がある。
わたしは今まで、イカは白いものだと思っていた。
絵に描かれるイカはもちろん、食べるイカもだ。
けれど――下北で出されるイカは、いつも透きとおっていた。
新鮮だとそうなんだって。
もちろん味も食感も全然違って、ちょっとしたカルチャーショックを受けたものだ。
そして、今もまた。
「今日はここで、いかさまレースをやるんだ。ちゃんと予約しておいたからね」
「ヒュー! さすができる男っ」
怪しいと言っていたのが嘘のように、はやし立てる弓ちゃん。
わたしに負けないくらい現金だ。
「い、いかさまレースって、本当にいかさまなんですか……?」
もしもいかさまの腕を競うのだとしたら、鈍くさいわたしには不利っぽい。
――なんて思ったのは、杞憂だったようで。
「そうそう、イカのオーナーになって、ゴールまでの速さを競うんだよ。棒でイカを誘導してね」
「……はい?」
いかさまって、イカ様のこと!?
ハッと外に掲げてあるのぼりに目をやると、『元祖
「が、がんそ……」
「実はイカのレースってここでしかやられていないみたいだけどね」
「まさにがんそ……」
「先生! 未沙ちゃんがなんが衝撃を受けでます!」
「ハハ、とにかくやってみよう」
そもそもイカでレースをするという発想がなかったわたしは、誘われるままにイカを買い、誘われるままにレース場に向かい、誘われるままに謎の棒を持たされた。
「この棒で、自分のイカを応援するんだ」
「あ、先に進むように誘導するんですね……」
競馬のムチみたいなものなんだろう。
まだ戸惑った状態のまま、レーンにみんなのイカが投入され、本格的なファンファーレが鳴り響く。
いよいよ出走(?)だ。
レースが始まってしまえば、最初に感じた戸惑いはどこかにいっていた。
自分のイカがなかなか前に進んでくれなくて、焦る。
元気に飛び出していった弓ちゃんのイカが、ゴール直前でUターンしてきて、悲鳴が響いた。
京介さんはといえば、いちばん外側の距離が長いレーンを選んだものの、経験者だからか着実にイカを前に進めている。
「このゆぐでなし~! なんぼほんずねぇんだっ」
「弓ちゃん落ちついてっ」
「そう言いながら、わいば追い越して行ぐなよ!?」
「え、いや、なんか急に進み出して……」
スタート地点でグルグルしていたわたしのイカが、突然スルスルと前に泳ぎはじめた。
弓ちゃんの罵声に恐怖したんだろうか。
……ありえるかもしれない。
結局は、最後に本気を出したわたしのイカが優勝した。
二着は京介さん、三着が弓ちゃんだ。
「うっうっ……このやろう、おいしぐ食べでやるしてな!」
なんだかかっこいい弓ちゃんの捨て台詞のとおり、レースに使ったイカは自分のものだから、持ち帰ることができる。
もちろん、その場で調理してもらうことも可能みたいだけど、今回は次の予定があるということで、それぞれ袋に入れてもらった。
表彰式(!)を終え、大満足で次の場所へと向かう。
ちなみに、風間浦村もジオサイトのひとつで、丘の上に広がる平坦な土地は、かつて海底だったものだそうな。
しかもその地面ができたのは、またしても十二万年前のこと。
ジオサイトの話をしていると、時間の感覚が麻痺しそうになる。
今自分があたりまえのように住んでいる地球の歴史を、まざまざと見せつけられていた。
次に向かったのは、本州最北の地、大間崎。
マグロの一本釣りが有名だけど、他にもウニやタコや昆布など、いろんなものがとれるんだって。
視界の大部分を海が占める景色は、なかなか見られるものじゃないし、なんとここから北海道も見えてしまうんだ。
距離にして十七.五キロしか離れていないという話だった。
風は強いけど、とにかく気持ちいい。
よくテレビなんかで見たことがある、マグロの一本釣りモニュメントの前で写真を撮ったあと、みんなでマグロを食べに行った。
「
「誘ったのは僕だし、せっかくの機会だからね、食べないと」
「あ、ありがとうございます……っ」
おまけに、海のマグロだけでなく、
「こ、これが幻の大間牛がっ」
「ふぉぉおお……」
その言葉にならないおいしさに、のたうちまわる。
ごめん、ちょっと内気だとかどうとか言っていられない。
なにこれ、食べもの? 食べものなの??
おいしすぎて混乱する怪奇現象が、わたしたちを襲っていた。
続いて、南下して向かった佐井村の
長い遊歩道をくだって辿り着いた眼前には、この世のものとは思えない光景が広がっていた。
「な、なにこれ、どういうことなの……?」
写真では見たことがあったけれど、本物の迫力は全然違う。
不思議な形をした白緑色の巨大な岩が、いくつも連なっていた。
見あげると首が痛いくらいのサイズだ。
雨や風、波による天然の彫刻という話だけれど、たとえ人の手でもこれほど幻想的な形はつくれないのではないかと思う。
神秘的な絶景に、疲れも忘れて見入っていた。
「この岩な、一五〇〇万年前ぐらいに起ぎた海底火山の噴火のおかげででぎだんだって」
横に来た弓ちゃんが、解説してくれる。
例によっておばあちゃんからの情報だろう。
そう、この場所ももちろんジオサイト。
下北の観光地は、大抵ジオサイトとリンクしている。
そう考えると、観光しながら地球の歴史についても学べる、おいしいスポットなんだ。
わたしは成り行きで下北にやってきたようなものだし、正直、本当は来たくなかった。
なんでもある便利な東京から離れるなんて、考えられないことだった。
でも――こうして実際に来てみなければわからないよさは、間違いなくあって。
もちろん不便なこともたくさんあるけれど、東京に閉じこもっていたままでは、見ることも体験することもできなかった面白さが、確かにあったんだ。
――下北一周の最後に訪れた釜臥山の展望台で、改めてそう思った。
日が落ちてようやく現れる、『夜のアゲハチョウ』。
むつ市の夜景がそう呼ばれていることは、わたしも知っていた。
でも、まだ見たことはなかった。
東京と比べても、建物が多いわけじゃない、人だって少ない。
おまけに、早く閉まる店も多い。
そんな場所の夜景はいかほどかと、まさに都会者目線で考えてしまっていたわたしは、闇夜に浮かぶ光のアートに息を呑まずにはいられなかった。
「本当に、チョウチョみたい……!」
光の数は、予想どおりそう多くはない。
都会で見る、光の洪水のような夜景とは、全然違っていた。
けれど――だからといって美しさで劣っているかと言ったら、そんなことは全然なくて。
限られた光だからこそ、ひとつひとつの輝きが際立ち、陸奥湾に添って羽ばたく蝶の姿をやさしく浮かびあがらせていた。
それはけっして、圧倒的な夜景ではない。
だからこそ自然な人の営みを表現しているように感じられて――
「自然と一緒に生きてるって感じがする……」
我ながらよくわからない感想が、唇からもれた。
おばあちゃんやお母さんから受け継いだ下北の遺伝子が、そう言わせたのかもしれない。
でも京介さんは、それを笑わずに拾ってくれる。
「だろう? 自然に歌う方法を知るには、自然から学ぶのがいちばん!」
「ハッ、そういえばそいが目的だったんだっけが。もしかして駄洒落的なやづ!?」
反応したのは弓ちゃんだった。
そう、わたしもすっかり忘れていたけれど、確かに京介さんはわたしを誘ったとき「自然から学ぼう」と言っていた。
「そういうわけでもないけど……結構本気だよ、僕は。自然に歌えないのって、結局表現力の問題だと思うんだよね」
「表現力?」
「そう。漫画とかで見たことない? 芸術の分野で表現力を磨くために、自然と触れあうシーン」
「ああ、見だごとある! ピアニスト志望が海さ潜ったりしてだ」
「そうそう、そんな感じ。ピアノはさまざまな自然を曲にしたものも多いから、実際の感覚を知っているのと知らないのとでは、表現に差が出てくる。歌だって、それと同じなんだ」
夜景から目を離し、京介さんはまっすぐにわたしを見おろした。
「今の未沙ちゃんは、自分が歌いたいから歌ってる。上手な歌を聴かせたいから上手に歌おうとしている。それってまだ、自己満足の世界なんだよ」
「あ……」
確かに、そのとおりだった。
聴衆は上手な歌を聴きたいに決まっている。
それはわたしが勝手に思いこんでいるだけで、みんなが本当にそう思っているかなんて、わからない。
事実、わたしの歌はうまいかもしれないけど物足りない、堅苦しいという評価だった。
「次は一歩進んで、自分が歌わせてもらっている曲が、どんなことを伝えたいものなのか、そこを意識するようにしたらいい。自分の歌を聴かせたいという気持ちよりも、この素敵な曲をみんなに聴かせたい――そういう気持ちになれたら、もっと自然体で歌えると思う」
「あれだ、心ばこめで歌うってやづでね?」
「そう! なんだ、弓ちゃんのほうがよく理解してるみたいだね」
「わいだっきゃ音痴だして、最初からそっちゃ頼るしかねぇのさ……」
心をこめて歌う。
その効果を、わたしもよく知っていた。
いつもCDで聴いている曲だって、
そんなシーンは今までに何度も見てきた。
だけどわたしは、京介さんの言うとおり、そこまで考えて歌ったことはない。
「わたし、歌いやすいキーの曲ばかり、歌ってました……」
「うん、そうだと思ったよ。だからこれからは、好きな曲も歌ったほうがいい。別に下手でもいいんだ。こんなに広い下北の大地のなかでは、ひとりの人間なんて爪楊枝の先くらいの存在感しかない。誰にも迷惑かけない。それくらい開きなおって、自由に歌えばいい」
「つ、爪楊枝の先……」
面白い表現だった。
でも、今なら納得できる。
今日一日をかけて、雄大な自然を見てきた。
そのなかの『わたし』ひとりなんて、本当にちっぽけな存在だ。
空から眺めたら、目を凝らしたって見えやしない。
それなのにわたしは、恥ずかしがっていた。
「お母さんが言ってたこと、本当だった……」
とんだ自意識過剰だ。
みんなはわたしを観に来ているわけじゃない。
この広い下北半島のなかで、わたしという媒体を通した歌を聴きに来ている――
そう考えたら、なんとかなりそうな気がした。
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