11.下北半島という舞台

 今度の日曜日に、京介さんがを教えてくれるという。

 ただ、ひとつだけ条件を出された。


「未沙ちゃんだけだと未成年略取の疑いをかけられるかもしれないから、誰か友だちを連れてきてくれないかな」


 半分笑いながら、そんなことを言ってきたんだ。

 どうやら、車で長距離を移動するから――ということらしいんだけど、わたしにとっては困った問題だった。

 なにせわたしには、友だちがいない。

 大事なことだからもう一回言うけど、わたしには友だちがいない!

 でも、誰か連れていかないと、自然に歌うという悩みを克服することはできない。


「…………」


 まるで天国と地獄を同時に差し出されたような気分だった。

 重苦しい足取りで家に向かっていると、いつかのようにまた声をかけられる。


「あれ、未沙ちゃん?」


 振り返るまでもなく、弓ちゃんだった。

 一応姿を確認してみると、部屋着でコンビニ袋を提げている。

 ちょっと買いものに行ってきたんだろう。


 弓ちゃんは嬉しそうに駆け寄ってくると、いつものように遠慮なく口を開いた。


「未沙ちゃんさー、部活もやってねぇのさ、最近帰り遅ぐね? キイばあちゃんが心配してらったよ」

「おばあちゃんが……?」


 意外な話だった。

 お母さんなら確かに、最近帰りが遅いから、なにか悪いことをしてるんじゃないかって、わたしを疑ってるみたいだったけど。

 逆におばあちゃんは、朝の会話でもそういう内容は出なかったし、わたしのことを見守ってくれている感じがしていた。


 でも、本心は違ったんだ。

 心を開いている弓ちゃんには、本当のことを話していた。

 きっと彼女なら、わたしからうまく聞き出してくれるだろうっていう期待もあったのかもしれない。

 なにしろ彼女は、グイグイくるのが専売特許で――


「――あっ!」


 そうだ、弓ちゃんなら適任じゃない!?

 学年が違うし、一緒に遊んだことがあるわけじゃないから、友だちっていう感覚があんまりなかったけれど。

 弓ちゃんなら、わたしの話を笑わずに聞いてくれるんじゃないか。

 日曜日、つきあってくれるんじゃないか。

 我ながら現金だなと思いながらも、そう期待した。


 さいわい弓ちゃんは、わたしを追い越すわけでもなく、そのまま横を歩いている。

 話を振るなら、今しかない!

 わたしはゴクリとツバを呑みこんでから、なんとか口を動かす。


「あ、あの……弓ちゃん?」

「ん? なんだべ? 未沙ちゃんがら話してくるの、めんずらしいな」


 そう、普段は適当に受け答えするだけだったから、こんなに緊張しなかった。

 自分から話しかけようとして初めて、彼女がいかにすごいことをやってのけていたのか、悟る。

 否定されるかもしれない――そんな言葉を口にするのは、誰だって怖い。

 でも、みんなエスパーじゃないんだから、話さなかったらなにも伝わらない。

 弓ちゃんにみたいに、訛りも個性だと開きなおれたら、わたしも堂々と話せるんだろうか。


 そんなことを考えながら、やっぱり気弱に切り出した。


「じ、実は、お願いしたことが、あって……」

「おっ、わいさでぎるごとだば、やるで!」


 おばあちゃんからなにかを頼まれているせいか、弓ちゃんの返事は速かった。

 まだ内容も聞いていないのに。

 でも、だからこそわたしも話しやすくなる。


「あのね、今度の日曜日に、一緒に行ってほしいところがあるの」


 ――そうしてわたしは、北部海岸のジオサイトを見に行って京介さんと出会ったことを、弓ちゃんに話した。

 成り行きで、クラスのなかで浮いていることとか、実は歌手を目指しているなんてことも教える羽目になったんだけど――


 なんと弓ちゃんは、ひとつも驚かなかった。


よ?」


 ケロリと、そう答えたんだ。


「なんでっ!?」

「キイばあちゃんがら聞いだ」

「お、おばあちゃんにも言ってないのに……」

「言わなくてもわがるべさ。毎朝顔合わせでらんだべ?」

「……毎日顔を合わせてるのは、お母さんも一緒だけど」

「でも、向ぎ合ってるわげじゃねぇ」

「うん……」


 そのとおりだった。

 毎朝ふたりでごはんを食べているおばあちゃんと違って、お母さんとはじっくり話す機会もない。

 おばあちゃんはきっと、向かいあっている朝の時間にわたしの様子を観察して、言葉にできなかったいろんなことまで、読み取っていたんだろう。

 他の誰よりも、わたしのことを考えて――。


 その想いに、胸が熱くなった。


「キイばあちゃんさ、孫ど暮らすの、楽しみさしちゃあったんだ。大好ぎだ下北ば、孫さすんの」

「うん、それはわたしも知ってる。っていうか、朝にいろいろ聞いてるし」

「けんど、はぁ歳だべ? 案内してまわるごとはできねぇ。おまけに、自分はそのうぢ死ぬ」

「……っ」


 否定したかった。

 きっと長生きするよって。

 でも、それはなんの根拠もないし、寿命からいけばおばあちゃんが先に死ぬのはあたりまえのことだ。

 おばあちゃんの覚悟をわたしが否定するのもおかしい気がして、言葉を呑みこんだ。


 弓ちゃんは続ける。


「だしてさ、わいさ頼んだのさ。こないだは濁したけど、未沙ちゃんがちゃんと自分のごと話しでくれだから、へるよ」


 わたしと瞳を合わせて、微笑んだ。


「未沙ちゃんさ下北ば好ぎさなってもらえるように、頑張けつぱるごと。そいば頼まれだんだ」

「下北を……?」


 でも、今までの弓ちゃんの行動を振り返ってみると、そんな素振りはまったくなかった。

 ただわたしのことをあれこれ心配して、かまってくれてるんだろうなって程度に考えていた。

 だけど、どうやら違うらしい。


 思わず首を傾げたわたしに、弓ちゃんは背を向ける。


「こいもな、キイばあちゃんがへてだごとだけど、豊かな自然を全力で楽しむには、まんず自分のこごろが豊かでねぇと駄目なんだって」


 一歩先に、歩き出す。


「心――」


 そうか。

 だから弓ちゃんは、わたしの心を正常に戻そうとしていたんだ。

 やっと理解した。

 理解した途端に、前を歩く背中が大きく見えてくる。


 ただのお隣さん。

 ネイティブな下北弁で迫ってくる、お節介お姉さん。

 ちょっと鬱陶しい人。


 わたしはわたしの物差しで、弓ちゃんを見ていた。

 人と関わるのが怖くて、その中身を知ろうとしなかった。

 だから気づかなかったんだ。

 自分を変えるために必要なは、こんなにも身近にいたのに。


 わたしはその背中を追いかけて、初めて自分から手を伸ばした。

 弓ちゃんの手を掴み、自然と熱くなる顔面を無視して、声を絞り出す。


「あ、あのっ、それで、日曜日は――」

「ああ、んだった。もぢろん行ぐ! その怪しいおどごも気になるし……」

「別に怪しくはないけどねっ!?」


 こうしてわたしは、自分の恥と引き換えに、を誘うことができたのだった。


     ♪     ♪     ♪


 問題の日曜日。

 市役所の駐車場で待ちあわせをして、弓ちゃんと京介さんが簡単な自己紹介をしたあと、京介さんの車に乗りこんだ。


「――というわけで、今日はこれから下北を一周するぞ~!」

「ふぉー!!」


 どんななのかもよくわからないし、弓ちゃんのテンションも謎だけど、あまり深く考えないことにした。

 車内が暗くなるよりはずっとマシだ。

 それになにより――


「し、下北を一周ってことは……もしかして、こういうところにも行きます!?」


 わたしは週末用のバッグに入っていた紙を取り出す。

 そう、おばあちゃんからもらったジオパークの地図だった。


「お、いいもの持ってるね。そういえば未沙ちゃんって、ジオパークに興味があるんだっけ」

「はい、おばあちゃんがそういうのすごく詳しくて……」


 あれから、自転車で行ける範囲のところは大体まわってしまった。

 車でないと行けないところは、お母さんが興味を持たないと無理っぽい。

 だから半分諦めていたんだけど、意外なタイミングでチャンスがきたようだ。


「もちろん、これからまわるところは大体含まれるよ」

「ふ、ふぉぉぉお……」


 わたしもだんだん変なテンションになってきて、狭い車内が熱気で包まれる。


 最初に向かったのは、下北半島の北東部・東通村にある尻屋埼しりやさき灯台――だったんだけど、その前にすでにわたしたちの目を奪うものがあった。


「ちょ、ちょっと待ってください!? なんで道路にまで馬がウロウロしてるんですか……」


 わたしがいだく馬のイメージは、囲いのなかで観光客を乗せるような、きっちりと管理された状況だった。

 ところがここにいる馬たちは、かなり広い範囲を自由に動いているようで、まるでサファリパークのような雰囲気だ(行ったことないけど)。


「こいが寒立馬かんだちめだよ。ジオパークの説明さも書いでらべ? 尻屋埼の周辺で放牧されでるって」

「放牧の範囲が広すぎないっ?」


 少なくともわたしの予想をはるかに超えていて、驚いた。

 馬たちは、車で近づいても特に逃げることもなく、彼らもこういった状況に慣れているらしい。

 こんなに間近で、自然に生活している姿を見られるなんて、もしかしたらすごいことなんじゃないかな。


「その名のとおり、冬に雪のなかでじっと立つ寒立馬は、まるで我慢強い下北人の気質を示しているみたいで、見てるとそれだけで心が締めつけられるんだけど……この時期の寒立馬は普通に癒やされるよね」

「んだんだ!」


 ふたりの東通トークに耳を傾けつつ、車は岬へ。

 まっ白な灯台が見えてくると、なぜか心が躍った。

 思えば、本物の灯台を見るのは、これが初めてかもしれない。


 岬の先端に立ち、沖を行く船が安全に航海できるよう光で導く。

 その役目を、この灯台はなんと明治九年からずっと担ってきているのだという。


「尻屋埼灯台は、レンガ造りの灯台としては日本一の高さなんだ。三十三メートル近くあるよ」

「っていうか、これレンガでできてるんですかっ?」


 まったくそうは見えなかった。

 幾度も修繕しているんだろうし、ペンキだって塗りなおしているだろうから、きれいで案外古めかしい感じはしない。

 レンガでできていると言われても、にわかには信じがたかった。


「そういえば、こごって『恋する灯台』さ選ばれだんじゃねがったっけ?」

「お、弓ちゃん、よく知ってるね」

「恋愛さ興味あるお年頃だしてな!」

「あはは」

「な、なんですか、その『恋する灯台』って……」


 灯台が恋をすると言われても、全然ピンと来ない。

 通りがかる船に片っ端から浮気する、不埒な灯台の話だろうか。


 なんてわたしがアホなことを考えているあいだに、弓ちゃんがスマホで調べてくれた。


「公式サイトさよれば、恋に悩んだどきとが、夢に迷ったどきに、行けば力をあだえでくれる灯台のごとばへるんだって」

「夢に、迷ったとき――」


 わたしはまだ、夢に迷うような段階にすら、至ってない。

 夢は変わらない。

 歌手になることだ。

 今の悩みは自然に歌えないことで、それは夢に迷うこととは少し違うように思えた。

 でも――


 もう一度、灯台を見あげる。

 津軽海峡から吹きつける強い風にも負けず、寒立馬と競うように立ち尽くす灯台。

 どんな日もまっ白な心で光を照らしつづける、強固な意志。

 いつかわたしも、それに救われる日が来るのかもしれないと、ふと思った。


「あ、そうだ。未沙ちゃん、写真撮っておいたほうがいいよ」

「写真……ですか?」

「そう、灯台と、海と、馬を一緒にさ。写生のとき役に立つから」

「へ?」

「ああ、それわいもやったじゃ! わいの場合は、どっがの会社のカレンダーだったけど」

「絵になるからいいよねぇ」


 ふたりは楽しそうに笑っているけれど、わたしは話についていけてない。


「つまり……どういうことなんですか?」

「夏休みとかに、美術で写生の宿題が出ると思うんだけど、ここ、人気スポットなんだよ。灯台がインスタ映え――じゃなくて、するからさ。で、写真があればわざわざ見に来なくても描けるってわけ」

「な、なるほど……」


 いかにも地元の人らしいお得情報だった。

 言われたとおり、灯台から少し離れた位置から写真を撮っておく。

 ――『まさかリズム』のチラシの写真に続き、この灯台の写真もお守りになりそうな予感がした。

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