6.初めての告白

 最初に見えたのは、もじゃもじゃ頭だった。

 きっと天パなんだろう。

 それから黒ぶちのメガネと、首に白いタオルを巻きつけているのが見えた。

 正直、どこにでもいそうな、普通のお兄さんだ。

 二十歳すぎくらいだろうか?

 タオルの印象とあいまって、そのまま海に出て漁をしそうにさえ、見える。


 けれどその指は、網ではなくギターをごく自然に掻き鳴らして。

 その唇は、さして開かれることもなくやさしいメロディを響かせていた。

 うまく言えないけど、とてもがほとばしっている。

 東京にいた頃ときおり路上ライブで観たような、人の目を惹きつけて放さない魅力が、その人――彼にはあった。


 オリジナルなのか、まったく聴いたことのない曲だったけれど、終わりはすぐにわかった。

 反射的に、拍手してしまう。


「えっ?」


 まだわたしの存在に気づいていなかったんだろう、驚いた様子で彼は振り返った。


「びっくりしたー……」

「ご、ごめんなさいっ」


 邪魔をしたこと、怒られるだろうか。

 急に怖くなって一歩退いたけど、彼が次に浮かべたのは笑顔だった。


「いや、全然いいんだけども。いつから聴いてたの?」

「た、多分……最初から?」

「え」

「あの、わたし、さっきまでその崖の下に、いて……」


 なんとか会話を繋げようと、必死に言葉を紡ぐ。

 顔面は熱いし、心臓はバクバクしてるし、呼吸もおぼつかない。

 それでも――どうしても、話してみたかった。

 もしかしたら、『本物』へと繋がる唯一の道に見えたのかもしれない。


 彼は「ああ」と納得したような声をあげて、


「そういえばここ、ジオサイトだっけ」

「あ、し、知ってるんですね」

「そりゃあ僕、東通村ここ地元だし、なにより大好きだし!」


 そう告げる笑顔が、水面より輝いて見えた。

 それはわたしのおばあちゃんがよく見せるのと同じ笑顔で、本当に好きなんだということが伝わってくる。

 ――でも、なんだろ?

 少し違和感があった。

 その理由を探ろうと、珍しく視線を外さずにいると、手招きされる。


「そんな離れてないで、こっちおいでよ」

「は、はい……」


 普段なら、間違いなく逃げ帰っているところだ。

 心のなかではよくわからない念仏さえ唱えている。

 それでも一歩一歩彼に近づいて――先に座っていた彼の横に、腰をおろした。

 土が剥き出しだったらさすがに少し抵抗があったけれど、草がうまい具合に生えまくっていたから、気にならなかった。


「きみ、訛ってないね。どこから来たの?」


 気さくに話しかけられて、やっと違和感の正体に気づく。


「あっ、そ、そういえばあなたも、訛ってない……」


 見た目だけで言えば、いかにも純朴そうな田舎の青年なのに(ごめんなさい)、別段下北弁じゃなかったから、違和感があったんだ。

 でも、どうやらそれは向こうも同じだったらしい。

 確かにわたし、東京に住んでいたわりに、全然垢抜けてないもんね。

 わたしが自分に苦笑しているうちに、彼が応える。


「ああ、僕は大学の頃横浜にいて――あ、横浜っていってもよ?」

「え?」


 一瞬言葉の意味が理解できなくて、聞き返した。


「むつ横浜じゃない? って……?」

「なるほど、『むつ横浜』が通じないということは、こっちに来てから日が浅いと見た!」

「は、はい……ずっと東京にいたんですけど、四月にこっち引っ越してきて……」

「ふむふむ、なるほど」


 わざとらしく頷いた彼は、まるで先生のような口調で告げる。


「実はこの東通村のお隣に、『横浜町』という自治体がありまして。下北の人は『横浜』と言われるとこっちを思い浮かべますが、一般的には神奈川の『横浜市』だと思う人が多いでしょう? そこで『横浜市』と明確に区別するために、『むつ横浜』と呼ぶこともあるのです」

「な、なるほど……」


 つまり、「むつ横浜じゃないよ!」は、ということだ。

 なかなかに奥が深い。


「僕は大学で横浜に行って、見事に標準語を学んで帰ってきたんだ。で、だから、そのまま使っているというわけ」

「えふりこぎって?」

「簡単に言うと、『ええっかっこしい』」

「よ、よくわかりました……」


 日本語の歌の歌詞に、ときおり英語の歌詞が入るみたいに。

 標準語にときおり下北弁が入るのが面白かった。

 なんだか、そういう歌もつくれそうだな。


 ――なんて、考えていたことをわかるはずないのに。


「ところで、音楽好きなの?」


 話題は突然に飛んだ。


「え……?」

「だって、わざわざ聴くために崖下からまわってきたんだろう? そんな『人見知りです』って顔面に貼りつけてさ」

「――っ」


 語るまでもなく、いろいろバレていたらしい。

 ますます茹で蛸のようになって、縮こまるわたし。

 けれどかまわずに、彼は続ける。


「なにか楽器やってた?」


 もしかしたら、順を追って聞き出そうとしてくれているのかもしれない。

 なんとかそれに乗っかろうと、わたしも頑張る。


「は、はい……こっちに来るまでは、ピアノを……」


 小学校に入ると同時に始めたけれど、全然上達しなかった。

 ただ、おかげで楽譜を読めるようになったことだけは、感謝している。


「ってことは、もう辞めたんだ?」

「はい、ピアノも置いてきたし……たまにキーボードを弾くくらい、です……」

「ふーん」


 期待した返事じゃなかったのか、彼の相づちが少し冷たく感じた。

 ――ううん、わかっている。

 そんなのは、被害妄想だ。

 期待に応えられていないのは、他でもなくわたし自身。

 期待さえできないのは――


「――あ、あ、あの……っ」


 でも、いつまでもそんなんじゃ、駄目だ。

 両手のこぶしに精一杯力をこめて、切り出す。


「わ、わたし、実は……」

「ん? なに? どうしたの?」


 呆れずに聞いてくれるだろうか。

 笑われないだろうか。

 蔑まされないだろうか。


 脳裏に浮かんでくるマイナスの言葉を、全部呑みこんで。


「……ゅに、なりたい……」

「へ?」

「歌手に、なりたいんです……!」


 顔をあげて、歯を食いしばって、ようやく紡いだ。

 わたしにとって、生まれて初めての告白。

 その言葉を、


「あ、そうなんだ」


 驚くわけでもなく、彼はただ受け入れた。

 そして、


「じゃあ、なにか歌ってみる?」

「えっ!?」


 どこか遊びに行く? レベルの気軽さで、誘ってくる。


「知ってる曲なら、伴奏できるよ」

「む、む、む、無理です!」

「え、伴奏が? そんなにマイナーな曲なの?」

「ち、違うくて……歌うのが、無理ですっ!!」


 こんなに近くにいるのに、思いっきり叫んでしまった。

 彼は目をぱちくりとさせている。


「どうして? 歌手になりたいって言うくらいだから、歌には自信があるんじゃないの?」

「じ、自信とまでは……ただ、周りの人が褒めてくれるから……」

「じゃあうまいんじゃん」

「で、でもっ、極度のあがり症で……人前じゃ満足に歌えなくて……」

「え、待ってよ、それって矛盾してない?」


 わたしの言うことを、理解しようとしてくれているんだろう。

 頭をおさえながら、さらに訊いてくる。


「人前で満足に歌えないなら、周りの人は褒めないんじゃないの?」

「そ、それは、だから……練習だと、平気なんです。その他大勢の、ひとりなら……」

「ああ、もしかして?」

「は、はい……変に注目されたり、ソロパートを任されたりすると、全然駄目で……」


 答えるわたしの声も、容赦なく萎んでいく。

 心と一緒に。


 どうして堂々とできないのかな。

 どうしてあがってしまうのかな。

 どうして。

 どうして。


 わたしを悩ませる問題は多く、いつまでも殻を破ることができない。

 むつ市に来て『都会者』のレッテルを貼られたことで、むしろ殻はより厚くなったかもしれない。

 来てから、一度も、歌っていない。


「今は聴いてるの僕ひとりだけど、それでも無理?」


 よっぽど歌わせたいのか、彼はなおも訊いてくる。

 おかげでわたしは、彼に声をかけたことを後悔していた。

 出会うには、のかもしれないと。


「……っ」


 もはや無言で首を振ることしかできないわたしに、でも彼は、やっぱり軽かった。


「じゃあしょうがない! ぜひ聴きたかったけど、諦めるか~」

「ご、ごめんなさい……」


 とりあえず怒ってはいなさそうだったから、安心した。

 変わった人だ。

 弓ちゃんみたいにグイグイとは来ないけれど、こっちの言葉を待ってくれるから、話しやすい。

 どちらかというと、異性と話すのはちょっと苦手なんだけど……音楽という共通のものを介しているからか、大丈夫だった。


「…………」

「…………」


 少しのあいだ、波の音を聴いていた。

 おかげで、ざわついていた心が、落ちついてくる。

 でも、冷静になればなるほど、さっきの自分の態度の幼稚さに、恥ずかしさがこみあげる。


 誰だって、目の前に「歌手になりたいんです!」って言う人がいたら、歌を聴いてみたいと思うのは当然の流れだ。

 しかもわたしはそれを自分から言い出したんだから、わたしが歌を聴かせたがっていると思われても、仕方のないことだった。

 おまけに向こうはギターを持っていたんだし……。

 なのにわたしは頑なに断り、まるで「あーん」しといて自分が食べるオチみたい。


 今さらながらに、中途半端な告白を聞かせて申し訳ないという気持ちがわいてきた。

 だけど、今までの反応から見るに、謝ったところで彼は気にしない。

 多分お詫びにもならない。

 せめてなにか、別な方法を考えないと。


 そんなふうにグルグルと悩んで、わたしが思い出したのは、最初に訊きたいと思っていたことだった。


「あ、あの……っ」

「ん? やっと質問がまとまった?」


 やっぱり読まれてるー!?

 もしかしたら、わたしみたいな子の扱いに慣れているのかもしれない。

 理由はわからないけど。

 そう考えることで自分を安心させて、言葉を絞り出す。


「あなたは、……ですか?」


 他にいい表現が思いつかなくて、それを選んだ。

 彼はギターを掻き鳴らしながら答える。


「僕は、シンガーソングライターってやつだよ。他の仕事もしながら、いろんな場所でライブをやらせてもらってる」

「やっぱり……!」


 ハミングだけでわたしの耳を惹きつけた人だ、お金を払ってでも聴きたくなる歌声に違いない。


「今もさ、実は営業の仕事の帰り。めちゃくちゃ天気がよかったから、ここで曲づくりしたら気持ちよさそうだなと思って、来てみたんだ」

「あ、そうだったんですね……」


 いい天気に誘われたのは、わたしだけではなかったようだ。

 そこでふと、彼は首を傾げた。


「ところできみ、どこから来たの? この近くに民家はないと思ったけど」

「あ、わたし、自転車でむつ市街から……」

「えっ!? かなり遠くない?」

「一時間半かかりました」

「なんだ、根性あるじゃん」


 彼はぐりっと、わたしの頭を撫でる。


「むつにいるならちょうどいい、よかったら今度、ライブハウスに連れていってあげるよ」

「え……むつ市にライブハウスがあるんですかっ?」


 今度はこちらが驚く番だった。

 それは、今まで考えたこともない衝撃だ。

 映画館も劇場もないこの市に、ライブハウスがあるなんて、思いもよらなかったんだ。

 ……うん、地元の人には大変申し訳ないんだけど。


 予想していた反応なのか、彼は苦笑を浮かべて答える。


「あるある。音楽好きが集まって、いつも盛りあがってるよ。そこで練習すれば、きみだってきっと歌えるようになると思うんだ」

「あ……」


 正直、口に出さないだけで、内心呆れてるんだろうなって、思ってた。

 歌手になりたいのに人前で歌えないなんて、舐めてると思われても仕方がない。

 でも――違った。

 わたしが本気で言ってるんだってことを、信じてくれていた。

 わたしが今すべきことを、親身になって考えてくれていた。


 そのやさしさに、胸がいっぱいになる。

 思わずこぼれそうになった涙を、砂が目に入った振りをしてごまかした。


「あ、そういえば、自己紹介がまだだったね。僕は千里せんり京介きようすけ。ピチピチの二十三歳です」


 差し出された右手に、おそるおそる自分の手を重ねた。


「わ、わたしは東保未沙……高校一年生です。ヨ、ヨボヨボの……」

「ハハ、よろしく! って、高一かぁ。夜だとあれこれ言われそうだから、夕方に行くとき声かけるよ。連絡先交換しよう。スマホは?」

「あ」


 自転車につけっぱなしで、その自転車は崖の下に転がしっぱなしだ。


「と、取ってきます……っ」


 慌てて駆け出したわたしの背中に、京介さんの声が飛ぶ。


「急がなくていいから、!」


 それは、深い意味のない言葉だ。

 単純に、走りにくい草や砂が広がっているから、言ったこと。

 でもなぜか、すごく背中を押された気がした。


 足もとに、気をつけて。


 そう、そうなんだ。

 わたしはきっと、まだ上を目指すような段階じゃない。

 まだ自分の足場さえ、確保できてない。

 まずはそこを固めなくちゃ、どこにも羽ばたけない。

 彼は――京介さんは、それをわたしに教えてくれようとしているんだと、勝手に思った。


 こうしてわたしに、むつで初めての音楽仲間ができた。

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