18.心をこめて伝えるということ
その後もわたしたちは、ステージの上で繰り広げられる熱いパフォーマンスに見入っていた。
やっとわかりあえたクラスメイトの子みたいに、披露する側ひとりひとりにもなんらかのドラマがあると思うと、観るほうも気合いが入るというものだ。
特に、今釜臥ステージで演奏中のバンドは、ドラムがなんと小学生!(しかも低学年!?)
小学生であの堂々とした演奏っぷり……わたしなんて完全に負けていた。
あれほど叩けるようになるまでに、どれくらい練習したのか想像もつかない。
「すげぇな、あの子。将来が楽しみだじゃ」
「それ、なに目線なの? 弓ちゃん……」
もう感心するしかなくて、うっかり口を開けて観ていた。
――そのときだった。
急に、音が、消えた。
電源が落ちたのかもしれない。
外はまだ明るいから、電灯が消えるのは問題なかった。
でも、音を拡張しているアンプやスピーカーが使えなくなると、音楽をみんなに聴いてもらうことができないんだ。
戸惑った様子で、バンドのメンバーたちがステージ上をウロウロする。
すぐにスタッフTシャツを着た人たちが対応にあたるも、原因を特定できないのか、復旧までに時間がかかっていた。
観客もざわつきはじめ、もしかしたらここで中止になるのでは――なんて心配しはじめてしまったわたしは、やっぱり情けない。
ステージ上に、ひとりだけ冷静な人物がいた。
「あ……!」
不意に鳴り出したのは、ドラムの音。
もともと大きい音の出る楽器だから、アンプを通さなくても充分に聞こえる。
小学生の小さな手脚が、まだまだ行けるとみんなを鼓舞するように、躍動していた。
観客のざわつきは歓声に変わり、その見事なドラムテクニックに拍手が送られる。
ここで、終わらせない。
そんな強い意志を感じるような、力のこもった演奏だった。
やがて電源は無事に復旧し、ステージはもとの流れに戻っていく。
だけどわたしは、なかなか戻れなかった。
あんなに小さい子でもできる、気持ちを演奏で伝えるということが、身体を楽器にして歌うわたしにできない。
なんて未熟なんだろうと思う。
せめて今日、いろんな人の表現方法を見て勉強して、少しでもみんなに近づきたい――。
♪ ♪ ♪
音楽フェスという、人がたくさん集まる場所には、多くの出会いと気づきがある。
改めてそれを噛みしめていたわたしの目の前に、再び――
「ね、ねぇ、弓ちゃん……あの人は何者!?」
夕方の五時頃、そろそろおなかがすきはじめそうな時間帯に、その人は現れた。
薄いピンク色の着物を身にまとい、頭には金色の烏帽子のようなものをかぶっている。
それでいて、体つきは結構がっしりとしており、おまけにしっかり手入れされたヒゲも鼻の下とアゴに見えた。
明らかに、異彩を放っている。
「ああ、あの人はずれやまズレ子ってへる、オネエの歌手だよ」
「あっ!」
それで思い出した。
確か、
「普段はこっちゃ住んでねぇみてんだけど、むつの出身だして下北のイベントさはよぐ来てけるんだ」
「なるほどー」
今回も、地元で初開催の音楽フェスということで、駆けつけてくれたのかもしれない。
やっぱり知名度は抜群みたいで、お客さんも盛りあがっていた。
ちょっと奇抜な見た目とは裏腹に、まっすぐ自分の心を紡いだ歌からは、真摯さが滲み出ているように感じた。
このギャップは、癖になりそうだ。
そうして知らない世界の扉を開けたあと、待っていたのは――戦場だった。
「それではこれから、海軍コロッケの無料ふるまいを行いますので――」
司会のおじさんが告げたと同時に、ざわつくイベント広場。
「あいしゃ! わいがもらってくる!!」
最初からそのつもりだったんだろう、弓ちゃんが腕まくりをしてテントのほうに走っていった。
ちなみに海軍コロッケというのは、市内の大湊地区にある海上自衛隊のなかで、昔つくられていたコロッケのレシピを再現したものなんだって。
でも、今なら食べたい!
ワクワクしながら弓ちゃんの帰りを待っていると、不意に視線を感じた。
どうして気づいたのかと言えば、みんなが海軍コロッケのほうに殺到しているなか、視界の隅で立ちどまる人の姿を捉えた――ような気がしたからだ。
なんとなく視線を向けると、そこには見覚えのある子どもがいた。
「きみは、あのときの……」
わたしがステージに立てないのは、音楽を嫌っているからだ――。
そう言ってわたしを奮い立たせ、結果的には助けてくれた。
それどころじゃなくてすっかり忘れていたわたしは、今さらではあるけど訊いてみようかと思って近づいていく。
あのときと同じ、睨みつけるようにわたしを見あげる男の子は、今回は逃げなかった。
――その理由を、わたしはすぐに知ることとなる。
「未沙ちゃんごめ~ん、一個しかもらえねがったして、半分こして食べるべしっ」
海軍コロッケを片手に、戻ってきた弓ちゃん。
途端に輝き出す、小さな瞳。
「……わたしのほうこそ、ごめん。それ、三つに分けてもらっていい?」
「へ? なぁしたの?」
「この子も食べたいみたいだから」
「ああ! 未沙ちゃんの知りあいが?」
「ま、まあね」
名前さえ知らない相手だけれど、とりあえず頷いておいた。
細かいことは、これから聞き出せばいいんだ。
――そう考えたものの、この子、なかなか口が堅くて喋らない!?
黙々と食べていた。
そこに、今度は京介さんがやってくる。
「あ、いたいた。未沙ちゃん、ちょっと頼みたいことがあって捜して――」
台詞はなぜか、途切れた。
京介さんの視線は、はっきりと例の男の子を捉えている。
「どうしました?」
「あ、いや……捜す手間が省けたよ」
小さく苦笑してから、わたしの耳に口を近づけた。
「悪いんだけど、その男の子、僕の出番が終わるまで捕まえておいてくれないかな」
「えっ?」
「捕まえる」という言葉の響きもそうだけど、なにより耳に息があたることにドキッとした。
「訳アリで、その子に聴かせたい曲があるんだ」
なにか深い事情がありそうだ。
察したわたしは、少し熱くなった耳をおさえながら頷く。
「わ、わかりました」
さいわい、この子を逃がさない方法はすでにわかっている。
食べものでつればいいんだ!
「任せてくださいっ」
珍しく自信たっぷりに胸を張ると、京介さんは笑ってステージのほうに戻っていった。
――そのあと、ステージに立った京介さんは。
自分の歌声がひとりの人間を変えてしまうことを、知っていたんだろうか。
男の子を逃がさないように、わたしは無理やり手を繋いでいた。
その手が小さく震えはじめたのは、京介さんが最後の曲を歌い出してからだ。
音楽好きの若者が、遺したもの。
そう紹介された曲には、地元や家族への想いがギュッと詰まっていて。
地元を離れて、初めてわかったこと。
感じたこと。
あたたかな愛に、自然に、囲まれていたことへの感謝。
手を伸ばしても届かない距離に、心を贈る歌。
言ってしまえば、なんてことのない歌詞だ。
きっと、似たような内容の曲はたくさんあるのだと思う。
それでも、京介さんの抑揚たっぷりな歌いかたや、哀愁のあるメロディ――そしてなによりも、繋いだ手の先の存在が、わたしの心を強く揺さぶった。
男の子は、泣いていた。
「……ぉにぃちゃん……」
多分そう、呟いた。
「大丈夫?」
屈んで訊ねても、反応できないくらいに。
泣きじゃくっていた。
わたしは咄嗟に、抱きしめてあげる。
なにもわからない。
でも今、きっと。
この子が長いあいだ心のなかにためこんでしまっていたなにかが、ようやく解消されたんだと。
涙はその証しなんだと、そう思った。
だって――わたしも泣いていたから。
「――ねぇ、弓ちゃん」
「ん?」
「心に染みる歌って、こういうもののことを言うんだね」
「んだな……」
しみじみと応えた弓ちゃんも、瞳を潤ませている。
京介さんの歌を聴いたのは、初めてじゃないのに。
京介さんがつくった曲でもないのに。
曲にこめられた『伝えたい想い』は、確かに聴く人の心に届いていた。
それはきっと、京介さん自身も『伝えたい想い』として歌っているからなんだろう。
心をこめて伝えるってどういうことなのか。
やっと、その本当の意味を知れた気がした。
――だからこそ。
わたしもいい加減、伝えなくちゃいけないのかもしれない。
どうしてわたしが思いきれないのか。
どうしてわたしが、うまくできないのか。
もうわかっている。
堂々と言えないからだ。
歌手になりたいんだと。
本当は、『まさかリズム』に出たかったんだと。
自分の本心さえ言えないのに、どうして人に伝わると思ったんだろう?
それこそ傲慢だ。
今日ステージにあがった人たちはみんな、自分の気持ちを自由に表現していた。
だから伝わる。
受けとめられる。
――じゃあ、わたしは?
出演者には、同じ高校生もいた。
小学生、幼稚園児だっていた。
みんな堂々と、輝いて。
それは、出たいという気持ちを、偽らなかったからだ。
羨ましさを隠して、悶々としているわたしとは、全然違う。
――わたしはいつまで、こうしてる?
来年も、再来年も、同じようにステージを観つづけるのか。
京介さんが誘ってくれるまで、受け身で待つのか。
そんなんで、歌手を目指してるなんて言える?
いっそ、言ってしまいたい。
わたしも出たいって。
言いたい――!
心ではそう思っても、外に出す力が乏しいわたしは、なかなか言い出せなかった。
そんなわたしの背中を押してくれたのは、意外にも――
「花子ぉぉおお、好ぎだぁぁああ、結婚してくれぇぇええ!!」
まったく知らない男性の、叫び声。
「大事な話がある」と飛び入りでステージにあがった男性が、なんと、突然公開プロポーズを始めたんだ。
「えー、嫌だ」
「そう言わず……頼むぅうう!」
「嫌だ」
「結婚してくれよぉぉおおっ」
「嫌だってば」
三回連続で断られた男性は、しょんぼりした様子でステージをおりていった。
観客席からは笑い声がもれていたけれど、わたしは心のなかで全力の拍手を送っていた。
酔った勢いなのかもしれない。
でも、なんて勇気なんだろう。
あれくらい自由になれたら――きっと、怖いものなんてない!
熱に浮かされるように、感情を振り切ったわたしは、急いで京介さんの姿を探した。
わたしの勇姿を、ぜひ見守ってほしかったんだ。
やがて、運営委員会のテントでその姿を見つける。
ちょうどスタッフのひとりと話をしているようだった。
これさいわいと近づいて、割りこむ。
普段のわたしだったら絶対にできない行動を、あえてとる。
「あ、あのっ、すみません!」
ひっくり返る声も、気にしない。
とっくに熱くなっている顔は、きっとこれ以上赤くはならない。
「来年も、『まさかリズム』やりますか!?」
「そ、その予定だけど……」
「どうしたの? 未沙ちゃん」
わたしの様子が普段と違うからだろう、京介さんは面を食らったような顔をしていた。
――それでいい。
わたしも、ここから変わるんだ!
大きく息を吸って――
「来年、わたしも出たいんですっ。わたし、歌手になりたくて……今はまだできないことが多いけど、絶対克服してみせますから……!!」
大勢の人の前で、宣言した。
わたしは『わたし』を自由にする。
これはそのための、誓いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます