【第4章】自然に歌え、自然に学べ ~未沙~
10.証明するために
あれから京介さんとは、たまにメッセージのやりとりをする仲になった。
そのおかげでわかったのは、なんと京介さんは『まさかリズム』に出演することが決定しているらしい。
京介:本当は、未沙ちゃんも出たいんじゃないの?
きっと冗談半分で送られたのだろう文章に、息を呑む。
きっと心のどこかでは、そう思っているんだろうから。
でも、頷けるほどの度胸は、今のわたしにはまだなかった。
でも、否定の言葉を綴るのも嫌で、さけた。
未沙:まだそんなレベルじゃないですから
そう、まだ、そんなレベルじゃない。
わたしはこれからやっと、動き出そうとしている。
その第一歩が、京介さんと一緒にライブハウス――
時間を合わせて初めて訪れた夕方、想像していたよりも少し広い会場には、先客がいた。
しかもそれが、制服を着た同じ高校生だったから、わたしは完全に尻込みしてしまった。
「ほら未沙ちゃん、仲間がいるよ。話しかけてみたら?」
「む、む、む、無理ですっ」
さいわい別の高校の生徒たちだから、わたしのことなんて知らないだろう。
逆に言えば、話してしまえばまたイントネーションからよそ者だとバレてしまうかもしれない。
そう思うと怖かった。
――それ以前に、内気なわたしが他人に話しかけるなんて、気軽にできるなら苦労はしない。
「じゃあ、今日ステージに立つのは無理か」
「す、すみません……」
「いいよいいよ。こっちも一回でできるとは思っていないし」
京介さんは、無責任に煽ってくるうちのお母さんとは違い、「おまえの根性がないからだ」とか、「自意識過剰だ」とか、そんなことは一切言わなかった。
恥ずかしがり屋で照れ屋で内気で内向的だからという理由を、言い訳とは思わずに認めてくれているようなんだ。
だからわたしも、自分を必要以上に責めることなく、自然体でいられる。
そのことがすごくありがたかった。
大人だから余裕があるのかな?
それとも、単純に京介さんがやさしいからだろうか。
――ただ、そのやさしさにずっと甘えるわけにもいかないことは、よくわかっていた。
楽しそうにステージ上で練習する高校生たちを横目に、口を開く。
「あ、あの……」
彼らに話しかけるのは無理でも、京介さんになら、わたしだって話しかけられるんだ。
まったく威張れることじゃないけど。
「か、歌手になるために、なにかやっておいたほうがいいことって、ありますか……?」
現状、正直に言うと、なにもできていない。
これで歌手を目指しているなんて言ったら、多くの人は本気にしないんだろうなと思う。
でも、やっぱり京介さんの反応は違った。
「今、合唱はやっているの?」
「いえ……高校に合唱部がなくて、音楽部が楽器演奏したり合唱したりしてるんですけど、クラスメイトがいるから入りづらくて……」
「あー、なるほどね」
わたしがクラスで孤立していることは、すでに伝えてあった。
それについて人に話したのも、初めてのことで。
もしかしたらわたしは、ずっと誰かに言いたかったのかもしれない。
おかげで、少しだけ気が軽くなっていた。
もっとも、話したからといって、なにか解決したわけじゃないけれど――
他人に自分の状況をわかってもらうという行為は、それだけで自分の輪郭がはっきりするような気がした。
「じゃあさ、家でなにか楽器を練習してみたら? 弾き語りができるようになれば、どこでだって歌えるよ。今はキーボードがあるんだっけ」
「は、はい。あと、お父さんが昔使ってたアコースティックギターが家にあったから、練習してみたことはあるんですけど……」
「ど?」
そのときのことを思い出しながら、口を開く。
「その……指が届かなくて、コードをうまくおさえられなかったんです……」
「ああ! それ、女子では結構聞く悩みだよ。手が小さいと、大変だよね」
京介さんはそう笑ったあと、間髪入れずに告げた。
「じゃあ、ウクレレは?」
「え?」
「ウクレレ、知ってるよね? ギターの小さい版みたいなやつ」
「あ、はい、知ってます、けど……」
ウクレレといえば、ハワイアンな楽器だ。
少なくともわたしには、そういうイメージがあった。
フラダンスを踊るときなんかに伴奏で使うような……。
「あれね、小さいから女子でもコードを弾きやすいし、軽いから弾き語りしてもあまり疲れないよ」
「そ、そうなんですか……」
でも、わたしは別にハワイアンな音楽をやるつもりはないんだけど――と思っていたのが表情から伝わったのか、不意に京介さんが椅子から立ちあがった。
「ちょっと待ってて」
「は、はい」
戸惑うわたしをよそに、カウンターにひと声かけた京介さんは、ずかずかとステージにあがりこむと袖に消えていく。
ステージ上にいた高校生たちがまったく気にしていないのは、よくあることだからなのかもしれない。
数秒と経たずに戻ってきた京介さんの手には、見たことのある楽器が握られていた。
「ほら、これがウクレレだよ」
「近くで見ても、小さいですね」
確かにこれなら、わたしでも問題なく指が届きそうだ。
「これをこうして……」
椅子に戻ってかまえた京介さんが、ポロポロと弾きはじめる。
いや、弾いているだけじゃない。
やがて唇から、メロディが溢れ出す。
その曲には聞き覚えがあった。
おそらく、初めて出会ったときにつくっていた曲だ。
ところどころアレンジされたメロディに、あのときにはなかった歌詞が乗っている。
別にハワイアンな曲ではないし、ハワイアンにも聞こえない。
ギターよりも音の印象は少し明るいけれど、ジャンルが変わったようには思えなかった。
「ああ……」
そのおかげで、わたしはとんでもない思いこみをしていたのだと思う。
楽器の生まれがどうであれ、音楽のジャンルを限定する必要なんかないんだ。
考えてみれば、今だって三味線をロックに使ったり、尺八をJ-POPに取り入れたり、むしろ別のジャンルでも積極的に使うことで楽器の幅を広げようとしているように思う。
楽器がジャンルを決めるのでなく、弾き手がどう使うかでジャンルが決まる――。
「どう?」
一曲終えたあとの京介さんの表情が、ちょっとドヤ顔に見えて面白かった。
「すごく……その、よ、よかったです!」
我ながら語彙力……と思う感想だったけれど、京介さんは笑って許してくれた。
「ハハ。ウクレレも悪くないだろ? これ、実は四千円くらいで買えるんだよ」
「案外安いですね」
「本格的なやつは、もちろんもっと高いけどね」
わたしには、安いので充分だ。
なにか楽器をやりたいとは思っていたから、さっそく今度買ってみよう――
本当は歌いに行ったはずなのに、初日はそんな決意をして終わった。
♪ ♪ ♪
それからわたしは、京介さんがいない日でも、勇気を振りしぼってライブハウスに通うようになった。
といっても、相変わらず歌うわけではなく、ドリンク一杯でステージを眺めている。
誰かが練習していても、していなくても、それだけでなんだか楽しかった。
音楽に触れられているような、気がしていた。
――そんなある日の、帰り道。
「なぁなぁ、そごのねっちゃ!」
「え?」
周囲には他に人がいなかったから、わたしが声をかけられたんだろうと思って、振り返った。
警戒せずにすんだのは、声質が明らかに子どもだったからだ。
目をやると、小学三年生くらいの子どもが、わたしを見あげていた。
「おめさ、なんでこごさ通ってらの?」
指差した先には、
どうやら、わたしが通っているのを監視(?)していたらしい。
「なんでって……」
歌いに来ている、とは言えなかった。
だってまだ、一回も歌ってはいない。
そんなことまでなぜか、この子は知っていて。
「来てもなんもしねんだば、来る意味ねぇべ? ほんとはねっちゃも、わいど
「き、嫌いなんかじゃないよ! ただその……恥ずかしくて歌えないだけで」
この子は一体なんなんだろう?
あまりにも突然のことで、頭が全然ついていかなかった。
「へったら、よげいに来んなじゃ! こごさ来れば死ぬど!!」
そう言い捨てて、子どもは走っていく。
「あっ、ちょっと!?」
追いかけて真意を訊ねたかったけど、すばしっこくてあっという間に見えなくなってしまった。
残されたわたしは、ポカンとひとり佇む。
「な、なんだったの……?」
思わず呟いた。
わざわざ
大人だったら完全に不審者で通報案件だけれど、相手が子どもだけに、損得とは別の意味があるように感じてしまう。
あの子は言った。
音楽は嫌いだと。
そして、歌わないわたしも音楽を嫌いなんじゃないかと。
なにも知らない人が客観的にわたしを見たら、そう捉えられてしまうんだ。
ハッとした。
わたしは今まで、そんな視点で考えたことはなかった。
ただ人前で歌うのが恥ずかしいから、できずにいた。
けれど、その行為をあの子の言うように、置き換えてみたらどうだろう?
わたしは音楽が嫌いだから、ステージに立たない――のではなく。
わたしは音楽が好きだから、ステージに立つ――ただそれを伝えるためだけに。
そのくらいの心持ちでなら、できそうな気がした。
わたしの、本気の証明。
深く考えなくていいんだ。
そう思ったら、ステージにあがりたいのにあがれないと思い悩む気持ちが、ちょっと楽になった。
――そんな謎の子どもとの出会いから、数日後。
再び京介さんと一緒に
立つことができた。
脚はブルブル震えていたし、顔は熱があるんじゃないかってくらい熱かったし、完全にテンパっていたけれど。
音楽が好きだって証明したいその一心で、ようやく第一目的を達成することができた。
京介さんが伴奏を弾いてくれたから、軽く歌ってみる。
最初は声も震えて、音程もボロボロ、ビブラートさえまともにできない。
散々な状態だったけれど、京介さんが根気よくつきあってくれたおかげで、こんなわたしでも徐々に慣れてきて――やがて、普段に近い状態で歌えるようになった。
大きな変化だった。
その後も、お客さんが少ないときを見計らって、人前で歌う練習を続けた。
しだいに「上手だね」って声をかけてくれる常連さんも出てきて、少しは自信もついた。
けれど――
「あ、あの、京介さん? お願いがあるんですけど……」
「ん? なんだい?」
わたしは気がついていた。
いや、それは今に始まったことじゃない。
本当はずっと前から、気づいていたことだ。
「正直に、言ってください。思ったままの感想を……」
褒められるのは、嬉しい。
でも、その言葉はいつも同じだった。
「うまいけど……」と濁されるような感覚を、常に感じていた。
「けど」の先を、わたしは知りたかった。
京介さんは一瞬目を大きく見開いてから、苦笑を浮かべた。
「……そうだね。未沙ちゃんの歌は、うまいけど堅苦しいと思うよ」
「堅苦しい?」
「うまく歌おう、あがらないようにしよう――そんなことばかり考えているんだろう? 全然楽しそうに見えないから、真面目すぎて堅苦しい」
確かにそのとおりだった。
いくら慣れてきても、自分の性質を意識せずに歌うことはできない。
上手な歌を聴かせたいという気持ちが、前に出てきてしまう。
でも――
「お、おっしゃることはすごくよくわかるんですけど……そ、それってどうやって直したら!?」
今よりもっと慣れるしかないんだろうか。
だとしたら、何十年とかかってしまうかもしれない。
一気に絶望的な気分になってしまったわたしとは逆に、京介さんはとびっきりの笑顔で告げた。
「実はね、いい方法があるんだ」
「な、なんですか?」
「簡単なことだよ。自然から学ぼう!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます