9.望む人、望まない人

 九月二十一日。

 開催前最後の実行委員会ミーティングが開かれたその日、芳雄くんの表情があからさまに暗かった。


「ど、どうしたんだ? 芳雄くん。体調でも悪いのかい?」


 彼には実行委員長として、さまざまな場所に顔を出してもらっていたし、問い合わせの窓口にもなってもらっていた。

 負担をかけすぎただろうかと不安になり、問いかけてみる。


 すると芳雄くんは、青ざめた顔で俯くと、思いがけないことを口にした。


「言おうか言うまいか、ずっと迷っでたんですけど――」

「なんだべが?」

「実は、公式サイトの問い合わせ窓口がら、が届いでるんです……」

「ハァ!?」


 まさにの話だ。

 芳雄くん以外は誰も知らなかったのか、みんな驚きの声をあげている。


「脅迫メールって、どんな?」

「これです」


 差し出されたのは十数枚の紙だ。

 今日こそ見せようと思って、印刷してきたらしい。

 目を落とすと、すべての紙に「まさかリズムの開催を中止しろ」と書いてあった。

 日付は連続しており、どうやら毎日一通ずつ届いているようだ。


「こいだげが? 普通脅迫ってへたら、『中止しねぇばこごば爆破する!』とが、そったらごと書がれでるもんだべ」

「そうなんですよ! でも、これしか書がれでないがら、最初はイタズラだろうと思ってて……」


 だが今は、そう思っていない。

 そんな表情をしていた。


 顔を見合わせた面々は、一様に戸惑った表情をしている。


「こういうのって、警察さ届けるべき?」

「でも、届けたら最悪本当に中止になるがも……」

「こんだけ準備頑張ってきたのにな~」


 どうしても開催したい。

 その気持ちは、みんな同じだった。


「さいわいと言っていいのかはあれだが、中止しなかったらなにするとも書いていないわけだし、本当にイタズラなんじゃないか?」

「そ、そうかな……」


 ずっとひとりで思い悩んできたのだろう、芳雄くんの表情はなかなか晴れない。


「もしかしたら、当日も邪魔してくるがもしれないっすよ?」

「そう考えるど、やっぱり警察に言って当日巡回してもらったほうがいい?」

「いやぁ~、でもそれだば大事おおごとさなるべさ」

「警備会社さ頼むにもお金かかるし、当日はみんな現場さいるんだして、全員で見まわりば強化したら?」

「それしかなさそうだな」


 芳雄くんの表情がみんなにも移り、いつもとは正反対の重苦しい雰囲気が俺たちを包んだ。

 開催を間近に控え、まさかこんな問題が出てくるなんて、誰が想像できただろう。

 下北で音楽フェスをやると言えば、多くの人が驚きながらも賛同してくれた。

 面と向かって反対してきた人は、いなかった。

 ――これまでは。


 だが、少なくともひとり、このメールの送り主は、反対している。

 しかも、ある程度の情熱を持って。

 そのことが、実行委員としてこれまで頑張ってきたメンバーたちにとっては、ショックだったのだろう。

 もちろん俺だって。


「……デモ、私、楽しみヨ」


 不意にポツリと、アンジェさんが呟いた。


「私だけ、じゃナイ。楽しみに思ってる人、思ってない人より、多いはずヨ」


 やさしい語り口調で、情けない俺たちを鼓舞してくれる。

 アンジェさんには当日物販ブースで活躍してもらう予定で、これまでの活動ではあまり手伝ってもらっていなかった。

 むつに来てまだそれほど経っているわけじゃないから、できることが限られていたためだ。


 だが、、誰よりも冷静であれたのだろう。

 その事実を、ありのままに見ることができた。


「んだな……『まさかリズム』ば楽しみさしてくれでる人のほうが、ずっど多いんだもんな。顔も出さねぇよんたひとりの意見で、中止するのもおがしい話だ」

「ああ。とりあえず俺たちは、今できることを最後までやりきろう。後悔のないように」


 俺がまとめると、みんな神妙な表情を浮かべ頷いてくれた。

 そうして当初の予定どおり、当日の役割の確認や、設営の手順などの打ち合わせが行われた。

 和気藹々としていたこれまでと違い、どこか緊張感のあるミーティングだった。

 それぞれが、『まさかリズム』を開催することに対しての責任を感じていたのかもしれない。


     ♪     ♪     ♪


 『まさかリズム』当日までの一週間は、仕事の合間を縫って出演者たちのもとをまわり、当日の流れや立ち位置の確認など、最後の詰めを行った。

 事前にしっかりリハーサルができるのであれば不要なことだが、残念ながら今回はそのような時間的余裕はない。

 下北全域から出演者が集まることもあり、調整が難しかったのだ。

 そのかわり、こちらから出向いて細部を説明することになった。


 俺は仕事柄、西側の大間町や佐井村のほうまで行く機会も多いから、主にそっち方面の出演者の対応を頼まれていた。

 だが、相手が早い時間を望んでいて、他の人の手がまわらないということで、一件だけむつのバンドも担当することになった。

 早い時間といっても、夕方である。

 指定されたMArMAladeマーマレードに行くと、見覚えのある六人が待っていた。

 先日見かけた高校生バンドだった。


 あれこれと事務的な説明をする。

 バンドなので、それぞれの楽器の位置などは重要だ。

 誰がどのアンプに繋ぐなど、細かい確認をしておけば、当日ステージにあがったあとの準備がスムーズにできる。

 いくらステージを交互にすることで時間的余裕をつくっても、段取りが悪かったら意味がないのだ。


 ひととおり説明を終えたあと、俺はちょっと気になっていたことを訊いてみた。


「きみたち、『まさかリズム』のために結成したバンドなんだって?」


 それは先日ママから聞いた情報だ。

 すると、ひとりの女子生徒が答えてくれる。


「そうなんです。私たち軽音楽部で、普段は別々のグループで活動してるんですけど、今回はみんなで盛りあげようってことで、一緒に出ることにしました」

「なるほど」


 俺が不思議に思っていたのは、彼らが男女混合バンドだったからだ。

 なぜかはわからないが、高校生の時期というのは、男女分かれてバンドを組むことが非常に多い(俺調べ)。

 だがこのバンドは、男女三人ずつとバランスがよかった。

 その珍しさが気になっていたのである。


「『まさかリズム』の話は、どこから聞いたの?」

「顧問の先生からです。今度こういうのあるらしいよ~って」

「それで、出てみたいと思った?」


 いつもの癖で取材っぽくなっているなと自覚しつつも、話を続けた。

 若い世代を取りこむコツがわかるかもしれないと、考えたからだった。

 ――正直、脳裏には常に例の脅迫メールのことがあった。

 音楽フェスとして、未来を背負う若者たちには嫌われたくない。

 そういう気持ちもあったことは、否定しない。


 女子生徒はコクンと頷き、答える。


「毎日練習してても、披露の場は文化祭とか、地域のお祭りくらいしかないし……そこは音楽がメインの場所じゃないから、下北で音楽フェスをやるって聞いたとき、『絶対出るぞ!』って思いました」

「やったー! って思ったよな?」

「でも、でぎればなぁ」


 後ろの男子生徒が挟んできた言葉に、俺は食いついた。


「それは、どうして?」


 深く訊いてはいけない内容だったのだろうか。

 それまでの明るい雰囲気は重く変わり、お互いに顔を見合わせる彼ら。

 すると、いちばん奥にいた男子生徒が、前に進み出てきた。


「おれの、せいです」

「え?」

「おれの兄貴、ミュージシャンを目指してだんですけど、むつじゃ発表する場がないって飛び出して、東京に行ったんですよ」

「へぇ」


 それは、言ってしまえばよくある話だった。

 成功を夢見て上京することは。

 そしてその表情から、残念ながら成功できなかったであろうことは、窺い知れた。


 俯いた男子生徒は続ける。


「でも、

「――は?」


 予想よりもはるかに重い言葉に、言葉を失った。


「路上で歌ってたら、うるさいって酔っ払いに絡まれで……」


 そういえば、と思い出す。

 数年前、そんなニュースを見た記憶があった。

 地元で起こった事件でなくとも、地元民が被害にあえば、情報は入ってくるものだ。


「もしその頃に、こういうイベントがあったら、兄貴は絶対出てただろうし、そうしたら音楽仲間もたくさんできて、無理して東京に行くこともなかったかもしれない……」


 それは、ただの希望だ。

 理想だ。

 どれが幸せだったかなんて、本人以外にはわからない。

 ただ、否定する権利も俺にはなかった。


 パッと顔をあげた男子生徒が、強い瞳で続ける。


「だからおれ、絶対出たいと思ったんです! 兄貴の代わりに……兄貴の分までっ」

「そうか……」


 これまでさほど意識してこなかったが、出演する側にもいろんな想いがあり、ドラマがあるのだ。

 たくさんの物語がひとつに集まり、音楽に乗って輝く場所。

 それが音楽フェスの本質なのかもしれないと、ふと思った。


 俺はその肩に手を置くと、グッと力をこめる。


「頑張って」


 あまりにも月並みな励ましだ。

 だが、それ以外の言葉はもっと陳腐な気がして。

 俺は彼の兄ではないのだから、どんな想いも肩代わりすることはできない。

 想像するだけならば、俺よりもはるかに弟のほうがうまいだろう。

 「きっと天国から見てるよ」なんて台詞は、他人が言うべきものではないのだ。


 そんな俺の気持ちが伝わったかどうかはわからないが、彼は屈託のない笑顔を見せてくれる。


「ありがとうございます」


 おかげで、他のメンバーたちにも明るさが戻った。

 ――そのときだった。


 バシャァア!


 突然聞こえたに、みんなの視線が動く。

 音の出所はどこかと辺りを見まわしてみても、コップが倒れた様子はないし、ママはステージ上で機材の調整をしており、カウンター内には誰もいなかった。


「なんだ? 今の音」

「あ……もしかしてっ!?」


 出入り口に向かって走り出したのは、今俺と話していた男子生徒だった。

 彼は勢いよくドアを開け、外に出ていく。

 と――


「あー、やっぱり!」


 なにかに納得した声があがる。

 俺も追ってみると、彼はドアの外側を見ていた。

 どうやら濡れているようだ。


「ほら、これ」


 目ざとく見つけたものを拾いあげ、見せてくれた。

 割れた風船の残骸だった。


ですよ」

「それをドアに投げつけたのか……」


 子どもの頃、夏になるとそれで遊んだ記憶がある。

 あたって割れると水が飛び出るため、暑い日には気持ちいいのだ。

 そのかわり、かなりびしょ濡れになって、親には叱られるのだが。


「しかし、一体誰が、どうして……」


 腕組みをして悩みはじめた俺を後目に、彼はさっさとライブハウス内に戻っていく。

 もしかして、犯人を知っているのだろうか?

 再びあとを追うと、彼はそのままママのもとへと向かい――頭をさげた。


「すみません! がまた、水風船を投げていったみたいで……」

「あらぁ、まだ反対してるの? 『まさかリズム』に出ること」

「そうなんです。家でも口きいてくれないし」

「ちょ、ちょっと待って!」


 そこで割って入ったのは、他ならぬ俺だった。


「きみの弟は、きみが『まさかリズム』に出ることを、反対しているのかい?」


 行動の幼稚さからいって、小学生くらいだろうか。

 俺はある可能性を疑って、問いかけた。


 彼は戸惑いながらも答えてくれる。


「え? は、はい、そうなんです。弟はいちばん上の兄にすごく懐いてて……音楽のせいで兄が死んだと思いこんでるから、おれが音楽に関わるのも嫌みたいで」

「もしかして、『まさかリズム』を開催すること自体にも、反対しているかい?」

「弟がですか?」


 考えこむように、彼の視線は空中を移動した。

 それから「うーん」と唸って、口を開く。


「そう……かもしれません。『まさかリズム』がなければ、結果的にはおれも出演できないわけだし」


 その返答に、申し訳ないが俺は少ししたのだった。

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