【第2章】思い立っても行動できない ~未沙~
4.地方という絶望
「未沙ちゃーん!」
突貫でつくったのか、やけにシンプルなチラシに見入っていると、背後からわたしを呼ぶ声がした。
振り返るまでもなく相手がわかったのは、さっき聞いたばかりだからだ。
それでも無視をするわけにはいかないから、一応視線を向ける。
ごみ置き場で別れてから、まだ数分も経っていない。
しかもそのときは、思いっきり部屋着だった。
なのに今は、ちゃんと制服を着て、髪までしっかりセットしてある。
全力で走ってきたのか、息が切れて頬も上気していた。
「……弓ちゃん、どうしたの?」
そんなに急いで学校に行く用事があっただろうかと考えてみたけれど、なにも思い浮かばない。
わたしが仕方なく訊ねると、弓ちゃんはなぜか瞳をきらめかせて言った。
「なにへてらのさっ。一緒に登校しようど思って、わっためがして準備して来たんだべさ!」
「わっためがして……」
正確な意味はわからないけど、とにかく急いで来たんだろうな、というのは理解した。
そして、それをわざわざ口に出して言うのは、恩着せがましいと感じてしまう自分が嫌だった。
「べ、別に、頼んでないのに……」
気を使ってくれるお礼の前に、悪態が口をついて出てしまう。
この性格は、どうしたら変えることができるんだろう。
俯いたわたしの背中を、弓ちゃんは元気よく叩いてくる。
「おめがらはな! でも、キイばあちゃんがらは頼まれでらしてさ」
その口調は、今までと変わらず明るかった。
その内容は、今までわたしが知らないもの。
「え? どういうこと?」
驚いたのはわたしなのに、なぜか目をぱちくりさせる弓ちゃん。
「あれ? 知らねがったの? わいだっきゃキイばあちゃんと
「それは知ってるけど……おばあちゃん、弓ちゃんになにを頼んだの?」
そう、この弓ちゃん、見た目によらず面倒見が非常にいい。
わたしとお母さんがこっちに戻ってくるまで、おばあちゃんがひとりでも問題なく暮らせていたのは、弓ちゃんの手伝いがあったからだということを聞いていた。
そんな弓ちゃんに、おばあちゃんはなにを頼んだんだろう?
普段は目を合わせることすら苦手なわたしが、弓ちゃんの瞳を見つめる。
その視線の先で、弓ちゃんは――
「――んだば、秘密さするじゃ!」
いたずらっ子のように笑った。
「えっ、なんで!?」
「それより未沙ちゃん、なにば見でだの? 追いつげないがと思っだら、こごさいだったして間に合ったじゃ」
思いっきりなにかをごまかした弓ちゃんは、わたしの後ろをひょいと覗きこむ。
今度はわたしがごまかす番だった。
「な、なんでもいいでしょ! ほら、行こうっ」
「えー? なんだのよ~」
弓ちゃんの手を引いて、急いで掲示板から離れる。
なにを見ていたのか、なにに興味を持っていたのか――バレるのは、恥ずかしかった。
自分ですら「おまえなんかが」って思うのに、他人がそう思わないわけはない。
だからわたしは、忘れることにした。
見なかったことにした。
自分にはまだ早いんだと、言い聞かせた。
♪ ♪ ♪
――はずだったのに。
退屈な授業中、気がつくと朝に見たチラシのことばかり考えていた。
まさかリズム、出演者募集中♪
その一行が、頭のなかをグルグルとまわっている。
スマホで検索してみたら、『まさかリズム』というのは下北地区初の音楽フェスで、今年初めて企画されたようだった。
市が行うわけでなく、地元有志の手で準備が進められているらしい。
その出演者を、今、募集している。
たったそれだけのチラシ。
たったそれだけの、言葉。
なのに、気になる。
とても、気になる。
それは、わたしの夢に近いものだったから――
「せば次、こごな。
「え? は、はいっ」
まったく別のことを考えていたわたしは、先生から急にあてられてパニックになった。
とりあえず教科書を持って立ちあがったものの、周囲からは忍び笑いがもれている。
おそるおそる教壇に立つ先生に目をやると、まるで隠さない苦笑いがあった。
「東保~、私はなんの先生だっけか?」
「現代文、です……」
「んだ。せば、その手に持ってる教科書は?」
視線を落として、わたしがいちばん驚いた。
「英語……っ?」
「読むが?」
「い、いえ、読みません……」
「授業中だぞ、ちゃんと話聞いでなさい」
「すみませんでした……」
ブワッと、顔面に熱がのぼってくる。
座る動作すらおぼつかなくて、なんとか椅子に戻った。
――わたしの耳に、わざとらしい陰口が届く。
「なんだのさ、あれ」
「東京の公用語は英語ですーってが?」
「田舎の勉強なんてする必要ねぇって、思ってらんでねーの」
「厭味くせぇな」
「……っ」
机のなかに隠したこぶしを、強く握りしめた。
わたしはいつもこんな感じで、都会者としてみんなから距離を置かれている。
でももちろん、最初からそうだったわけじゃない。
この高校は、生徒の多くが下北出身で、よそから来る人のほうが珍しい。
弓ちゃんほど訛りの強い生徒はいないから、わたしもあまり目立たないんじゃないかって思っていたけど、それは甘かった。
確かに方言を使う人は少ないけれど、イントネーションが明らかに違うんだ。
誰かの名前を呼ぶだけで、すぐに気づかれてしまうほどに。
だから、わたしが自分で「東京から引っ越してきました」と言ったわけではないけれど、比較的早い段階でクラスメイトたちにはバレた。
みんな都会の暮らしには興味があるみたいで、まるで転校生のごとく、わたしにいろいろと話しかけてくれた。
仲良くなろうとしてくれた。
だけど――
昼休みになると、わたしは購買でパンを買い、その足で教室からいちばん遠い階段へと向かう。
そして、二階にあがるわけでもなく、陰に隠れてパンをかじるんだ。
ひとりで食べるにしても教室には居づらいから、いつもそうしていた。
誰も責めることはできない。
原因が自分にあることを、自分がいちばんわかっている。
何度でも言おう。
わたしは、恥ずかしがり屋で照れ屋で内気で内向的な人間だ。
だから、大勢の他人からいっせいに話しかけられて、うまく答えられなかった。
言葉が全然出てこなくて、無視をするような形になってしまった。
それを故意だと受け取られてしまった。
みんなから、嫌われてしまった。
その結果、今に至る。
もう、校内で言葉を発することすら、少し怖い。
よけい内気に拍車がかかっていた。
こんな自分をどうにかしたいと、焦りばかりが生まれてくる。
おばあちゃんの前では、あんなに自由に話せるのに。
もどかしさばかりが募ってくる。
――こんなんで、本当に歌手なんてなれるの……?
不安に、押しつぶされそうになる。
そう、わたしの密かな夢は、歌手になることだった。
今ならアイドルになりたい人が多いのかもしれないけれど、自分の容姿や運動神経に自信のないわたしは、断然歌手がいい。
わたしのなかで、唯一人から褒めてもらえるもの。
それが歌だった。
いつしか、将来は歌手になりたいという気持ちが芽生えて。
でも、恥ずかしがり屋で照れ屋で内気で内向的なわたしには、「夢は歌手になることです」と口に出すことすら、ハードルが高くて。
今まで誰にも、言ったことはない。
せめてこの性格を変えてからじゃないと、言ってはいけないと、思っている。
だからね、わたしは賭けてたんだ。
高校に入ったら、必ず自分を変えようって。
目指す自分になれたら、両親にこの夢を伝えようって。
自分のなかで、密かにいろいろ考えていた。
なのに――
むつ市という、本州のいちばん北の端に来ることになって。
東京から遠く離れて。
海があって山があって自然が豊かで食べものもおいしい、悪くない場所だけど。
わたしには、絶望しかなかった。
夢を見ることすら許さないと、突きつけられたような気が、したんだ。
♪ ♪ ♪
なんとか一日をやり過ごした、帰り道。
わたしは再び、あの掲示板の前に立っていた。
あのチラシの前に。
「…………」
挑むように睨みつけて、さまざまな角度から見やって。
最終的には、スマホで写真を撮った。
出演するつもりは、ない。
もっと正確に言うならば、そんな度胸はない。
ただ、観に行きたいとは思ったから。
こんな場所で音楽フェスをやろうなんて、思いきったことを考える人たちを、応援したいって。
なんとなく……本当になんとなくだけど、この写真がお守り代わりになるような、気がしたんだ。
「あー、未沙ちゃん!」
「げっ」
今日はなんだかよく会う、弓ちゃんの登場だ。
ふたりとも部活をやっていないから、帰り時間が重なってもおかしくはないんだけど……。
「まんだそれ見でらの?」
「ち、違うっ」
新しいおもちゃを見つけたような、やけに嬉しそうな顔で駆け寄ってくる弓ちゃん。
「うっそだぁ~。ほんどは興味あんだべ!?」
「違うってば! ここになにか貼られてるのが珍しいから……」
「ふーん?」
明らかに納得していない顔で、わたしをジロジロと見てくる。
今日の弓ちゃんは、いつもより攻撃的だ。
……でも、言葉が出にくいわたしには、いっそこれくらいグイグイ来てくれたほうが、喋りやすいのかもしれない。
現に、弓ちゃんとは結構会話が続くほうだ。
弓ちゃんの気が長いせいもあるかもしれないけど。
「はーん、ふーん、ほーん」
弓ちゃんは奇妙な声を出しながら、さっきわたしがしていたみたいに、例のチラシを眺めまわす。
出たいと一瞬でも思っちゃったことがバレたかな!?
こっちは気が気じゃないけど、弓ちゃんは相変わらずマイペースで。
「ぃよーし!」
やがてビシっと、掲示板を指差した。
「わがった! 未沙ちゃん、これば観さ行きたいんだべっ? んでもひとりだば行ぎにぐいして、ためらってだんだっ」
うん、そういうことにしておこう。
心に決めたわたしは、モジモジしながら答える。
「う……ま、まあ、そう、かも……」
「したらわいさへればよがったのに! 行ってけるよ、こんぐらい」
任せろと言わんばかりに胸を叩く弓ちゃん。
本当に、おばあちゃんは一体彼女になにを頼んだんだろう……。
すごく気になるけど、とても頼もしいのも確かだったから、わたしは控えめに頷いた。
「あ、ありがとう……?」
「なぁして疑問形だのさ!?」
「なんとなく……」
「ふーん? 未沙ちゃんって、やっぱり不思議ちゃんだのぅ~」
「弓ちゃんほどじゃないと思う」と言うのだけは、なんとかこらえた。
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