【第1章】思い立ったら即行動! ~卓真~
1.くすぶっていた情熱
二〇一七年六月二日。
いつもと変わらない一日が終わろうとしていた、夜。
カメラを片手に会社へと戻った俺は、後輩から声をかけられた。
「
五歳年下の彼はなかなかに人懐っこい青年で、たまにこうして誘ってくれる。
ありがたいことだが、今日の俺にはいつもの予定があった。
少しだけ逡巡してから、答える。
「悪い、寄りたいところあるんだ」
「もしかして、また
「まあな」
「休みの日だばともかく、よぐ仕事終わったあどに行げますね」
「休みの日も行ってるけどな」
俺の答えに、後輩は「あいしぇー」と笑った。
この地方独特の、感嘆表現だ。
何回聞いても、なんだか面白い。
つられて俺も笑いながら、踵を返す。
「じゃあ、また明日な」
「お疲れっしたー」
小さく頭をさげた彼に、右手をあげて応えた。
事務所を出て、薄暗く狭い階段をくだっていく。
この小さなビルの二階が、俺の勤める青い森テレビ放送のむつ支局だ。
カメラマンとして、ここを拠点に下北のあちこちを飛びまわっている。
カメラは昔から好きだった。
中高生の頃から、ふたつある趣味のうちのひとつで。
将来はどちらかを仕事にできればいいな――なんてことを、ぼんやりと考えていた。
やがて夢は叶い、カメラが仕事になった。
そして、残ったもうひとつの趣味は、今も続けている。
俺は自分の車に乗りこむと、北に向けて走らせた。
幾度となく通っている道だ、多分目をつぶってでも行ける。
周囲の町村と合併する前――旧むつ市で中心的な役割を担っていた田名部地区に、目指す場所があった。
その名も、
今では市内唯一となってしまった、ライブハウスだ。
近くの有料駐車場に車を駐めて、まるで居酒屋の暖簾をくぐるような気軽さで、ドアを開いた。
心地よいサウンドが耳に届いてくる。
誰かがギターの練習をしているようだ。
このライブハウスにはひととおりの楽器が揃っているため、自分の楽器をまだ持っていない人が、つまみ代わりに練習曲を掻き鳴らしていることがよくあった。
もちろん、不定期ながらさまざまなライブも行われている。
――そう、俺のもうひとつの趣味とは、音楽だ。
特にファンク系の音楽が好きで、自分でも曲をつくったり歌ったりしている。
格好よくいえば、シンガーソングライター。
いろんな楽器をかじり、可能性を広げ、新しいメロディを紡いでいく。
それを誰かに届ける。
その過程のすべてに、快感を覚えていた。
仕事にはできなくても、続けていたかった。
「あら、いらっしゃい宮内くん」
俺の姿に気づいたママが、カウンターのなかから声をかけてくれる。
飲み屋でもないのにママと呼ばれているのは、店名とかけているから、らしい。
ちなみに、結構ガタイのいいオネエだが、ママという呼びかたはとても似合っていた。
むしろ本名を知らないくらいだ。
「今夜は誰か演奏の予定ありますか?」
すっかり顔なじみになっている俺は、カウンターに近づきながら訊ねた。
そう広くない店内、中央に陣取っている長テーブルに、チラホラとお客さんの姿が見えたからだ。
「一応ね、急遽九時頃からやることになって……もしかして、弾きに来た?」
「いや、なんとなく生音が聴きたくなっただけなんで」
それは本心でもあり、半分嘘でもあった。
仕事の疲れがたまっているときほど、音楽で発散したくなる。
とにかくそういう気分だったのだ。
腕時計を見ると、九時まではまだ少し時間があった。
今日撮ってきた映像のチェックでもしようかと、首から提げたスマホを手に取る。
――と。
「おっ」
まるでタイミングを計っていたかのように、スマホが震えた。
友人の
『
相談。
その二文字が、やけに気になった。
俺は咄嗟に、頭のなかで秤にかける。
――だが、答えは案外簡単に出た。
ここに来ればいつでも聴ける音楽と違って、昌也の相談は今日限りかもしれない。
そんな予感がしたのだ。
今、聴かなければいけないような。
♪ ♪ ♪
「なーなー、下北地域ば活性化するために、なんが
近くのめし処で落ちあうと、昌也は開口一番そう告げた。
彼は俺より三つ年上の四十二歳だが、おそらく下北の平均的な四十二歳よりも、訛りはきつい。
「どうしたんだ? 急に」
「いやさ、今日『むつの日』だっきゃ。それで役所全体で、むつ下北ば活性化するための
「『むつの日』って?」
「六月二日だして」
「ああ、そういうことか」
ちなみにこの昌也、市役所の広報グループに勤めており、このむつ市をアピールするための方法を日々模索している立場だった。
そんな昌也でも、思いつかないと頭を抱えているのだから、よっぽどのことである。
「そもそも、
「だよな……」
「それにさ、いぐら
昌也は、かつては村として独立していた脇野沢の出身だ。
今でこそむつの一部となっているが、中心街と比べればかなり――そう、自然の残る場所だった。
そのせいか、少々田舎コンプレックス的なものを持っている。
訛りが全開なのも、もしかしたらそこに起因しているのかもしれない。
ついでに説明しておくと、年齢も職業も違う俺と昌也が友人関係になったのは、俺がちょくちょく市役所へ取材に行っていたからだ。
昌也も音楽が好きということで気が合い、プライベートでも連絡を取りあうようになった。
いわば音楽仲間だ。
「あ゛~~~、なんがいい案ねーがなぁぁああ」
だいぶ行き詰まっている様子の昌也を見かねて、俺も真面目に考えてみる。
こういうとき、青森県内の他の支局の情報も集まってくるテレビ局は、便利な職場と言えるかもしれない。
「ここのところ、地域活性化を頑張ってるなーって感じるのは、十和田市かな」
「十和田がぁ……最近だば冬花火とがも盛りあがってるみてぇだしな」
「そうそう。美しい景観が魅力の十和田湖、B級グルメとして知名度をあげているバラ焼き、あとは街全体が現代アートを表現する場になっているのも、面白い試みだ」
「あー、商店街の店一軒ずつさ、アート作品あるんだってな? 勉強したじゃ」
「俺も観に行ったことあるけど、地下室全体を使った作品とかあって、すごかったよ」
「あいしぇえー」
だがそれも、核になっているのは十和田市現代美術館の存在である。
メインがあるからこそ、街全体で盛りあがることができるのだ。
しかし残念ながら、現在のむつや下北にそういった場所はない。
昌也はハイボールを一杯あおってから、小さく口を尖らせる。
「でも下北だってな、全然負げでねーべな! 景観てへったら、恐山どが、
「だな。俺も最初下北に来たとき、感動したもん。なんで同じ青森県にいて、こんなすごい場所を知らなかったんだって」
そう、実のところ俺は、下北出身の人間ではない。
出身は青森市で、むつ市の担当になったのは、たった三年前のことだった。
それでも今では、ここが俺の故郷なんじゃないかって勘違いするくらい、想っている。
とても気に入っている。
そんなふうに感じさせる魅力が、陸の孤島とさえ呼ばれるこの下北には、確かにあったのだ。
「食いものだって充実してらっきゃさ。海軍コロッケどが海自カレーは定着しだし、
「イルカは食べるもんじゃないけどな」
俺は思わず笑ったが、昌也は真剣そのものだ。
鋭い目つきで、俺に問いかけてくる。
「あどはなに必要だべ?」
「えーと……十和田を例にすれば、芸術方面か?」
「下北美術展?
「それだと『下北』って括りの意味がなくなるんじゃ……」
「あいしゃー、んだじゃ」
ふたりして腕組みをし、うんうんと唸りながら考える。
「――なにも美術にこだわる必要はないからさ。たとえば映画だって、芸術のひとつだろ? ほら、川島雄三監督とかいるじゃん」
「そいな。市立図書館で上映会どがやってらけど、規模ちいせーしてなぁ。こういうどぎ、地元さ映画館あればなって思うんたって」
「三沢市の寺山修司みたいな盛りあがりに持っていくのは、ちょっと難しいか」
「んだな~。今がら川島雄三監督の映画を撮るわげにゃいがねーしてな」
いくら恐山のイタコに頼んでも、さすがにそれは無理だ。
他の芸術を――と、考えたところで。
「あっ」
俺はようやく、そこに行き着いた。
「あ? って、なした?」
「なぁ……音楽も芸術の範囲だろ?
『むつ来さまい館』は、観光やイベントの情報を発信するための施設だ。
下北の観光や歴史の資料の他、いくつかのホールや会議室があり、館内ではイベントも行っていた。
そのうちのひとつが、大物アーティストを呼んで定期的に開催されている、ジャズライブだった。
ちなみに、「来さまい」というのは、下北弁で「来てください」という意味である。
「あいだっきゃ、対外的なものじゃねーしてなぁ。下北の人さジャズば根づがせたい、下北さ居でも気軽に本物の音楽さ触れる機会ば提供したい……そった感じの企画だべな」
「――っ」
昌也のその言葉は、おそらく何気なく発せられたものだ。
しかしそれは、俺の心を深く抉ってきた。
今まで漠然と思ってきたことを、不意に言い当てられたような、そんな気分だった。
自然と、声が大きくなる。
「それだ!」
「は?」
「その考えかたは、多分間違いじゃない。でも、本物を聴かせるだけじゃ駄目なんだ」
「卓真? なぁした?」
まるでドラマのワンシーンのように、無意識にテーブルの上を叩いていた。
「なぁ昌也、どうせなら、音楽フェスをやらないか?」
「ハァ!?」
大きく目を見開いた昌也に、畳みかける。
「本物を、自分たちの手でつくるんだ! そうすればもっと人は集まるし、盛りあがるっ。そのためにはひと組じゃ駄目だ。絶対フェス形式がいい!」
今の今まで、それほど具体的に考えたことはなかった。
ただ、音楽をやっていても発表する機会の少ない下北で、なにか音楽系のイベントをやれないかという気持ちは、移り住んだ三年前からずっと持っていたのだ。
それがこの瞬間、思いがけない形で、輪郭を得た。
目指すべきものが、ようやく見えてきた。
「多分、下北で音楽をやってる人は、みんな似たような思いを抱えていると思うんだ。その気持ちをひとつに集めたら、きっとすごいステージになる! そうなれば、観に来る人だって必ずいる!!」
俺はひとりで興奮していた。
その答えに辿り着けたことが、なによりも嬉しかったから。
だが逆に、先ほどまで表情豊かだった昌也は、妙に冷めた顔をしていて。
「……盛りあがってらどこわりぃけど、こんた
わかっている。
昌也を苛ませているのは、やはり田舎コンプレックスなのだ。
なにをやったって、どうせ田舎だから……と諦めてしまう。
諦めざるをえない現実があった――今までは。
「けどさ、昌也。なんか新しいことしたいって、言い出したのは市なんだろ? 俺たちがやるって言えば、断る権利ないじゃん」
「そうへたってさー」
「やる前から諦めるなよ! 田舎には田舎に合った音楽フェスのやりかたがあるはずだ。誰もやったことがないなら、俺たちの手でそれをつくりあげるんだ……!」
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