03

 少し時間を遡るが、御法真紀は襲撃を撃退した後で飲み直した。

 アルコールはとっくに抜けている。仮にも兵法者であるからして、戦闘時に際しては酔い醒ましに護法が働くのだった。

「…………まあ、あなたのことだから大丈夫でしょうけど」

 などと神無月美小夜は言って、報告しないといけないからと先に帰ってしまったのであるが。

 真紀はとりあえず、『講武所』に一番近い居酒屋に入った。こじゃれたバーなどより、安い酒屋の方が性に合う。そもそも、酒なんてあんまり嗜まないけれど。

 今晩はもう少し飲みたい気分だった。

 適当に頼んで、適当に摘んで、再び酔いが頭をぼやかした頃合いになって、考える。

(しかし、地球で大騎士か……)

 つい先刻に、彼女の投擲した袋竹刀を受け止めた誰かについて考えていた。

 何者だろうか。

 仮にも、霊力の制限を受けていたとは言えども、自分の『験』を破るというのはただ事ではない。

 他人にどう評価されているのかはあまり気にしていない真紀であるが、『験』についてはそういうわけにはいかない。霊力が制限されて『顕』が使えない以上、『験』が真紀の切り札である。それは何も彼女に限ったことではなく、ほとんど多くの兵法者にとってもそうではあるが。


『験』は平たくいえば、兵法者の使う魔術である。


 伝える流派にまつわる逸話、伝承をなんらかの形で形而下に具体化する『験』は、地球の魔術、魔法世界の『魔法』が過去の神話の再現であるのと同様の構造を持っている。

 魔術を破る方法がその神話に隠されているように、『験』を破る技もその伝承から紐解かれるものだ。

 例えば不死身のギリシャ神話の英雄アキレスを魔術的に再現したとする。それによって無敵の超人になれたとして、神話にある踵を撃ち抜かれて死んだという事実もまた弱点となって再現される危険を持つ。

 神話体系が異なる魔術同士の戦いはもう少し趣きが違ってくるが、基本としてはそのようなものである。

 しかし、魔術にしても『魔法』にしても、使い手たちはそれぞれの背景にある物語――神話を知らない。

 今でこそ互いに研究が進み、ある程度の対決方法のマニュアルが作られてはいるが、当初は単純に火に水をかけ、飛び道具を矢除けの術にて防ぐ……その程度が関の山であった。

 そのような状況であったればこそ、兵法者の使うシンプルかつ強力な剣という武器の持つ象徴性が、あらゆる魔術、『魔法』に対抗し得たという側面がある。

 ――では、その兵法者の『験』を破るのはどうすればいいのか?

 それも先述した。魔術と同じ構造のものであるのならば、魔術と同じく『験』もまた、神話から破る方法を見いだすのが常道だ。

 一番簡単なものでいえば、神話の主を破る技、あるいは破った人物を再現することである。

 もっとも、そのような都合のいい話がそれほどあるのかというとそうでもない。

 武術流派の伝承の類は、多くが使い手を讃えるもので、敗れた話は伝わらない。

 誰かが誰かに打ち勝った話があるとしても、その多くは何処の誰ともしれぬ相手のものだったり、流派は特定できたとしても都合よく相手がその流派の使い手であるとも限らない。


 それでは他に『験』を破る方法があるのかというと、ある。


 これも単純なもので、使い手に純粋な技量で優ることである。

 というのも、『験』は兵法者の使う魔術ではあるが、結局のところは武術の延長であるからだ。

 対抗するために霊力を発揮して補う場合もあるが、そうでなくとも技倆神に入るといえるほどの使い手であれば『験』は使えるし、打破できる。

 これらの『験』の破り方は厳密にはそれぞれ別であるが、技を以て技に抗すると言う意味では同じものと言える。ゆえに大雑把に〈撃剣法〉アーツ・ブラストとまとめて言う。

 ちなみにアーツブラストの略称として日本の兵法者はアーツと呼ぶことが多いが、日本以外でアーツと言った場合、兵法/剣術ブレイド・アーツの略称として使用される方が一般的である。海外ではアーツ・ブラストはブラストと略する。どうでもいいような豆知識ではあるが、ここらの違いは覚えておくと役に立つこともある。

 さて、これらの技以外の方法で『験』は敗れないのか?

 これも、やはりある。

『魔法』、あるいは魔術で防御するのだ。

『験』が魔術の一種であると考えるのならば、魔術を以て魔術を破るのと同様に、魔術を以て『験』を防ぐことは可能なのが道理であろう。だが、これは圧倒的な力量差があってこそ可能になることで、霊性においてあらゆる魔術より上位に存在する、剣という呪物を操る兵法者の『験』に優るのは、それこそ並大抵の使い手のできることではない。一流の魔術師、魔法使いでなければ『験』は防げない。

 こちらもまた相性やらの概念的な方法から、圧倒的な魔力で防ぐ方法まで色々とあるし、それなりの細かい区分はあるが、まとめて〈術力法〉ミスティックと言われていた。

 面倒なことに、こちらは日本以外ではミスティックと言った場合は『験』を破る方法だけを指すことはなく、『魔法』も地球の魔術もまとめてそう呼ぶのが英語圏では一般的な使用法であった。当然、厳密な区分もあるはあるが、『魔法』と魔術を常に分けて呼ぶのは日本独自の用法だ。同じく漢字圏でも中国では『魔法』は『異天魔法』であり、地球の魔術には特に決まった呼び方はない。このあたりは試験によくでる。

 ……そんな煩雑な用語の事情はさておいて、現実に兵法者が絶対少数である以上、〈術力法〉の方が対兵法者に対抗するために使用されているのが現状だ。

 真紀は杯を口元に引き寄せながら考える。

「どっちだ……?」 

 霊妙の技アーツで『験』を破ったか、強力な『魔法』ミスティックで防いだか。

 どちらにせよ、それは真紀の霊力、あるいは技のどちらか、あるいはそのどちらにも優る相手がこの地球に存在していることを意味している。

 ゆゆしき事態であった。

(もしも私に優る使い手が地球に来ているとしたら……)

 呟く。

  

のか、それとも――」


 そこまで口にしてから、我知らず、唇が歪んだ。

 あるいは、今の状況こそが自分の望んでいたものなのではないか。

 そんな風に思ってしまった自分が嫌になった。

 そんな風に考えてしまった自分が惨めだった。

 まだそんなことを思っているのか。

 まだそんな考えを捨てきれないでいるのか。

 あまりにも浅ましい。

 違う。

(……考えるべきことは、そっちじゃない)

 仮にも自分は師範なのだ。人に教える立場なのだ。

 弟子のために身を粉にしなければいけない、そんな立場のはずではなかったか。

 甘い自己嫌悪に身を浸し、かつて見た夢への階を伺いながら酒を呑んでいていいはずがない。

「もしも、その相手が弟子たちを狙ってくることがあれば……」

 そう。

 考えるべきは、それだ。

 今の自分は本調子ではない。本調子ではないが、あるだけの力で弟子たちを守らなければならないのだ。

 狙いが自分なら、いい。

 自分ならばどうとでもできる。

 できなくとも、最悪死ぬだけだ。

 兵法者として生きると決めたときから、その覚悟はしている。

 師より兵書五巻を授かってより、そのように生きてきた。

 だが、弟子をとって育てるということについて考えたことはなかった。

 真紀はまだ若かった。本来ならば一線で戦っている年齢だった。

 道統は妹弟子たちが継いでくれるだろう。師もまだ若い。他に後継者などいくらでも育てられるはずだ。自分がいなくとも流派の存続にはなんの問題もない。

 そんなだから、『講武所』での師範の仕事がくるまでは、誰かに教えることなど意識すらしたことがなかった。

 ただただ戦うことだけを考えていた。

 ただただ強くなるもことだけを想っていた。

 まったくそれ以外の意思も欲望も微塵も抱いたこともなかった、とは、言わないけれど。

 こうして教える人間の立場になった時、真紀は今までにない感情を覚えた。

(私が、あの子たちを強くしないといけない)

 それが、師としての責任を持つということだと、真紀は心得ている。それは実感の伴ったものではなく、教科書に書いてあるようなことでしかないが、それだけに反論しようもなく正しく、そして強くなるまで守るということが師としての当然の役目なのだと、真紀は思いこんでいた。

 かつて自分がそうされてきたように。

 自分は、あの子たちを守らないとならない。

 それなのに。

 まだ考えてしまう。

 まだまだ強くなれると、考えてしまう。

(本当に、私、あの子たちを育てられるのかな……?)

 酔いに霞む頭で、ティナと明の顔を思い浮かべようとして、できなかった。

 代わりに、あの老騎士の顔を思い出した。


『真紀よ、兵法者、御法真紀よ。貴女には、貴女の弟子を、貴女の後継者を、貴女の未来を継ぐ者に介添人となっていただきたい』


(一体、いつのことになるか――)

 まだ、大分先になりそうだ。

 そういえば、自分の介添人の問題もあるが、あの老騎士も何か言っていた。言っていたはずだ。

「――――――」

 なんだろう。

 何か、思い出しそうな気がしてきたのであるが。

 思い出せない。

 思い出せないが。

「思い出せないことなら――」

 無理に思い出す必要も、ないだろう。

 むしろ、これ以上考えるのも煩わしくなってきた。

 真紀は酒をもういっぱいくいっと煽った。

 今日はもう、考えるのも嫌になった。



 そして。



(ああ、そうか)

 さすがに千鳥足になったりなどということもなく、しかし酔いに任せて帰宅していた途中。

 見かけた背中に、声をかけるでもなく近づいていた時。

 殺意とも呼べぬ微かな悪意とともに打ち出された裏拳。

 その瞬間に垣間見えたその娘の顔を見て。


『我は、主君の忘れ形見を立ち合いに招き、介添人としたい』


(この子は、あの国の――)

 御法真紀は、眼を閉じた。

 痛みが心地よかった。




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