Act.5 刃の夜。

01


 ここは、鹿嶋市のハズレにある再開発区。


〝大衝突〟によって崩壊し、今なお整備開発が進まないその区域には、噂では海外から流入してきた難民たちに混じり、《魔法世界》からの亡命者たちもかなり住み着いているとも言われている。それが事実であるのかは真紀も知らないし、大した興味もないのであるが、今、暗闇の中で彼女を囲む十数人の人影は、こんな場所には到底似つかわしくないように見えた。

 静かに目を閉じる。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」

 九字護身法。

 日本におけるもっとも基本的な呪法であり、戦勝祈願として武士が唱える呪文であった。

 あらゆる災難を退けると言われるそれを唱えただけで、一流の兵法者は身の内にある酒毒を中和することすら可能にする。当然、真紀がそうだった。

 頭の中身がクリアになっていくのを感じ、閉じた瞼を開ける。

「魔法騎士が――十六人」

 彼女はそう言うと、まっすぐに前へと歩みだす。

「この私相手に、たった、それだけ」

「《光の矢》」

 影の中の誰かが叫んだ。

 もしかしたら、誰かではなく全員だったのかもしれない。地球の魔術とは違う、『魔法』の詠唱だ。それだけで影たちの手から白い光の弾丸が飛び出し、真紀へと殺到する。それは一瞬のことでありながらも巨大な閃きとなって廃墟の暗闇を眩ゆく照らした。

 影たちの姿も照りだされたが、その姿は黒く塗られた鎧の騎士たちだった。地球のどの時代のものにも似ているようで違っている鎧に、微かに尖った耳、《魔法世界》の住人たちに間違いなかった。だが、彼らが最初に出した『魔法』以外の言葉は日本語だった。

「……怪物め」

 光の雨の如き『魔法』の弾丸の照射を一身に浴び、しかしまったくの無傷で彼女は立っている。御法真紀は立っている。平然と、彼らを見ている。

「…………美小夜さんが用心しなさいって言っていたけど、この程度か」

 そう、言った。

 先程のバーでの美小夜の醜態は、半ば演技だ。

 真紀がかつて憧れていた柳生の剣士は、悪酔いした振りをしながら飲みに連れて行った真意を告げた。それもトントンとカウンターバーを叩くという持って回った方法で。

 かつて仲間内で作った暗号だ。モールス信号を参考に作ったそれで伝えるだなんて、そんなことをするのならば初めから店に行く前に話しておけとも思ったものであるが、何かそれができない事情があったのだろうか。

 彼女の演技にはあまり期待ができないとでも思ったのかもしれない。

 とにかくそれで伝えられたことによると、闇討ちしているのはどうやら《魔法世界》の騎士の姿をしている連中で、それなりの腕前があるらしい。

 そして襲われた者たちは何軒かはしごしているので解りにくかったが、およそ七割がこの店に一度は立ち寄っているのだとか。泥酔してタクシーをここから呼べば、とりあえず高確率でその連中のところに連れて行ってくれるだろうから、適当に始末つけておいて――という話だった。

(いい加減な作戦だなあ)

 とは真紀も思った。

 しかし、それなりに高名らしい自分が泥酔していたら襲ってくる確率は高まるというのは確かに思えた。兵法者の多くはアルコールなどものともしないが、酔っている時は多少は反射神経が鈍るのは当然であったし、それに、やはり、《魔法世界》の人間に恨まれているという自覚もあった。

 そして、現実にこのざまだ。

 遠巻きにして近づいてこない襲撃者たちを前にして、彼女は静かに息を整えていたが。


「ずう」


 両手が中段に上がった。

 それが何かの合図であったかのように、騎士たちは動いた。六人が夜空に跳び、十人が地を駆けた。


「たぃん――――」


 撓はさらに上段に持ち上がり、するりと真紀は進んだ。

「おおッ!?」

 迷うことなく自分に向かってこられたことに驚いた騎士は、次の瞬間に額を打った衝撃に昏倒した。

 続いて倒された騎士は、真紀へと切り込んだ長剣を左の撓で弾かれるように逸らされ、右の撓に眉間を突かれた。

 その次の騎士も額を突かれてその場に崩れ落ちた。

 それはまるで、一人だけが別の曲で舞っているダンスのようだった。

 襲撃する騎士たちは土埃を上げる勢いで立ち回り、烈風の如き鋭さで踏み込んでくるのに対し、真紀は静かだった。静かで、緩やかで、柔らかだった。

 それでいてなお、騎士たちは次々と倒された。

 多対一での集団戦では、止まらずに動き続けることが肝要とされる。

 そして一人を相手するのも多数を相手にするのも、彼女にとっては同じだった。囲まれる前に進み、真正面にいる誰かを倒し、それを繰り返す。当たるを幸いに打ち続け、倒し続けた。

 騎士たちは、まるでそうと決められた振り付けの通りであるかのように地に伏していった。

 そうとなることが運命だったと言われても、見た者は信じたに違いない。


「《地の盾》よ!」


 誰かが叫んだ。今度は、五人。軽く一メートルはあろう分厚さの土壁が五枚、彼女を囲むように地面から噴き出した。噴き出したとしか言いようがない勢いだった。

 それらは一瞬で何十メートルの高さにまでなった。まるで土の塔だ。

 だが、それだけで『魔法』の使い手は止まらなかった。彼らは倒れた者を助け起こして下がり、起きている者は等間隔に立って円陣を組んだ。

 即座に詠唱開始。

 六人以上の騎士によるファースペル以上の『魔法』は、専門の魔法騎士でも容易ならざる難易度であったが、恐らくは何千回と繰り返された訓練の成果か。

 淀みなく行われたそれの行使は、本来は人間相手にされるものではなかっただろう大規模で、大威力だった。


『戦神メティスの名において』


『石塊と化せ』


『双剣の魔人を地に縛りつけよ』


『永久の闇の果てに封じ込めよ』


『魔法』が其々の口から詠じられた。それらは互いに干渉し、変質し、相乗していった。

『大魔法』にも比肩しかねないレベルにまで重ねられた呪文の多重詠唱。魔法騎士の集団戦闘における奥義の一つ――

 往古の時代、帝国の戦士が他民族の祀る神格を縛り、封印するために確立された『魔法』だ。

 こんなものを仕掛けられて無事でいられる者がいるとしたらそれは到底人間とは呼べず、だから、当然、崩壊した塔の中から顕れた、彼らが発動させた『魔法』を受けてなお立っている彼女は、人間ではなかった。


 兵法者――御法真紀。

 

天仰、円満、実相、逝去、不絶、兵法我が兵法は完全にして、永劫不滅なり


 左右の袋撓を下段に落とし、静かにそう口にしていた。

 騎士たちは知っていた。それが彼らの世界を蹂躙したこの大兵法者の『験』であると。

『魔法』をも凌駕し、時に『大魔法』をすら打ち破る地球の戦士の秘術であると。

 天仰円満実相逝去不絶兵法。

 彼女の流派の開祖を顕彰した碑文に刻み込まれた、開祖が死の際に遺したと伝承されている偈である。

『験』とは、平たく言えば兵法者の使う魔術だ。

 地球の魔術も《魔法世界》の『魔法』も、自身の霊性を高めて奇跡を起こす技法であるということは一致している。

 そのために助力を仰ぐのは高次の存在である精霊や神霊であるが、兵法者はそれを流祖である兵法者、あるいは流祖に感応を与えた神仏としているところに特徴がある。

 そのような過去の英雄を神と崇めて『魔法』を構築するのは《魔法世界》でもよくあることであるし、魔法騎士や辺境の部族にはそのように戦う者は珍しくない。

 そして魔術が神話のエピソードを現世に再現するものであるのと同様に、兵法者は開祖流祖を始めとする先人たちの遺した伝書、逸話などの物語を再現する。

 ――とはいえ。

 天仰円満実相逝去不絶兵法……それは自身の兵法が完全であり不滅であるということの確信を謳ったものであるが、本来はその兵法を受け継ぐ者の不滅まで約束したものではあるまい。 

 彼女ならではの、御法真紀ならではの『験』だ。

「撤退」

 襲撃者たちは、その一言で即座に影となり、散開していった。あらかじめ失敗していたときの訓練もしていたのだろう。

『魔法』によっての移動術は見事の一言に尽きる。

 十数人の騎士達は、一瞬にして姿を消したようにすら見えた。

 今まで兵法者襲撃犯が一人として捕まっていないのも、この『魔法』によると言っても過言ではあるまい。

 だが。

 それを黙って見逃すようでは、彼女は大兵法者などと呼ばれない。御法真紀の名が恐怖に彩られるはずもない。


まこと武劔ぶけん精選せいせんなり」


 真紀は左手の撓を掲げた。


「――あるい眞劔しんけんを飛ばし、あるい木戟ぼくげきを投じ、にぐる者走る者、逃避するあたはず」


 そして。

 思い切りのオーバースローで投擲する。

 手から離れた途端に袋撓は白い光の線となった。それが四方八方に鋭角に曲がって何かに当たり、またそれは刹那の間をおかずに別の誰かにあたった。それは影となった魔法騎士たちだ。


「其のいきおいあたか強弩ごうどするが如く、百發百中ひゃっぱつひゃくちゅう養由ようゆうれにゆる無きなり」


 投げっぱなしの姿勢のまま、真紀は開祖を顕彰した碑文を朗々と口にする。

 二刀流の剣士は投剣を能くする――それは古い時代の剣士には常識であり、特に二刀をもって世にしれた彼女の流儀の開祖たる大剣豪のそれは凄まじいものであった。

 それを讃えた碑文の内容を『験』によって現世に再現したこの技は、かつて誰も逃したことはなく――

「――――ッ!?」

 投げた姿勢のまま、そのままの態勢で御法真紀は大きく目を見開いた。



「…………これが、二割まで減らされた霊力によるものか」

 袋撓を掴んだ腕は、全身の魔力が籠められたせいか白く燐光を発している。周囲にいる者たちは驚嘆の眼差しでその様子を見ていた

 一人が思い切って声を掛けるが。

「団長、」

「心配はいらぬ」

 そう言った彼は、撓を持つ手を一度大きく振り上げ、地面へと振り下ろした。

 撓の突き刺さったコンクリートは、そこを中心とした五メートルほどの擂り鉢状の窪みを作り出す。

「…………ッ」

「まったく、御法真紀恐るべし、だな」

「私どもには、団長もまた」

「おだてるでない。――全員を回収せよ。すぐに追手がかかってくるぞ」

「は――――」

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