03

(な、何……?)

 かつてない、気迫を感じる。こんな鬼気にも似た、恐るべき集中を、覚悟を、真紀は美小夜から感じたことがなかった。

「これは、あなたが知らなかったらそれでいいんだけど……」

「は、はい」

 さすがに居住まいを正す真紀。

 声音からしても解る。今から聞かれることは、よほどの重要なことなのだろう。

 だから。

「――狭川流せまかわりゅうの、内田くんの行方は、知らない?」

 そう聞かれた時、拍子抜けした。

「狭川……古陰流こかげりゅうの、内田、九郎――ですか?」

「そう」

 勿論、知っている。

 というか、なんでこの人が知らないんだろう?

 ちなみに狭川流と古陰流は同じ流派のことである。この流派の開祖の頃は狭川派新陰流せまかわはしんかげりゅう、あるいは狭川流と呼ばれていたが、やがて古陰流を自ら称し、その何代か後に小夫流おぶりゅうと改め、内田九郎の代で古陰流とまた改めたという経緯がある。

 当人が言うには、当流は《魔法世界》の接触以降に密教呪術の導入などして改変著しく、自身が旅立つに際して真義を求め温故知新して古義に復し、流名を古称に改めた云々。

『……なんてカッコつけているけど、本当は小夫流がかっこ悪いから、とか言っていたわよ』

 などと美小夜は言っていたものである。伝統を重んじる彼女は、だから古陰とも呼ばず、かといって小夫流とも言わず、通称で呼ぶのだとかなんとか。

 真紀は首を傾げながら、答えた。

「あいつなら、水の国の商人の娘孕ませて、責任とって婿入りしました」

「は――――――――――――――――ッ!?」

 かつて聞いたことがないような甲高い声をあげた美小夜に、思わずのけぞってしまう真紀。

 バーテンダーは微かに瞼を痙攣させたが、それだけだ。

「孕ませたって、その、何よ!」

「いや、孕ませたという言葉にそれ以上の意味は…………」

 この人は何をこんなに怒っているのだろうか。

 真紀はいままでの人生でもそうそうないほどに動揺し、それでも言葉を続けた。

「内田は、水の国に滞在した時に何人かの大騎士と勝負して、それで名を上げて後援してくれる商人がついて――」

 それで、その商人の娘といい仲になった、と。割とありがちな話である。そして婿入り。今は水の国で商人の仕事を覚えながら、狭川流の普及に努めている。未知の土地に伝来の兵法の普及をするというのは、これも一つの兵法者の本懐である……と真紀は内田九郎のその顛末を聞いて、いたく感心したものであった。

「……誰に聞いたの?」

「え――その――」

 同期の兵法者の世話役であった、松平雪菜まつだいらゆきなさん――自身も無刀流むとうりゅうの達人でもあり、彼女たちの渡航その他に尽力していただいた人物の名前を挙げた真紀であるが、その名を聞いた美小夜はこめかみを痙攣させて黙り込んだ。

(どうして聞いてないんだろ……?)

 それが解らない。

 美小夜さんは、知っていてしかるべき立場であったというのに。

 松平雪菜は旧帝都で主に拠点を置き、そこから各地に散った兵法者たちの支援をしていた。当然、旧帝都中心に活動していた神奈月美小夜はそのサポートを務めることも多かったはずである。

 だが、その疑問はほどなく氷解する。

「あの野郎……人に待っていてくれとか言っといて、よその娘とできているだなんて……」

(ああ、そういうこと)

 美小夜が言う「あの野郎」が誰なのかについては、すぐに察せた。

 松平さんが美小夜さんに黙っていたのも、納得の理由だ。あの人は、知っていたのだろう。

 だが、いつの間に付き合うなどしていたのだろうか。

 男女の機微にはさほど詳しい方ではないが、それでも同期の修行者のことならば、そこそこ察せられると思っていたのであるが。

 真紀は美小夜の胸を見た。

(――にしても、このおっぱいに最初に触ったのが、あの内田だったか……)

 なんともったいないことを、と正直に真紀は思った。 

 いやまあ、あの頃の美小夜さんは、もっと貧相だったけれど。

 美小夜は自分の胸を両手で抱え込むように隠す。

「……何考えているか解るわよ」

「本当?」

「ふんっ」

 ぷいと顔をそらして、また新たに酒を頼み、仰ぐように飲み干した。

 ヤケになっているのは、誰の目にも明白だった。

 真紀はしかし何もいわず、ちびちびとこちらはグラスを舐める程度に留める。多少の酒などすぐに飛ばせるが、それでもあまり深酒はしないに越したことはない。

 やがて。

 顔を真赤にした美小夜が、トントンとカウンターを指で叩きながら、真紀に絡みだした。

 最初は適当にあしらっていた真紀であるが、トントンと動き続ける指に視線を落とし、「ふーん」と呟いた。

 トントントン。

 トントントントン。

 美小夜の指はリズミカルだった。

 じっと聞き耳をたてるようにして黙り込んでいたが。

(そういうこと……)

 何かに得心したように溜め息を吐くと、真紀は美小夜の手を抑えた。

「――解りましたから」

「なにが、よ」

「もう帰りましょうよ。そろそろ帰らないと、明日の勤務に差し支えます」

 本心からの言葉に、美小夜は「やーだ」と答える。

「真紀も何か話しなさいよ。何かあるでしょ――その、色っぽい話の一つや二つ!」

 ダメだこの酔っぱらい。

「色っぽいといわれても……」

「やっぱり、異郷で一人だと人肌恋しくなるものでしょ? わたしだってそうだったんだし」

「まあ――――」

 特にそういうことはなかったが、それを正直にいっても信じてくれないだろうなあと真紀は思った。それに、色っぽい話というか、色恋みたいな話はないでもない。いや、あれは違うか。

「ねえ、いたんでしょ? あなたにも彼氏の一人や二人」

「そういうのは、いませんでした」

「嘘おっしゃい!」

「結婚は、しましたけど」

「――――え」

 美小夜は、この世の終わりを告げられた預言者のような顔をした。

「なんです、その顔」

「いやだって、貴女が結婚、だなんて」

「まあ、私も、自分で言って信じられませんけど……」

 美小夜は「結婚、結婚ねえ」と何度も口にしてから恐る恐る。

「貴女、一度渡ってから、ずっと向こうでいたのでしょ?」

「ええ」

「ということは、結婚も、向こうでしたってことよね?」

「当然」

「ということは、親に決められた婚約者だとか、そういうことでもなくて」

「当然」

「…………どんな旦那様だったのか、まるで想像もつかないわ」

「――旦那は、いないです」

 御法真紀は、言った。


「妻――でした。相手は女の子でしたから」


「はぁ―――――――――――――――――――?」

「そんな、驚くことでもないでしょ」

 同性婚なんて、今の地球ではそんなに珍しいものではない。《魔法世界》でも、実はかなり昔に認められていて、そういう意味では《魔法世界》は進んでいた。

 もっとも、制度としてあるのと実際にそんなに頻繁にあるかというのは別の話で、時代や国によっては禁止されたり解禁されたりが繰り返されたりもしている。とはいえ、同性での婚姻についての規定は、今の《魔法世界》の法律の根幹になる旧帝国法(第一帝国法)の時代から定められ、現存する国、部族のほとんどでそれは踏襲されているというのも事実だった。

 神奈月美小夜はしみじみ言う。

「……貴女がそっちだったというのは、初めて知ったけど」

「私も、別に……なんか結婚もなりゆきだったし」

「なりゆきで結婚したの!?」

「他にどう言っていいか……」

 なんとなく参加した、とある部族のオープントーナメント形式の大会が、部族の長の娘の結婚相手を決めるものであった。

「なんでそんな大会に参加したのよ!」

「いや、本気で結婚相手を探しているなんて思ってなくて……」

「貴女ねえ……」

「参加選手に、結構女の子混じっていたし……そういう名目のお祭りみたいなものだろうって」

「貴女さっき、驚くほどのことでもないって、」

「法律上認められているのは知っていたし、たまにあるのも知っていたけど、そう頻繁にあるものでもないって聞いてもいたし、そもそも、結婚相手を戦って決めるというのが……」

「まあ――確かにそれはあるわよね……」

「ちょっと《魔法世界》に慣れた頃だったから、油断してたというのもあると思う」

 後々で調べたところによると、《魔法世界》でもそんなふうに結婚相手を探しているというのはやはり少数派ではあったらしい。

 あと、その相手が同性だろうと構わないとしているところはさらに少数で、片手で数えられる程度。

 そして、そういう大会が行われるのもそうそう滅多にない。

 そこにたまたま自分が参加することになったのは、やはり、何かの運命だったのかもしれないと、真紀は思う。

「それでその、貴女が優勝して……その、奥さんってどういう人?」

 酔っているためか、好奇心を抑えきれない美小夜がずいと踏み込んできた。

 真紀は少し逡巡していたが。

「胸は、あまりおっきくなかったかな……」

「胸はどうでもいいでしょ。というか、私の胸を見るのやめてよ」

「つい」

「言っておくけど、貴女の方がおっきいからね!」

「かな? ――――背丈も、私より頭一つくらい、小さかったかな」

「あら、小柄」

「あれから五年たつし、成長期だったし、今はもしかしたら、もっと背が伸びているかも……」

「へえ、成長期。――て、ちょっと、それって……、」

「ああ、最後に会ったのは三年前か。その時には、もう伸び切っていたのかな。あの時は大変だったし、よく覚えていないけど……」

「仮にも、自分の奥さんのことでしょうに……いえ、ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」

「…………何?」


「その、貴女の奥さん、結婚した時は幾つだったの?」


 真剣に、聞かれた。

 真紀は目を閉じて、額を人差し指でとんとんと軽く叩く。

「確か――十三?」

「中学生!?」

「あ、むこうは数えだった」

「それアウトでしょ!」

「アウト?」

「数え十三ってことは、こちらでいうところの十二歳! 貴女、小学生と結婚したって言っているのよ!」

 普通に考えて、完全にアウトだ。

 幾ら《魔法世界》がこちらと法律が違うにしても、やっていいこと悪いことというものがある。

 というか――

「いえ、《魔法世界》でも結婚年齢は十六歳以上のはず……」

「辺境の部族だったからかな? まあ、同性でも結婚するというところに気を取られてて、そういえば歳のことまではそんなに気にならなかった」

「しなさいよ! それは!」

「うーん……」 

 腕を組んで、今更ながら考え込む真紀。その様子を見ていた美小夜は、はっと、何か恐ろしい結論に至ったかのように慄く。

「まさか貴女、小学生の子供相手に……」

「…………美小夜さん、酔ってるでしょ」

「一気に醒めたわよ! ――いえ、言わなくていいわ。もしも、小学生相手にだなんて話聞いたら……」

「あの、私も当時は16歳だから、4つしか違わなくて……」

「高校生と小学生でも、十分犯罪よ!?」

「その部族の法律では合法だったし」

「やっぱり貴女――」

「ああ、もう!」

 …………女二人で、そんな益体もないことを言い合って夜は更けていった。



   ◆ ◆ ◆



「じゃあ、これ護身用にっ」

 別れ際に、朱塗りの袋撓ふくろしないを二振り渡された。

 割った竹に革袋を被せた袋撓は、開祖・上泉武蔵守信綱かみいずみむさしのかみのぶつなの時代から柳生流に受け継がれた道具で、他の新陰流系の流派のみならず、多くの流派に広まった。特に柳生流では朱色に塗ったものを採用し、現在に至るまで稽古にそれを使用している。

「懐かしいね」

 と受け取った真紀は、渡航したばかりのことを思い出しているのだろう。

 美小夜はこの袋撓を使って皆の「指導」をしていたものだ。

 相手に怪我をさせずに稽古をするのがその眼目であるが、達人が打てば強力な威力がでる。

 神奈月美小夜は、七年前のあの頃からすでに天才の名をほしいままにしていた。

「あなたの流儀では使わないはずだけど、我慢してね」

「ありがとう、美小夜さん、大切にするから」

「使い潰しなさいよ。所詮は道具なんだし」

 真紀はそれには答えず、二振りの撓を抱え込むようにしてタクシーに乗り込む。

「また明日――」

 そしてタクシーが繁華街の光と夜の闇に消えた頃、美小夜の顔から朱が抜けた。

「さて。解りやすく撒いた餌だけど、引っかかってくれるかしら?」

 彼女の周りに、いつの間にか十数の人影が立っていた。



「また明日、か」

 流れていく景色を眺めながら、真紀はぼんやりと呟く。

 また会える、いつか会える、そういう誰かとの何気ない一日の繰り返し。平和で平凡な毎日とは、きっとこういうのを言うのだろうと思う。

(あの子との毎日も、楽しかった)

 結婚は、なりゆきだった。

 トーナメント決勝の後に結婚相手からの不服の申し立てがあって、最後の相手がその当人であるというのは予測の範囲内のことではあったが、真紀をしてそれまでの戦歴の中でも随一の苦戦を強いられたのは想定外だった。

 結局、なんだかんだと婚姻を了承してしまったのは、真紀自身が花嫁の少女に惹かれていたからだろうと思う。それが戦いの最中に芽生えた敬意のようなものなのか、恋愛的な意味であったのかは、今となっては解らない。あの時は戦いの後の高揚感と虚脱感、そして訳がわからない成分の入った酒を大量に飲まされて、気づいたら後戻りできないところにまで至ってしまっていたのだ。

(それからは、おままごとみたいだった) 

 昼間は鍛錬と狩り、夜は話をしながら一緒の寝床に入って……そんな日々が続いた。平和で退屈だった。まったく刺激がなかったとは言わないけれど。

 そんな「夫婦生活」も、だけど三ヶ月くらいで終わらせたのは真紀の事情だ。

《魔法世界》に来てから天神に誓った、兵法者としての請願――《魔法世界》の遍く強敵と力比べするという、今から考えると正気を疑うに充分なものであったが、さらに驚くべきことに、花嫁がそれに賛成し、部族の主だった者たちも反対しなかった。

 なるほど、戦いで花嫁を決めるような部族だけあって、戦いにかける真紀の情熱も理解してくれたらしい。あと、請願したというのも何やら効いたようで、「神に誓ったのならば仕方ない」と一様の反応を示された。全てが終わった後で、部族の花嫁の元に帰るというのも誓わされてしまったが。 

 その約束は、果たされることはなかった。

「三年前、か……」

 美小夜さんは、気づいていたのだろうか。気づいてなかったかも知れないし、気づいて黙っていたのかもしれない。

 どっちもありそうだし、どっちでもよかった。

 今、あの子のことを考えるのは辛い。辛くて、悲しくて、だけどそれは、到底忘れることができない記憶だった。捨て去ることのできない過去だった。切り離すことのできない命だった。

「もしも、もう一度会うことができたのならば」

 そう呟いた時、タクシーが停止した。

(ああ、もう着いたんだ)

 思ったより近い場所だな、と思った。

 ドアを開けて降りた時、そこが『講武所』ではないということにも、真紀は全く驚きもしなかった。

 彼女は知っていたのだ。

 料金も受け取らずに走り去っていくタクシーをぼんやりと見送りながら、首を左右に傾けて凝りをほぐすようにして、両手に袋撓をぶら下げた。

「さて――――」

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