Act.2 真紀の実力。
01
『講武所』とは元々幕末にあった、時の体制が作り上げたという剣術道場のことである。
当世の名人、達人を師範として招聘し、多くの武士たちを育て上げた。もっとも、その時代における剣術の役割というのは、あくまでも鍛錬の一環でしかなかったのであるが。
21世紀の、衝突以降においての剣術は、その頃とは全く意味が違っている。あるいは、同じでありながらもその規模が違っているというべきであろうか。
かつてと違うのは、今の剣術とは、ある種の超常の技術の一つである――と言うことだ。
そもそも、武術と魔術の境目は古代にまで遡るとほとんどない。
中世においてさえ、呪術が現実の闘争に影響を与えると信じる者はいた。飛び道具は魔術の一種であり、近世にあってもそれは多くの流派に残り、その系譜は現在もなお受け継がれている。ただし近代に入って以降、二十一世紀に至るまでは伝えている者たちですらも、かつての迷信の名残としか考えていなかった者が大半であったろう。
それが〝大衝突〟があって、魔術と呪術が現実に存在することになって以降、武術もまた神秘の技が現実のものとなり、全てが変わった。
心気の充溢した太刀筋は魔術を破ることを可能とし、伝承されてきた呪言は護身法として魔術的な機能を発揮したのだ。
古流剣術を継承する者は、対魔術に最も優れた戦闘者といえる存在になった。
彼らは兵法者と呼ばれ、日本において、《魔法世界》においてさえも凄まじい戦績を残してきた。政府が彼らを育成する機関を新たに作るのも当然の展開であったろう。
しかし、この兵法――武術というものは、これは軍隊としての単位で指導できるような性格のものではない。
勿論、そのような近代格闘技はあるのだが、そのような武術は魔術と別に組み合わさなくては現在においては意味がないし、価値がないとも言える。
そのような事情から作られた『講武所』は、かつてのそれともまた違った、剣術、武術、呪術を学べる総合機関として――どのような兵法者になるのかは自分で選択ができる、かなり個人の倫理観や事情に即した、ある種の大学のような存在となっていた。
生徒は各種の講義を受けて単位を習得し、卒論……そして兵法者として一人前の者として足るかの実技試験を受け、卒業できる、というシステムとなっている。
そして大学の個人ゼミに近いのが直弟子というシステムである。
これは師範として招かれた兵法者が希望者、あるいはあぶれた者をとにかく直接指導するというもので、別に流派を受け継がせるということをしなくてもいいのだが、とにかく実技指導をしたり、身近にいさせることで、兵法者という常軌を逸した存在がどのようなものなのかを肌で感じさせるという目的がある。
生徒としても、この直弟子になるというのはある種の運命の分かれ目なところがあり、希望の流派を受けたくとも人気がありすぎて入れなかったり、流派は希望通りでも師範がろくでもなしだったりすると、その後の兵法者人生を大きく左右される。勿論、師としても自分好みではない弟子をとりたくもないのが人情であるのだが、例えばこの時期に及んでも誰の直弟子にもなってなかった生徒が二人いて、新任の師範が自分で設けた枠が二人だった場合、ほぼ自動的に、もしくは事務的にそこに組み込まれることになる。
正確には、弟子になってない生徒は他にもう少しいないでもなかったのであるが、同室の二人であるということが決め手となった。
とにかく仲良くやれている二人なら、一緒に直弟子にもなれるだろう、という大雑把な判断である。
そして今、新任の師範と、二人の直弟子は顔を合わせていた。
(気まずい)
御法真紀がそう思うのも無理からぬことで、ほぼ考えられる限りで最悪の初対面をした三人である。
シャツにズボンにブーツという二人の直弟子を眺めていて、やがて諦めたように真紀は首を振り、改めてクリップボードに載っている二人の履歴書を見る。まずは包容してあげた《魔法世界》の子だ。
「ティナ・E・R」
「はい」
ぶすったれた顔で、それでもはっきりと答える。しかしその後で「ティナで結構です」と付け加えた。
真紀は鷹揚に頷き、続けてデコピン食らわせた方の子を呼ぶ。
「神護寺明」
「はい!」
元気よく、叫んだ。肚から出た、気合のこもったいい声だと思った。履歴書を見ると流派の欄には「抜刀術」とだけあった。なんだこれ。普通は、何かしらの今まで学んだ流派名の一つ二つが並んでいるはずなのだが。
ティナの方を見ると「アーニス」「ファウスト流魔術」「サファーデ」と並んでいる。なんのために日本の『講武所』に来ているのだ、この子は。
それにE・R?
ツッコミどころがありすぎる……。
(あと何、『魔法』がない……のは、隠しているのかな)
多分、隠している……のだと思うが、それを聞くのは憚られた。誰だって隠したいことはあるし、兵法者としても世間にだしていない隠し技の一つや二つくらい持っていて当然だろうとも思う。彼女の流派の信条は「兵法に表裏なし」であるけれど、よそのそれを開祖ほど厳しく批判する気持ちもなかった。
よそはよそ、うちはうち、だ。
(それに、《魔法世界》の住人に対する偏見もあるしね)
特に『魔法』は多くの兵法者、軍隊を悩ませた。地球の魔術とはまったく違う体系の超常の技術体系。それは恐怖の対象に他ならなかった。
もっとも、真紀からすれば地球の魔術と大差はない。あくまでも遣い手の熟練の問題なのだろうと思っている。何せ生まれてから『魔法』を使うのが当たり前の連中なのだから、それは技倆に差が出るというのが当然だ。
ただし『大魔法』は別だ。
上級貴族、王族、……一部の選ばれた者のみに継承されてきた『魔法』の系譜。魔力の大小に関係なく、それは使える者が限られていた。その『大魔法』は、別だ。文字通りに天変地異を起こすことさえ可能にしていた。
彼らはほとんど神の如き存在だった。
地球の魔術師で彼らに比肩する者たちなど、まだ五十年はでないのではないかと思う。それゆえに、そんな『大魔法』に生身で対抗できた兵法者に注目が集まったわけであるが。
(まあ、隠しておきたいのならそっとしておくとして……)
こほん、とわざとらしい咳払いをして、真紀は自己紹介した。
「私があなたたちの師としてこれから指導する御法真紀です。私もまだ若く未熟の身で、弟子をとるのも初めてですが、できうる限りの力をかけてあなた達を一人前の兵法者として育て上げることができれば、」
「師範」
とティナ。
新任の挨拶をしている師範の口上を遮るという、およそ考え得る限りでこの『講武所』でやってはいけないことをさらっとやってのけた《魔法世界》の少女は、表情を改めてまっすぐな眼差しをしていた。まっすぐに、真紀の目を睨みつけてきていた。
(この子……?)
「私たち、師範の不足ということからずっと誰との直弟子にもなっていませんでしたが」
その話は聞いている。
「ティナ……?」
明は不安そうに同室の相棒を見る。まさかこんなところで、という驚きがあった。
「入所してすでに半年、今更、それで納得できるかと言えるかというと、そういうわけにはいきません」
「――と、言うと?」
「私たちの半年分を埋め合わせる実力があるか、私たちはそれを知りたいんです」
なるほど。
言い分はもっともだった。
兵法者たらんと『講武所』に入ったというのに、師範の不足からカリキュラムは大半が独習するものしかできなかった。一応はそれなりのフォローがあったのだろうが、直接指導の師範がいるのといないのでは、やはりどうしても遅れはでるだろう。それを今更、新任の弟子などとるのも初めてだなんて若い小娘をあてがわれても納得はできない。ちゃんと、それ相応の人間でなければいけない、だから――それを示せ。
真紀は少し考える。
(これってやっぱり、私が喧嘩売られているってことかな……?)
そんなことは考えなくても解ることだが、御法真紀はたいそうな世間知らずだった。自分でもそれを昨日今日で自覚しているところだった。どうにも十五まで修行三昧、それから魔法世界まで渡って数年うろつき、流れのままに軍隊に現地徴用で入り、遊撃部隊という名の何でも屋で数年魔法世界のあちらこちらを引っ張りまわされてきた。そして三年間の蟄居閉門。文字通り、三年間、屋敷を彼女は一歩も出ないで生活していたのである。
こんな経歴で、世間のことを知っている方がどうかしている。ネットさえもろくにしていないというありさまだ。
まあそんな彼女でも、とりあえず考えればティナが喧嘩を売ってきている、というのは解る。普通は考えなくても解る。
(どうしよう……?)
兵法者に腕前を見せろ、というのはほぼイコールで戦う、試合をするということで、そういうことが今まで経験があったかなかったかいえば、ある。《魔法世界》の戦士に、あるいは向こうで出会った兵法者に、あるいは何処かの武術家に。多くの遣い手に力を示すことを彼女は求められた。
その大半は意外とただの技術交換会みたいな感じで終わったものであるが、ティナの雰囲気からしてもそうではないのは解る。やはり、昨日のアレはまずかったのだろうか、と思う。
(どうしよう……どうしよう……試合となったら、どういう風にこの子たちに勝てばいいんだろう……)
そう。
試合に勝つ、ということに関してはさして問題はない。
まがりなりにもかつては大兵法者と謳われ、《魔法世界》でも屈指の猛者たちと戦い、戦い続け、その尽くを打ち倒してきた彼女だ。御法真紀だ。
この三年間ろくに稽古もしてなくて、霊力を五分の一に制限され、一部の能力を封印されていたとしても、未熟な兵法者のタマゴの一人や二人……五人くらい束にかかってきたってどうにでもできる。それは自信ではなくただの事実で、過信などではない。
(この子たちに勝つのは、そんなに難しくない)
しかしだ。しかし、問題はどう勝つかである。
やはり師匠なのである。師範なのである。人に教える身なのである。
とにかく力任せに打ち据えればいいというわけではないだろうと思う。
(私の先生はどうしていたんだっけ)
穏やかで優しい先生だった。試合で弟子を打ち負かすなんてことはしなかった。ただただ丁寧に合理的に、段階的に、弟子を育てていた。あの人の方が、よっぽど兵法者として凄いと思う。残念ながら、霊力量の問題から『顕』が果たせなかったので、純粋な戦闘力たけでいえばそんなに高くはなかった。それでも真紀にとっては師と慕う数少ない人物に変わりはない。
(そもそも、先生に試合とか挑まなかったのよね)
自分のことを言えばそうで、兄弟弟子たちも、その人格、風格に惚れ込んでいた。
(荒事に巻き込まれるのは武徳がない証拠って言われてたしなあ)
とするのならば、今の自分はまさにそれがない証明であるに違いない。
御法真紀は溜め息を吐いた。
「解りました」
と言った。
「試合、しましょうか」
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