02

「ここなら、少々の魔術戦闘なら傷一つつかないそうです」

「知っています」

 第十二格技室についてから、ティナは真紀にそう答え、すぐさま明を引っ張って壁際につれていった。何かの打ち合わせをするつもりらしい。

 格技室というのは『講武所』にはその性格上かなりの数がある施設で、それぞれが目的に合わせて調整がしてある戦闘訓練用の小体育館……のようなものである。真紀が申請して使用許可が得られた第十二格技室はだいたい坪数にして四百ほどで、観客席はないが、ほどほどに人が入ってこられるし、壁や床には視覚できないレベルで魔術の文字や種字やら仕込んであった。

 学生レベルの使う魔術ではどうにかなるようなものではない。

(さて……どうくるのかな)

 ティナはアーニスとサファーデの組み合わせという接近戦タイプで、二本のオリシを携えている。明は三尺七寸という長尺の太刀の抜刀術……抜刀には別にこだわってないかもしれないが、あの大太刀を自由に振ってくるのなら――

(ちょっと想像がつかない組み合わせだね)

 他流派、異種武術の遣い手の組み合わせのコンビ、トリオとの対決も何度も経験はあるが、果たしてそれが役に立つかどうか。

(抜刀術はともかく、アーニスの棒術……双短棍術ダブレ・バストンに魔術……どんな感じにくるのかなあ)

 少し、ワクワクしてきた。

 若い子たちがどんな工夫をしてくるのか。

(準備運動くらいしとこうかな)

 というわけでおいっちにーさんしーとラジオ体操っぽいのを始める真紀であるが、遠目からティナに睨まれた。

 何かふざけているとでも思われたのかもしれない。

(……やっぱりあの子、私にはあたりが強いな)

 昨日の初対面のあれのせいかと思っていたが、それ以外にも何かあるのかしれない。

 とはいえ、心当たりは特に思いつかなかった。あまりにも多すぎる。《魔法世界》にも、地球の兵法者にだって、真紀を恨む人間はいくらでもいるだろう。そんな誰か当人ならまだしも、身内とか弟子とかになるとまったく把握ができない。

(そんな子の師匠になって、私は何ができる?)

 この期に及んで、まだ方針が決まってなかった。

 一通り体を動かした真紀に、「もういいですか」とティナは声をかけてくる。

「あ、はいはい」

「じゃあ、仕掛けます」

「――――え、」

 静止を呼びかける暇は、正直あった。あったのだが、その時にできた意識の空白は、それをするのが許されなかった。

 ティナは棒を顔の前に十字に組み、「ウインディーネよ、歌え」と言ったのだ。

 ファウスト流の四大精霊を使役する魔術だ。

 言葉と共に周囲の大気が不自然に流動し、ティナの体に纏わりつくように風が吹き出したのが解った。シャツとダボ付いたズボンがばさばさと風になびいている。

「あ――――」

 真紀が間抜けた声を出すと同時に、ティナは駆け出した。それはありえない速度でのものだ。追い風を受けてなんてものではなく、風そのものが意志を持ってティナの体を運んでいるようだった。縦横無尽に格技室の床を、壁を蹴り、真紀を翻弄するかのように周囲を駆けていく。

(こんな使い方があったか)

 ファウスト流は魔術のなかでも割りとポピュラーな部類で、真紀も幾度となく対峙したことがある。だが、ティナの使い方は初めて見た。それとも、これがこの三年のブランクの間に確立されたスタイルなのだろうか。

 風の精霊を制御する方法は難しいと聞いていたが、ティナは見事に使いこなしている。

 真紀はそれでも目で追えていた。

 当然だった。

 彼女が戦ってきたのは《魔法世界》の戦士たちであり、この手の移動術はありふれてはいないが、まったくないでもなかった。

 ちらりと壁際の明を見る。

 刀の柄に手をやった抜刀の姿勢でこちらを見ている。

(ふーん。迂闊に動けば仕掛けるって牽制しているんだ)

 距離はざっと十五メートルはあるが、何かそれを埋め合わせる運足なり歩法を持っているのだろう。

 あるいは、『験』か――もしかしたら、『顕』までも使えるのかもしれない。

(いや、それはないか。さすがにないか……あの歳で『験』はできても、『顕』はない)

『験』とは兵法者の使う技が神通力とも言える段階に達していることをさす言葉であり、そこに至れば魔術師も兵法者も変わりがない。

 現代における一人前、そして一流の兵法者であるということは、少なくとも『験』に達しているということを意味している。

 そんな段階の者が、『講武所』で学生なんかしているはずもない。

 ――とはいえ。

 真紀は自分のいる位置が、完全に明の間合いの内であることを察している。

(『験』でないにしても、それに近い『剣』があるのなら厄介だな。どう受けたものか――)

 と考えていて、はたと気づいた。

 両手を見る。

(しまった。武器を用意してなかった)

『講武所』の師範ともなれば何かの武器を携帯していて当然である。何せ学生だって武器を持ち歩いている。だけども御法真紀の場合は例外のようなもので、先日に『抜刀許可』だなんだのと制限をつけられたばかりだ。

 なんとなくここにくれば、備え付けの竹刀くらいあるだろうとか思っていたのであるが。

 唐突に試合を始められ、手にする余裕がなかった。

 壁際を見ると、確かに木刀や槍、竹刀などがある。

(今からあれをつかみ取りに行くのも、みっともないかなあ)

 どうしたものか。

 

(完全にこちらを放置している……?)

 ティナは真紀の周囲を駆け巡りながら、注意深く観察していた。

 最初はこちらの動きを見ていた真紀が、明の方を見てから何かに気づいたようにうろうろしだした。こちらに対する注意はもはやほとんどない。

 見た感じをそのまま言うのなら、何か大事なことを忘れてて戸惑っている――ような、そんな感じだ。さすがにその印象をそのままで受け入れるほどティナはバカではない。駆けながら考える。考えながら走り抜ける。

(何かしら? 何か考えがあるのかしら? それとも――)

 舐められているとか?

 ギリっと奥歯を噛み締めた。ありえない話ではないし、ありえる話だとも思う。

 何せ相手は御法真紀。一人で一軍にも優ると言われた大兵法者だ。今は何か能力制限がかけられているようではあるが、それでも自分らを相手にするのは余裕だろう。

 今の自分だって、勝てると思っているわけではない。あわよくば、もしもチャンスがあれば、一泡吹かせられるかも、くらいのつもりではある。そして今のこいつと自分の実力の差を知るためもあった。すぐに勝てる相手ではないのは解っていた。

(それでも!)

 舐められるのは嫌だ。

 向こうがどんなつもりかは知ったことではないが、こちらは全力で行かせてもらう!

 とん、と床を蹴った。

 軽く蹴ったのに、それだけで十メートル近く跳躍できた。風の精霊の助力あってこそだ。

 ティナは二本の棒を頭上で十字に重ねた。

「サラマンダラよ、踊れ」

 炎が。

 湧いた。

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