Act.6 夜の続き。 

01

「――ほう?」

 報告を受けて、『講武所』の所長である萩観心はぎかんしんは少し驚いた様子だった。

 当世では霊力の問題もあって兵法者はかなりの割合で女性が多いが、萩は五十代の男だった。オールバックにまとめた髪には白髪が混じり始めているが、汗の珠の浮かんだ首筋から胸の肉の張りは瑞々しい。

 素振り鍛錬中であった。

 所長室隣にある、二十畳ほどの稽古場で素振りをしながら聞いていたのだが、やがて動きを止め、手拭いで身体の汗を拭き取ると、おもむろにその場にて木刀を床に置き、正座した。

「取り逃がしたというのか。あの、御法真紀でも」

「今回は総勢で十六人いたそうです」

 報告した神奈月美小夜は最初から正座していたが、そう言ってから「あるいは、まだいたかもしれません」と付け加えた。脳裏には撓の突き刺さったコンクリの床があった。

 あの投剣の『験』を破る者が襲撃者の中に混じっていたとしたら、もう少し真紀だって苦戦しただろうと美小夜は思う。何かの事情があって後方支援に回っていたのだろうか。

 観心はそのあたりの事情まで聞いて「多いな」と顔をしかめる。

「今までは、せいぜい、二人か三人までであったが」

「さすがに、十六人となると――」

「彼女でも無理か」

「ただ倒すだけなら、今の霊力でもあの程度は五十人までなら問題ないと」

 美小夜は、つい先刻に聞いたばかりの言葉をそのまま伝えた。ハッタリでもなんでもなく、事実なのだということを彼女は疑っていなかった。もっとも、その中には『験』を破った者のことは含まれてはいまい。それについてはあえて述べず。

「ただし、殺さず捕らえるのは少し難しいとも」

「そんなところか」

 鷹揚に頷いた。

「我ら兵法者の最高峰たる剣豪が、いかに能力制限を受けていようとも、やわかはぐれ魔法騎士の十人、二十人、どうとでも対処できるくらいでないとな」

 そうなのだ。

 今回の一件は一年前からの辻切闇討ちの捕縛が名目であったが、それ自体は目的としては二の次だった。御法真紀の現状での能力を測るという目的があった。

 その目的も果たせた。

 魔法騎士相手の大立ち回りを無傷で軽くこなすのは、想定内ではあるが凄まじいことでもあった。

 だが、結果として別に懸念せねばならないことがあることも明らかになった。

「しかし、十六人とはな」

「やはり、なんらかの目的があっての組織的犯行だったと考えるべきでしょう」

 闇討ちしてくるのが《魔法世界》の住人であるとは解っていたが、これまでは多くても三人……二人がかりがせいぜいであり、これほどの数の騎士が揃って仕掛けてくるなど想定外だ。

 そして、それだけならばまだしも、その十人を越える騎士たちによる多重奏魔法攻撃――

「あれは、よほど訓練しないと不可能です」

 自身の経験と知識から、美小夜はそう断定した。

「今までの連中とは無関係であるという可能性は?」

「現状では、判断はつきかねます」

「そうか…………」

 さすがに、観心も腕を組んでから呻くような声をあげた。

 そして。

「――いずれにせよ、相手は御法真紀がいくことを知っていたということは確かだな」

 でなければ、今までにない大戦力での襲撃はしなかっただろう。

 これまで通りに二人や三人なら、瞬く間に制圧されていたに違いない。

「あのバーには、『魔法』の監視も何もありませんでした」

 闇討ちされた兵法者の、おおよそ七割があの店に行っていたことは解っていたが、しかし【舞衣夢舞衣夢】には何もない。それは確かだ。経営者もバーテンダーも、他の常連客も調べたが、彼らの手の及ぶ限りではなんの背後関係も見つからなかった。

 何か『魔法』の使いやすい条件が揃っているのかとも考えられたが、美小夜だけではなく、真紀にもそのような気配は感じ取れない以上、その線はとりあえず捨てた方がいい。報告書にもそう書いていた。

「となると、情報はこの『講武所』から漏れたと考えるべきか――」

「それ自体は、さほど憂慮することではないと思われます。彼女が師範として招聘されたことはオープンにされていますし。敵が組織ならば、師範全員の顔写真も揃えているでしょう」

 ならば、御法真紀を特定して襲撃をかけることは不思議でもない。

「まだ、調査しきれていない何かのカラクリが隠されているかもしれません。【舞衣夢舞衣夢】についての調査は続行します」

「うむ…………」

 と観心は頷き。

「だが、それにしても、彼女と知って仕掛けたとなれば……やはり、霊力封印についても知られているな」

「そうなるでしょうね。十六人の魔法騎士は大戦力ですが、彼女相手にはあまりにも少数です」

 それは、魔法騎士ならば当然知っているはずのことだ。

 御法真紀がどれほどの戦歴を積み重ねてきたのか、どれほどに強力な兵法者なのか、畏怖と戦慄と共に《魔法世界》では語られていた。当人の与り知らないところで、彼女は伝説となっていた。

 いかに《魔法世界》の騎士、戦士が誇り高くとも、今となっては真正面から挑もうなどと考える者などいまい。

 すでに、それをやった者たちは尽くが敗れていたのだから。

 あるいは数年前に俗世より姿を消した『大魔法』の使い手たちならば、彼女を相手にしてもどうにか対抗できるのかもしれないが。

 観心は「由々しき問題だな」とひとりごちた。

「霊力封印についても、少し調べれば解る範囲のことではあるが……それで勝機が出たと勘違いした者が大挙して挑んで来るかもしれん」

「そうなりますと、他の師範や生徒たちが巻き込まれる可能性が高まりますね」

 あるいは、御法真紀自身の敗北も。

 二人は同じことを思いながらも、口にはしなかった。

 代わりに。

「師範ではなく、護衛任務のための兵法者を雇う必要があるな」

 観心はそう言うと、美小夜も頷く。

「そのように、兵部省に掛け合って人員を増やす方向に動いてみます」

「私も旧知の方々から、それなりの使い手を紹介していただこう」

 だが、すぐにそのような人材が集まるのかということについては悲観的にならざるをえなかった。

 現状の地球において、『魔法』のみならず地球上で起きる様々な怪異に対処できる者は兵法者が最適とされている。

《魔法世界》からの『魔法』の素のような何かの流入は日に日に微増しているらしく、それを反映してか怪異の報告も日増しとなっていた。そしてその怪異の中には地球で復権しつつある魔術師が関係しているものも急増していると考えられていた。

 公的機関が対魔術の部署を立ち上げて久しいとはいえ、まだまだその規模が充分であるとは言い難い。

 そのような組織への人材補給のために兵法者の養成機関である『講武所』が創設されたといえばそれまでであるが……それにしても、供給が足りているとは言い難い状況である。

「兵法者以外も視野に入れねばならぬかもしれないが」

 ぽつり、と呟かれた言葉に美小夜は眉を動かしたが、それだけだった。

 所長が何を考えているのか、問うまでもなく彼女にも解っていたからだ。

 そこにどのような葛藤があるのかも。

 彼女には解っていた。

「あるいは、御法師範の霊力封印を解くことも視野にいれるべきか……」

「それ、は――――」

 御法真紀の霊力が完全な状態ならば、それはこの世に何も恐るべきものはないといっても過言ではなかったが。

 観心は言い淀んでいる神奈月美小夜を見て、口元を綻ばせた。

「冗談だ。私とても、リスクは最小限に抑えたい。鶏首を落とすのに牛刀を用いるどころではない。完全なる彼女を、御法真紀を日本國の本土で戦わせるなどということは、ありえない。あってはならないことだ」

 その顔に浮かぶ微笑みに、昏い陰があるのを美小夜は見ないふりをした。

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