03

「手も足も出なかった」

 ティナの服を着せ終わった明は、二メートル離れた自分のベッドに腰掛けた。

「まあ……アキラの居合は、ああいう打撃格闘技には応用しにくいのかもね」

 と慰めるように言うが、自分で言っておきながらもそれがどれだけ事実なのかは解らない。

 彼女の使うアーニスは素手も武器もほぼそのまま応用が効く。他の武術もどうかはよく知らないのだが、居合は以前に武術史の講義で聞いた限りでは元々は居合の間……近接した室内での戦いを想定しているとの話であり、柔術にも近いと言う。

 勿論それは、流派によって違うらしいのだが。

 明の履歴書に書かれた「抜刀術」がどういう意味なのかをティナは知っている。


 彼女の騎士たる神護寺明は、のだ。


 当然ながら、それは居合本来の間合いでの柔術的技法に精通していることを意味していた。

 遠間からの打撃の応酬というのはそんなに得意分野ではない――はずだ。

 しかし。

「近接に持ち込んでの柔術も、遠間からの打ちも、何もかも封じられた。まるで、時間と空間を支配されているみたいだった。師範はただゆっくり動いているだけなのに……」

「それがあの人の兵法なんでしょうね」

 ティナはベッドの上で胡座を組む。じつにお姫様らしからぬ姿勢だった。

「強力な『験』と絶対的な『顕』にばかり目が行くけど、兵法の基本である『剣』も、相当なものよ。当たり前の話ではあるけど」

 感心しているような、褒めるような言葉ではあるが、その口ぶりは忌々しげだった。

 明はその様子を何処か苦笑しながら見ていたが、溜め息をそっと吐いて頭をかく。

「力の差はあるのは解っているんだ……勝てないのは当然なんだ。《魔法世界》帰りの兵法者と、私みたいなペーペーとを比べるのがどうかしている。だけど、」

「――悔しい、よね」

「うん」

 明はベッドの上で膝を抱え込む三角座りをして、膝で顔を隠す。彼女の「姫」にこんな顔をみせたくはなかった。悔しさに歪む、泣きそうな顔を晒したくなかった。

「二時間、挑んで、最後に組討を仕掛けてね、なんとか投げ技とかできないかって思ったんだけど、体幹が凄くて全然動かせなかった……」

「――化け物じみているわよね」

「それでもなんとか崩せないかって押したり引いたりしていたんだけど」

「うん」

「――シャンプーの、いい匂いがした」

「…………それって、」

「そのまま、稽古終わった後、神奈月先生と一緒に出かけてった……」


「あの人、わたしたちとの二時間の稽古で、汗もかかなかったんだ」


「――――」

「……あそこまで差を見せつけられると、さすがに凹むよ……」

 ティナは何を言ったものかと迷ったようではあるが、やがて。

「そりゃ、当然よね」

 と肯定した。

「――――」

「圧倒的な力の差を見せつけられたら、腕に覚えがある分だけ、気落ちもするでしょうよ。わたしの国でも、初めて御法真紀の戦いを目にした者たちは、あまりの凄まじい力に、ほとんどの者が自信喪失していた。国一番の、歴史に遺る大騎士が敗れたってのもあったけどね……」

 そうだ。

 結局、あの敗戦の何が致命的であったかといえばそれだったと今なら思う。

 御法真紀に破れたことによって、国全体が無気力状態になってしまったのだ。

 顔を上げた明は、自分の「姫」を見る。

「姫……」

「国の威信、王家の権威、何もかもが失われたわ。あの人は、ただ一人でそれをやってのけた。もとより、代表戦士同士の戦いってそういうものらしいけど……」

「――ティナは、そんな相手に勝てるつもり?」

 聞かれてしまった。

 いつか言われるとは思っていたが。

 案外遅かった。

「……このまま、何もしないで終わるのは嫌」

 色々と用意していた言葉はあったのだが、どれ一つとしてそれは使わず、何も考えずにただ思いついた言葉を吐露していく。

「わたしでは、あの人には勝てない。『魔法』を使ったって、無理。そんなのは解っている。できっこない。百万回人生やり直したって、百万回分の人生の全力を重ね合わせたって、無理。あれは人間の比較対象にできるようなモノじゃあない。運命のように何もかもを飲み込み喰らう怪物よ――」

「…………」

「――だけど、それはわたしが諦める理由には、ならない」

 そうだ。

 できないから挑まないなんて、そんなのは私じゃないとティナは思う。

 できなくたって挑む。

 彼女が彼女であるために、挑まなくてはならないのだ。

(せめて、せめて一矢報いないと……!)

 勝てないなんてはじめから解っていることだった。

 歴史に遺るほどの騎士ですら敗れた。彼は、掛け値なしに最強の騎士だった。彼が敗れたことを詰る者などいなかった。あの戦いを目撃した誰もが、認めたのだ。我らが代表戦士たる騎士はまさしく最強であったと。

 そしてその騎士を倒したあの地球の魔剣士こそは、その最強を上回る、怪物の中の怪物であるのだと。

 そう、認めざるを得なかったのだ。

 明はベットの下に降りてから、改めてその場に片膝をついた。

「…………姫がそれを望むのならば、私もその騎士として共に」

「ありがとう、わたしの騎士様」

 そう言ってから、ティナは自分で半ズボンを履いて、タンクトップを着てから上にパーカーを引っ掛ける。

「――ティナ?」

「ちょっと夜風にあたってくるわ」

 明はちらりと壁にかけられた時計を見た。彼女の姫が夜中にふいに出歩くのは今に始まったことではない。

「消灯時間まで、間がないよ」

「すぐ帰るわよ」

 それじゃあね、と扉を開けて出ていった。

 それを黙って見送った明は、再び刀を抱くようにして座り直す。

「……じゃあ、姫が帰るまでもう少し」

 リモコンで明かりを消し、蝋燭に再び火を灯した。


「術式――『林崎夢想流』」


 静かな、しかしはっきりとした声が暗闇の中に響いた。



   ◆ ◆ ◆



「…………残念ながら、全員に逃げられていたわ」

「…………」

 真紀は無言で見ている。背中にかかる美小夜の声は聞こえているが、それに返答する気は起きない。

 地面に――コンクリートに――突き立っている、彼女の投擲した袋撓を見ている。

「あと三分、速くついていたらね」

 加勢できたんだけど、と言いかけた美小夜であるが、その言葉を最後まで聞かずに跳躍して撓の場所まで降り立った真紀を非難の目で見た。

「現場検証しないといけないのよ?」

「――ダメ」

 制止の声にそう答えた真紀は、躊躇うことなく手のひらを伸ばし、撓の柄に載せた。

 次の瞬間に、撓の刀身は大きく破裂した。

 爆音と衝撃が夜闇の中、周辺に広がっていく。

「これは……ッ」

 美小夜も慌てて窪みの中を駆け寄って、真紀の身体を見た。

「大丈夫なの!?」

「平気。だけど――」

 御法真紀はおちた柄を拾い上げる。

(間違いない。この事件、大騎士クラス以上の者が関わっている……)

 魔法騎士の中でも最上級の、あるいはそれ以上の格を持つ何者かが。

 この地球にいる。

「……厄介な」

 それがどのような意味を持つのか、しかしこの時の真紀は正しくは認識していなかった。


 ふと、夜風に髪を揺らされて顔を上げた。

 どうしてか、その風にはあの遠い遠い、《魔法世界》の匂いがした気がした。

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