Act.4 昔話。
01
神奈月美小夜に誘われたのは、なかなかにシックというか落ち着いた雰囲気のバーだった。
ただし名前は〈舞衣夢舞衣夢〉。
いつの時代のセンスだ、と思ったが口にはしなかった。
「美小夜さん、こういうところで飲むんだ」
というのは素直な真紀の感想である。
「こういうところってのは、何よ」
それには答えず。
「美小夜さん、盛り場とか好きじゃなさそうだったのにね」
「いつの話よ。――それに、あの頃だと、私たち未成年でしょ?」
そういえばそうだった。
とはいえ、法律が違うということもあり、《魔法世界》に行った若い兵法者の中には随分と羽目を外す者もかなりいて、泥酔して帰ってくる者も珍しくなかった。美小夜はそういうのを説教していたのであるが。
「昔の話でしょ。私だって、いい加減この歳にもなれば、いきつけの店の一つや二つありますよーだ」
「そういうものなのかな」
そう言いながら、二人はカウンター席に座る。バーテンダーは白髪の多めの初老の人物であったが、美小夜を一瞥して「お久しぶりです」と言った。
「久しぶり?」
行きつけなのに。
「一年ぶりくらいかな。ほら、『講武所』の師範たちを狙っての闇討ちが多発してたでしょ?」
「全然知らない」
そこそこ大きめのニュースにもなったはずだが、三年間外部の接続を律儀に断っていた真紀はそこらの事情をよく知らなかった。
「……あなた、三年間何していたの?」
ネットくらいしていると思われていたが。
「観想と座禅と、あと一日立ち続けていたり」
「三年、ずっと?」
「ずっと」
「………………、」
「――美沙夜さん?」
「いえ。ちょっと、その、思っていた以上のアレっぷりにちょっと言葉がなかっただけ」
そう言ってから気を取り直したように。
「『講武所』の師範を狙っての闇討ちが多発した時期があったのよ。一年前から」
「…………腕試し?」
さしあたり、すぐ思いつくようなのはそれくらいであるが。
美沙夜は軽く首を振る。
「不明よ。未だに、犯人は捕まっていないもの。というよりも、組織的な犯行だったみたいね。さすがに『講武所』に招聘されるレベルの兵法者で、闇討ちに負けるようなのはいなかったけどね。それでもやっぱり、『割に合わない』って言って辞めていった者も結構いてね」
そういう事情で、直弟子になれない生徒が何人もでていたわけである。
真紀は「ふーん」と気のない返事をしてから、適当に注文する。ロックで。
「あなたも、それなりにいけるクチ? あの頃は、あまり夜に出歩いてなかったと思うけど」
「そんなに好きでもないけど、旅先だと飲め飲め言われること多かったからね」
まあそれなりに鍛えられた、と真紀は言う。
「旅、か……結局、私はあまり出歩かなかったから、そこらはコンプレックスあるな」
「そうなの?」
少し意外だったが、そういうものかもしれないと思い直す。今ならば言えること、今でこそ言えること、色々とあるのだろう。
「そこらの話もじっくりとしたいけど……まあ、アレよ。さっきの話に戻るけど、闇討ち多発に、所長から一人で出歩くなって命令が出てね」
「ああ……」
まあ道理だ。兵法者は戦いが仕事であるが、あえて戦いを求める必要もない。闇討ちならなおのことである。怖気づく者はいなかったにせよ、盛り場にいくごとに何かに襲われていたら、それは割に合わないと思っても仕方がないし、所長だって万が一を考えて一人でいくなと厳命するだろう。
「――ということは、美小夜さん、友達いない?」
「言うと思った!」
美小夜は苦笑したようだった。
「お酒は一人で飲みたいクチなの、私は。基本的にね」
「そうなんだ」
「あなたとは――……前から、一度、一緒に飲みたかったからね。特別」
(特別か……)
そう言われると、真紀だって悪い気はしない。むしろ嬉しい。
神奈月美小夜は柳生流の若き天才剣士として早くから知られていて、同世代の兵法者の中でもいずれ大成すると期待されていた。委員長気質な生真面目さで同じ便で《魔法世界》に渡った者たちを叱りつけたりしていたものであるが、なんだかんだとみんな従っていたのは、やはりその実力が抜きん出いたからだ。
その剣風は優美にして苛烈、流麗にして剛直……多くの少年少女が憧れていたものだ。
真紀も、美小夜の強さと技、人のことをほっておけない人の良さが好きだった。
「あと、天下無双の兵法者・御法真紀が一緒なら、闇討ちなんか怖くないでしょ?」
美小夜は、そう言って笑った。
「もう……美小夜さんまでそういう風に言うんだから……」
真紀も笑った。こちらは苦笑のようだった。
バーテンダーが微かに頷く。
程なく二人の前に注文の酒が置かれた。
「では、乾杯」
「なんに?」
「再会に」
「――再会に」
乾杯する。強い酒なのに二人ともがものともしないようだった。
「しかし、私から誘っといてアレだけど、なかなか再会できなかったわよね」
美小夜は研修で先日から香取に行っていたのだった。丁度、真紀の出勤初日なのが何かの意図を感じるようなタイミングであったが、ずっと以前から決まっていたことなのでただの偶然である。
「今日帰ってくるのは聞いていたけど」
「じゃあ、私が声掛けしなかったら、あなたの方から誘ってくれていた?」
「それは――」
多分、というか、まずしていなかっただろうなあと真紀は自分でも思う。今回の『講武所』への就職も美小夜に誘われてのものであったが、やりとりはメールだけだった。懐かしくないといえば嘘になるし、もう一度会いたいとも思っていたが、落ちぶれていた今の自分を見られたくもなかった。
「相変わらずねえ」
美小夜は呆れているようだった。
「なんというか、人間関係構築のド下手さ」
「う…………」
「兵法が対人スキルである以上、人間関係をそれなりに上手くできる者が上に行ける……特にあなたの二天一流は拍子の剣。独りよがりな人間の使いこなせるものではない――と、思っていたんだけどね」
「そう思われていたんだ……」
ちょっと、いや、かなりショックだ。
「正直、この子は多分、生き残れないだろうなあって……なんとなく思ってた」
「――――」
「それが、同期の三十七人で、一番……どころか、天下無双の兵法者として活躍し、軍隊に入って、だもの。正直びっくりしたわ」
反面、三年前の事件については「ああ、遂に」と思ったらしい。
「遂にって、」
「あなた、軍隊みたいな生活合ってないでしょ?」
「いや……そんなことは、なかったと思う。基本、命令を聞くかするかだけだったし」
振り当てられる仕事については、能力的には彼女にしてみればそれほどの難事ではなかった。ただ、人間関係だのなんだのが関わる話は苦手なので、適当に部下に割り振っていたのであるが。今から考えたら、そこらも積極的に関わって勉強すべきだったと思う。
「まあそういう反省はごもっともだけど……そういうのは最初から解っていたでしょうに。どういう動機で軍隊に入ったの?」
「んー」
御法真紀は少しだけ逡巡したが、相手が美小夜さんならいいか、と決意して。
「戦える相手とは、だいたい戦えたから」
と言った。
それがどういう意味を持っているのか、美小夜は結論に至るまでに二分ほどかかった。二分でどういうことなのかを理解した。顔が一瞬だけ強張ったが、深く溜め息を吐き出すと、全身が弛緩していった。
「……あなたが軍隊に入ったのは十七歳で、旅に出たのが十五歳……たった二年……」
美小夜は「夢が叶ったのね」とぽつりと呟いた。
「夢?」
「――覚えてないの? 船の中でみんなで話したじゃない」
将来、何になりたいか。
そういえばそんな話をしていた気がする。自分はその時に何と答えたのだったろうか。
「あなた、『怪物になりたい』って言ったのよ」
「…………」
「『何者にも左右されず、何者をも左右する、そんな怪物になりたい』って」
――いかにも、いいそうだ。
真紀はかつての自分を思い出す。今よりも少し背が小さくて、胸も多分、もう少しやや控え目であったと思う。ただ強くなりたくて、ただひたすら強くなりたくて、近所の兵法家の門を叩いた。流派がどうとかそういうことは考慮しなかった。目についたところがそこだったというだけのことであり、結果としてそれは正解だった。運命だったのかもしれないと思う。
『この世で一番強い何者かになりたい』
それが真紀の昔からの目標だ。願いといってよかった。子供じみた願いだった。
いや、子供の頃からの願いだった。
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