03
(五年、前か……)
思い出す。
五年前、長らくフリーの兵法者だった真紀が、それに見切りをつけて日本帝國の兵法者遊撃部隊に参加を決め、そして初めて任された任務があった。
火の国の代表戦士との決闘である。
「日本國の侵攻に際して、我らが火の国がとったのは代表戦士を立てての決闘だった。それ自体は妥当な判断であったと、今でも思う。真正面から戦えば、いかに火の国の騎士団が精強であっても無事ではすまぬ。国土もどれほどに被害を受けるかもしれぬ。国の誰しもが、本心では理解しておった。神話も伝説もここに終わると、な」
真紀は目を開き、老人を見た。その横顔にあるのは寂寥でも焦燥でもなく、懐古だった。信じ難いことに、この老人は祖国崩壊の原因となったあれを懐かしむことができているのだった。
「代表戦の提案は、苦し紛れのものであったよ。取り決めた国王も、臣民も、それしかないとは思いながら、しかし日本がそれを受けて立つとは誰も思っておらなんだ。国の命運をかけての戦い、それを代表戦士を立てて、互いに魔法の誓約を受けて戦い、敗北すればその条件に従わねばならぬ……そんな我らにとってのみ都合のいい御託を、日本が受けるとは、誰も考えてなどはいなかった。時間稼ぎにもならぬと、ワシでも思っておったよ」
「…………」
「それが、な。間もなく快諾の返事があるとは――あの時の宮廷の騒ぎを、お主は知るまい。 首の皮一つ繋がったどころか、大逆転の目すらでてきたのだ。相手が何かを勘違いしているのではないかという意見も出て、それを確認するために再三再四と使者に確認をとらせたりしたのだぞ。くどい、武士に二言はない、と軍使殿は答えたが、それでもなお信じなかった者もいたくらいだ。それほどに、代表戦士での決闘というのは我らにとってはあまりにも有利に思えるものであったのだ。少なくとも、当時はみなそう思っていた。決闘の相手が大兵法者、御法真紀であったと聞いても、な。彼の勝ちは動かないと、誰もがそう思っていたのだ」
そうなのだった。
真紀が軍に仕官して最初の仕事は、国の代表戦士となっての決闘だった。
代表戦士――文字通りに国家の代表に一人の戦士を立て、その戦士の決闘の結果に国の命運を託すという制度だ。かつて古代社会にしばしば見られたこの制度は、《魔法世界》では今もなお用いられる現役の戦争の一種であったのだ。
「大英雄、真なる騎士、神話時代よりの使者――火の国最高の騎士である彼は、今もなお我らの誇りだ。火の国の歴史上、いや、《魔法世界》全体の歴史を眺めてさえ、彼以上の者となると数えるほどしかおるまい。彼はワシよりずっと若かったが、ワシにとっても憧れの騎士だったよ。『大魔法』を駆使し、神話剣戯を再現する、最強無敵の戦士……それが、よもや、たった十七歳の、うら若き美しい女剣士に敗れるなどと」
そう。
その戦いに、真紀は勝った。
あり得ない結果だった。
火の国の者たちにとってすればそれは驚天動地の結末だったに違いなく、帝國軍の者たちにしても、一人荒野となった決闘場に立っている真紀を、怪物を見るような目で見ていた。
仕方がないことだったと思う。
「彼は――――強かった、です。これまで戦った中で一、二を争うほど」
気を遣うでもなく、真紀はそういった。嘘偽りのない言葉だった。
彼女の莫大な戦闘キャリアの中でも、あの戦いほどの苦戦は未熟で免許を貰う以前にしかほとんど記憶にない。どちらが負けても不思議ではなく、こうして生き延びたのが奇跡にも思えるほどのものだった。
恐らくは《魔法世界》で最強の騎士だったと、素直に言える。
老人は、しかしその言葉に不快げに眉を寄せた。
「お主に言われるまでもない。今もなお、彼は我が国の誇りであったと、胸を張って言える。国民の誰一人として、彼を悪く言うものなどおらなんだよ。あの日のあの戦いを、ワシらは見たのだ。見てなくとも、感じたのだ。あれは、新たな神話であったとな。そしてその戦神の申し子ともいえる大英雄を破ったのは、異世界より来たりし魔人であったと」
あれは――そういう戦いだった。
老人は、そう語る。
だが、思えばあの戦いが真紀の人生にとっての頂点であり、その後の転落人生の始まりだった。勿論、そんなことを当時の彼女が感じていたのかというとまったくなくて、張り倒したくなるほどに脳天気に、自分のあげた勝利の味を噛みしめていた。
これでまた一つ、壁を超えられた、などと呑気なことを考えていたことはぼんやりと覚えている。仕官した甲斐があった、なんてことも考えていたかもしれない。
本当に馬鹿だった。
もう少し視野が広ければ、自分たちの不利になる決闘などを快諾するなどということは通常ありえない、ということくらいには思い至っていたはずた。
いや。
あの時の自分だって、それくらいのことは考えなかったわけではなかった。
決闘をすることが決定して、代表戦士として自分が選ばれた時、当時の彼女の一番上の上司である土井垣大将に疑問をぶつけたことがある。
「なんで自分が」
それは、なんで自分が栄誉ある代表戦士として選ばれたのかについてであるが。
『君以上の兵法者がいない』
その言葉だけで納得してしまった。
本当に、本当に馬鹿だった。
今ならばその土井垣大将の言葉の意味もよく解る。自分以上の兵法者がいないというのも間違いではないが、それよりも何よりも、ぽっと出の新入りというのが重要だったのだ。部隊の誰ともなじみがなく、失ったところでたいした影響のない兵法者――使い捨ての駒がほしかったのだと。
そうなのだ。
土井垣大将には、決闘に勝つ気など毛頭なかったのだ。
そもそもからして、真紀は国内事情というのを読み違えていた。彼女が日本國を旅立っていた頃の、《魔法世界》への熱狂がまだ国民の間に続いていると錯覚していた。
無理からぬことではあった。真紀は旅立ってから一度として日本國のことなど気にしなかった。日々の修行と、何よりも慣れない異世界生活に順応するのが大変な苦労だった。行く先々で出会う日本人も真紀とその辺りの事情については大差はなく、彼女はそんなわけで、日本が長きに渡る戦いを続けた中で、厭戦気分が蔓延していたということを知らなかったのだ。
あの頃の日本人は、戦いに飽いていた。
元々、反対勢力は当初からいた。
なんで異世界の事情に日本國が手を出さないといけないのか、かつての大戦のことを忘れたのか、なんのメリットもないではないか――というのは常識的で、論理的で、後から考えればまったくもって当然の意見だった。
にもかかわらず遠征軍が派遣されることになったのは、《魔法世界》の王族の危機を救う、というロマンチシズムが熱狂を生み、熱狂はそのまま日本を、あるいは地球全ての地域を覆い尽くしたからだった。
土井垣大将は日本國における最高の名将であり、そして政治的な手腕についても高いバランス感覚を持っていたことで知られる。彼をしてこの政治の暴走を止められなかったのだから、その時に世界に満ちた熱と波はどうしようもなかった。
結果として日伊を中心とした多国籍軍が《魔法世界》に派遣され、席捲した。
御法真紀が来たのはその半年ほど前のことだ。
だから彼女は、その後に《魔法世界》で起きたことについてはよく知っているが、日本国内の状況の変化には無知だった。自分が現場に近いところにいるという自覚が、それをより深刻なものにしていた。
確かにその後の日本軍は多くの戦いで勝利を続けていたが、それはいわば戦術的なものでしかなかった。戦略的な思考というのが欠けていた。もとより大した戦略もなく、政治的な、それも国内事情が反映した遠征だったのだ。一度の勝利は国内を熱狂させ、世論はそれを延長させることを強要した。政治家は世論に押される形で支援を決定した。
しかし、それとても何ヶ月と続いていれば、国民も飽きがこようというものだ。
往年の大戦のように国内インフラを圧迫するようなことはなかったが、やはり軍隊を派遣して維持するというのは莫大なコストがかかる。ましてやそれが異世界ならば当然、こちらで行える支援にも限度があった。
連日のように行われていた快進撃の報道も、それは日常となってしまっては刺激は失われる。
いつしか、報道は軍内部の問題にクローズアップされるようになったのは当然のなりゆきだ。
その中で何より衝撃的だったのは、直接的な傷病者ではなく、特に怪我をしているでもなく、そして訓練を得ているはずの兵士たちが、たった二ヶ月の異世界生活、そして戦闘で急激なストレスを受け、ホームシックにかかってる様子であった。
兵法者である真紀ですらも、異世界という環境の激変には多少のストレスを感じていたのだ。訓練を受けていたとはいえ、所詮は一般人の範疇である彼らの神経がもつはずがなかったのだ。
「もはや、限界だ」
とは誰もが思うところであったが、誰もが口にできる言葉ではなかった。いやしくも一軍の将は言ってはいけない言葉だった。
決闘を受けたのは、だから、使い潰せる駒であるところの御法真紀に負けさせるつもりであった――というのは、それこそ、今になって解ることだった。
勿論、それで素直に撤退するということではなく、政治的な駆け引きやら何やら考えがあったはずである。
いずれ真紀の敗北が前提の話なのだ。
土井垣大将ともあろう者が『火の国』最高の戦士がどれほどのものであるかを調べていなかったはずもなく、真紀が兵法者としてどれほど優れているにしても、到底勝てない相手だと判断するのが当然だった。
真紀が勝てたのは奇蹟の領分で、それゆえにその後の何もかもを狂わせた。
……その後のすったもんだについては、多くを語るまい。
『火の国』は日本國の友邦……同盟国という名の属国となり、その後の革命運動やらなにやらで、結局は崩壊した。
御法真紀がそれの話を聞いたのは、大将直属の独立遊撃部隊としてあちらこちらを巡回していた時であった。
革命のさなかにあの代表戦士が死んだと聞き、もう二度と彼と戦うことはないのだなと、ぼんやりとそんなことを考えていたのを覚えている。
(その後で、滅んだ国の人たちがどうなるかなんて考えもしなかった)
なんてヒトデナシ――今更ながら、思う。
兵法者とは人の領分を超えた超人だ。だが、それは人の心が解らぬ怪物であってはならない。怪物はただ倒されるだけしか道はなく、あるいはだから、自分がこうしているのは追われた結果なのかもしれない。
「真紀よ、兵法者、御法真紀よ」
火の国の老騎士は、言う。
「面をあげよ。いや、上げてくれ。そして前を見てくれ」
「…………?」
俯いていた真紀が顔をあげると、隣りに座っていたはずの老人がいつの間にかそこに立ち、胸に何を掲げる所作をしていた。
いや、あれは――。
「我は火の国の騎士にして執事官の一人、ゼークト。ここに怨敵たる兵法者・御法真紀に決闘を申し込む!」
「決闘――――」
真紀はその言葉を反芻し、老人の意志を汲み取った。
すでにない国の騎士として、ありもしない剣を持っての、決闘の申し込み。
そんなもの、そんなこと。
(ただのおままごと、みたいな――)
そんなことを、元とはいえ、本物の騎士だった人物が今ここで、この私に対してする意味は。
御法真紀は立ち上がった。
「兵法二天一流、御法真紀――その決闘の申し出、承ります」
「ありがたし。よくぞ我が申し出を受けてくださった!」
老騎士は莞爾と笑い、それから腕を組み直す。
「しかし――お互い、闘争に向いた格好ではありませなんだな。これはこのゼークト、一生の不覚」
「ええ」
傍から見たら、上下ジャージの女と、ジョギング姿の老人公園の隅っこで決闘ごっこを興じているようにしかみえないだろう。
さぞや滑稽な光景であるに違いない、と思った。
「では、こちらから提案させてもらうが……然るべき時、然るべき場、然るべき装いが整うまで、決闘は延期とさせていただけまいか」
「ええ。もとより、決闘とはそのような――然るべき者たちがするべきもの」
「うむ。然るべき、介添人を立てて、な」
――――。
真紀は、その時にはこの老騎士がなんのために、こんな茶番劇を始めたのかを理解していた。
「我は、主君の忘れ形見を立ち合いに招き、介添人としたい」
「私は――」
「真紀よ、兵法者、御法真紀よ。貴女には、貴女の弟子を、貴女の後継者を、貴女の未来を継ぐ者に介添人となっていただきたい」
「――――――」
「我々はな、我らはな、過去しかない者はな、未来ある者、未来を担う者にこそ打ち破ってほしいのだ。解ってくれ。御法真紀よ。我らを破りし今よ。そして過去よ」
「…………解りました」
御法真紀は、その日、三年ぶりに笑った。
「兵法者、御法真紀。貴方という過去を、私自身という今を打ち破るため、我が兵法を継ぐに足る者を育て上げ、介添人といたしましょう」
満足に立ち去っていく老人の後ろ姿を見ながら、真紀はようやく思い出す。
(ああ、あの人が火の国の騎士のゼークトか)
王家を護るために最後まで戦うことを誓い、そしてただ一人残された姫を護り孤軍奮闘したという老練の魔法騎士。その力はかの代表戦士には及ばずとも、火の国においては十指に入るとも謳われたという。
生き延びたという話は聞かないが、よもやこの場で、この自分に対しての嘘はいうまい。
真紀はそれだけは確信していた。
いつかあの騎士は、守り抜いた姫を傍らに、何処かで自分と立ち合うに違いない。
そしてその時の自分の傍らには――。
「そうか。私はあの老人と決闘をしなくてはいけないのだな」
その日のため、その時のため、自分も育てなければならない。
この国の、この世界の、もしかしたら魔法世界も、そして自分の跡を託すに足るだけの、そんな若き兵法者を。
……かつて、地球と《魔法世界》が衝突した。
その原因は未だよく解っていない。《魔法世界》の側の儀式の失敗だったとも、地球側の何かの実験の結果だとも、それについての推論やら仮説は星の数ほども出され、そのほとんどがろくに検証されないままになっているのが現状だった。
はっきりしているのは、あの日――2030年のグリニッジ標準時で18時27分のあの時刻から、世界の全てが変わってしまったということ。
二つの世界の衝突による物理的な衝撃は凄まじく、双方の世界に地表に浴びせかけた突然のそれに対応できた者は地球にはほとんど存在せず、地球側の死者の少なくとも三分の二はこの衝撃によるものと考えられている。
しかし、事態はこれだけにはとどまらなかった。
翌日から世界はまるで変わっていた。物理法則はそのままに、かつては霊的、精神的……宗教や形而上学の領分でしかなかったものごとが「発現」するようになっていたのだ。
怨念が実体を持つようになり、魔術が威力を伴うようになったのである。
それが魔法世界からの『魔法』が流入したことだということには、早くから多くの者が気づいていた。
皮肉にも霊的な資質に目覚めた者たちによる予知、遠隔視、魔術などによって、《魔法世界》は認知され、事態の把握はされたのだった。
そして地球に魔法が流入したことにより、《魔法世界》は『魔法』が薄れた。
それまでは全ての者に何かの魔法が使えたのが、その衝突以降は魔法を使える者と使えない者とが生まれた。
この『魔法』の流入はまだ続いていて、やがて地球と《魔法世界》で等分になるのではないかと考えられているが、それがいつになるかはまだ解っていない。数十年先のことかもしれないし、数千年先かも解らない。
この二つの世界の衝突による変容は多くの混乱を生んだが、それもそれぞれの世界の住人たちの接触による新たな悲劇の前には、些細なものだった。
《魔法世界》と地球の接触面は、太平洋上のとある島の上空に黒い半球体として早くから視認されていたが、そこを通じて調査隊が送られるまでには都合三年かかった。
そこからの展開は、地球の歴史で何度となく見られたものの焼き直しであった。
接触からの友好と衝突、断絶、そして戦争。
十年で、一通りのことを二つの世界の住人はやった。その間に多くの血は流れ、今も流されて、これからも流れ続けるだろうと言われているが――それでも、最初期のそれに比べれば、現在は幾分か穏やかになった。
2045年現在、地球と《魔法世界》との間の混乱は小康状態にあるが、混迷の度合いはより深まりつつあるようにも思える。
《魔法世界》から『魔法』が失われていくのに比例するように地球からの武器の流入は続き、日本、伊太利亜、中国、英吉利……衝突以降に地球の主導権を握った新列強とも言える国々は、その影響力を《魔法世界》にも及ぼさんとしていた。
なお、地球と《魔法世界》の接触期の初期より、公式な地球側からの調査を待たず身につけた特殊な魔術、武術だけを頼りに非公式な単独の探求者が何人も《魔法世界》に渡っていたことが確認されている。
それらの何人かは地球の、日本に由来する武術の遣い手たちであり、《魔法世界》においてさえその威力を存分に発揮した。
いや、それは明確な脅威として認識されたことだろう。
ただ一人にして多くの軍勢にも比肩する怪物たちは、さすがに数はさほど多くはなかったが、それでも数多の痕跡を魔法世界に残した。
彼らは自らを先人に倣い、
そして彼ら兵法者は、今やこの二つの世界のバランスを揺るがしかねない存在となりつつあった。
大日本帝國は、新世代の兵法者を養成する機関――『講武所』を設立し、その真意を各国は探りながらも多くの人材を派遣し合った。
そしてその師範の一人として、かつて《魔法世界》に決して消えぬ痕跡を残した兵法者、御法真紀は招かれたのであった。
「……けど結局、私に人の指導なんてできるのかな……?」
一時期のテンションで盛り上がっては見たものの、戦い以外のことなど自分にはろくにできないことを改めて思い出し、彼女は暮色に染まりつつある公園で途方にくれたのだった。
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