Act.1 学び舎の事情。

01

『講武所』にはイジメは確認されていない。

 だから、イジメはない――ことに、なっている。



   ◆ ◆ ◆



「ああン!? 今なんつったのよアンタ!」

「聞こえなかったの? エルフ耳のくせに性能悪いのね」

 また始まった、と周囲の者は思った。

 ここは『講武所』内部に4つある食堂の一つ、第二の『基本中華』である。これは通称で、何か役所らしい名称があるのだが誰もそう呼ばない。呼び名の由来はメニユーの傾向にあるのだが、この食堂のシェフはどういうわけか中華料理ばかり作りつつ、時折に何処の国の料理ともつかないおかしな創作を始めるのである。だから「基本中華」であるのだが、それを知らずに創作料理をたまたま最初に食べた者は、二度とは作られないその味を求めて何度となく特に好きでもない中華料理を食べに通い詰めることになる……という噂である。

 その話の真偽はさておいて、冒頭にいきなりメンチ切り合ってる二人の女の子は、よくこの食堂でかち合う。

 さすがに毎日毎食ではないが、2日に二食くらいはこの食堂で会う。

 会うとどちらからもなく喧嘩を吹っかける仲だ。

 どうしてそうなっているのかについてはお互いの言い分があるが、そのことについては真に受けている人間はいない。

 根本的にそういう相性なのだろう、というのが師範、生徒たち衆目一致した意見だ。

 とはいえ、さすがにお互いに毎日のように喧嘩をおっ始めていれば、それなりに避けることを考えるのが普通だ。野生の獣だって毎日狩りはしていないし、縄張り争いなんて滅多にするものではない。

 だから、それとなく相手が何処の食堂で食べるのかというのは探りを入れていて――

 そのはずなのに、なんでなのか、かち合う。

 まるで、それが運命であるかのようだ。

 そしてひとたびかちあったとなれば、することはこの二人には一つしかない。

 ないのだが。

「ティナ……やめようよ」

「アキラはそこで座ってなさい。わたしはこの性悪のテントウムシ女と話があるのよ」

「あらあら、やはりそのエルフ耳は飾りなのね」

「言ってな」

「榊さん、エルフ耳は差別語」

 ティナというメンチ切ってた金髪ツインテール少女を抑えつつ、アキラと言われた黒髪ショートカットの少女がそう指摘する。勿論、相手は軽く聞き流した。知っていて言っている言葉であるし、それを言われるのもすでに数えるのも飽きるほど繰り返している。

 ちなみに「エルフ耳」は《魔法世界》出身者に対する、日本独自の差別語である。《魔法世界》の住人のごく一部に耳の形が少しだけ上に尖っている者がいることに対して使われていて、実際に尖っている者は稀だ。尖っている者だって「言われてみれば」程度のものでしかなく、いわれているティナも他の地球人と比べてもほぼ違いはない。

 なのに。

「本当に、エルフ耳は人の話が聞けないのね?」

 榊と言われた黒髪ロングの少女は、繰り返す。

 そこにある意図は明らかすぎに明らかで、ティナは激昂しているふりをしつつ周囲に警戒をしながら注意深く榊を観察している。

(このテントウムシ女が不用意に仕掛けてくるはずがない――)

 かち合うのは偶然だが、喧嘩を始める時にはそれなりの勝算がついてからでないと仕掛けてこない。その程度にはティナは榊のことを評価しているし、自分だって、仕掛ける時は何かしらの目算がついている時だ。

 今回は向こうから仕掛けた。

 ならば向こうに何かあるはずだ。

「テントウムシ女は、頭悪いわよね」

 ずいと前に出る。

 この時点での互いの間合いは2メートル。若く未熟者同士であるはいえ、互いに兵法者たらんとしてこの養成所に入った者たちだ。素手であろうとも問題なく仕掛けられる距離ではある。

(どうでる?)

 テントウムシ女――榊美緒の実力は知っている。多分、この『講武所』で自分以上にこいつの力を知っている者はいないと思う。何度も喧嘩して、何度も負けた。何度かは勝った、けれど、それは偶発的な要素が入っての多分に……要するに、ただのマグレが何度かあっただけのことだとティナは判断している。

 明らかに格上だ。

 格上なのに、なんで自分を目の敵にしているのか解らないが、とにかく自分を見つれば絡んでくる。あえて、そうしているわけではないというのも解るが。会えば、絡んでくる。なんでそんなことをしてくるのかは最初は訝っていたこともあるが、今はもうそういうことは考えなくなっていた。こいつはとにかくそういう女で、私もそういう女なのだろう。

 しかし。

 それは、それ、として。

 ティナはチラリと卓の上に置いた自分の飯に目をやった。今乱闘に入れば高確率で中華Aランチの揚げ鶏のくるみソースかけその他は二分とたたず生ゴミになるだろうという予測はできる。しかしそれはいかにも惜しかった。少ない小遣いでどうにかやりくりして奮発してのAランチ。アキラあたりが気を利かせて避難させておいてくれないだろうか?


 だが、その時の明はというと、ティナの決意の固いこと、美緒の意志が相変わらずであることを確認して、改めて途方にくれていた。

(どうしてこの二人はこんなに仲が悪いかなあ) 

 思えば入学式の日の、同じ講義室で顔を合わせてからこの二人はこんなたった気はする。自分もたまたまその場に居合わせたせいで、その後もこの二人の諍いに巻き込まれ続けていた。どうしてなんだろう。なんでなのだろう。

 途方にくれていた明は教官――師範ともいう――の姿を探した。

 どうにかこの二人を止めないと、とは思うのだけれど、誰も手助けはしてくれない。生徒たちにしてみればこの二人の戦いはなかなかの好カードらしく、すでに賭けが始まっているのが聞こえる。教官たちだって、この二人が顔を合わせているのを見れば近頃は何も言わずにUターンしていくという噂だ。

 それでも、と明は儚い希望を持って周囲を見渡す。

 例えば新任でこの二人の事情も知らなくて、あとこの殺気立っているのも気にしないで食事を平然としているような、そんなある意味で間抜けで剛毅な師範は。


 いた。


 明の視線の先で、ティナと美緒の二人の間で、丁度呑気に担々麺をすすっている間抜けが。

(え?)

 目を疑った。

 その師範は対面の列とはいえ、ティナと美緒の間の位置で平然と座っていたのだ。平気で担々麺食べてなんかいやがる。汁なしの本場のヤツ。「辛っ」なんて言いながら、担々麺をすすっていて、時折に水を飲んで「おいし」なんか言ってる。

 あまりにも正気とも思えない行為だった。

 生徒たちは自分たち以外は全員が二人から距離を取っている。それはこの二人の戦いに巻き込まれればただでは済まないからで、事情をよく知らなくてもこの二人の敵意と霊力の昂ぶりを感じ取ることができるのならば、少なくとも距離はとろうとするだろう。

 明がすぐに気づかなかったのは、そんな心理的な先入観があったからであるが。

 それ以上に、なんというか、この人物がとても師範に、少なくとも兵法者と言われるような人物に見えなかったというのがある。

 確かに、黒を基調とした膝まで届くスカートの教官服は、『講武所』の女性師範のものだ。ちなみにキュロットパンツタイプと二種類ある。

 胸に輝くのは『講武所』所属の兵法者たる証である、ご当地の鹿嶋市にて武甕槌命の鎮座おわします常陸之国一宮・鹿島神宮の御神紋である金色に輝く三つ巴の紋章。

 これで師範でないのなら詐欺もいいところであるが、それ以外の見た目が――なんというか、伸ばし放題の髪はぼさぼさで手入れもしている様子がない。さすがにフケがでるような不潔さは感じないので洗うくらいはしているのだろうが、生来の癖っ毛なのか波打ちながら背中に流されていた。それだけならまだしも、前髪も長く、顔の上三分の一が見えない。

 師範どころか、女というのも憚られる何かだった。

 いや、人を見た目で判断するのはやめよう、と明は思い直す。あの金の三つ巴が胸にあるからには師範だ。師範に間違いない。多分。今ここにいてくれる師範。ありがたい。

 だが。

(なんでこの人、こんな……)

 求めていた人が、求めていた場所に丁度いた、という状況ではあるが、ことここに及んで、素直にこの新人らしき師範の人に素直に助けを求めていいのか解らなかった。師範である以上はティナにも榊さんに気づいているはずで、それでなおまったくこの二人のことを意に介していないのだとしたら、それは剛毅とかどうとか以前に間抜けにすぎるのではないか。

「どうしよう……?」

 言葉にしてみる。してみたが、どうにもならなかった。

 状況は変わらない。

 二人はボルテージを高めているし。

 師範(らしき人)は、変わらず担々麺食っているし。

 明は途方にくれた。

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