04
「……さて、そろそろ講義も終わりですが――」
初めてだということもあり、少し力が入り過ぎたかもしれないと真紀は思った。
《魔法世界》での決闘や戦争は何十回とやったが、その何割を話のネタにしただろうか。守秘義務含めて人に話せないような凄惨なものを外しても、まだ彼女には相当数のネタがある。それらをどう開陳していくかというのが今後の課題だろうなと、ここまで話していて思っていた。
(心配してたけど、みんなそれなりに面白がって――――)
改めて見渡すと、ほとんどの生徒の顔が蒼くなっていた。
「あれ?」
思わず、声に出してしまった。
まるで終わりのない悪夢を聞いていたかのような顔だった。やっと終わったのかと、あからさまに安堵するかのように呟いている者もいた。
おかしい。
こんなはずではなかった。
自分が経験した戦いをなるべく感情を排し、事実のみを中心に語りつつ魔法戦闘の剣術の応用法、リクエストにも答えて修験者がどういう風に戦っていたのかも懇切丁寧に説明したのに。表現もソフトになるようこころがけていたはずだ。何がおかしかったのか。駄目だったのか。
(最初は、楽しそうだったのに……?)
いつの間にこんなことになった。
「…………改めて、凄い人だったんだね。御法師範って」
放心した顔でティナに話しかけている明であるが、ティナは青褪めた顔で俯いていた。
「凄いっていうか……なんなのよ、あの女……」
最初は軽く説明していたのだ。何処そこの兵法者と決闘した時の話、誰それの配下の騎士と戦った時の話、魔法使いと戦った時の話……それらは詳細ではなかったが、さくさくとした語り口はむしろ生々しく、その上に「この時に彼は死にました」だの「四人ほど殺されました」だのを、特になんでもなかったかのように……そして、最後まで軽く話していたのである。
聞いている者たちは誰も、それを兵法者がたまに吹く誇張されたハッタリだとは思わなかった。この女の語っていることは少なくとも事実であり、そしてこの兵法者の戦歴の全てでもなく、殺し殺されはこの大兵法者にとってはごくごく当たり前のことなのだと。
兵法者が戦う者であり、それは命のかかることも珍しくはない、ということは頭では解っていたし、現実に殺し殺されの決闘を経験した者もこの中にはいる。
それにしても、この御法真紀の体験は過酷にもほどがあった。
聞いているだけでぞっとしてくる。
それを彼女は、どれほどのことでもないように語るのだ。
「…………えー、そろそろ時間なので、最後の質問があれば受け付けます」
さすがの真紀も、みんながドン引きしていることくらいは解るわけで、誤魔化すようにというか、あからさまに誤魔化しのためにそう言った。
「はい」
と手をまっすぐ挙げた人間に、全員の注目が集まった。この期に及んで、何をこの女に聞くつもりなのかと思った。
ティナもなんとなく横目で見て。
「う」
と顔をしかめた。
テントウムシ女――榊美緒が腕を上げていた。
「あなたは――」
「榊美緒です」
先日殺しかけた相手の、今になって初めてその名前を知った。
何処かで聞いたような気がしたが、気のせいかもしれない。
美緒は立ち上がった。先日とは違う道着姿に、真紀は目を細める。
「『講武所』の師範は、時間があれば生徒との個人的な稽古や試合に付き合っていただけますが、御法師範にはその余裕はございますか?」
(それ、今聞く事?)
この場にいる、美緒以外の学生は全員そう思った。
真紀も思ったが口にしなかった。美緒があまりにも思い詰めた顔をしていたので、なんとなく言いそびれたのであるが。
少し首を傾げて。
「まあ……この後、少しなら……直弟子たちの相手は午後だし」
「では、――――決闘を、申し込みます」
「は?」
今度は、さすがに声に出た。
なんなのだ。なんなのだ、この生徒は。
論理も筋もあったものではない。飛躍どころの話ではない。稽古や試合の話が、なんでいきなり決闘の話になっているのだ。
「えーと……」
真紀は美緒をもう一度見る。立ち方が綺麗だし、雰囲気からしても免許皆伝以上――『剣』に達しているのは解る。多分、あと二年くらいかければ問題なく『験』に至り、『顕』をも使えることだろう。
(うーん……よく解かんない。私と試合でなく決闘がしたい? なんで? やっぱり、あんなことを聴衆の面前でされた復讐だとか?)
才気豊かなようだし、プライドも高そうだ。あんな目に合わされた屈辱を果たそうとしているとしてもなんら不思議ではない。不思議ではないのだが――
「まあ、いいけど」
「では」
たん、と床を蹴り、講師と同じ高さの教壇にまで跳躍し、着地した。手には木刀が一振り握られている。
「…………え」
呆気にとられている真紀の前で、木刀を床に一度おいて片膝をついて鉢巻をした。そして改めて立ち上がる。
「尋常に――」
「ここで?」
真紀の問に返ったのは、榊美緒の名乗りだった。
「
そして木刀を下段に下げ、ゆっくりと自分の背中に隠すように引いた。いわゆる脇構えというものだ。その様になっていること、堂に入っていること、なるほど、見事なものだ。
真紀は眉根を寄せたが、手を伸ばして掴み取ったホワイトボード用の黒ペンを右手に、左手に赤ペンを持ち、両手をぶら下げた。
「兵法二天一流、御法真紀。お相手仕る」
決闘が始まった。
(ティナ、これどうなってんの?)
(どうって、あのアホテントウムシが師範に喧嘩売って、師範がそれ買ったってだけじゃない)
(榊さんも師範も滅茶苦茶だよ……)
(無茶はあんたも割りとするでしょ。――いや、あのアホほどでもないか)
ティナは思う。何を考えているのだ。アホが。本当に頭の中身がテントウムシ程度に成り下がったとでもいうのか。あの女は。勝てっこないだなんてのは解っていることだろうに。直接対峙してあんな目に会ってなお、解らないとでもいうつもりなのか。アホが。
自分も御法真紀に一度喧嘩を売ったという事実をなかったかのように、考える。
講義室にいる生徒たちはほとんどが唐突な展開についていけなかったが、それでも充満していく緊張感に息を呑んだ。
榊美緒は少なくとも本気で、御法真紀もそれを受けて立った。今、こんなところで、見られるというのか? 大兵法者、御法真紀の戦いが。神童・榊美緒相手に。
湧き上がる期待は、果たして何なのか。真紀が圧倒的な力を見せつけるのを待っているのか、美緒がその美技で食らいつくのを見たいのか。
ジリジリと間合いを詰める美緒に対して、真紀は静かに立ち尽くしているままだ。
(結果は解りきっているけど)
ティナは拳を握りしめていた。アホが負けるのは解っている。だが、どう負けるかだ。師範相手に自分とアキラの二人がかりでどうにもならなかった。手も足も出なかった。武器を奪われ、魔術はまるで通じず、鍛えた技も封じられた。
しかし、美緒ならば、とも思う。アホテントウムシ女はあれで天才で自分より格上だ。そして色々と技をコレクションしているはいえ、本来は日本古流の正統な遣い手であり、その修業も欠かせていない。
(名門の流派の兵法者のタマゴ相手に、あの御法真紀はどう戦う?)
さっきまで聴いていた話は、主に《魔法世界》での戦いの話が中心だった。魔法使いや魔法騎士が相手の話が多かった。日本の兵法者相手にはどう戦うのかの話は言及はほんどなかった。
(同レベルの兵法者同士の戦いでは、ただの剣技同士での戦いになるというけど)
さすがにそれを美緒に期待するのは酷だろうが。
何処まで食らいつけるのか。
ティナは、知らず期待していた。
その時の榊美緒は、ほとんど何も考えてなかった。
考えてないというと語弊があるが、要は戦いに集中していた。全ての思考を、全ての感情をただ剣のためだけに奮っていた。
やがて。
思考はクリアになり、緊張は肉体から抜け落ちた。ただ剣のためだけに筋肉が動くようになり、ただ剣のためだけの骨格となった。
――無念無想。
言葉にするとあまりにも陳腐な、しかし剣士としてはこれができぬと一人前とすら呼べぬ。思考も何もかもを剣だけに集中した境地。
御法真紀の姿勢はあまりにも泰然自若。千年の時を経た大樹のようでもあり、動くことなく万年とそこにある巌のようでもあった。
打ち込む隙などありはしない。
はずだった、が。
ふ、と。
笑った。
笑って、首を傾げた。
微かな、静かな、しかし、確かに笑ったのだ。
御法真紀が。
剣理に合わぬ動きは総じて濁る。生じた淀みはあまりにも微弱であったが、今の美緒が見逃すはずもなく、木刀が八双に持ち上がる軌跡を見た者は講義室には誰も居らず、それが吸い込まれるように真紀の左肩へと打ち込まれるのを呆然と眺めるだけだった。
そう。
木刀は何も阻むものなく真紀の肩を打った。
一瞬、強烈な風が講義室を吹き荒れた。真紀のぼさぼさの髪を拭きちらし、何人かがかつてネットだけで見ることができた美しい横顔を目にした。
(――――嘘)
ティナは立ち上がった。彼女の目には、榊美緒の渾身の打ちに対し、御法真紀はまるで無防備なままにしか見えなかったのだ。
「見事」
そう言ったのは、打たれた真紀当人だ。
「…………なんで、」
美緒はそこまで言ってから、言葉を止めた。その続きに何と続けようとしたかはもはや解らない。ただ、彼女の目は大きく見開かれたまま、表情は強張っていた。
「いい打ちだった。『験』にも達するほどのこれが、当たり前に出せるようになれば、《魔法世界》でも充分に戦える」
真紀は顔色一つ変えずにそう告げ。
「――まあ、引き分けということに、しておきましょう」
「……………ッ」
はらり、と顔に垂れたのは額で両断された美緒の鉢巻だった。いかにして、いつやったのか、それは誰にも解らなった。ただ、それをやったのは誰なのか、そんなことは聞かずとも誰しもに解っていた。
御法真紀は「あと」と言ってから赤ペンのキャップを口に加えて外し、打ち据えた姿勢のままで硬直している美緒の額に花丸を書き込む。よくできました、までついている。
チャイムが鳴った。
「――それでは、ちょうど時間が来たので、今日はこれまで」
そう言って御法真紀は正面に礼をしてから、悠然と講義室を立ち去っていく。後に残された生徒たちは沈黙していたが、やがてざわめきだす。
「ミオ!」
一人ティナだけは、打ち下ろした姿勢のままで停止している美緒の元に向かった。
「あんた、大丈夫なの――」
「ティ、ナ」
錆びたロボットのような動作で、首だけを傍らにきたティナへと向けた美緒は、しかしそのまま膝から崩れ落ちた。木刀は床に転げ落ちて、パカリと二つに縦から割れる。
「これは……」
と拾い上げた明は断面を見て「凄い」と言った。あまりにも滑らかで、何かの加工処理をしたからようにしか思えなかった。どうやれば、人間の体を打った結果としてこんなことになるのか、まるで見当もつかない。
「……怪物め」
忌々しいものに遭遇したように、ティナは吐き捨てるように言った。
それは、この講義室にいた者全てに共通した認識であった。
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