第Ⅳ篇「函に眠る死者」
Ⅳ
ミリオポリス
《これは一大事だよ、ニナ長官》
室内――長官用デスクを囲むように並ぶ顔ぶれ。内務省/国防省/公安局総監部/公安委員会=空間投影された
《高速道の一部閉鎖を行った上で、各部署へ
しきりにハンカチで汗を拭くイグナツ内務大臣――予定されていた党の定例会をキャンセルして会議に参加=困り顔のシロクマ。
事件発生から三時間弱――多忙な週末に突如召集された出席者。
一様に顔へ隠しきれぬ困惑を張りつけた面々へ、ニナ――
手元の電子ペーパーに表示される報告書を読み上げながら、あらためてその数に戦慄を覚える――心の中で哀悼を捧げる。
方々から唸り声。《一体、何の儀式だ》《明らかに通常の事件ではない》《よもや反社会的なカルト教団の仕業か?》
ざわつく室内――イグナツ=神妙に。《まさに前代未聞の死体遺棄事件だ。政府としても扱いを図りかねる。そちらの方で何か手掛かりは掴んでいないのかね、ニナ長官?》
「現時点では犯人を示す有力な証拠は見つかっていません」ニナ=映像越しに一同を見渡す。「――ですが現場に残された遺留品から、
またもざわめき――しかし、先ほどとはやや異なる反応。所定の入国手続きを踏まず、この都市で亡くなった外国籍の集団――その意味が徐々に浸透するにつれ、みな毒気が抜けた表情に。
《つまり連中の正体は、異国からこの地に踏み入った〝難民〟だったということだ》不機嫌さをにじませた声――ギョッとする周囲の視線も意に介さぬ黒ずくめのカマキリ男=BVT局長エゴン。
ニナ=果敢な態度。「何か問題がお有りでしょうか?」
《 大いに問題がある。市民やその財産に被害が及ばぬ限り、事件の捜査は国外機関に委ねるべきだ》神経過敏気味な眼をすがめる。
《もとより連中はこの国の人間ではない。遺体の確認、及び事件捜査は各国大使館とその捜査機関へと引継ぎ、我々は国内の事件へ対処するのがよかろう》
まるで招かれざる難民に構っている暇はない、とでもいうような言い草――過激な発言に、他の面々が顔をしかめる。しかし、誰も正面から批難する者はおらず。無言の同意でこの場が満たされてしまう前に、先んじて口火を切る。
「確かにこの国にとって、彼らは異邦人かもしれません」静かなおもて――苛烈なる
鋭い棘を隠そうともしない果断な姿勢――イグナツ=火花を散らす両者を見比べる/どう取り持ったものか考えあぐねる。
事の流れを静観するその他の出席者――日和見主義者たち。
業を煮やすように、再びニナが口を開きかけたおり――
《これはこれは。どうやら会議は煮詰まっているご様子だね》
突然の声――この場に集まる者たちが、一斉に眉をひそめる。
《どうも、お集まりのみなさん。遅れて申し訳ない》新たに投影される映像――両手を合わせお辞儀する若者の姿。《立体映像ではシェイクハンドもできないからね。その点、
予期せぬ来訪者に驚きの声――それらを代表するように疑問を呈するイグナツ。《 クルスト外務大臣……国民党の定例会に出席しているはずの君が、なぜこの場に?》
《定型句が飛び交うだけの会合でしょう? 我が国の包括的国防体制を司るお歴々のエキサイティングな議論の方が、刺激的だ》
平然と返すクルスト=俳優顔負けの甘いマスク/豪放な立ち振る舞い――若干二十九歳の若さで国政を担う政界のホープ。《それに、聞けば外交的配慮も必要になる事件だ。となれば外務省としても無視できない。――そうでしょう、イグナツ内務大臣?》
涼しげな
ふいに咳払い――いっそう不機嫌そうなエゴン=ライバル政党のツートップを睨みながら。《失礼ながら、一政党の内情に関るような私的な議論は、
カマキリのひと睨み――首を
クルスト=むしろ相手へ共感を示すように。《いやはや。これは済まないね、エゴン局長。気にせず会議を進めてくれたまえ》
ますます苛立つ。《では、さっそく外務省からも各国大使館へ働きかけて頂きたい》
強引に会議の舵を握ろうとするエゴン――すかさずニナが遮る。
「国外機関との調整には時間を要します。もし、初動捜査の遅れから犯人を取り逃すようなことがあれば、我が国の治安に従事するもの全ての失態です――」
《
やたら親しげな口調に腰を折られる――クルスト=感じ入ったようにうんうん頷く。《君の言う通り事態は急を要する。流石、治安機構きっての才媛だ。何やら腹案もあるようだしね?》
皆が一斉にこちらへ目を向ける/期待を込めたイグナツの視線。
マイクを手渡すように手を差し出すクルスト=にこやかな笑み。
ニナ――道化染みたその態度に、むしろ警戒の念を強くする。
一体この男はどこまで情報を得ているのか――疑心を表に出さぬよう注意しながら、あえて相手の手管に乗る。利用する。
「トラックが発見された場所は、先般、我々が強制捜査を執行したシンジケートの所有する施設の近く――その構成員が函に眠る死者たちを手引きした可能性大です。確保された施設の解析次第で、函に覆われた真実へ至る道筋も得られましょう」理解を求めるに十分な間を置いてから、続ける。「またマスターサーバーの解析から、本事件の背後には大掛かりな国際的違法ルートを有する組織が存在するものと思われます」
《そのような非合法組織が、今もこの都市内で活動しているというのかね?》目を剥くイグナツ――再び室内にどよめき。
クルスト=ぱーんっ、と盛大に手を打つ。《それは大変だ! 市民を脅威から守るためにも、早急に都市に潜伏する勢力を検挙せねばならない》糊の利いたスーツの胸元から、アンティークな懐中時計を取り出す。《今は夜の八時だ。これより十二時間後の明日、朝八時に再び円卓を開こう。それまでになんらかの成果を出して欲しい。――それでいいかな、ニナ長官?》
「――はっ。必ずやご期待に応えてみせます。外務大臣閣下」
《いいねいいね。何事も必要なのは
一同の視線を一身に浴びて、若き俊英が会議を取りまとめる。
発言する機会を失ったエゴンが、苦虫を噛み潰したような顔で場を後にする――立体画像が消失。それが契機となり次々に去る面々/ウィンクを残して去るクルスト。
残ったイグナツ=ため息。《クルスト君も困ったものだ。彼を見ていると、自分が年を取ったと痛感させられるよ》
「若き優秀な政治家だと聞いています」
《私から見ても、よくやっていると思うよ。二年前に彼が前任者に代わり大臣へ抜擢された時は、異例の人事だと各メディアでさんざん叩かれた。だが、彼は評価を結果で覆してみせた。これからは彼のような若者こそ、この国には必要なのかもしれないな》どこか遠い目をしたイグナツ――ニナを振り返る。《もちろん、君もその一人だと考えている。私も期待しているよ、ニナ長官》
静かにイグナツが去る――深々と椅子に身を委ねながら、事件に対する思案を巡らそうとして――ふと気づく。真にあの場で舵を握っていたのは、最後にやってきた若き来訪者であったことに。
☆ ☆ ☆
死者六十九名――死因は窒息死。密閉された空間に大勢の人間が押し込められたまま長時間放置されたことで、酸欠に陥った。
MSS本部ビル四階――隊員寮内のシャワールーム。
併設されたサロンに置かれた液晶テレビ=夜九時のニュース。
事件を報じるワールドワイドTVの女性レポーター/気難しい顔のコメンテーター/話題は欧州に押し寄せる難民問題へ。
「あ~、つまんねっす」比叡=行儀悪くソファで足をバタバタ。
「…………」春奈=テレビはガン無視/黙々とゲームをポチポチ。
帰投後、一足先にシャワーを終えた二人――凄惨なニュースには興味なし。例えそれが、仲間の関わった事件であったとしても、つねに犯罪者とドンパチを繰り広げて生きる特甲児童にとって、そんなのもはや日常に過ぎず。大騒ぎすること自体、意味不明。
「だいたい、天姫がおかしーんすよ」ぶつぶつ文句を垂れる比叡。
春奈=PDAの画面から目をそらさずに。「……比叡ちゃん、天姫センセーが心配なんだし?」
「そうじゃないっす。ただ、落ち込んでる天姫はなんか嫌っす」すたっと床に降りる/屈伸運動。「悪い奴らはみ~んな蹴っ飛ばしてやりゃいいんすよ。それで天姫も元気になるっすよね!」
大きく伸びをする相方を観察しながら、春奈がボソリと呟いた。「……こっちからも、キマシタワーの気配がするし」
シャワーブース――頭から熱い湯を浴びる天姫。
隅々まで染み付いた死臭を振り払うように、丹念に体を洗う。
まるで葬儀の清め――
ミシリッとパーテーションが音を立てる――気づかぬうちに、手をついた壁に指がめり込んでいた――機械仕掛けの手足/優れた力を与えられながら、己の無力さに打ちひしがれる。
「――こらこら。本部の備品を壊すな、天姫」
思わぬ声に、体がバネ仕掛けの人形みたいに跳ね上がる――足が地上に帰ってきても心はまだ空を舞ってます、といった
スモーク仕様の扉の前に立つ乙――肩にタオルをかけただけの一糸纏わぬ姿。「シャワーを浴びる時は、必ず二人以上で行動すること――お前が入隊した時、最初に教えた心得だったな」
ハッとする――もし機械の手足が誤作動を起こせば、たった水深数センチの浴室内でも溺死する。もちろん、そんな可能性は万に一つもないし、実際は交通事故死する確率の方がよほど高い。半ば都市伝説と化したリスク――だが、それでも馬鹿正直に守れと他ならぬ乙から教えられた――そんな基本も失念するほど自分はショックを受けていたのだと、ようやく気づかされる。
「だって、お姉サマ……」言い訳を口にしかけて、押し黙る。
〝つねに精鋭として自覚をお持ちなさい〟――大見得をきっておきながら、こんな情けない姿を晒すなんて。
羞恥に俯いた、その顔が――ふいに温かな感触に包まれる。
「――――」
抱擁――乙の両腕が、天姫を抱き締めていた。
「天姫は小隊長だからな。周りに心配かけないように、ずっと気を張っていたんだな」まるで姉が妹をあやすように、少女の肩を抱き寄せる。「ここには私とお前しかいない。……私の前では、泣いたっていいんだぞ?」
抱擁――伝わる温もり/伝わる鼓動。
函の中から救い出した少年と同じ、命の証――それを認識した途端、天姫は自分の中から何かが溢れ出すのを感じた。
「お姉サマっ。ワタクシ、ワタクシは……」零れ落ちる涙と共に、声にならない感情の渦が押し寄せる。それは不条理な死を迎えた者への哀れみ。それは不条理な死をもたらす者への怒り。それは不条理な世界を生きる者への――不条理な世界への嘆きだった。
「ワタクシは……う、ううっ……」相手に身を預け、泣き続ける天姫――その声なき訴えを、乙はただ黙って受け止めた。
ひと雫の水が大河となり、やがては海へと注がれるように――熱いシャワーが、その哀しみを押し流してくれるまで。
「ふむ。あのヘラクレスが使命を置いてまで船を降りた理由か」
「はい、答えはどれですかしら? お姉サマ♡」
「そうだな」二人で髪を
〝
入隊したばかりの頃は、よくこうやってお姉サマと二人で背中を流し合っていたな――という懐かしい気持ちと、生まれたままの姿で二人っきりという〝夢のようなシチュエーション〟に悶えながらシャワーを終える。手早く着替えを済ませ、ブースを出ると、それを待ち構えていたようにサロンで比叡+春奈と遭遇。
「なんだ。天姫、泣いてないじゃないっすか」「元気そうだし」
「なな、泣いてなどいませんわ。このワタクシを誰だとお思いですの?」腰に手をあて胸を張る――ちらっと横目で窺うと、壁際に佇む乙が、ぱっちりとウィンクするのが見えた。
「さ――あ、お二人とも。今はまだ準待機中ですわよ。いつまでも油を売っていないで、デスクに移動ですわ」ちょっと気恥ずかしい気持ちを押し払い、いつものように年長者らしい威厳を振りまこうとした矢先――ふいに脳裏にコールサイン。
「これは――」驚きに言葉を失う。
「どうしたっすか?」「何かあったんだし……?」
首を傾げる比叡+春奈――小隊長以上のみ閲覧可能な情報を、脳内チップを通して読み取った乙が代わりに答える。
「たった今、救助された難民の少年が意識を取り戻した。彼の証言から、犯行グループを示す手掛かりが得られる可能性がある。これから医師同伴のもと、聴取を執り行うそうだ」
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