第Ⅲ篇「黄昏の妖精」
Ⅲ
二十一世紀に入り、ミリオポリスでは伝統ある歴史建築と近代都市の
その発展――文化委託。紛争や災害により維持困難となった国の文化をミリオポリスが管理――さらに国連から多額の保全金。
マチュ・ピチュ/アンコールワット/金閣寺=各地から移設された文化遺産――周囲に観光客目当てのカジノ+ホテル+歓楽街。
古今東西のあらゆる人と文化を混ぜ合わせ、難解なパズルを組んだかのような、世界的にも類をみない特異な街並みを形成。
ホテルや飲食店の並ぶ繁華街の雑居ビル――屋上に天姫。
《こちら天姫。配置につきましたわ》
街を見下ろす――観光客や民族衣装に身を包んだ多様な人々の行きかう
《私が子供の頃は、森と畑ばかりだった土地なのだがね》御影の通信=都市の変わりゆく様を体感した世代。《お陰でいま我々は、市の観光局が文化財周辺での強制捜査を許可するまでの間、手をこまねいて行き交う観光者を眺めるしかない訳だ》
皮肉を込めたぼやき――指揮発令所でもある電子戦車両〈アイギス〉は、現場から離れた国道に待機。もっとも大型の二階建てバスほどもある装甲車両が、もし観光地のど真ん中に出現したりすれば、たちどころに情報はSNSで拡散され市に苦情が殺到するばかりか、騒ぎに勘づいた
「……
ただでさえ人通りの多い観光地に加え、今は週末の午後。
目標である施設――奥まった路地裏の食品倉庫=その周辺にも人や車が往来――不確定要素が多いほど、作戦に支障をきたす。
気を引き締め、脳内チップを通して配置状況を確認――東の通りでリフティングをしている少女=比叡――民間人に偽装。
西側にあるデパートの非常階段=春奈――踊り場でうずくまる。
北側に立つホテル八階に捜査官=室内に設置された観測機器。
数ブロック先には戦術班の機体=不測の事態に備えた後詰め。
そして南に天姫のいる雑居ビル=伏兵を警戒――ネズミ一匹逃さぬ円陣防御態勢――御影の本領=定石通りの
気がつけば目が自然とその姿を探している――食品倉庫の裏手=MSS公用車の影で静かに佇む女性――乙。
抗弾スーツの上にレディースジャケットを着た潜入ルック――腰に細長い棒=今やTNT火薬よりも密輸困難とされる
「うう……戦地に赴くお姉サマをお供することが叶わないなんて――ワタクシとしたことが、一生の不覚ですわ」
天姫=局地戦型の特甲少女――まさか対大型兵器戦を想定したレベル2最強を誇るその火力が仇となり、後衛に回されるなんて。
世の不条理を嘆きながら、気分はすっかりロミオとジュリエット。
「はうっ!」イケナイ妄想――日本の
《どうした天姫? 瞑想でもしていたか?》数百メートル先から蒼い隻眼に見つめられる――思わずドキリ/すぐに相手も本部の情報にアクセスして、各員の配置を確認していたのだと気づく。「いえ……特に問題ありませんわ♡」
《そうか? いつもより口数が少ないものだから、ゼンギョーでもしていかと思ったぞ》動揺を見透かすような返答――非番の時に乙が独り座禅にふける姿を見かけたのを思い出す――なるほど、これがサムライのジンツーリキですのね。
「今度ご一緒させて頂きますわ」内心ひやひやしつつ、話題変更。
「それより、作戦開始はまだですかしら? 早くしないと犯人に逃げられる怖れが――」
《突入するのは、太陽が地に落ちてからだ》ふいに全隊通信。
「日が完全に沈みきる直前に強襲する。敵が夕日に目を眩ませた瞬間を狙う」目標施設の正面――土産物の雑貨屋前で、鉄の
骨伝導マイク+超小型カメラを仕込んだスポーツグラスを外す――ゆっくりと肉眼で周囲を虎視。「目標左手にあるビルの三階。南から二番目の窓に双眼鏡を持った男がいる。敵の見張りだ」
《我らの人間レーダーが相手とは、運の悪い連中だ》御影の即応。《後詰めからサロモンとカスパルを回す。本隊の突入と同時に、
刻一刻と傾く日射し――街の影が長さを増すごとに高まる緊張。
比叡=愚痴。《春奈はいいっすね。アタシも暴れたいっす!》
春奈=鬱々。《お仕事頑張るし……敵倒してコインGET♪》
天姫=不服。《突入の掩護なら、ワタクシがおりますわっ!》
御影=鷹揚。《前回のように、敵が大型兵器を隠している恐れもある。
乙=励ますように。《二人が背中を守ってくれるなら、こちらも安心して戦える。この程度の相手なら
「もうすぐ突入時刻だ。無駄な通信は控えろ、敵に傍受される」
日向=憮然とバイクを降りる――通りの先に、機動捜査課の人員を連れた戦術班員を認める。「二人が到着した。俺は予定通り、機動捜査課と共に正面から陽動をかける」
御影。《――了解した。こちらも今しがた、市から突入許可が下りた。すでに機動捜査課の別働隊が、数ブロック先で一般市民の誘導を始めている。……なんとか刻限までに準備が整ったな。では――いくぞ、野郎ども!
「オーマガトキだな」乙――真っ赤な夕焼けが、その背を染める。
キョトンとする天姫の声。《なんですの、それは?》
「
《……なんだか危険な放送禁止用語にも聞こえますわ》不安げに。《まるで東洋の
「案ずるな。オーマに出くわすのは、敵の方だ」流れる手つきでカタナを抜く――夕日に映える白刃が美しくも危険な光りを放つ。
「ゆくぞ――奴らにインガオーホーとは何かを教えてやる」
夕日が地平線に重なる――昼と夜の狭間――血のような赤い空。
それを切り裂く日向の号令――「やれ」ショットガンを抱えた捜査官が、正面から倉庫の窓へ催涙弾を次々と撃ち込む。
裏手――抜刀した乙率いる突入班が行動開始/裏口を一刀両断。
ビルの屋上――天姫=それらの光景に後ろ髪を引かれながら、夜の
四肢がエメラルドの輝きに包まれる――一瞬で機甲化=その背に広がる
眼下に煌びやかな繁華街――数ブロック先の通りに人だかり=捜査課の車両が一帯を封鎖――やや離れた位置で空を旋回する翡翠の輝き=機甲化した比叡――付近の哨戒に当たる。
数百メートル先のホテル――非常階段から飛び立った瑠璃の輝きがふっと宙に掻き消える――機甲化した春奈=透明化/先行する戦術班員二名と共に、隣のビルに潜む敵の見張り役を制圧。
開始からわずか数十秒――瞬く間に目標施設が制圧されてゆく。
突入班から次々に届く《
《二階、
「……そうでなければ、ここにいる意味がありませんわ」無意識に零れ出た地声での呟きが、冷たい夜空に飲み込まれる。
思考を切り換える/与えられた役目を全うする――後衛の役割=上空の監視/伏兵への警戒/敵の支援者を見逃さないこと。
あらためて現場周辺を索敵――羽の探査と周囲を飛行する偵察ドローン〝
戦闘に特化したカブトムシの羽――本来は苦手な作業に集中。
ふいに音響探査に何かがヒット――導かれるように上空を旋回。《こちら天姫、現場周辺にて不審な車両を発見。至急、ご確認お願いしますわ!》
現場から離れた国道三号線――〈アイギス〉車内。
「こちらでも確認した。敵の支援者か、もしくは逃走用にあらかじめ用意しておいた車両かもしれん。解析課に調べさせよう」
インカムを操作する御影――モニターに新たな通信ウィンドウ=本部の情報解析課より水無月が応答。《張り切ってるようじゃないか、我らがじゃじゃ馬
「水無月くんか。あの筋肉モリモリマッチョマンはどうした?」
《ボスはうちの〈
「いや、君の腕は信頼しているとも。ただ、あのマッチョマンがいないと調子が狂うだけさ」御影――同年代の解析課長を密かにライバル視/対抗心。「こちらも負けていられないからな」
《僕としては中立な立場を保ちたいね。該当車両を〈
《鮮度が売りの品を運ぶにしては、随分のんびりした連中だな》御影=
《これくらい
苦笑気味に応じる。《では、そちらは
《かしこまりですわっ!》一気に加速――眼下に夜景が織り成すイルミネーションが流れる――すぐに地区南部=市街地から離れた保全地域の切れ端に到達――灯りもまばらな河川沿岸の倉庫群。
都市の物流を支えるバックヤード――河川を渡る船便や国境横断道路が隣接することから、それらを悪用した違法な取引きの温床にもなっている
ドナウ川を沿うように走る
そのまま上空を旋回――慎重に一帯を探査/眉をひそめる。
《目標を肉眼で確認。……運転席及び、車両周辺は無人ですわ》
《付近の監視カメラ映像からも、特に怪しい人物は見当たらないか》御影=珍しく考え込む。《……どうも様子がおかしい。これから〈アイギス〉で急行する。確保したトラックの調査は我々に任せ、
《あら……ワタクシ一人でも問題ありませんわ》悠々と降下――トラック後部のアスファルトへ優雅に
やや呆れるような御影の気配――構わず長槍のみ還送を実行/身軽になった状態で、古びたトラックの後部ドアへ手を伸ばす。
荷台から漂う鼻をつく異臭に、思わず顔をしかめる――乗馬経験のある天姫=幼い日に立ち寄った厩舎を連想。ドア越しにも届く腐った糞尿の臭い――一体、中に何が積まれているのか?
老朽化したフレームがギィギィ軋む――暗い
「うっ――」途端に強烈な異臭が立ち込めた――むせ返りそうになりながら、凝らした目と羽の探査の両方で、闇の中に浮ぶその光景を見た。
折り重なる死体の山――荷台の床一面いたる所に、すでに息絶えた人々の
腐りかけた多くの遺体――服装から
《――――どうした、
ふいに通信――頬をひっぱたかれたように、我に返る。
「ひ、人が……」とても自分のものとは思えない、
《……どういうことだ。シンジケートの連中が、仲間割れを起こしたとでも? もっと詳細を――》
激しく首を振る――悲痛な叫び。「ち、違いますわっ。大人も子供も……みんなみんな……死んでいますのっ」
ただならぬ事態を察する御影=ゆっくりと言い聞かせるように。《あと五分でこちらも到着する。我々と合流するまで、
通信アウト――足元がぐらぐらと揺れる感覚。目の前に広がるこれが一体なんなのか、まるで理解できなかった。
オーマガトキだ――災禍を呼ぶ刻限。では、彼らはどんな魔物に出遭ったことで、こんな地獄に放り出されたというのか――。
よろよろと荷台の外壁にもたれかかる――湿った風が運ぶ死臭に、不覚にも嘔吐しかけたところで――羽の音響探査が、荷台の中から聞こえる
祈るような呟き――明らかに人の声――まだ生存者がいる。
まさかと思った――だが思考よりも早く体が動いていた。身を翻しトラックの荷台へ――わずかな希望へすがりつきたい一心で、床に横たわる何十体もの遺体の中から、生き残った者を
「もしっ、ワタクシの声が聞こえますかっ?」遺体の垂れ流した糞尿と腐りかけた体液が混ざった死の臭いが、体の隅々まで染み付くのも
遺体を傷つけないように細心の注意を払って、狭い荷台の中を滞空しながら、ひたすら死者たちに呼びかけ、その脈を取った。
ごめんなさい、ごめんなさい――心の中で、彼らに詫びながら。
ごめんなさい、ごめんなさい――はたから見れば墓荒らしのような行いに対してか、それとも彼らを救えなかった己の無力さをか――自分でも何を詫びているのか分からずに、それでも
いた――見つけた。死の絶望に包まれた空間で、たった一つの命の脈動を――荷台の奥に設置された換気設備の下で、その幼い身を丸めていた男の子を、ついに捜し当てていた。
まるで壊れ物を扱うように、小さなその身を優しく抱き上げた――汚れた衣服の上からでも、その奥にある確かな鼓動が感じられた。暖かな温もり――命の温もりだった。
「――ああっ」言葉にならぬ吐息と共に、少女の頬を伝わる一筋の涙が、少年の顔へ落ちる。むずがるように身をよじらせた少年が、何事かを呟いた――理解できない異国の言葉。神への祈り。
それがまるで、天使の
それだけが、この絶望に閉ざされた暗い函の中で、最後に残された希望そのものだった。
高速道を
トラックの荷台――屍の山を越え、白金の輝きが現れる。
愕然とする大人たち――天姫=聖母のように優しく少年をその腕に抱き、告げる。「――生存者ですわ。すぐに救護の手配を」
我に返った捜査官らが慌てて走り出す――関係各所への手配/現場の封鎖――担架を担いだ救命隊員が、男の子を運んで行く。
それらの喧騒に置かれ、無言で肩を震わせる少女――その肩へ、脱いだ自分の制服をかけてやる御影。「よくやった、
突入開始から数分――乙=冴え渡る
浮き足立つシンジケートの人間を次々に無力化――敵味方ともに誰一人として命を奪わず/奪わせず。
人ではなく、悪そのものを断つ――ミョーオーサマの活人剣。
施設各所を制圧――残るは三階奥にある管理室。罠が仕掛けられていないことを確認した突入班が、ショットガンで扉を破壊。
暗い室内――突入時に電気回線を切断したため、施設が停電。
非常灯と計器に照らされた奥の壁――電子機器に囲まれた玉座のような機械=天井から伸びるパイプオルガンみたいな無数の管――その下の椅子に腰掛けている一人の男。
銃を構え隊員が包囲――そこで施設が予備電源に切り替わる。電力が復旧した室内――照明の下に、男の姿が浮かび上がる。
「うっ」隊員らの
後ずさる隊員ら――乙=首のない男の姿に、眼をすがめる。
「三階管理室で目標を発見した。……すでに死亡している」
破壊された扉から別働隊が到着――進み出る日向。
「――首がないことを除けば、俺が追っていた男で間違いない。ヤウズ・ウール、四十歳。この都市で複数のグループと取引きを行っていた、シンジケートの仲介人だ」
乙=隻眼を首の切断面に向ける――鋭利な断面/凝固した血液。「骨まで一撃で断たれている――やったのは只者じゃないな」
「しかも、この男は我々が突入する以前から死んでいた」日向=ゆっくりと現場を
すでに事切れた男――汚れたシャツの胸元に一枚のカード――釘で打ち付けられたトランプ=
「先日、建設中の地下鉄構内で殺されたBVT局員と同じ
「切断マジックを
《おっと。あまり近づかない方がいいぞ、切り裂きジャック君》水無月=突入班の装着するウェアラブル端末から送られた画像で状況を把握――剣呑な警告。《そいつは〈エインヘリャルの館〉――仮想現実空間へ接続するマシンだ。気をつけろ。さっきから〈
「セーフガード車両なら、電子的汚染にも対処可能だ」日向――胸元に仕込んだ通信マイクへ口を寄せる。「聞いていたか、御影。こちらに〈アイギス〉を寄越してくれ。ここのデータベースからこれをやった処刑人の手掛かりを追う」
ふいに室内へ輝きが飛来――翡翠の輝き=比叡。「あ~、マジ飽き飽きっす。ただ飛んでるだけじゃ、退屈っすよ~」
続いて瑠璃の輝き=春奈――透過防壁を解除し、ゆらゆら漂う。「こんな
突然やって来ては不満を垂れる二人――乙=呆れるように。「どうしたお前たち? 任務中は、指示あるまで持ち場を離れるなと教えたろう。勝手なことをすると、天姫の雷が落ちるぞ?」
「――だってセンパイ。さっきからな~んも連絡ないんすよ?」「ウェヒヒ……これが放置プレイですね。分かります」
「なんだと?」眉をひそめる――突入してから今まで、外に待機しているはずの天姫から通信が一切入らなかったことに思い至る。
隣で首を振る日向。「――御影と連絡が取れん。通信官は外で別の事件が発生し、そちらを対処中だと言っている」
「――日向、ここは任せる。来いっ、比叡、春奈! 何が起きているのか確認する」走り出す乙――そこで脳裏に信号=全隊通告。
「――っ!? 長官専用の最優先コードだと?」
驚愕に目を見張る――不穏な事態に隊員らが顔を見合わせる中、凛とした声音が届く=全隊員へのオープンチャンネル設定。
《これより現場を電子的に封鎖。しかるのち、マスターユニット車両〈トリアイナ〉を派遣――以後、当該施設及び仮想現実空間の捜査は、解析課の〈
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます