其の十
仕事のことではないけれど、今後の希望を課長に話してみた。
課長は「ん、いいんじゃないの?」と言ってくれた。
「それに向かって努力することは、全然悪いことじゃないよ。少なくとも、僕は味方だから」
ようやくオイカワくんも身を固めるのかー、なんてぼやきは聞かなかったことにする。
11月の冷たい風が、街路樹をいたずらに揺らす。
どさくさに紛れてもみじの葉がやってくることを期待したが、それはなかった。
知る人ぞ知るカツカレーのおいしい老舗の喫茶店を課長が教えてくれたので、行ってみることにした。
テーブルに着き、本屋で買ったばかりの古民家再生に関する本をながめる。
気になることがあったので、スマートフォンの電卓をたたいて、溜息をついて、また本に視線を落とす。
ふと、シトラスの香りが鼻をくすぐった。
顔を上げると、もみじの葉をくっつけた彼女が微笑み佇んでいる。
大盛りのカツカレーをさくさくと咀嚼する彼女は、ちょいとお茶目な女の子だ。着物に油がはねないか、こっちが不安になってしまう。
怪我が治って熱も引いた彼女は、すぐに新しい仕事先が見つかった。
今度は、和風のカフェだ。
面接にはリクルートスーツで行ったらしいが、女性の店長は彼女を何度か見かけたことがあって「着物の子!」と認識していたのだそうだ。
カフェには作務衣みたいな制服があるが「いいじゃん、着物でも」と店長にありのままをすすめられ、彼女は
今日は日曜日だが14時から仕事らしい。
カツレツの衣を唇にくっつけてご満悦な彼女は、今のアルバイトが嫌ではないらしい。
「先程は何かお悩みだったのでしょうか?」
整った眉をハの字にして小首を傾げる彼女に隠し事ができず、俺は考えていたことを彼女に話すことにした。
「家を建てようか、古民家を購入してリフォームしようか、考えている」
彼女は「素敵なことでございます」と言いたそうに目を輝かせるが、おそらく真意を理解していない。
「欲を言えば、カエデちゃんと結婚して、きちんと籍も入れて、幸せな家庭を築きたい。恥ずかしながら、それが叶うかは未定なんだ」
彼女が鬼として暮らしている家を捨てろとは言えないから、彼女が行き来しやすい家を、自然豊かな場所に用意したい。
「気持ちを考えず、勝手に考え始めていて、すみませんでした」
話していたら、だんだん情けなくなって、できるだけ深く頭を下げた。
「しかも、俺の貯金だけでは全然足りそうにないから、両親から借金をすることになる可能性が非常に高い。そうなったら、カエデちゃんにも両親に会ってもらうことになるかもしれない」
温厚な彼女でも、さすがに角を出して怒るんじゃないかな。
おそるおそる顔を上げてみたら、彼女は頬を紅くしてこめかみの少々上を両手で押さえていた。
カツカレーは完食。デザートのロールケーキにはフォークで欠いた跡がある。
「あの、あのね……」
彼女は口をもぐもぐしたまま、口元を両手で隠して、ぺこりと頭を下げた。
「嬉しゅうございます。おうちも、ご両親に会わせて下さるのも」
うにゃ、と手を伸ばして、俺にちょっかいを出そうとする。
左手を狙って、薬指を絡めようとして。
まずは指輪の購入が先かな。
生まれ育った長野県が嫌いではなくなった。
彼女と見る景色が好きになった。
「雪女」や「天の羽衣」といった異類婚姻譚は、許容範囲になった。
愛する彼女と結婚したら、俺も異類婚姻譚の男のひとりになる。
それも悪くない。
これからは、できるだけ彼女と一緒にいる努力をする。
彼女に食われる結末になったとしても、最後の最後まで、ふたりで歩むのだ。
彼女に合わせて店を出た。
「ユウキくん、あのお言葉をまた頂けますか?」
カツレツの油が拭いきれていない唇が、リップグロスをつけたみたいに艶っぽい。
プレッシャーになっているかとばかり思っていたあの言葉を、なぜか彼女は気に入ってしまい、たまにせがまれる。
俺は「行ってらっしゃい」の後にあの言葉を続けた。
「絶対に、無事に帰ってきて」
彼女は「はい!」と元気よく答え、きびすを返して職場へ向かう。
アップにした髪は、もみじのかんざしで留めていた。
軽井沢に行ったときに彼女へのプレゼントに買った、緑と赤のもみじのかんざし。
季節が変わった今日も、彼女はつけてくれている。
山から運ばれてきた紅いもみじが、彼女の後をころころと転がっていった。
【「もみじな彼女と平凡な俺と」完】
もみじな彼女と平凡な俺と 紺藤 香純 @21109123
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