其の四

 もみじの似合う彼女に見とれた日、俺は数時間行方不明になっていたらしい。

 あの女の子のママが「娘は見つかったのに、広報の人が帰ってこない」とプチパニックになり、市役所に電話をしてしまったのだそうだ。

 たまたま課長が残務処理をしにきていて電話を受け、「ん、平気ですよ」と呑気にママをなだめた。

 俺はといえば、タイムラグは気になったが「不思議な体験をした後だからこういうこともある」と自分に言い聞かせて市役所に戻った。

「何かあったんでしょ? 狸に化かされた?」

 信じてもらえないとは思ったが、課長には一部始終を報告した。

 課長は俺の話を真剣に聞いて、ぼてっと真顔で言った。

「その彼女、『鬼女紅葉』かもしれないよ」

 鬼女紅葉という固有名詞は、サブカルチャーにうとい俺でも知っていた。

 平安時代に悪事をはたらいて武士に討たれたという鬼女の伝承が、長野県には残っているのだ。

 だが、現在進行形で鬼女紅葉が生きているというのは、いくらサブカルでも理にかなっていない。

「ま、今も生きているなんて、普通は思わないよね」

 課長は俺の表情を読み取って、にこにこ笑った。

 課長のお父さんが社会科の先生をしていて、独自に民間伝承の研究をしていたらしい。

 そんなお父さんの影響で、課長も民間伝承に関心を持って情報を集めているそうだ。

 最近はSNSを見ることもあって、お父さんの手記と共通する話をみつけたらしい。

 近くにもみじの木がないのに、大量のもみじが降ってくることがあったという。その近くで不思議な出来事があったということも。

 そのときの直近の情報では、8月に佐久のサービスエリアで「鬼女紅葉、かれたか」というツイートがにわかに沸いたのだとか。

「人づての人づての人づてに聞いた話だから、尾ひれがついているだろうけど、ぼくは鬼女紅葉がこの一帯を見守っているんじゃないかと思っているんだよ。罪滅ぼしみたいなものかねえ」

 ぼくも会いたかったなあ、なんて課長は窓の外を眺めていた。

 もう夕方だった。長野の町と山々が夕焼けに染まっていた。



 それから約2か月後、年末というフレーズが聞かれる頃。

 俺は彼女と再会した。

 月曜日の朝一番で提出したい書類があったため土曜日の午前中に出勤し、終了後に昼食にしようかと市役所の近くの定食屋に入ったときだった。

 カウンター席にいたのだ。

 もみじの彼女が。

 着物姿で、長い髪をゆるふわのアップにして、カレーライスと睨めっこをしていた。

 俺が隣の席に座ると、彼女は顔を上げて「あっ」と呟いた。

 俺は「どうも」と会釈をして「どうかしました?」ととりあえず訊いた。

 彼女は店員に聞かれないように、こっそり打ち明けてくれた。

「カレーなのに、カツレツが乗っておりませぬ」

 どういうわけか彼女は、スタンダードなカレーライスにカツが乗ってるものだと思い込んでいたらしい。

 傷つけないように言葉を選んで指摘すると、彼女はこめかみの少々上を両手で押さえて、頬を紅く染めた。

 後々思えば、ずいぶん洒落っ気のない再会だった。

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