其の五
何度か会ううちに、彼女のちょっとした仕草や表情に惹かれてゆく自分がいた。
彼女は本当に鬼女紅葉なのだろうか。
疑問を抱えたまま、年明けに彼女と交際を始めた。
今から7か月か8か月前のことである。
彼女はアルバイトをしていて、社会保険の被保険者証を持っていて、携帯電話も持っていた。
俺には、彼女がひとりの女の子にしか見えなかった。
“天然で世間知らずの”と前置きが必要だけど。
東京で桜の開花が発表された頃、彼女を猫カフェに連れて行ったことがある。
猫と戯れる彼女を愛でたい、という俺の下心に因るものだった。
しかし、お店の猫は総じて彼女に近づこうとしなかった。
店員も首を傾げてしまうくらい、珍しいようだった。
泣きそうな顔で猫の尾を見送る彼女に「違うところに行こう」と促したのは、入店から20分後だった。
昼食にはまだ早く、とりあえず「昭和の森公園」へ向かった。
公園に着くと、彼女は「ずっと隠し事をしておりました」と涙をこぼし、ぽつりぽつりと自身のことを話してくれた。
彼女は本当に、鬼女紅葉だった。
ただし、平安時代に討たれた本人ではなく、その後継者。長野県周辺を悪霊みたいなもから守っているらしい。
善光寺で黒い影に飲まれそうになっていたのが俺だと知っていて、女の子をかばった勇敢な人だと勘違いしていた。
俺が彼女に惹かれているように、彼女も俺のことを好いてくれていた。
「あなた様をお慕い申しております。ですが、いつか食ろうてしまうやもしれませぬ」
彼女を怖いとは思えなかった。彼女は変わらず、魅力的な女の子だ。
俺はためらわずに答えていた。
「こんなまずそうな男でよければ、どうぞ食べて下さい」
人目もはばからず、公衆の面前で彼女と唇を重ねた。
彼女との初めてのキスに昇天しそうになったが、余韻は長く続かない。
俺は気づいていなかったのだ。
課長が近くにいて、一部始終を見聞きしていたのだ。
休日だったから、課長は
課長は彼女に「あのときはオイカワを救って下さってありがとうございました」と深く頭を下げ、俺には「もうプロポーズ終わり? あっさりしてたね」なんてにやにや笑ってくれた。
課長はその後、公園の近くのファミレスでランチをおごってくれた。
ダブルカツカレーとロールケーキを夢中で頬張る彼女は、猫カフェの猫と比べてはならぬほど無邪気で可愛らしかった。
ちなみに、課長のダックスフントは最後まで彼女に懐かなかった。
昭和の森公園で彼女と俺を見かけた人は他にもいて、俺達は市役所職員公認のカップルになってしまった。
4月になると彼女は、ふきと
ふきのすじを取って真っ黒になってしまった指先を見たら、俺は彼女への思いが強くなっていたことに気づいた。
愛おしいという感情を、初めて味わった。
彼女と俺は、本来なら住む世界が違う存在なのに。
俺は割り切ることができず、8月になった今でも彼女と交際を続けている。
子どもの頃に嫌いだった「雪女」や「天の羽衣」とか、もう鼻で笑って「ありえない」なんて言えなくなっていた。
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