第6話 体毛
人間は進化の中で徐々にその体毛を失って行ったと言うが、であるならばハゲは人間の進化の究極系である、と唱える人々がいるという。
薄毛の人が悩む気持ちはよく分かる。他の人にあって、それが自分に無い。過去に持ち合わせていたものが自分の意志とは無関係に損失させられる気持ちは悲壮以外にどう表現しようと言うのか。
しかし一方で、毛深い事に悩む人がいるのも事実である。
私の友人に、毛深い人代表のような男がいる。
その名は熊田(悪意ある偽名)だ。
「おっはよー、くまちゃん。今日も毛が濃いね」
朝からピチピチ学生に黄色い声を投げかけられるのは熊田。あだ名はくまちゃんだ。口下手な性格に加え、身長180センチを超す長身、大抵の既成品が小さすぎて着用出来ない程の体格の良さはまさしく熊である。しかしその愛らしいキャラクターから女子にモテる。学年の癒し系キャラとして知れ渡った存在だ。
まず彼はあらゆる体毛が濃い。それは顔面から既に濃厚に伝わってくる。眉毛は逞しくボーボーで(それもクラスの可愛い子が暇を見つけては切りそろえてあげている)、ヒゲは朝剃っても夕方にはチクチクを通り越してジョリジョリにまで育ってしまう。その為彼は試験やイベント等があると電動ひげそりを持ち歩いており、たまに女子達にムダ毛処理の道具として貸し出されていたりする。
腕は真っ黒になるほどの腕毛が生え揃っている。不思議な事に二の腕の内側だけは綺麗に生えていないので、夏場の練習シーン等では見事なツートーンカラーを拝むことが出来る。彼いわく、「蚊に刺された記憶が無い」らしい。取り巻きの女子が言うには、あまりにも毛深すぎるために蚊が皮膚まで到達出来ないのでは無いかという事だ。羨ましいのか同情していいのかよくわからない。
そして一番は彼の立派な胸毛だろう。ワイシャツの第二ボタンを締めていてもせり出してしまう胸毛は見事だ。その量は凄まじく、胸毛が生えているという表現より、その部分は体毛に覆われている(哺乳類を想像しながら)という方が良いのでは無いかと言う程だ。
そんな彼ならではの珍エピソードがある。
学校主催の健康診断で、健康診断カーが学校に訪れたある日の事。彼は美人看護婦に胸を出すように言われTシャツを捲し上げると、
「うほっ、まじで(ここは超小声)、はい、ありがとうございます(最後は微笑)」
と言われたのだという。その後ろに第三話で登場するおっさんが居て補足説明をしてくれたのだから間違い無いだろう。
しかし心電図測定は難航した。心電図測定のために胸に吸着させる測定器が、その胸毛の量が多すぎるあまり吸着出来なかったらしい。何度もエラー音が鳴り彼は自分の心臓に何か問題があるのでは無いかと心配したらしいが、笑いを堪えながら焦る看護婦に聞いてみた所、
「すみません、吸着出来なくてエラーが出ちゃうんですよ。えー、どうしよう」
「あ、別に剃っても構わないです」
「いいんですか? カミソリはあるんですけど、えー。使うことになるの初めて。ごめんなさい笑っちゃって。え、じゃあいいですか? いきますよ。わー、綺麗にそれる(笑)」
と異様な雰囲気で胸毛を剃られたと言う。魅せてくれた彼の胸は計測に必要な部分だけにカミソリが入れられ、乳首の周りは綺麗に残っていたことからまた笑いを誘うワケなのだが、その美人看護婦とのやり取りにドラマーの田中(第一話参照)とおっさんはジェラシーを感じたと言う。
田中「お前それ羨ましいなー! こいつ! おいしいやつめ!」
おっさん「それほんまご褒美でんがな」
どいつもこいつも馬鹿ばっかりである。
そんなくまちゃんはテューバを専攻していた。一般的な日本人にとって巨大な楽器だが、彼が構えると小さく見えるから不思議だ。試しにトランペットを構えさせると「熊がおもちゃのトランペットを咥えているようにしか見えない」と、あろうことか教師陣に言われる始末だ。彼があまりそのことを気にしない温厚な人物だった事に感謝したい。
しかし彼はあっさりとテューバ奏者への夢を諦め、卒業と同時に一度実家へと帰省してしまう。数年後、仕事の都合で再び都内に姿を現すのだが、彼も例に漏れずその姿を激変させていた。
久しぶりに現れた彼はバーカウンターに腰掛け我々の到着を待っていたが、最初は誰だかわからなかった。彼の恰幅の良さは鳴りを潜め、引き締まり隆起した筋肉は軍人のそれである。バーの椅子がお尻に埋まってしまうのでは無いかという巨漢っぷりは相変わらずだが、生え揃ったヒゲと短髪がフルフェイスヘルメットのようになっており、なぜか着用しているティアドロップ型のグラサンがアメリカンなスタイルだ。
おかげで顔面領域に白い部分が見当たらない。
「いまさ、警備員の仕事してて」
「今のお前が警備員なら誰も悪さしようとは思わんわ(笑)」
「なーくまちゃん、なんでグラサンしてんの? どこの俳優さん?(笑)」
「あーこれね。最近ヒゲ剃るのめんどくさくてこんな感じなんだけど、そうするとさ、ヒゲが生えてない所だけ日焼けするんだよね。ヒゲ剃るとゴーグル焼けしてる感じになっちゃうんだよ」
「嘘でしょ!? 都内で真夏にスノボーとかどういうことよ(笑)」
「って言われるから、日焼け度を調節するために。彼女にも似合うって言われるから良いかなって」
「え!? 彼女いんの!?」
「うん。ちなみに次の誕生日に籍入れるんだ。結婚式呼ぶよ」
「「「えーーーー!!!!」」」
そして見せてくれた彼女とのツーショット写真だが、これまたべっぴんさんだった。小柄な可愛らしい系の美人さんで、その体格差が凄まじい。
「お前やっぱり羨ましいやつだな! いいなー! 俺も毛深く生まれればよかった!」
「あ、そう? いる?(腕毛をむしりながら)」
私はそれ以来、濃い体毛で悩む人には彼のエピソードを聞かせる事にしている。
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