第5話 事実は小説よりなんとか

 私の友人は、眉毛を三つ編みにしていたことがある。


 全く何を言っているかわからないと思うが、これは本当のことなのだ。



 時は音楽学校最終学年の頃に遡る。


「なぁ、ちょっとこれ見てくれないか」


 カフェスペースでコーヒーブレイクをしていた私に話しかけてきたのは、ギターを専攻する木村(偽名)君。ロック出身かつロックで羽ばたくギタリストが多い本校において、ポップ出身ジャズにドハマリ中の彼は、竿物(さおもの、ギターやベース・ギターを指す)の中では管楽器セクションに絡みがある稀有な存在だった。ジャズを専攻する管楽器奏者にとっても、彼のような伴奏者の存在は大変貴重だった。そんな音楽的背景もあって彼と私はあっという間に意気投合し、今に至る。


「なに、いきなり」


「いいから、ほら、ここ、これこれ」


 指差す先には彼の顔がある。登場するなり自分の顔を見てくれなんて言う自信家だったとは。


「いや、顔じゃなくて、ほら、眉毛」


 遠目から見たのでは全く分からないので近づいて凝視すると、彼の眉毛の中に一本だけ、異様に長いものが紛れ込んでいた。私はそれが抜け毛なのかと思い手を伸ばすが、彼は反射的に後退してそれを躱した。


「違う違う、これ、本当に生えてるんだよ。ほら。てか痛えよ、引っ張るな」


 その一本は既に二センチを超えていた。引っ張って上へ向けてみるとその長さが良く分かる。眉毛の中腹、山の頂上あたりに生えたそれは、一度気になると目が逸らせない程の存在感を放っていた。


「切ればいいじゃん」


「ちっげーよ。お前感動薄いのな。こんな珍しくて面白いことなんて滅多にないだろ」


 私は首を傾げた。珍しいのは確かだが、別に面白くもなんともない。


 と言うのも私がお笑いに興味が無い挙げ句にセンスが無いことが大きいが、そもそも彼のキャラクターがその「面白い」に反していたからだ。ギタリストにありがちな微妙な長髪はむしろ根暗キャラを演出していたし、言動や行動は普段から派手とは無縁だ。今となっては口を開けば笑える話を淡々と語るエンターテイナーだが、当時の彼にはそんな片鱗すら無く、私はただただリアクションに困っていたし、あまり興味が無かった。


「冷たいなー。これさ、まだ皆に言ってないんだけど、どうせだからちょっと伸ばしてみようと思って。指摘されるまで黙ってて、いつ突っ込まれるかってね。だからお前、今日のこと覚えておいてよ。な、頼んだ」


 彼はそう言って練習室に消えていった。


 数日が立った頃、私の頭からは彼のそんな発言がすっかり消え失せていたが、またしてもコーヒーブレイク中に話しかけられた。


「なぁ、コレ見て」


 既視感を覚えた私は先日の内容を思い出しながらも、その指先に目を凝らす。そこにはやはり二センチ程度の一本だけ長い眉毛がいて、そこまで来て私の中の記憶が完全復活した。もしやと思い反対側の眉毛を見ると、三センチくらいになったソイツがいた。


「どうよ、今度は左側伸びてきたよ」


 彼はそう言って左右の長い眉毛を引っ張り上げた。左右の眉毛の中からやはり一本ずつ、長いのがいる。私は彼の眉毛を掻き分けるようにして探すが、やはりその二本だけなのだ。


「反対側も生えてきてんじゃん」


「そうなんだよ。今までこんなこと無かったのに、急なんだよ。まじで驚きだよな」


「それで、あれから誰か気がついてくれた?」


「んにゃ全然」


「だよね」


「こうなったら伸ばせる所まで伸ばしてみるわ。ちゃんとトリートメントしないと」


 眉毛にトリートメントをするという意味不明発言を残してその日の彼は消えた。


 それから幾日かたった週明け。なんだかんだ課外活動が増えたことで忙しくなっていた私はあまり仲間とゆっくり話す時間を確保出来ていなかった。木村とは普段から十分なやり取りが出来ていた気はするが、気がつけば十日以上会ってない。そんな時に木村を見つけたので声を掛けた。


「あれ、無くなってんじゃん、眉毛」


「お前久しぶりに会って第一声がそれかよ。あとちなみにまだあるから」


 彼はそう言って眉毛の中からソイツらを取り出した。その長さは4センチを超えており、上手く眉毛の流れに逸らして紛れ込ませてあったのだ。


「それじゃ気がついてもらえないじゃん」


「ちょっとおもしろい事考えてるんだよ、今。今度相談するから楽しみにしてて」


 そう言って彼は授業へ消えていった。相談されてもすごく困ると思った。


 気がつくとあっという間に夏休みに突入しており、彼と顔を合わせる機会は激減していた。たまに連絡を取り合ったりする程度だったが、ある深夜に彼から送られてきたメールには写真が添付されいて、随分な長さに育った眉毛を鼻の穴に突っ込んでいる間抜け顔に笑わせてもらったりした。


 そんな夏休み明け。仲良しメンバーが再集結した午後のコーヒーブレイク中に彼は現れた。


「おー木村。久しぶりー。元気してたって、ええ!」


 彼は嬉しそうに私の前で一層伸びた前髪をかき上げてみせた。そこには十分に伸び切った眉毛が堂々と垂れ下がっており、しかも左右三本ずつに増殖していた。


「うっそ」


 ここまで行くと流石に笑うしかない。事情を知らない他のメンバーもコーヒーを吹き出す等して大笑いした。そこである女子が言ったのだ。


「もうさ、そこまで来たらそれ、三つ編みにしちゃいなよ」


 その発言に爆笑する我々を差し置いて、彼女は至って真面目にかばんを弄り、眉毛抜きと楽器整備用のピンセットを取り出した。


「ちょっと木村君そこ座って」


 彼女は器用な指先を駆使し、跪く木村の眉毛をピンセットと眉毛抜きで綺麗に三つ編みにしていく。その間メンバー内の携帯カメラのシャッターは幾度となく落とされ、その盛り上がりに気がついた後輩たち等がぞろぞろ集結してちょっとした騒ぎになっていた。流石にここまで注目されるとは思っていなかった木村は顔を真っ赤にしながらも、しかし三つ編みが仕上がるのをじっと待っていた。


「ほいできた」


 彼の眉毛はまるでナマズのヒゲのようにぶら下がっていた。長さ五センチはゆうに超え、改めて鼻の穴の中に突っ込まれるとむず痒くてクシャミをするなど周囲の笑いを取っていた。



 現在の彼はアテブリ(音楽番組等でソロアーティストの後ろで演奏している風を装っている演出者のこと。音楽番組では音響の関係から生演奏を用いる機会が減っており、生演奏感を演出したいがために彼らアテブリアクターが起用される)で地上波に登場することもある、しかし実力派のプレイヤーだ。


 もちろん今は眉毛はとても綺麗に切りそろえられているが、その三本については未だに長く長く伸びようとするのだそうだ。数日に一回のペースで整えるのが面倒なので「新しい眉毛スタイルに挑戦してみようと思います」とアクター事務所のマネージャーに申し出た所、怒りと共に却下されたらしい。

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