第9話 光る豚

 自分のスタイルに自信を持つ。これはとても大切な事だと思う。流行り廃りに惑わされない美的感覚であれば、振り回されずに済むし、多幸感のある人生を送れるのかも知れない。


「あのなー!お前は全然デブをわかってないから!」


 とある焼肉店。私に箸を突きつけツバを飛ばしながら熱弁しているのは、音楽専門学校の友人、ドラマーの若林(偽名)である。


「いいか、デブっていうのは、この肉一枚で、どれだけの白米を食えるか、これが大事なんだよ!」


 若林は見た目通りの大食漢だ。とにかくよく食うし、すぐに腹が減る。そしてドラムを演奏しながら大量の汗をかく。その汗で眼鏡が曇り、ただでさえ平べったく小さいお目々が行方不明になってしまう。


「だいたいな、俺は光輝く為に食べてんだよ。光るデブ目指してんの。そこへいくとお前、食べないデブは、ただのデブだ!」


 そんなステレオタイプなデブの若林は、なぜだかわからないが、デブである事に誇りを持っており、自らそれを公言している。自分のスタイルが結構気に入っているらしい。


「デブはなぁ、パワーが出るんだよ。昔はあのスティーブ・ガッドだってデブだったし、チック・コリアだってそう。つまりデブは音楽の天才の前提条件なんだよ!」


 そう言って、焼き肉のタレで浸した薄いカルビ肉で茶碗の白米を上手にくるみ、大口へ運んでいる。咀嚼している時の幸せそうな笑顔がまた印象的だ。


 ちなみにスティーブガッドは世界三大ドラマーの中でも頂点と名高い、まさに生きた伝説。チック・コリアも世界的にファンの多いピアニストだ。確かに、両者ともスリムとは言い難い体型ではある。


「若林、言ってることはわかったよ。でもさ、それは節約しなくちゃいけない場合の話であって、今はその必要はないじゃない? だったら、その米に当てるぶん、肉を沢山食べればいいじゃない」


 彼と焼肉屋にいるのは、クライアントが演奏のお礼にと提携焼肉店の食べ放題券をくれたからだ。本日に限ってはどれだけお肉を食べても全部タダ。ならば肉を食べたほうが得じゃないか、という私の意見に対してだった。


「そうじゃない。そうじゃないんだよ。この肉一枚に対して白米のバランスが美味しいんだよ!」


「君は肉が好きなのか米が好きなのか」


「肉だ!」


 どう見ても食べているのは米の方が多いが。




 若林は何かとこだわりの強い男で、一度決めたことは貫き通すタイプ、と言えば聞こえがいいが、それ以外が目に入らなくなるタイプである。


 2年生の頃、女子新年生達が「喫煙所に怖い先輩がいる」と噂していたので行ってみたら、若林だった。喫煙所のベンチで腕を組み、苦悶の表情で延々と貧乏ゆすりしているのだ。


「若林、ねぇ、なんかイライラしてるの? みんな怖がってるけど」


 喫煙所周辺は珍しく空いていて、近寄れない新年生達が肩を寄せ合ってタバコを吸っている。


 ちなみに音楽人の喫煙率は相当に高い。そうなってしまう理由もあるのだが、それはまたいずれ。


「あ、何言ってんだ、別にイライラしてねぇよ」


「んじゃその足、なに。貧乏ゆすり?」


「ちっげーよ! これのどこが貧乏ゆすりなんだよ。この刻みは、サンバキックに決まってんだろ!」


 と彼は自信満々に答えるのだった。なるほど、言われてみれば確かにそう。


 サンバキック、とは、ドラムのとある演奏技法の事だ。ブラジル音楽の代表的な音楽にサンバがあるが、サンバは独特のリズムパターンがある。様々な打楽器が合わさってそのリズムが構成されているのだが、これをドラム1台で再現しようとした場合の、バスドラムのパターンが特徴的な為にそう呼ばれる(バスドラムをキックと呼ぶことが多い)。


「ドッツドドッツド」と気持ちの良いビートが刻まれる事が特徴だが、サンバはテンポか早いので絶妙な足さばきが必要になる。これはロックしか演奏してこなかったドラマーには鬼門となるパターンなのだ。


 若林も田中(第一章参照)と同じく吹奏楽部あがりで、学年のどのドラマーよりもサンバキックが上手かった。サンバは彼の代名詞だ。


 しかしそんな彼にも弱点があって、それはスタミナ。確かにサンバキックがうまいのだが、体力か持たず、楽曲後半の方になると疲れてしまい、どんどんテンポが落ちてしまうのだ。その弱点は度々指摘されている。


 そこで若林が考えたのが、「日常動作にサンバキックを取り込む」事だった。例えば電車で座れたとき、赤信号で待ってるとき、タバコを吸ってるとき。彼は片脚があけばその都度サンバキックを踏み、体に染み込ませようとしていたのだ。


「だいぶ掴んできたぜ! これなら1時間でも演奏できる!」


 しかし、ぶっちゃけ、周囲は迷惑である。


「若林。君がいいやつだってのはよぉくわかってるんだけとさ。貧乏ゆすりだと誤解されかねないし、みんな怖がってるよ?」


 その一言で、周囲の目が気になったのか、目を細めてニッカリ笑った。


「それに、すぐ疲れちゃうのは足が太いからなんじゃない? その細かい上下運動に脂肪が追いつかないから余計に足が疲れちゃうんじゃない?」


「ばっ! ちげーよ! デブを馬鹿にすんなよ? 第一、スティーブガッドがサンバキック上手いのはどう証明…」


「あーはいはい、わかったよ。じゃあその熱弁は飯食いながらでも聴くよ。ラーメンでいい? 

 」


「上等だ!」


 こうして上機嫌な若林を喫煙所から連れ出し、びびっていた後輩たちに頭を下げる私。


 そんな生活を続けていたら、私は1年で8キロも太ってしまった。


「8キロなんて気にすんな! 前はガリガリだったんだ、そんくらいの方がいいぞ! どうせなら天才目指して共に太ろうぜ!」


「そうだね」


 私は彼から、自分を愛することの大切さを学んだ気がする。

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