第16話 視野
最近他部署から異動してきた男の子が言うのである。
「俺はエロゲーがあれば生きていけるんすよ」
そう豪語するのは、綿貫(偽名)君。
「ゆあん(仮名)さんもやったほうがいいですよ。やったことないのに俺はいいや、なんて、食わず嫌いじゃないすか。そんなんでよく人に『やる前にできないと言うな』なんて言えますね」
そういってカシスオレンジのジョッキを叩きつけた。彼の顔は真っ赤だ。
聞けば、彼は中学生の頃からエロゲーというジャンルにハマっており、そこで
「夢中になれるものがあるというのはいいことだよな。だが視野が狭くなりすぎるのもどうかと思うよ」
「ああ、そうやって距離おくぅー。わかってます、わかってますよ、あんたはそういう人ですよ」
エロゲーというのは美少女攻略ゲームの事で、基本的には大量のテキストを読み進めていくという点においては読書に近いかもしれない。時折登場する選択肢によってストーリー展開に差が生まれ、うまく行けば好みの女の子と仲良くなれ、熱々のラブコメを楽しめる――という代物。ここまでは基本的な恋愛アドベンチャーゲームと変わらないのだが、違いはエッチなシーンがあるのかどうかという点だ。
ちなみに私もその手のゲームのBGM制作に関わったことがあるので、中身がどんなものかは知っている。良さも理解しているつもりだ。
「時代は変わったんですよ。昔はその選択肢の組合わせを紐解くことから始めたっていうのに、今はストーカーしてればすぐ結ばれますから……これがゆとり世代ってやつですよ」
「それを君がいうか。まだ20代だろ」
「26っすよ。四捨五入したら30代じゃないっすか」
「その誰の特にもならない言い返しはよしとけよ……」
そして彼は豪快にゲップしてから突っ伏した。
ストーカーというのは、とにかくお気に入りのヒロインと一緒に行動できる選択肢を選んでれば、そのヒロインと仲良くなれるという意味だ。攻略性が皆無という点では納得できるのだが、その表現の強烈さに、周囲の女性社員たちがそわそわしている。私はそちらに苦笑いを向けながら、今にも潰れそうな綿貫君の背中をさすった。
「――でも、最近オレ、楽しみが増えたんですよ」
「ん、なに?」
「最近でたエロゲーで……」
「またエロゲーか」
「多分新人声優なんですけど、すげぇいい声の人がいるんですよ。○○○っていうんですけど。マジやべぇんすよ」
「ほう、どうやべぇの?」
「なんていうか、脳みそに直接届いてくるんすよ。もう声だけでいけます。ああ、早くイベントやらないかなぁ。絶対行くんだけどな。絶対CD買うんだけどなぁ……でも情報がないんですよ。この俺のネットワークを使ってもだれかわかんないんすよ」
その変態発言の連発に周囲は……と思いきや、慣れたのか、思い思いの会話を楽しんでいる。
しかしその一角で、青ざめた顔をしてグラスを握りしめている新入社員の女の子がいることに気づいた。
「いやぁ、俺はもうあの声を通勤中にも聞いてるんですけどね、開始数秒でもう――」
「こら綿貫、それくらいにしとけ」
私はそう言って綿貫の頭をかき回したあと、その流れで震える彼女の横に向かった。
「ごめん、大丈夫? あいつ、酔っ払うと、いつもああで」
「は、はは」
その子は無理やり作り笑顔を一瞬だけ作ると、またグラスを握りしめてしまった。
「悪気はないからさ。セクハラとかそういうんじゃないんだけど、あれなら追い出すから」
「いや、大丈夫です。そういうのが苦手っていう訳じゃないので。むしろ光栄というか、なんていうか」
「――光栄?」
彼女は酔いつぶれた綿貫を見つめながら、小さく言った。
「やっぱり、バレるとまずい、ですかね?」
なんのことを言っているのかわからず呆けていると、彼女は手を出し、耳打ちをしてきた。
「綿貫先輩が言っている○〇〇って、あたしなんです」
私は思わず目を見開いた。
「――まじ?」
「まじ、です」
そう言えば、人事情報では副業をしていると書いてあった気がする。
副業とは声優業だったのか――
「どうしましょう……あたし、困っちゃいました」
耳元で囁かれるその声が扇情的に聞こえるのは、きっと気のせいだろう。
「いやあ、その、身近にファンの人がいてくれるって、すごい嬉しいなって思ったんですけど、どうなんでしょう、会社的に、あたしがエッチなゲームに出てエッチな声だしてるってわかったら、まずいのかなって思ったら、なんだか急に怖くなってきてしまって――。大丈夫ですかね、あたし」
彼女はへらっと笑いながらも、救いを求める眼差しだった。
「――とりあえず、今の話はここだけの話ってことで。あ、副業規定は問題ないから安心して。一応、周囲への根回しとか、そういう話」
「で、でも、このままだとバレちゃいませんかね? 彼、相当なエロゲーファンみたいで、気をつけないと特定されちゃったりして……そっちから広まるほうがまずいような……」
「――気持ちはわかるが、まぁ、それは大丈夫だろう」
私は再び、綿貫を見た。彼女もそれに続く。
目を覚ました彼は、スマホに向かってスケベな笑みを浮かべていた。
「あいつ、視野が狭いからね」
そして世間も狭いのである。
すいぎょのまじわり ~愉快な友人たち~ ゆあん @ewan
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