希望の白帆

 沖の暗いのに 白帆が見える……(『かっぽれ』)


 だが、ジョセフはそう簡単には倒されない。跳びすさる勢いで偃月刀を振るい、上から下へと切り払う。

 僕の傍らに立つオットーが、鼻で笑った。 

「これが、ジョセフの向う脛よ、分からんか」

 相手の弱点を得意げにあげつらってみせる。僕は尋ねてもいなかったのだが、そう言われると気になる。

 高く低く、前後も左右も自由自在に跳ね回るジョセフを見ているうちに、思い出したことがあった。

 この夏……といっても800年後のことだが、最後の魔法対抗格闘戦で3年生の部長が憂き目を見た、あの試合だ。

 跳躍力があれば、それだけ不利なことがあることに僕は気付いた。 

「着地の瞬間だけ、完全に無防備になる!」

 だからミカルドは、五分五分の闘いができるのだった。

 その弱点を突かれていることに気づいたのだろう、ジョセフは偃月刀を凄まじい速さで縦横に薙ぎ払い始めた。

 僕の目では、もうその動きを捉えることができない。「疾走」の呪文でも使わなければ無理だっただろう。

 だが、ミカルドの短刀は超高速でこれを受け流した。その瞬間に発せられる金属音が、切れ目のない旋律のように響く。

 そこで突然、ジョセフが遠く飛び退ってつぶやいた。

「これほどとは」

 驚きとも賞賛とも取れる言葉だった。ミカルドの口元に、不敵な笑みが浮かぶ。

「ノトを侮るでない」

 そこには自らの技ではなく、それを鍛え上げた臣下への誇りがあった。

 息を切らせながらミカルドが答えたとき、ジョセフは片手に持った偃月刀を高々と差し上げた。

 ミカルドは、短刀を胸元に構えて懐へ飛び込む。だが、そこへ向かって、次々に閃光が襲い掛かる。

 ……「魔法の矢」だ!

 これもアトランティスとの連絡員クラスの魔法使いでないと使えない呪文だ。

 だが、いかなる魔法であろうと、対魔法呪文が効いている空間では意味を成さない。

 もっとも、それも術者が肉弾戦を覚悟すれば済むことだ。

 残念ながら、そこまでの技と力を持つ超人的な魔法使いなど、ちょっと考えられないが。

 ミカルドの身を守る「シャナンの剣」で無効化された魔法の矢が消滅すると、それを放った魔法使いたちは馬で逃走した。

 代わりに白旗隊が突進してくる。

 騎馬の群れを迎え撃ったのは、オットーだった。

「その程度で我が君を討ち奉らんとするとは片腹痛し!」

 オットーは、次々に遠矢を射る。

 そのたびに黒衣の軍勢は1人、また1人と落馬していった。

 だが、ミカルドは鋭く命じた。

「魔法使いには当てるな」

 制止するまでもなく、矢がなくなったころには白旗隊は全滅していた。

 黒衣の戦士たちがあちこちに倒れ、馬は怯えて跳ね回る。魔法使いの姿はというと、もうどこにもなかった。

 残ったのは、いつの前にか軍勢を盾にしていたジョセフと、カリアを抱えたゴーレムだけだ。

 オットーが高らかな声を挙げて嘲笑した。

「相変わらず卑怯よな、ヨシウ」

「まともに相手をするとお思いか」

 ヨシウと呼ばれたジョセフは、その挑発を鼻であしらう。

 だが、ちらりと背後を見やったミカルドは一喝した。

「そなたが正々堂々と戦うことなど、最初からあてにはしておらぬ!」 

 澄み渡る声に呼び起されたかのような海風が、背中からどっと吹いてきた。それに押されて、僕も思わず振り返った。

 そこには、カリアに助け上げられたときの白い崖がある。

 更に遠くの水平線に目を遣ると、青空に映える白い帆と、船の舳先がいくつも見えた。

「ザグルーの船団!」

 最後の戦いは慎重に、クールに進めようと思っていたけれど、つい叫んでしまった。確かに待ってはいたけれど、このタイミングで来てくれるとは思わなかったのだ。

 己の失策に気付いたのか、ジョセフの口元が歪んだ。

 ミカルドを若輩と侮った上、力に驕って慎重さを失い、更には少年時代の自分のような姿で挑戦されて、完全に頭に血が昇っていたのだ。

「そういうことか」

「おぬしも知っておったろうに」

 ふんと鼻を鳴らすミカルドの余裕は、もちろんハッタリだ。

 ジョセフは、僕が自由に結界を越えられると思っている。ここでザグルーを手引きされたら、一網打尽にされてしまうのだ。

 恨めしそうな唸り声が洩れた。

「恥ずかしくはないか、異郷のもののけどもの手を借りて」

「その異郷のもののけの走狗に言われたくはない」

 しれっと言ってのけるミカルドに、ジョセフの怒りは限界に達したようだった。

 ゴーレムに向かって叫ぶ。

「ベン・ケイ、握りつぶせ!」

 それまで塑像のように静まり返っていたゴーレムが、一声吼えて動き出した。

 抱きかかえていたカリアの首を掴んで持ち上げようとする。

 今度は僕が哀願する番だった。

「待て! そっちへ行く」

 勝ち戦が、たった一言で負け戦に変わった。唖然とするミカルドに振り向きもしないで、僕は歩き出した。

 ジョセフが余裕たっぷりに命じる。

「ベン・ケイ、下ろしてやれ」

 ゴーレムに掴まれたカリアの、白い服がふわりと膨らんだ。それがしぼんだとき、彼女は海風の吹き抜ける冷たい地面に横たわっていた。

 僕が駆け寄って抱き起しても、まだ目を覚ますことはなかった。

 意識がないものの目を覚まさせたり、錯乱状態を収める「正気」の呪文を知らないわけじゃない。

 だが、そんなものを使うことがためらわるほど、僕の腕の力なく身体を委ねるカリアの姿は痛々しかった。

 彼女を抱きしめて、待つことしかできなかった。張り倒されてもいいから、目を開けてほしかったのだ。

 カリアのために祈る僕には目もくれず、ジョセフは放心状態のミカルドに歩み寄る。

 腰の刀に手をかけているオットーを見やってから宣告した。

「王家の方に縄打つ気はございませぬが、ノト殿が動けば、再び西海に沈んでいただきます」

 オットーは舌打ちして、矢を失った弓をその場に投げ出して座り込み、刀を外してジョセフに放り投げた。

 配下の刀が敵に渡るのを見たミカルドも、ゆらりと腰を下ろす。

 ジョセフを見上げて、きっぱりと言った。

「では、ゲンジの厄介になろう」

 短刀が差し出される。

 それを受け取ると、ジョセフはミカルドの前に座り、偃月刀を手にしたまま深々と頭を下げた。

「これで長きにわたるゲンペイの戦も終わり申した」

 ミカルドも満足げに頷く。

 諭すように穏やかな口調で言った。

「この地で満足せよ」

 ジョセフには、特に言い返そうという様子もなかった。

 自信たっぷりに、こう答えるばかりだった。

「西の世界を手に入れれば、兄者もお考えを改めましょう」

 ジョセフの取り分について、ミカルドと本人では開きがある。

 ミカルドは恐らく、ジョセフの狙うイングランドやヨーロッパのことまでは考えていない。というか、その存在さえ知らない可能性が高かった。

 その証拠に、嬉しそうにジョセフを褒め上げている。

「仲直りとは殊勝なこと」

 だが、ここで僕が12世紀西洋世界の地理を教えるまでもなく、紅白の交渉は決裂した。

 ジョセフは、僕にも話さなかった展望を明らかにしたのだ。

「兄者は東の世界からこちらへお越し願う」

「たわごとも大概にせよ!」

 ミカルドが鋭く一喝した。 

 その気迫は、カリアの意識まで呼び覚ましたらしい。閉じていた瞳が、ゆっくりと開いていった。

 だが、ジョセフはそんなことに構っている暇などない。低く唸るような声で、ミカルドを威嚇した。

「たわごとではございませぬ」

 ジョセフが、ミカルドの挑発に乗せられている。

 そして、カリアが目を覚まそうとしている……。

 今がチャンスだ。

 だが、それは簡単にものにできるようなものではなかった。

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