朝の光の中で聞く大丈夫(ますらお)の物語
能登殿、「そこのき候へ、矢面の雑人ばら」とて、さしつめひきつめ散々に射給へば、やにはに鎧武者十騎ばかり射落とさる……(平家物語)
「起きよ」
ミカルドの声に目を覚ますと、もう夜が明けていた。
何だか夢を見ていたような覚えがあるけど、どうにも思い出せない。魔法対抗戦で散々な修羅場に晒されていたような気がする。
頭の奥がじいんと痺れて、辺りはまだ、朝の光の中へ溶け込むように滲んでいた。
それでも、ぼんやりとではあるが形をとって見えたものがあった。
若々しさを感じさせる、しなやかな身体の曲線だ。
「カリア……」
思わず跳ね起きて心配したのは、自分の下半身だった。
いわゆるヤバい状態だったのは、健康な男子にあって然るべき生理的反応として言うまでもないことだった。
カリアの裸身がそこにあるのを想像して背を向けたが、よく考えると彼女がここにいるはずはない。そもそも、いかに胸が薄いといっても限度というものがあった。
ここにいる人物から僕と、身体の横に広いオットーを引き算すれば、残るのは1人しかいなかった。
「何だ、ミカルドか」
そう思うと下半身は一気に萎えたが、その瞬間に目から火花が散るかと思うほどの鉄拳が、横殴りに頭を襲った。
「無礼者」
野太い叱声を飛ばしたのはもちろん、オットーだった。だが、男の朝の身体も心の内も、わが身ひとつのことなれば、人に知られようはずがない。
いや、オットーほどの武人ともなれば、そのくらいのことはお見通しなのか。
だとしたら……めちゃくちゃカッコ悪い!
そう思っていたら、ぶすっとした声が僕をたしなめた。
「その口の利きようは何だ」
だが、着替え中と思しきミカルドは、その一言を衣擦れの音の中で鷹揚に制した。
「よい……今は
はっ、と頭を下げたオットーをなだめるように、ミカルドは尋ねた。
「夕べの首尾はいかがであったか」
しからば、とオットーは語りだす。
昨夜、戌の刻ばかりに出立いたしました私は、いつもは車につないだ馬にて夜の野を駆け、かのヨシウの砦を目指しましてございます。
かの娘の術にて目を眩ませたものの、執念深い小童でございますれば、この国中に手下を放っておりましょう。夜戦は白旗の得意とするところ、かの城にまっすぐ向かわば、近づくほどに危うさも増すは必定でございました。
然れども、それを抜いてこその
当たり一面、草と土ばかりの野原なれば隠れる場所もなく、もとよりそのつもりもございません。わが君より託された短冊が胸にあるのを確かめ、私は馬に一鞭入れました。
そのときでございます。
果たして、3頭の馬が真っ向から駆けてまいりました。白旗はございません。我らに知られぬよう行方を探るのには邪魔となります。
月夜に人馬の見えぬはずもあるまいと存じましたので、物も言わず馬上の武者を続けざまに射て落としました。
主を失った馬どもは各々一声いななくや、駆ける足を緩めました。しばらくあちこちをうろうろと歩いておりましたのに鞭をを打ちやって先を急ぎましたのは、馬どもが哀れだったからではございません。
射落とした武者はいずれ見つかりましょうが、馬の死骸まで転がっていれば、砦とその場を結んだ先に我らの隠れ家があることなど、ヨシウでなくとも察しがつきましょう。
然るに、主を失った馬はいずれ、厩に戻ろうとするものでございます。あちこちに散った無人の馬のほうが先に見つかることでございましょう。そうなれば、その主は何処と探すのが先になります。
射落とした武者が見つかるのが先になるやもしれませぬが、その時には私も砦へとたどりつき、短冊を括った矢を射込んでおります。さすればヨシウのこと、すぐさま手下どもを呼び集めて戦支度にかかりましょう。
手下どもはわずかな手勢で隠れ家を襲うよりはと注進に及ぶはず。功を焦って先駆けしようものなら、戻る道すがら、追いすがって討ち取ってご覧に入れようと存じた次第にございます。
私の駆る馬のほうがずっと早うございますれば……。
ところが、でございます。
月が群雲に隠れ、運に恵まれたとほくそ笑んでおりますと、1騎にて駆ける後ろから、
「そこ止まれ、何者ぞ」
問う声に、とっさに答えました。
「止まるわけにはまいらぬ、ヨシウ様へご注進に及ばんずる者なり」
暗闇に旗がなければ、同じような鎧が手下どもと見分けがつかぬこともありましょう。然るに、手下どもでなければ私でございます。
再び問われました。
「いかなるご注進ぞ」
「道すがら、主のなき馬を見て候えば、もしや、かの教経が仕業かと存じ奉る」
私の名に、追いすがった者どもの呑む息が聞こえるようでございました。
次の問いまでには、しばし間がございました。
「射落とされたる亡骸はご覧ぜられたか」
「急ぎ注進に及び奉れば、未だ見ず。お疑いとあれば、お探しあれ」
6騎が揃って馬首を返し、小手先の策が効を奏したと安堵いたしましたが、それも月の群雲隠れがあってのことでございます。
朝日に消える草の露のたとえもむべなるかな、天翔ける雲がとどまるはずもなく、やがて辺りは再び月影に照らされました。
「あれ見よ、オットーに
背後からの声に放った振り向きざまの矢は、続けて2騎を落とすのがやっとでございました。
3騎が左右と後ろに迫り、いちどきに刀で斬りつけます。馬手の1人を斬り捨てた先へ逃れても2騎が追いすがり、弓手の相手を斬って背後の刀をかわせば、また馬手に1騎が取り付きます。
それも斬って落としたところでハタと気付きましたのは、残りの1騎は何処にあるかということでございます。
さては先を越されたかと馬を駆れば、月の光にすくめた馬上の背中が見えてまいりました。
射落とすのは造作もないことでございましたが、義経めの砦はもうひと駆けというところまで迫っておりました。
とはいえ、すでに9人を討っております。馬も9頭、あちこちを駆けまわっておりますれば、いずれ無人のまま次々と戻って来ることは間違いございません。
これだけ遠矢で射落とされれば、誰の仕業か察しがつかぬ者はおりますまい。うかつに砦に近づけば、その追手との間で挟み撃ちにされます。
矢文を射通すよりほかはございません。他の者なら叶わぬ遠間でございますが、このオットーが射て通せぬほどではございません。
わが君の歌を馬上にて矢に固く括り、
「
月の光の下で矢文は一条の尾を曳いて、砦の中へと消えてゆきました。おおというどよめきが聞こえたのをよしとして、馬首を返して再び駆けますれば、あちらこちらで呼び交わす手下どもの声が近づいてまいります。
最初に射落とした3人の傍らを駆け過ぎましたが、どこにも人馬の姿が見えなかったのは、あちこちで手下どもを射落とし斬り捨てたのに加えて、馬が各々好き勝手なところをうろついたため、そちらに気を取られてしまったからでございましょう。
いずれにせよ、お役目を果たしましたからには、わが君、ごゆるりと戦の場へ渡らせられませ。
オットーが語る自信たっぷりの武勇伝が終わる頃には、ミカルドの着替えも終わっていた。
「もうこちらを向いても良いぞ、クモン」
振り向くと、まばゆい朝日を受けたミカルドの姿が浮かび上がっていた。
今までとは違う服を着ているようだが、逆光の中で影になっているのでよく分からない。
「ところでノト」
毅然とした声で呼ばれたオットーは、畏まってひざまずいた。ミカルドはそれをからかうように尋ねる。
「なぜ、ヨシウはこの隠れ家を襲わなかったと思う?」
オットーは、ハッと顔を上げた。
確かに、ヨシウつまりジョセフなら、たとえあの白旗隊の報告がなかったとしても、オットーの立ち回りの跡からここを割り出すことなど大した手間ではなかったはずだ。
僕たちが白旗隊のことを話す前に、オットーもそこへ思い至ったのだろう。
ミカルドは高らかに笑ったが、その答えは僕に告げたものとは違っていた。
「あの歌が、よほど効いたものとみえる」
隠れ家が見つかっても余裕たっぷりでいられたのは、そういう仕掛けがあったからなのだろう。
だが、済んだその声は、厳しい叱咤に変わった。
「出陣ぞ! 相手より先に戦場に立つは、兵法の常道ではないか!」
「おお!」
荒々しい声で応じたオットーは、まだ着替えてもいない僕の首根っこを掴んで引きずり上げた。
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