魔法と命と
君の御世にわたらせ給はんを見参らせずして、死に候ふこそ心にかかり候へ……(平家物語)
すかさず唱えた呪文が、ゴーレムの足もとをぐらつかせた。
地面が液状化して溶けているのだ。
ゴーレムはアリジゴクにでもはまったかのように、泥の中へと沈んでいく。
「ざまあみろ……」
1年生の学年末で、全日本U-18応用魔法コンテストで団体優勝したときに使った「泥沼」の呪文だ。
チームは、日本中にいくつもある魔法学校から選抜された生徒をクジで組み合わせて編成される。このチームで協力しながら、主催者から与えられる難題を解決していくわけである。
あの時の課題は、町ひとつ設定してのトラップを切り抜け、相手チームを出し抜いて脱出する魔法バトルだった。
迷路にニセ情報にメンバーの分断、よくもこんなことを思いついたものだと悪態つきたくなるほどの罠の数々を切り抜けて、そろそろゴールが見えてきたと思ったところで発動したのが、極めつけの仕掛けだった。
とても4トンではきかないトラックが、眼の前から突っ込んできたのだ。
そこで僕が使ったのは、「泥沼」の呪文だった。
僕はこの呪文で地面を液状化させ、主催者が仕掛けた暴走トラックを転倒させたのだ。
あのとき、僕は最年少の選手だったが、学んだことは大きかった。
呪文は、使い方次第で絶大な効果を発揮するのだ。それは、物理的なものに限らない。
実際、僕の耳には、あちこちから悲鳴が聞こえてくる。
「ケイ卿がやられた!」
「ノスフェラストゥ・ベンが!」
黒衣の戦士たちが、口々に叫んで逃げ出しはじめていた。
逃げ帰った者を、ジョセフは生かしておかないだろう。同じ死ぬなら命懸けで戦おうと考えてもよさそうなものだが、どうやら、追い詰められた人間はそこまで考える余裕を失うものらしい。
心のよりどころとして信じていたものが簡単に倒されると、人間の心など脆いものだということだ。
ゴーレムはというと、腰まで沈んだところで僕を引っ掛けた棍棒を投げ出し、手を伸ばして固い地面を掴んだ。
だが、「泥沼」の呪文が及んでいなくても、そのゴーレムの握力のせいで地面は次々に崩れていく。太い指は空しく土をかきむしり、やがて、ゴーレムは泥の中に跡形もなく沈んだ。
「さて……と」
僕は立ち上がって、服の土埃を払う。
とりあえず、当面の危機は去った。呪文の効果がなくなれば、泥沼は元の固い地面に戻る。ゴーレムは土に埋まって、しばらくは動けないはずだ。
辺りを見渡してみたが、もう人影の動きはない。生きている者は、残らず逃げ去ってしまった。
残っているのは……。
分かってはいたことだが、知らん顔はできなかった。それに、万が一ということもある。
あれだけの矢を食らって、生きているとは考えられない。だが、死んでいるとも思いたくなかった。
息があるなら、保健体育で習った救急救命法で何とかしてやりたかった。
魔法使いの医師なら、かなり危険な状態の負傷者を、手術をすれば助かるまでには回復できる。だが、一介の高校生が習得できるのは「緊急蘇生」の呪文くらいだ。
ショックで意識を失った相手の目を覚ます程度の効果しかないが、やらないよりはマシだった。
生きているなら、すぐ助けないと間に合わない。
そもそも、いつジョセフの追手が新たにやってくるか分からないのだ。僕にも、時間がなかった。
背中や胸に矢を突き立てて転がっている身体に、近づいてみることにした。
「……もしもし?」
返事をしたらしたで、この場からさっさと逃げ去ればいい。
だが、何も聞えなかった。
学校で習ったところでは、耳元まで行かなければならないことになっている。とりあえず、しゃがんでみた。
鼻の辺りに手を当ててみる。呼吸をしているかどうかの確認だ。
「よかった……」
微かに、息がある。
急いで矢を抜こうと思ったが、深々と刺さっていて、僕の力ではどうにもならなかった。
とりあえず「緊急蘇生」の呪文を唱えると、よほど痛いのか、ものすごい勢いでのたうち回りはじめた。
できることなら「鎮痛」の呪文で楽にしてやりたいのだが、これを学ぶことができるのは魔法医療系の上級学校だけだ。
僕にはせいぜい、痛み止めのおまじないしか唱えてやれない。
「大地の恵みに水の流れ、炎の力に風の行く先、全部合わせて空の青、痛みはそこへ吸われてゆけ……」
子供が転んで膝を擦りむいたときの気休め程度のものだが、呻き声は少し治まった。
矢を受けた戦士は、まだ何人もいる。
同じように苦しませてよいものかどうか、僕は迷った。
「……ごめんなさい」
僕はできるだけ足早に、橋へ向かって歩き出した。
無責任かもしれないけれど、僕のせいで余計な苦しみを与えるわけにはいかなかった。
どうか息のあるうちに追手が来ますようにと、自分を窮地に追い込むようなことを祈らないわけにはいかなかった。
戦っている間は気にする暇もなかったが、いったん落ち付いてみると、目の前で人が死にかかっているというのはただごとではない。12世紀のヨーロッパでは珍しくもないかもしれないが、僕は現代日本の魔法高校生なのだ。
だからといって、いや、だからこそ、僕にはどうすることもできない。死んでしまったら、その人は帰ってこないし、僕なんかにはアトランティスの混乱を収めることなど、到底できはしない。
できるのは、ザグルーの言いなりになることぐらいだ。
「やめた……考えるの」
自分ではどうにもならないことに、心を悩ませるのはやめた。
この先の道にある一軒家、としか覚えていない場所を探して、ひたすら歩くしかない。
アトランティスの魔法使いではないどころか、この時代のものですらない僕がアテにできるのは、あの家しかなかった。
そこに、彼女がいる。
炎の色をした髪を持つ、輝く瞳の少女が。
カリア……それは後の世で、「結界の少女」として知られる名前だ。
彼女がその本人だなんていう、出来過ぎた話がそうそうあるとは思えない。
僕自身も、アテにはしていなかった。
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