剣の貴公子

  叢雲剣をば草薙剣とぞ申しける。(平家物語)


 カリアの「狭間隠し」の呪文で僕たちが出現したのは、あの崖の辺りだった。

 この呪文について僕が知っていることはほとんどない。

 ただ見当がつくのは、見えている範囲や知っている範囲に移動しないと危険だろうということだった。

 知らないところに出現して、そこが岩や壁の中だったら目もあてられない。

 現代では「千里眼」なんてものが使えると誤解されているが、そんなことができたら魔法使いは全員、アトランティスとの連絡員どころか特務機関のエージェントが務まる。

 実際、そういう職業についている人もいるらしいが。

 ジョセフが僕に目隠しをしたところを見ると、魔法使いに何ができて何ができないかは知り尽くしているのだろう。

 同じ問題は、僕にも生じていた。

 魔法使いしかできないことは何一つできない相手に救われたということである。

 つまり、全く当てにはできないということだった。

 だが、荷馬車の主は僕の不安には一切頓着することなく、海岸沿いに馬を走らせながら、荷馬車の上の僕に軽口を叩いた。

「出迎えの車代はまけておこう」

「あんた、魔法使いじゃなかったのか?」

 冗談は無視して、一番聞きたかったことに突っ込んだ。

 だが、この声の甲高いオヤジは振り向きもせず、手綱で馬を叩きながら偉そうに受け流す。

「祈りをささげれば魔法使いに見える。便利な所よ」

 僕の後ろで強弓を抱くようにして横になっている髭面の戦士が色めき立った。

「控えよ、御前である」

「よい」

 どうやら主従関係らしい。 

 配下であるはずの髭面が横になっていられるのは、疲労と睡眠不足を心配した主が許したからである。

 僕もまた、ジョセフの追跡を免れたことで、気持ちの余裕が少しできていた。

 見聞きしたことが、頭の中で結びついていく。

 まず、ジョセフが呼んだ男の名が、ザグルーの話と一致した。

「オットー……強弓のオットー?」

 それで分かった。

 僕が白旗隊に追いつかれたとき、見えないところから黒い鎧の戦士を次々に射殺したのは、この男だったのだ。

 僕が口にした名前を、男は不機嫌そうに訂正した。

「ノトだ」

「ノットー?」

 そこへ荷馬車のオヤジが割って入った。

「私はミカルドと呼んでよいぞ」

 ミカルド、というよりミカッド、ミカドと聞こえた。

 目深にかぶったフードをはねのけると長い黒髪がこぼれ落ちる。

 そこには、中学生くらいの少年が微笑んでいた。

 ……まさか、これが?

 かつて第1次アトランティス戦争で、白い旗を掲げる「無傷のジョセフ」と対峙した、赤い旗の一派の首領。

 異郷の戦いに巻き込まれた同朋の殺し合いを避けるため、先祖伝来の剣をジョセフに譲り渡した聡明で温厚な少年。

 公子ミカルド。

 子ども子どもした輪郭と、悪戯っぽい笑みを浮かべた口元には、それほどのカリスマとリーダーシップは感じられない。

 そのまなざしにも、どこか遠くを見ているような儚さが感じられた。 


 ジョセフの追跡がないことを確かめてから休憩と移動を繰り返し、僕たちがミカルドの隠れ家についたときには日が暮れていた。

 海岸から離れた山がちの廃村にある一軒家で、僕たちはお互いの事情をゆっくり話し合うことができた。

 木の皿から麦の粥を粗末な木製のスプーンですくいながら、僕は壊れそうなテーブルの向かいに座っているミカルドに尋ねた。

「なんで彼女が無事だと?」

 確かに人質だから、僕が戻るまで生かしておくかもしれない。

 しかし、ジョセフが痺れを切らせば、報復として殺されるかもしれないのだ。

 だが、ミカルドはザグルーでさえも評価せざるを得なかった、その人となりからは考えられないような言葉を口にした。

「あやつ、なんのかんの言っても、若い娘が好きだからな」

 離れたところで屈んで粥をすすっていたオットーがたしなめた。

「そのようなお言葉は」

「控えよ」

 子どもに厳しく制せられて、大の男のオットーは縮こまった。

 逆に、僕の怒りに火が付いた。

 カリアをねじ伏せたときの好色な笑みは、見間違いではなかったのだ。

「あいつ!」

 感情の爆発は、ミカルドからの意外な謝罪で抑えられた。

「それについては、余はおぬしに詫びねばならぬかもしれぬ」

 オットーが慌てて遮る。

「そのようなお言葉は」

「控えよと言うておろう」

 オットーを叱りつけるミカルドだったが、眼は真っ直ぐに僕を見ていた。

 その視線を受け止めると、なんだか居住まいを正さないではいられなくなった。

「あなたはジョセフの?」

「義理の父の孫と言えなくもない」

 ……えっと、つまり?

 話を要約するとこういうことだった。

 ジョセフの父はミカルドの母方の祖父に敗れて処刑された。

 若く美しい母は、彼の妾となることでジョセフとその兄の命乞いをしたのち、まもなく亡くなったのだという。

 その出自のややこしさに、思考はしばし迷路にはまった。

 たどりついた結論はこうである。

 ……どういう絶倫ジジイの孫なんだよ!

 僕はまじまじとミカルドの姿を見つめた。

 輝くばかりの笑みをたたえた少年は、とてもそんなドロドロした大人の事情を背負っているようには見えなかった。

 オットーが吐き捨てるように言った。

「あやつの好色は、要は母恋しさの裏返しというわけよ」

「控えよ。余は正妻の孫である。かような思いを抱えたジョセフがのしたことで、恨まれてもしかたがない」

 ミカルドの制止はそれまでで最も厳しかった。

 だが、僕にとっては彼らの出自などどうでもよかった。

「お詫びが欲しいわけではありません」

 僕の言葉を誤解したオットーが、またムキになった。

「おのれ! 敗れたりとはいえ、母君は王家の妃。」

 そこで始まったオットーの戦語りによれば、ジョセフは兄が起こした反乱に呼応して参戦し、ミカルド側の軍勢を破ったということだった。

 つまりジョセフは王家の外戚と戦っていたことになる。

 またもやオットーの手綱を引くミカルドは、穏やかな口調で言った。

「よい。恋する若人ならば然るべきこと。案ずるな。ジョセフは母の面影を追うておる。若い娘を求めても、手出しはせん。なによりあの娘は、お前を釣るエサだ」

「そのようなお言葉は」

「控えよ」

 ひとこと多い主人をたしなめる臣下を、ミカルドはうるさそうにあしらた。

 僕は更に突っ込んだことを尋ねる。

「ジョセフはなぜ僕を?」

 そこまでこだわられる理由が分からなかったのだ。

 だが、ミカルドの答えは単純だった。

「生かして使う価値があるからだ。あれだけ追われておるのは、結界を破ろうとしたからだろうが、ジョセフが本気だったら殺されてしまうぞ」

 この発音にも違和感があった。

 ジョセフの名がヨシフ、ヨシウと聞こえる。

 それはまあ、どうでもいい。

 問題は、この少年を信じていいのかどうかだ。

 考えている余裕はない。

 僕は口を開いた。

「殺される心当たりならば、ある」

 ジョゼフの野望を語る。

 魔法使いを糾合し、天地自然の力をも手に入れ、ヨーロッパ全土を支配するという……。

 ミカルドは「そうか」とだけ答えて不敵に微笑した。

「秘密を知られてしまったわけだな」

 月並みなセリフだが、僕にとって肝心なのはここからだった。

「追われている僕をなぜ助けたんです?」

「敵の敵は味方だ」

「じゃあ、なぜ捨てたんですか?」

「あそこで助けたら私まで狙われる」

 畳み掛ける質問に、間髪入れずに答える。

 どうにも小憎たらしかったが、この一言には吹き出してしまった。

「いかにノトが荷物に身をやつしておってもな」

 この髭面の逞しい男が、あの戦闘中にじっと身をすくめて荷馬車に横たわっていたというのは、想像するだけでもおかしかった。

 さて、とミカルドは急に真面目な顔をした。

「不意を突くしかなかったのだ」

 聞けば、これも計画のうちだったらしい。

 第1次アトランティス戦争の際、ジョセフの殺戮をやめさせるために、わずか12歳(古典で学んだことを計算に入れれば、数えで13歳)のミカルドは「シャナンの剣」を渡すという英断を下した。

 だが、殺戮は止まなかった。

 騙されたと知るや身を隠し、2年の間、オットーに武術と兵法を学んだ。

 そして、荷馬車を仕立ててオットーをそこに隠し、アトランティス中を行脚して反撃の隙を伺っていたのだ。

 深刻な話をしたかと思うと、ミカルドは遠い目をした。

「あの娘にも借りができた。余はお前が逃げると思っていたのだ。魔法でな」

 用意周到なんだか行き当たりばったりなんだか分からない。

 いずれにせよ、言っておかなければならないことがあった。

「一人じゃ逃げられない」

 それでこそ男よ、とオットーが納得する。

 しかし、褒めても何も出はしない。

 ぼくは席を立ち、一礼した。

「だから一人で行きます」

 太陽の動きを見て、どの方角に動いたかは検討がついていた。

 何日かかろうと白旗隊の本拠にたどりつき、カリアを救いだすつもりでいた。

 ドアに向かう僕を、ミカルドは呼び止めようとした。

「いかにジョセフに近づこうと、私とオットーなしでは、あの剣の前には歯が立たぬぞ」

 閃光と共に、オットーの矢を弾き飛ばしたあの剣のことだ。

 僕は思わずミカルドに振り向いた。

「まさか……」

「シャナンの剣」

 その言葉は、クシャナン、クシャナギと聞こえた。

 さすがに感情が高ぶるのか、ミカルドはところどころで肩を上下させて息をついた。

「あれはもともとわが王家に伝わるもの。死を除けば、あらゆる災いから守ってくれる」

 オットーはしゃがんだまま、男泣きに泣きだした。

 ミカルドの声もまた、怒りに震えていた。

「我々の戦にこの地の民を巻き込まぬため、あれを渡したのだが、約束が違う」

 その約束が何を意味するかは、僕にも察しがついた。

 ミカルドは東洋の戦士の間だけで決着をつけようとしていたのだろう。

 だが、ジョセフは自分たちに魔法が効かないのをいいことに、魔法使いたちを殺戮したのだ。

 そう考えると、魔法使いの先人たちにジョセフがやったことは、許しがたいものだった。

 敵の敵は味方だからという勝ち負けの理屈を超えて、身体が震えていた。

 僕はミカルドに歩み寄って手を差し出した。

「いいでしょう。力を借ります」

 だが、その手をミカルドが取ることはなかった。

 座ったまま、僕を見上げて言う。

「では心得てくれ。戦をしにいくのではない」

 すでに立ち上がって弓の手入れを始めていたオットーがミカルドをたしなめた。

「きれいごとをおっしゃいますな」

 だが、部下の諫言を主は聞こうとしない。

 その上、偉そうに僕への説教を始めた。

「ジョセフがおぬしを求めた理由がわかる。反発しあってはいるが、似た者同士。正しいことのまどろっこしさが退屈で仕方がないのだ」

 言い返したかったが、口が動かなかった。

 日頃考えていたことを思えば、そう言えなくもなかったからだ。


 ……何の力もない連中に、魔法使いがなぜ手出しできないのか。

 自分の力を思う存分使える世界へ行きたかった。

 そんな気持ちが、この2日間の出来事を招いたのだ。

「ではノト、行ってまいれ」

 ミカルドは、その場でさらさらと何か書きつけてオットーに渡した。

 忠実な部下がうやうやしく受け取ったものと、主の手にある者を見て驚いた。

 ……筆と短冊?

 では、とミカルドは僕を見つめて言った。

「今日はもう休むがよい。明日はシャナンの剣がすべてを教えてくれるだろう」

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