インターミッション・魔法女子プロレス妄想
この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば……(近松門左衛門『曾根崎心中』)
カーン……。
耳を覆うような金属音で、目が覚めた。
真っ白な光が飛び込んでくる。
「ここは……」
答える者はない。ただ、こちらへ向かって突進してくる影がある。
「誰……?」
横薙ぎに一閃した赤い光は、どうやら長い髪の放った残光らしかった。
まっさきに思い浮かんだ名前があった。
「カリア……?」
呼びかけようとしたところで、喉に何かが叩きつけられて息が詰まった。僕は立っていたらしく、真後ろへ地蔵倒れに転がされる。
その瞬間、目に見えたものは横に伸ばした腕だった。
どうやら、僕は強烈なラリアットを食らったらしい。
「……何するんだよ、カリア」
ジョセフに襲われて、確かに助けは求めた。でも、命に関わるような目にあわされては意味がない。
僕の問いに、冷たい響きの言葉が眩しい光の中から降ってきた。
「立ちなさい」
目を凝らすと、カリアが凍てつくような微笑を口元に浮かべて見下ろしていた。
さらに、その頭上には白く輝く無数のライトが散りばめられている。
「……プロレス?」
まるで、リングの上のようだった。
そういえば、カリアの服装も女子プロレスラーっぽい。
コスチュームは、革鎧に似せた形のレオタード……いや、レザー製のボディスーツといったほうがいい。
それを眺めて、というか、すらりとした身体の線に見とれているうちに、踵をテコにして起き上がらされた。
苛立ちのこもった声が、僕を叱りつける。
「戦え!」
そう言うなり、腕1本で僕をリングのマット上に叩きつける。
不意打ちにむせかえっているうちに、両手で抱えて持ち上げられた。
「え……?」
僕の胸に、2つの柔らかい感触があった。
ちらりと視線を胸元にやると、小さめのレオタードを着せられているのが見えた。
「ええっ!」
驚いたのは、服のサイズのことでも、僕の身体がそれに合うように縮んでいたことでもない。
その隙間かからは、2つの大きな膨らみが見えた。
「女……?」
僕の身体は、小さな女のものになっていた。
「変身……?」
これも、魔法使いの間では厳重に管理されている呪文だ。犯罪のアリバイ工作に使われないようにするためである。
だが、そうとしか考えられなかった。
「いったい、誰が?」
ザグルーの顔が頭に思い浮かんだが、今は21世紀で、ここは日本だ。ザグルーの呪いなど掛けられるはずがない。
そうは言っても、考えている暇はなかった。
耳元で、呪文の詠唱化が聞こえる。
「まずい!」
気付くのが遅かった。
投げ上げられた風船のように、僕の身体が宙を舞う。「羽毛」の呪文だ。
それを空中で捉えた女子プロレスラーが叫んだ。
「アタシの名を言ってみろ!」
目の前でそういうなり、空中で巴投げを食らわす。
可愛いい、などと思う余裕はなかった。
だが、その技と顔を結びつける名前があった。
「伊能カリア……」
そうつぶやいたところで、僕はロープ際に転がされていた。立ち上がる間もなく、伊能カリアが突進してくる。
だが、そこでようやく、僕にも呪文を唱える余裕ができた。
両足を揃えたドロップキックはこたえた。だが、弾き飛ばされた先のロープの反動を利用した再度のドロップキックはない。
僕の身体が、そのくらいの蹴りではびくともしないほど重くなったからだ。「重量化」呪文の効果だった。
しかし、この呪文にも弱点はあった。「遅滞」呪文とは違って知覚速度が鈍ることはないが、効果がなくなるまで、動きは極限まで遅くなる。
それは、伊能カリアにも分かっていたようだった。
高々と舞い上がったカリアが、僕の首を足で挟んで仰向けに引き倒す。
「お寝んねしな!」
言われなくても、呪文がまだ効いているので立ち上がれない。それをいいことに、伊能カリアは僕を押さえ込みにかかる。
このままでは、3カウント取られてしまう。
だが、よく考えてみれば、負けたところでどうということもないのだった。
それに……レザーアーマー越しでも、その感触は悪くなかった。
このまま押さえ込まれるのも、いいかもしれない。
しかし。
「う……」
僕の身体に、異変が起こっていた。
それが何なのかは、すぐに分かった。
グラビアアイドルもできる伊能カリアの身体の感触に、僕は男として当然の反応をしていたのだった。
伊能カリアにも、それは分かったらしい。
「な……何だ?」
得体のしれない魔法でもかけられたと思ったのか、耳元で「魔法解除」の呪文を唱え始める。
熱いけど、気持ちいい。
最悪の生理的反応との葛藤に、僕の心は引き裂かれた。
「うおおおおお!」
僕は、柔らかい身体を跳ね上げた。
自らかけた「重量化」の呪文が解けただけではない。僕の理性が勝ったのだ。
器用に宙返りして立ち上がった伊能カリアは、更に高々と跳んだ。
天井の白い光の中から、「跳躍」呪文の効果を全開にしてニードロップを食らわしてくる。
だが、高く飛んだ分、僕にも呪文を唱える余裕はできた。
「そこだ!」
寝ころんだままギリギリまで待って、落下してきた膝を両手両膝で受け止める。「疾走」呪文の動体視力がものを言ったのだ。
そこで、おかしな音が聞こえた。
ビリッ、と……。
感触で分かった。レオタードが裂けたのだ。その辺りを眺めると、曲げた膝の辺りの穴から、脛毛が覗いている。胸元を見ると、襟元はぶかぶかだった。
体格が、徐々に元へ戻っているのだ。
だが、この体勢ではリングから逃げ出すことはできない。
しかも、カリアはとっさに僕を押さえ込みにかかった。
「やるねえ……でも!」
不敵な笑いを浮かべて唱えた「腕力強化」の呪文で、華奢な全身が膨れ上がる。
さっき、降ってきた膝を受け止めた脚は、伊能カリアが開く脚と共に左右に分けられた。
こんな状況なのに、僕の身体はまた、男の生理的反応を示す。
このままでは、最もみっともない姿を観衆の前に晒すことになる。
いつもはテレビ画面越しに向けているまなざしが、今は直に、僕と伊能カリアに注がれていた。
「やめろ……!」
男の声で、僕はもがいた。火事場のクソ力というやつで暴れていると、なかなか押さえ込みもできないらしい。
伊能カリアも、呪文の効果を気にしてか、焦り始めた。
「この……!」
しなやかな肉体の感触が、レザーアーマー越しに僕の身体を圧迫する。
体力と理性の限界を感じたとき、僕の背中の辺りでレオタードが裂ける音がした。
一刻の猶予もない。勝ってリングを下りなければならないのだ。
一か八か、僕も「腕力強化」の呪文を唱えた。
伊能カリアが呻く。
「なに……」
呪文は間に合った。3カウントも試合終了のゴングもないうちに、僕は攻守の上下をひっくり返した。
伊能カリアは悲鳴を上げる。
「や、やめろおおおお!」
白いマットの上に赤い長髪を散らした少女が、口元を固く結んで、下から僕を睨んだ。
その色っぽさに背筋がゾクっとしたとき、身体のあちこちで、レオタードが裂けていくのが感じられた。
抵抗してくれればいいのに、伊能カリアは諦めたかのように顔を背ける。どうやら、彼女の「腕力強化」は解けたらしい。
なだらかな起伏を見せる肉体が、僕の前に横たわっている。
このままリングを下りて逃げればいいのに、僕の足は立ち上がってくれない。心の奥底で、ゴングが鳴るまでこうしていようという欲望が働いていた。
伊能カリアが苦しそうに伸ばした手が、コーナーポストに当たったかと思うと、マットに落ちる。
そして、カーンというあの音が再び聞こえた……ような気がした。
ふと、気が緩む。
「え?」
僕の身体は再び横に転がされた。
若鹿のような足が、僕の頭と顎を挟み込む。腕が、胸の余り大きくない身体にぴったりと引き寄せられた。
そして、肘に走る激痛……。
「痛たたたた!」
僕は思わず床を叩いていた。「空耳」でも何でもない本当のゴングが、高らかに鳴り渡る。
先に聞こえたゴングの音は、罠だったのだ。
顔を背けた伊能カリアは微かな声で呪文を唱え、コーナーポストに手を当てた音を「空耳」で増幅して聞かせたのだった。
勝負はついた。
関節技が解かれて、眩しい天井から声が降ってくる。
「大丈夫?」
そこで手を差しのべた魔法女子プロレスのアイドルレスラーは、屈託のない笑みを投げかけていた。
僕は手を取ろうとして、腕を伸ばした。
「ええ!」
だが、腰の辺りで破滅の音がした。
へそから下が一直線に避けて、そこから覗いたものは僕の目にも見えた。
「きゃああああ!」
長い赤毛を振り乱した伊能カリアの悲鳴と共に僕のプライドは全て砕け散り、絶望の闇の彼方へと消えていった……。
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