異界からの使者

 をりふし北風激しくて、磯打つ波も高かりけり。舟は、揺りすゑ漂へば……(平家物語)


 僕とザグルー、お互いの名前が分かったところで、僕には服が投げ与えられたのだった。

 長いズボンに、膝くらいの丈の上着とフードつきの灰色をしたマント。

 シーツの下でもぞもぞ着替え、ベッドの上にあぐらをかく。

 そこでようやく、12世紀の老魔法使いザグルーは「ところで」と話を本題に戻したものだ。

「後の世からきた身では、イングランドに魔法使いがいることが不思議か?」

 不思議でもなんでもない。

 争乱に敗れた者は勝手に結界を解いて、イングランドやフランスと手を組んでいたのだった。

 だが、敢えて事情を聞かないと、未来を知っているのを警戒される。

「だって、魔女狩りから逃げてアトランティスに来たんじゃあ……」

 アトランティス戦争の顛末は、魔法史の授業で習った。

 最初は結界の外から戦士を招いた。 

 だが、彼らは魔法への恐怖から全く役に立たなかった。

 そこで、魔法使いを知らず、魔法も効かない東洋の戦士を招くことを考えついた者がいた。

 その思い付きは効を奏した。

 東洋の戦士は強かった。

 勇敢で、忍耐強く、規律正しい。

 そして何よりも、義理堅かった。

 特に、一族が戦で全滅したところを救われた一団は、命の借りを返そうと命懸けで進んで戦ったのだという。

 ところが対抗勢力もまた、東洋から他の戦士を招いてしまった。

 彼らも強かった。

 恐れを知らず、情け容赦がなかった。

 仲間が死ねば復讐を誓い、より敢然と戦った。

 相手が弱点を見せれば、徹底的に殲滅した。

 形勢は逆転した。

 先に異界の戦士を招いた者が、逆に追い詰められる形になった。

 見事にしっぺ返しを食らったわけである。

 だから現代では、この事件が「魔法使いのことは魔法使いでケリをつけろ」という教訓になっている。

 ということは、このジジイは……。

「わしにも仲間はおる。共に謀って結界を破り、フランスへ渡った」


 この時代の英仏関係はややこしい。

 当時のフランス国王はフィリップ2世だ。

 その父はルイ7世。

 彼に離縁された妻の名はアリエノール(英語読みでエレノア)。

 その後、彼女はイングランド国王ヘンリー2世に嫁いだ。

 持参金は、王妃としての取り分だったフランスの半分だった。

 イングランド王妃となったアリエノールは、後に国王となるリチャードとジョンを産む。

 その間には、妾腹の子ジェフリーがいたが、王位継承権がなかった。

 彼は、代わりにフランスでブルゴーニュ公の地位を与えられ、大公ジョフロワ2世となった。

 幼い頃から彼と兄弟同然に育ったのが、フィリップ2世である。

 当然、ジェフリーの兄弟が抱える確執もよく知っていた。

 広大な領地を頼みにアリエノールが国王に立てようとするリチャード。

 王権をかさに着て、ヘンリー2世が推すジョン。

 その勢力争いを利用して、イングランドの混乱を狙っていたのである。

 前期中間考査「魔法史A」の範囲だっけ。


 もちろん、これだけだと魔法は関係ない。

 だが、ザグルーの口ぶりからすると、その裏で何か企んできたのだと思わずにはいられなかった。

「まさか、ジョフロワ2世は……」

 両親の膝を兄弟に奪われ、王位継承のカヤの外にされて黙っているはずがない。

 案の定、だいたい想像通りの内容が、愉快でたまらないと言った口調で返ってきた。

「わしがたぶらかした。魔法を見せて、アトランティスの力でイングランドの王位につけてやると言ったら、コロリといったぞ」

 コロリと、って……。

 その言葉には、二通りの意味がある。

 悪い方の意味だろうとは思ったが、一応、確かめてみた。

「でも、3回目の十字軍ってことは、ジョフロワ2世は確か……」

「もう死んだ。フランス国王フィリップ2世の馬上槍試合でな」

 大して面白くもなさそうなのを見ると、結果はどうでもよかったらしい。

 だが、人ひとり死んでいるのにその物言いはどうしても許せなかった。

「助けてやれよ! 魔法使いなら!」

「フィリップもコロリといった。アトランティスの力でイングランドの王位につけてやると言ったら」

 歴史の教科書に載っているような事件が、この貧相なジジイの口車で動いているのだと思ったら、空しさに怒る気もなくなった。

 むしろ腹が立ったのは、この図々しい態度である。

「じゃあ、あんたフランスに付いたんじゃないか! なんでイングランドにいられんだよ!」

「アトランティスの力でイングランドの王位につけてやると言ったら、ジョンもコロリといった」

 もう呆れ果てて何を言う気もなくなり、そこから先の自慢話は聞き流した。

 だいたいの話をまとめると、フィリップは、ヘンリー2世の死後に即位したリチャード1世があまりに手強いので、十字軍に誘ってイングランドから離れさせ、自分はジョンと密約を結んで途中で帰国したという。

 ……待てよ。

 そこで気づいたことがある。

 アトランティスは、「この世の何人も入るべからざる」結界で覆われている。

 仮に結界を解いたら、アトランティスはイングランドとフランスから挟み撃ちにあう。

 そこのところを突っ込むと、ザグルーは重々しい口調で言った。

「来るべき世の者招きて帰さば、この世の者ひとり捧ぐべし」

 それは、かつて月と星と暦の偶然が重なった稀有な機会に、建国の魔法使いが残した予言だということだった。

 ザグルーが「夢の通い路」を使って僕を招きよせるまで、実行するものはいなかった。

 滅多に訪れないそんな機会を待つのは面倒な上に、人ひとり生贄に捧げるのはさすがに非難を浴びるからだ。

 手間と危険を冒してまでやることはない。

 だが、ザグルーはこう考えた。

 この世でなく、来るべき世の者であれば結界に入れる、と。

 それを聞いて、即座に反論した。

「そんな呪文は使えない」

 無理だ。そもそも「狭間隠し」も使えないのに、そんな伝説的な結界を破れるわけがない。

 だが、ザグルーはきっぱりと「そんな期待はしておらん」と答えた。

 ただ、結界のある辺りに行けばいいということらしい。

 発想が柔軟なのか、単にいい加減なだけなのか、よく分からない。

 僕がそのまま逃げたら、どうするつもりなのか。

「結界から出られるかは分からん。もしできなければ、誰かに結界を解かせるしかない」

 そこで「ただし」と告げられたのが、あのジョセフの恐ろしさだった。

 結界を破るものがいないか監視されているのに、それを踏み越えるには、よほどの決断が必要だろう。

 さらにザグルーはクギを刺した。

「来るべき世のことは語らずともよいぞ、クモン。敵に語ればお前は消えてなくなる」

 結界を解けば明るい未来が待っている、か。

 確かに、今よりは便利で快適だろうが、現代でも敢えてアトランティスで中世みたいな生活を送ろうとする物好きはいる。

 いいことばかりでもないのだ。

 だから言ってやった。

「あんたにも教えない」

 ザグルーは吐き捨てるように言った。

「知りたくもない。あとの楽しみがなくなるでな」

 強がりには聞こえなかった。

 案外、信じていいのかもしれないと思ったが、それを気取られたくはなかった。

 こんな時代に呼びつけられて、危険を冒せと言われているのだ。

 ……高く売りつけてやらなければ。

 そこで、鼻で笑ってみせた。

「もともと帰す気なんかないんだろう。一人犠牲にするんだから」

 ザグルーも冷笑した。

「用が済めば、いずれ戦になる。一人や二人犠牲になるのは仕方がない」

 やっぱり、こいつはダメだ。ただの外道だ。

 こんな奴の下に、長居することはない。

 予め、条件は確かめておく必要がある。

「その犠牲が出れば、帰してくれるのか?」

 ザグルーは即答した。

「ワシにはお前を呼ぶ力はあっても、帰す力はない」

「話が違うだろ!」

 さすがに僕は食ってかかったが、ザグルーは平然としたものである。

「犠牲が出たら、自然に帰れるのかもしれん。まあ、それができなくともワシの下で働かせてやる。上級呪文くらい授けてやろう」

 言い捨てるなり、ドアをばたんと閉めて出て行った。

 あまりの横暴さにしばし唖然とした後、僕は思った。

 ……冗談じゃない。そんなもんで命が懸けられるか!

 どうせ「結界の少女」なんか作り話だ。協力者なんかそうそう見つかるはずがない。

 こんな一介の高校生が下手な工作なんかしたらどんな目に遭わされるか、考えるまでもない。

 逃げ出そうと思って、部屋の窓から外を見てみた。

 絶望するしかなかった。

 とてつもないことが次々に起こったので気にもならなかったが、ここは荒波を突き抜けて進む船の上だったのである。

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