王者の剣
二位殿やがて抱きまゐらせて、「波の底にも都のさぶらふぞ」と慰めまゐらせて、千尋の底にぞ沈みたまふ。(平家物語)
そのとき、ようやくジョセフが僕たちの目論見に気づいたらしく、ゴーレムに命じた。
「ベンケイ!」
おそらく、標的は僕とカリアだったろう。
だが、その時、オットーが猛然と突進してきたため、ジョセフは命令を切り替えざるを得なかった。
「その男を殺せ!」
「ならん、お前では倒せん!」
ミカルドの止める声が届くような勢いには見えない。だが、ゴーレムが一声吼えるや、オットーは踵を返して逃げ出した。
それには、ジョセフもミカルドも一瞬、絶句した。
だが、ゴーレムはひたすら追う。
海へ!
「ならん!」
同じことを言っているが、ミカルドの命令はさっきとは矛盾していた。戦うなと言ったそばから、逃げるのは禁じている。
ジョセフはといえば、こちらも慌てて叫んでいた。
「戻れ! 戻れ!」
だが、ゴーレムに二つ以上の命令は同時に果たせない。もとの命令を忠実に果たすべく掴みかかった先には、崖っぷちで振り返ったオットーがいる。
仁王立ちになって両手を広げた様子は、まさに鬼としか言い表しようがなかった。そこへ向かって、不死身の巨人が突進する。
このままでは、もし捕まらなくても、崖から海の中へと吹き飛ばされてしまう。だが、そう見せかけるのが罠だったのだ。
オットーは髪を振り乱してゴーレムの身体を受け止めるや、背中に腕を回して取り付いた。ゴーレムはというと、まるで相撲の右四つのようにがっぷりと組む。
2つの力は拮抗しているのか、どちらも微動だにしない。
それでも、ジョセフは叫んだ。
「やめろ、ベンケイ! 俺をひとりにするな!」
それは、命令というよりも泣いてすがるというほうがふさわしい響きを持っていた。
ミカルドも同じだった。
「もうよい、ノト!」
その悲痛な絶叫も、別の音にかき消されてしまった。
オットーが、ゴーレムの青銅の身体が砕け散るのではないかと思うほどの力をこめて咆哮したのだ。
その気迫に押されてか、結界の解けてゆく空が燦然と輝く。外界から流れ込むエネルギーが、アトランティスの大気と干渉しあって光を放っているのだった。
荒れ狂う凄まじい雄叫びが聞こえた。
「さあ来い! あの世の旅の道連れをしろ!」
オットーが崖っぷちを蹴ると、抱えられたまま動けないゴーレムもまた、野獣のように吼えた。
震撼する空気のなかで、目の前の世界が真っ白に変わる。天から来るエネルギーの奔流が、僕とカリアを押し包むように迫っていた。
とっさに、「防護陣」を張る。この世界から消え去りかかっている僕にはもう、これしかできることはなかった。
「どうなってもいい、この身体なんか。だけど……カリアは!」
ある程度の痛みや衝撃は予期していた。だが、何も感じない。手も足も消えかかっているなら、不思議なことではなかった。
それでいて、意識が遠のくことはない。実体がなくなりかかっていても、魔法はかかったらしかった。
目の前で、火花があちらこちらと閃いているのが見える。かつてジョセフの前で「結界」を解こうとした魔法使いを襲ったという光が、「防護陣」と干渉しあっているのだろう。
まるで「疾走」の魔法を使ったときのように、すべてがゆっくりと動いて見える。
「聞こえない……何も」
ただ、2つの巨体が静かに視界から消えるのが見えた。互いに不幸な縁で結ばれたそれぞれの主が、その方向に向かって呆然と膝をついている。
微かなつぶやきだけが聞こえた。
「ノト……」
「ベンケイ……」
やがて火花が収まり、白く眩しい光が去ると、そこには海風の吹く静かな白い崖が戻ってきた。
見渡す限りの真っ青な海が広がっていく向こうには、水平線の向こうから現れた無数の船影がある。アトランティスに向かって、ザグルーの船団が近づいているのだった。
姿が消えているはずなのに、自分のつぶやきだけは聞こえた。
「勝った……?」
だが、そう思うのは早かった。
背後から、何騎ともしれない馬の蹄の轟く音が聞こえる。振り向くと、白い旗を高々と掲げた黒衣の騎馬隊が突進してくるのが見えた。
さっき逃げた魔法使いが、援軍を連れてやってきたのだ。
カリアはと見れば、力尽きたのか、冷たい地面に身体を投げ出して目を閉じている。
信頼していた唯一の部下を失ったジョセフが、我に返って叫んだ。
「射殺せ!」
鋭い声で発せられた命令に、「白旗隊」の新手による矢が次々に放たれた。それは雨のように降り注いだが、ことごとく「防護陣」に跳ね返された。
その中で、僕はカリアを起こそうと抱き起こしにかかった。だが、そこで気付いたのは、もはやそうする腕も見えないことだった。
さらに1本の矢が、僕の身体を貫く。
「う……!」
そのまま胸を突き抜けて地面に突き刺さったのは、すでに実体がなくなっているからだ。
しかし、そんなことはもう、どうでもいい。問題は、もう魔法が効かなくなっていることだ。
放たれる矢が、思いのままに風を切る音が聞こえる。
そうなってはもう何の意味もないと分かっていながら、僕はカリアをかばって伏せた。いや、そうしないではいられなかった。実体がないのだから、このままひとつになって重なっていようとさえ思ったのだ。
だが、その瞬間、どこかで閃光がほとばしった。清らかに輝く刃が地面に突き刺さる。
ミカルドの声が聞こえた。
「受け取れ!」
その瞬間、再びの閃光と共に無数の矢が吹き飛んだ。
降り注ぐ矢の雨の中、空から降ってきたのは、渾身の力で投げたと思われる剣だったのだ。
ジョセフがオットーの矢を弾き飛ばした光景が記憶に蘇った。
「……シャナンの剣?」
それは、襲い来るすべての災いから、持ち主の身体を守る剣だった。剣だろうが槍だろうが矢の雨だろうが、その光の前には何の効果もない。
ただし、それを手にしていない限り、1つだけ例外があった。
それは、死だ。
いくら聖剣の加護があったとしても、持っていなければ意味がない。
「でも……僕はもう……」
そうつぶやきながらも思わず手を伸ばしていた。生き残りたい、というよりも、何とかしてカリアを守り抜きたかった。
「……あれ?」
剣の柄に触る指先が感じられた。
「戻ってる?」
眩しい光の中で両手を眺めてみると、確かに実体が戻っていた。僕の身体は、まだ目を覚まさないカリアの上に覆いかぶさっている。
だが、安心してはいられなかった。
「……ってことは」
不吉な予感がしてミカルドの方を見れば、最も見たくなかった光景がそこにあった。
水干姿の身体を血に染めて、背後から貫かれた偃月刀の刃が冷たく光っていた。その長い柄を握りしめたジョセフの腰には、「シャナンの剣」の鞘だけがある。
怨念に満ちた声が、かつての自分と同じ姿をした瀕死の少年を罵った。
「よくもたばかったな……」
「お互い様であろう」
苦しい息の下で嘲笑する少年の健気な姿に、僕は全てを悟った。
ジョセフが提げていた「シャナンの剣」をミカルドが奪い返す機会は、一つしか考えられなかった。
結界が解けるときの光の中だ。
目もくらむばかりの眩しさの中、ミカルドは対峙する強敵に対して、大胆にもそれをやってのけたのだった。
もっとも、心の支えであった最後の「部下」を失って己を失ったジョセフの腰から剣を引き抜くのは、それほど難しくはなかったかもしれない。
だが、問題は、「シャナンの剣」があれば命の危機は避けられたということである。
「ミカルド!」
呼びかけても時すでに遅く、高貴な心を持つ少年の身体は地面に倒れ伏した。
僕の身体の中から湧き上がってきた野獣の咆哮が、辺りに轟きわたる。
「ジョセフ!」
僕はカリアが昏倒したままだったことも忘れ、ミカルドに託された「シャナンの剣」を手に、ジョセフへと襲い掛かりそうになっていた。
ジョセフもそれに気づいたのか、偃月刀を僕に向かって構える。
だが、ため息にも似た微かな声で、ミカルドは囁いた。
「あれを見よ」
それが僕に対するものなのか、それともジョセフに対するものなのかは分からない。
だが、お互いの手は止まっていた。
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