策士への策

 弓の惜しさに取らばこそ……(平家物語)


 それが分かっていて、僕は剣を構えた。

 もう、呪文で強化することはできない。

 自分でもバカだと思う。だが、こうしないではいられない。ジョセフが敗者を情け容赦なくむしり尽くす男だけに。

 そういう意味では、僕は「逃げ回るより、闘うのが性に合っている」。

 ジョセフは偃月刀の柄を小脇に抱え、辺りの様子をうかがっている。僕の姿があるところには実体がないのを知っている分、幻影が目の前をうろちょろするのは気が散って仕方がないだろう。

 そこが狙い目だ。

 幻影を僕の前に立てて、剣をかざしてジョセフに突進する。右に左に振り下ろされる長柄の偃月刀が身体をかすめた。

 幻影がまっすぐ突っ込んでくるのを見て、ジョセフは本体が左右どちらかにあると踏んだのだ。

 自分自身を追い抜く形で、僕はラメラー・アーマーの側面へ回り込んだ。

 偃月刀を掴む手に、剣で一撃を加える。手甲を強かに打ち据えて、その武器が落ちることを期待したが、甘かった。

 ジョセフが吼える。

「そこかああああ!」

 身体を回転させて横薙ぎに振るう偃月刀が背中に迫るのを感じ、僕はとっさに地面に転がった。

 土埃が口に入ってむせる姿は、ジョセフにもしっかり見えていることだろう。

 その幻影を右に左に動かしながら、自分の立つ位置も少しずつごまかしていかなければならない。

 だが、そんな余裕は与えてもらえなかった。

 振り下ろし、逆袈裟に跳ねあげ、また袈裟懸けに斬りつける刃は、もうよけるのがやっとだ。

 その仕草が標的の近さを教えてしまうことは分かっていた。

 息が切れる。 

 心臓が破裂しそうだ。

 その上に重なる恐怖と疲れで頭の中は真っ白に変わりつつある。 

 そんな中でも、これだけはちゃんと考えていた。

 ……逃げなければ!

 方法は二つしかなかった。

 その一。

 荷馬車が逃げ去ったであろう橋をくぐる、大きな川に飛び込む。

 轟々と聞こえてくる音の大きさからして、流れは相当激しい。どのくらい冷たいかは分からないが、間違いなく溺れて死ぬ。

 その二。

 橋を渡る。

 一本道だから、逃げ道はない。

 結論。

 ジョセフに勝つしかない。

 ……不可能だろ!

 そう思った瞬間、偃月刀を横たえたジョセフが、地面に倒れそうなほど低い姿勢で真正面から突進してきた。

 慌てて剣を構えたが、下からの一撃で軽く弾き飛ばされる。

 冷静に考えれば、攻撃を受けようとすること自体が間違っていたのだ。

 だいたいの見当で突っ込んでくるジョセフの狙いが当たっていることを教えることになる。

 方法はひとつしかなかった。

 最後の気力をふりしぼって、「疾走」呪文を唱える。

 これが最後だ。

 幻影を背後に回し、橋に向かって全力で走る。背後から迫る刃をすんでのところでかわすと、すぐに橋の欄干が見えてきた。

 いちかばちか。

 川に向かっているかのように幻影を併走させる。ジョセフの目には、僕が橋を渡るのをやめて、川に飛び込んで逃げようとしているようにも見えただろう。

 引っかかってくれればいいのだが。

 騙されずとも、迷ってくれればそれでいい。判断が鈍れば、逃げ切るチャンスも生まれる。

 だが、ジョセフはそこまで甘くなかった。

 一本のスティレット(手裏剣)が、凄まじい風圧を耳に残したかと思うと、目の前の川に落ちた。

 賭けは僕の負けだったようだ。

 溺れるのを避けたければ、橋を渡るしかない。僕は欄干の間をくぐった。

 続くスティレットは、飛んでこなかった。石橋は、荷馬車が余裕ですれ違えるくらいの広さがある。ジョセフは、外れるおそれがあると判断したのだろう。

 だが、僕にも走る力はもうほとんど残っていなかった。

 といっても、「屈光」呪文を解くわけにはいかない。

 僕は幻影を橋の外に置いたまま欄干に沿って、ペース配分を誤って転倒する直前のマラソン選手のようにふらふらと足を動かし続けた。

 呪文のおかげで、速度は普通に走る程度は維持できるが、ジョセフが本気で走れば、追い付くのも時間の問題だ。

 ありがたいのは、橋の下を流れる激流の音だった。

 耳を覆いたくなるほど凄まじい。石橋に響く足音を消すにはもってこいだ。

 いわゆる「焼け石に水」かもしれないが。

 現に、目の前にはジョセフの偃月刀が迫っている。

 ……え? いつの間に?

 反対側の欄干に寄るが、やはり偃月刀は鼻先をかすめる。

 見上げると、高く上った太陽を背にしたジョセフが、長い柄を手に、欄干の上に立っている。

 こちらに来たために、川面にあった幻影はすでに橋の上にあるはずだ。

 呪文の効果でいかに敏速になっているとはいえ、その動きから僕の位置を割り出すのは造作もない。

 それにしても、いつの間に、どうやって追いついたのか。

 捕まえるのが早すぎる。

 じりじりと(といっても傍目から見れば一瞬になってしまうのだが)僕は尻で石橋の上をいざりながら、幻影を動かした。

 ジョセフの動きを眼で追うと、ふうわりと宙に浮いては(実際はすさまじい速さだろう)反対側の欄干に着地する。

 ザグルーによれば、この跳躍力も戦場で恐れられた理由の一つだという。

 確かに、この高さに跳ばれたら刺突や斬撃のほとんどは意味を成さないだろう。

 さらに、武器の当たらない高さから叩きつけてくる長柄の偃月刀の威力がいかに凄まじいかは、魔法格闘戦の経験からも想像がつく。

 呪文の効果がどれだけ続いても、欄干の間を自由自在に跳ばれたのでは、同じことの繰り返しだ。

 しかも、おそらく攻撃の精度は回を重ねるたびに上がっていくことだろう。

 逃げるなら、今しかないのだ。

 ……でも、どうやって?

 偃月刀が耳元をかすめる音が高く響いた。

 咄嗟に橋の上を転がり、欄干に立つジョセフの足もとに横たわった。幻影は、再び激流の上だ。

 もちろん、ジョセフはその位置を確認する為に上体を捻って後ろを見る。

 そのときがチャンスだった。

 僕は立ち上がって、反対側の欄干に飛びつく。渾身の力で這い上がったとき、背後で風を切る音が聞こえた。

 ジョセフが偃月刀を振るったのだろう。

 欄干の後ろで寝そべっていた僕がいきなり立ち上がり、すぐ目の前に現れたのだ。とっさに斬りつけてしまっても不思議はない。

 その一瞬こそ、僕の狙いだった。

 頭を垂れると、身体は自然に、逆巻く波の中へと落ちていく。欄干越しにあてずっぽうで投げたのであろうスティレットが、近くの水面で微かな音をたてた。

 僕は魔法を解いて、身体を弄ぶ水流に身を任せた。

 朦朧とした状態から、音も色もない真っ白な世界に変わっていく意識の中で、ひとりの少女の姿を思い浮かべようと努める。

 深紅の髪。

 澄んだグレーの瞳。

 僕を小馬鹿にしたように冷笑する口元。

 しなやかな、白い腕。

 ……カリア! ……カリア!

 伝説の「結界の少女」の名を、心の中で呼び続けた。

 鼻と口を、冷たい水が冒す。むせればむせるほど、息が詰まっていく。

 意識が遠のいていく。このままでいけば、間違いなく予想通りの結果が待っている。

 溺死だ。

 頼みの綱は、「夢の通い路」だった。虫のいい話だが、彼女が、夢に受け入れてくれればと思ったのだ。

 心のどこかで、僕とつながっていてくれていたら。

 いや、きっと大丈夫だ。ザグルーが信じた100年前の予言では、僕は死なないことになっているのだから。

 「来るべき世の者招きて帰さば、この世の者ひとり捧ぐべし」

 つまり、招かれた僕は「帰される」可能性があるのだ。

 いや、「帰れる」と信じていいというべきか。

 その期待は、「ザグルーが望んだとおりに事が進んでいる」という経緯に支えられている。

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