荷馬車の帰還

 舞へ舞へ蝸牛かたつむり、舞はぬものならば……(編・後白河法皇『梁塵秘抄』)


 カリアが投げてくれた服を着替える手に激痛が走って、服がばさばさと手から落ちる。

 はっとして拾おうとしたところで、水車小屋の床が透けて見えるのに気づいた。

 ザグルーの言葉が脳裏に蘇る。

(来るべき世のことは語らずともよいぞ、クモン。敵に語ればお前は消えてなくなる)

 これが、それなのだ。ギアスの魔法で消滅する兆しなのだろう。

 慌てて、その場で力を込めて言い直した。

「僕たちを守る魔法はある」

 袖口から消えかかっていた手が、元に戻った。もちろん、カリアはそんなことに気づいてはいない。

 無駄よ、と素っ気なく受け流す。

「すぐに力が尽きてしまうわ」

「ひとりで闘うんじゃないんだ。仲間を集めれば」

 力説したことは半分、本音だった。アトランティス中の魔法使いの力があれば、結界を解くことができる。

 ジョセフも同じことを言っていた。問題は、どっちが先に多数派を取るかということだ。

 その点について、カリアは大変に慎重だった。

「誰が味方になってくれるっていうの?」

 あきらめたような冷ややかな問いに、僕は口ごもった。まっすぐに見つめるまなざしが、答えを求めていた。

 ザグルーやジョセフの言葉、「魔法史A」教科書のページが頭の中で駆け巡る。その中で、唯一引っかかって残った単語を口走った。

「公子ミカルド」

 カリアとのやりとりの中で出てこなかった人名のうち、あてになりそうなのはこれしかなかった。

 なおも不審げに見つめる赤毛の少女を納得させるため、とっさの思いつきでデタラメを言った。

「僕は、彼を探すために東洋から舟でやってきたんだ」

 そこで彼女が逆上したのは、かえって幸運だった。

「バカにしないで!」

 話を続ければ、間違いなくボロが出ただろう。

 だから、続く災難も、結果的はよかったのだ。だが、僕たちの議論は未然に終わってしまった。

 傾いだ扉の向こうから、なるべくなら聞きたくなかった声がしたのだった。

「案外、本当かもしれんぞ」

 え、と声を詰まらせた僕たちだったが、その思いはたぶん別々だった。

 その声の主が誰なのかは、ちょっと考えれば見当がつく。カリアにしてみれば、その出現が思いのほか早かったというところだろう。

 だが、僕の方は、その言葉の意味を量りかねていた。

「俺も実はそうなのだ」

 さらに意味不明なことを言いながら、扉を開けてジョセフが現れた。手にした偃月刀を左右に振ると、黒い鎧の戦士たちが後に続く。

 そのとき、ジョセフの腰に下げた剣が、これまでのものとは違ってまっすぐなのに気がついた。

 しかも、剣そのものに何か異様な力が感じられた。

 ジョセフには似合わない、清らかで気高い力が。

「来ないで!」

 そう言い放って立ち上がったカリアの身体から、シーツが滑り落ちる。

 はっと慌てた。

 ……何も着ていないはずじゃないか!

 だが、そこには革鎧をまとった女戦士の精悍な姿があった。

 勝手な妄想を巡らせて悶々としていた僕を、手間暇かけてからかっていたのだ。

 腰に提げた鞘から短剣を引き抜いて構えるカリアに唖然とする間もなく、偃月刀を部下に預けたジョセフが手を伸ばす。

 闘いになるわけがなかった。細い腕がねじ上げられると、短剣は床に落ちた。優美な曲線を浮かべたしなやかな身体を押し倒す。

 ジョセフの顔には、意外にも好色な笑みさえ浮かんでいた。

 考える間もなく僕はそこに飛びかかっていたが、何人もの戦士たちに抱き留められた。

「やめろ!」

 叫ぶしかない僕の前に、思いもよらない出来事が起こった。

 カリアが起き上がり、両腕をつかんでいるジョセフを海老反りにして床へ押さえ込んでいたのだった。

 女性魔法使いの護身術としても現代にも伝えられている、「腕力倍増」の呪文だ。

 僕も魔法格闘戦で武器を落とされたときに使うことがある。

 魔法女子プロレスなんかでは、アイドル系のレスラーが悪役を圧倒する、見せ場のひとつだ。

 信じられないほどドスの利いた脅し文句が、カリアの口から迸った。

「その人を放しなさい! こいつの背骨をへし折るわよ!」

 戦士たちの判断は速かった。僕を解放すると、カリアに向かって剣を向ける。

 カリアは短剣を拾って叫んだ。

「逃げて!」

 だが、ジョセフの怒号めいた命令が、その声をかき消した。

「ベン・ケイ! あの娘を捕らえろ!」

 フルネームで呼び捨てにすると、水車小屋そのものが吹き飛んだ。

 もうもうと舞い上がる埃や土煙の向こうに、僕たちを包囲する影が見える。その中から現れたのは、見覚えのある巨人だった。

 戦士たちから「不死身のケイ卿」あるいは「ノスフェラストゥ・ベン」と呼ばれていた、あの青銅のゴーレムだ。

「『狭間隠し』だ!」

 僕はカリアに呼びかけたが、ゴーレムのほうが速かった。革鎧をまとった華奢な身体を掴み上げる。

 強化された腕力で抵抗するカリアに駆け寄ろうとすると、水車小屋を包囲する戦士たちが一斉に矢を放つ。とっさに「防御陣」で防いで跳ね返したが、これで僕は動けなくなった。

 立ち上がったジョセフと目が合った。口元に、にやりと笑いが浮かぶ。

 そこへ、さっきジョセフから偃月刀を受け取った部下が進み出た。

 矢が効かないのだから、偃月刀をどれだけの力で振り下ろしても刃が通るわけがない。それを知ってか知らずか、ジョセフは手で制して退がらせた。

 ……まさか?

 対魔法呪文を使わない限り解けない「防護陣」だが、破る方法がもう一つだけある。ちょっとした発想の転換だ。

 ジョセフが僕に手を伸ばすと、手甲が粉々に砕け散る。だが、僕は胸ぐらを掴まれ、背負い投げで床に叩きつけられた。

 黒衣の戦士たちがどよめくと同時に、カリアの悲鳴が聞こえた。見れば、ゴーレムが彼女の首を掴み上げている。

 魔法が切れた反動で、筋力が極限まで低下したのだ。

 ……どうする? 「衝撃」か? 「牽引」か? 

 彼女が自分で逃げるしかないのだ。

 僕は再び叫んだ。

「『狭間隠し』だ!」

 カリアは目をそらして言った。首を掴まれていなければ、頭を左右に振っていたに違いない。

 なぜなら、彼女はこう告げたからだ。

「私は、逃げない」

 あなたを逃がすまで、という声が聞こえたとき、ジョセフが馬乗りになってきた。

 僕の横っ面を左右から散々に殴りつける。

「逃げられるものか!」

 身体の中に、怒りが黒い塊となって膨れ上がってきた。現代で魔法使いが凶器を使って一般人を殺傷してしまうのは、こんなときだ。

 だが、僕は魔法なしでジョセフに勝てるほどの腕力も技も持ち合わせていなかった。

 大人しく俺のもとに来い、という唸り声が聞こえた。

「降伏しなければあの娘が死ぬ」

 カリアに目をやると、ぐったりと気を失っているようだった。

 僕は真剣に思った。

 ……負けを認めようか?

 魔法対抗戦に負けるのとは訳が違うのだ。

 試合中に負けたと思うのは、勝利へのチャンスを自分で投げ捨てることだ。翻って、ここで意地を張れば、ゴーレムの手の中にある少女の命が奪われる。

 だが、カリアの唇は微かに動いていた。それは、こう言っているかのように見えた。

 魔法を解いて、と。

 その意味を解しかねていると、鋭く空気を切る音が聞こえた。ジョセフが振り向きざまに、腰の剣を抜いて薙ぎ払う。

 まばゆい光が閃き、太い矢が弾き飛ばされるのが見えた。

 オットー! と叫んだような声が聞こえたとき、一瞬の隙が生まれた。

 呪文を唱えて跳ね起きるなり、拳を振るう。のしかかっていた身体が軽く吹き飛んだ。

 僕もまた、「腕力倍増」を使ったのだ。

 背後から、ジョセフとは別の男の声が聞こえた。

「つかまれ!」

 振り向くと、見覚えのある荷馬車の上から、左手に大きな強弓を構えた髭面の逞しい戦士が右手を差し出している。

 僕が「防護陣」を解いて手を伸ばすと、荷馬車が通り過ぎる瞬間、力強い腕がぐいと引き上げた。

 凄まじい速さで、ジョセフの声が遠ざかっていく。

「射よ!」

 命令に応じる前に、その部下たちは強弓を構えた戦士の矢に射殺されていく。

 それに怯んだのか、矢の勢いが弱まった。それでも、眼の前で人が死んでいく光景に縮み上がっている余裕は、もうなかった。

 ゴーレムの手の中で抵抗する術を奪われた少女の姿が、見る間に遠ざかっていく。

 僕はそこで気づいた。

 彼女には、この荷馬車が見えていたのだ。この強弓の戦士が立つ、このみすぼらしい荷馬車が。

 確実に拾い上げられるためには、「防護陣」を解かなければならなかったのだ。

 僕はカリアに渾身の力で叫んだ。

「もういい! 呪文を!」

「伏せろ! ノトに任せておけ」

 荷馬車の主が甲高い声で囁いた。

 オットーかノトかはっきりしろ、などというツッコミを入れている暇はなかった。なおもカリアに「狭間隠し」を使うよう叫び続ける。

 甲高い声が怒鳴りつけた。

「おぬしが降伏しない限り、彼女は無事だ」

 訳が分からない。

 構うことなく「必ず助ける」と叫ぶと、力なく顔を上げたカリアと目が合った。

 まなざしが逸れる。

 それは、「信じていない、逃げてくれればいい」のサインだった。

 悔しさをこらえて、彼女に従うことにしたその時、オットーとかノトとか呼ばれていた強弓の戦士がゆったりと告げた。

「矢が突きましてございます」

 すると、声の甲高い荷馬車のオヤジが「狭間隠しを」と当然のように促してきた。

 アトランティスの魔法使いだと思われているのだから仕方がない。

 正直に言うしかなかった。

「使えない! あんたは!」

 アトランティスの魔法使いならできるはずだ。荷馬車を操りながらでは大変だろうが。

 だが、返ってきたのは信じられない答えだった。

「魔法そのものが使えない」

「何い!」

 慌ててカリアのほうを見た。ゴーレムの手の中にはあるが、無事のようだった。

 だが、もう、僕を見てはいない気がした。ただ、微かに呪文の詠唱が聞こえただけだ。

 その瞬間、視界は別の光景に変わった。

 カリアやジョセフから見れば、荷馬車が空間の裂け目に消えたように見えただろう。

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