現在、37話目の段階でのレビューとなります。
この作品、まだ5話目あたりの時から読ませて頂いております。
まず最初にあまりの文章の巧さにただただビックリします。表現や比喩の書き方が心情やその場の風景・情景をよく表しており、構成も含めてとても読みやすくなるように工夫がなされています。
次にその美しい文章とは真逆な世界観。人間の闇の部分、弱さ脆さ汚さ傲慢さ残虐さ。狂人が当たり前に息をしている世の中。みんなが傷付いて、ある人はそれに呑まれたり、またある人はそれに順応していく人達。途中から普通の人達(今のところ)が出てきてくれますが、それがまた何とも狂った日常をリアルに浮かび上がらせています。
最後にストーリーですが、これがまたあるようでないスタイルです。あえていうなら現代版の夏目漱石「こころ」といった感じでしょうか。もちろん破綻してはいません。そこがこの人の器量なのでしょうが、本当にギリギリ「小説」になる所を狙っている感じがします。そこにまた作者の凄さを感じます。
本当に今まで読んだ事がない小説です。感想としては、はっきり言って頭では理解が追いついていません。が、そこがこの作品にハマってしまっている一番の理由です。何故なら感覚では全て知っていると思わされているというか…。とにかくラストまで付き合っていきたいと思わせてくれた作品です。これからも頑張ってください!
作品紹介にある通り、本作は熊本くんという男性について描かれたものです。
平凡ではあるものの、ある種の歪さを抱えた家庭に育った熊本くん。
そこを根として、やがて身の回りで起きる様々な出来事から形成されていく彼のパーソナリティが主題となります。
カテゴリにはLGBTやBLが含まれていますが、主題はそこにはありません。
熊本くんという人物を深く掘り下げる際に、彼のバックグランドの一要素として扱われています。
作中に登場する数々の機能不全の家庭と、一方通行だらけの愛。
それまで多くのことに受け身であった熊本くんは、自分の根幹を為しているものと対峙した結果、最後の最後でその両方の望むべき形を手にして物語は終わりを迎えます。
そして大きな代償を抱えつつも、生きることを諦めないと決意します。
読み進めていく上で油断のできない小説だった、というのが読了して最初に出てきた感想でした。序盤から出てくるちょっとしたセリフや名詞、何気なく見える描写が後々のシーンで伏線となって戻ってきます。
二度三度と読む度に新しい発見を楽しむことができる作品だと断言します。
しかしなんと申しましょうか。
人間礼賛的なストーリーが多く見受けられる中で、恐れることなく人間の持つ闇の部分を描ききった手腕には頭が下がります。
面白かった。まず文章が巧み。引っかかる場所がほとんどない。
大変に面白かったのだけど、でも私はこの物語を他人になんと解説していいのか、それがわからない。物語がわかりにくかった、という意味ではない。そもそも人生にわかるべきところなどほとんどないはずだ。そういう点でこの物語はなによりもリアルだ。
それでも、私が子供の頃に好んだ読書経験というのはこのようなものであった、とも思う。おもしろかった、石に水がしみわたるように、文章がするりと入り込む。読んでいるときに考えることはしない。感じているだけ。言葉にすることで失われるものが恐ろしく、声にはださない。だから幼いころの私は、読書感想文という取り組みを憎んでいた。
小さなころからそうだった。何かに没頭しているうちに、夢中になって、「これおもしろいよ」と声を上げた頃には、周りに誰もいない。ぽつんと取り残されている。
いや、いいのだ、私の話は。でも熊本くんの本棚はそういう物語だ。まつりが。タクミが。祥介が。みのりが。自分の口で語る。人生を、他人を、愛を、虚無を。向こうから何か訓示を与えてくれるタイプの語り手ではない。突き放されている。それでは私は? 自分はいったいどうやって読み解けば、あるいは語ればいいだろうか? 否応なしに心を開かされる作品だ。
物語はみのりという女性が大学生活の中で出会った「熊本くん」という人物を語るところから始まる。熊本くんはあまり多くを語らない、ミステリアスなキャラクターだ。がたいのいい、好男子らしい。文学部なのに本を読まないみのりは、熊本くんの部屋で彼の作った手料理を食べ、いくつかの本を借りて帰る。
あるときお節介な女学生が言った。熊本くんがビデオに出てる。
男同士の、アダルトビデオ。
物語にはいくつかの家族が登場する。どこも問題を抱えていて、すれすれの生活をしている。宗教に入れ込む父親、見て見ぬふりをする母親、病んだ家庭の子供たち。目に見える暴力として、あるいは暴言として、それとも過剰な接触として、いびつな親の感情が子供をむしばむ。
不安定な家庭で育った子供たちはみな一様に他人を信じることができずに、自分の好きなものを好きだということができない。壊れた輪の中でぐるぐると堂々巡りを繰り返し、ときどき思い出したように、外へとはじき出されてしまう。誰もかれも輪の中にいて、ときどきふと口に出した言葉が過去のその人でありまた現在の誰かであったりする。
熊本くんは不幸な循環から逃れることができるのか、それとも。
作中、まつりと祥介が太宰治の『斜陽』を読んでいたのが印象的だった。まつりも本を読み切っていればあるいは? みのりは本を読まないけれども、本を通して熊本くんを知る喜びを知った。熊本くんの体を作ったのは水沢先生で、タクミを作ったのはまつり。でも熊本くんの心を作ったのはきっと、その本棚の中身だったのではないか。
斜陽が好きな人ならきっと好き。本好きの人なら、熊本くんの本棚に興味も沸くかもしれない。読んだ本はその人を形作るし、本棚はまたその人自身でもあるからだ。熊本くんの本棚、おすすめ。
熊本くんになにか一冊、本をお勧めしてほしくなる。そんな物語だった。
作者さん、熊本くんの代わりに、私に本を一冊おすすめしてくれませんか、とぶしつけなお願いをしたくなる。
人間は綺麗なものが好きな反面、汚いものにも同様に惹かれますが、今作はそのバランスが絶妙でした。
例えば甲斐荘楠音の絵を見る時の感覚に似て、「汚い、おぞましい、でも目が離せない」と読み進めてしまいます。
人間の汚い部分であったり猥雑さがない交ぜになった作品ですが、どことなく品の良さが漂うのも魅力の一つ、作者の持ち味なのでしょう。
また、読んでいる間に何度もルーベンスの“Der Höllensturz der Verdammten”が頭をよぎりました。日本語訳では「地獄堕ち」あるいは「罰を受けた者たちの地獄堕ち」となるようですが、私的に「熊本くんの本棚」に通ずるところのある絵だと思っていますし、岡山の女の中にはこんな地獄が広がっているかもしれません。
是非とも書籍として手に取りたい作品です。
本棚に並べられたまま、もう手に取ることのない本がみなさんにはありますか? 思い切って捨てるほどの思い入れも、もう一度読み返すほどの愛着もない本たち。読んだときに何を感じたのかももうぼやけてしまって、それでも何かを感じたことは微かに記憶の底に残っている、そんな本。
俺の本棚はそんな本ばかりです。
自分の心というのは意外にそういう本の中に散らばっているのかもしれません。読んでるときただ感情が揺れた、好きな表現が一行あった、時間を潰すために買っただけだった。そんな本ばかりでも、そのページの中に自分の心は染みこんでいるのでしょう。もう開くことはなくても、忘れてきた言葉が、その本の中に微かに残っているのでしょう。
『熊本君の本棚』は、その『忘れてきた言葉』を揺り起こしました。
過去の痛みと孤独。読み手のその影を刺すように熊本君の物語は紡がれます。作者の情熱が伝わる繊細な文章が細かな棘となり、自分の過去が遠く心の中で熱を持ちました。
悲しいのは、自分がわざとその言葉を忘れてきたことを、『熊本君の本棚』が思い出させたことでした。
忘れることを望んだ言葉の中には、苦しみや悲しみだけではなく確かに希望もあった。でも苦しみが重すぎて、希望と一緒に捨てるしかなかった言葉。誰の中にもそんな言葉があるのなら、この小説はその場所を刺す。熊本君の姿にかつての自分を重ね、戦っていた自分を思い出す。
読む人に、熊本君のようにもう一度戦えとは言わない。でも、もう一度思い出してもいいんじゃないだろうか?
生臭い孤独の中に、必死で自分の姿を探していたことを。いつの間にか忘れていた言葉の中に、哀しみの果ての光を見ていたことを。
辛いから忘れた。でも思い出せば、それは新しい希望を紡ぐかもしれない。
熊本君の本棚の中には、その物語もきっとあるはずだから。
この作品のタイトルから、ふんわりとした牧歌的な物語を連想していた。ほんの数話読み進めただけで誤りであった事を思い知らされるのだが、しかしこれは嬉しい誤算なのだ。そこには、文学的なモチーフを正面から捉えた、骨太の物語が待っていたのだから。
主人公の半生を追いながら、物語は進行する。中盤以降は主人公が書いた作中作に進行を委ねるし、また時系列が前後するため、筋を追う事が難しい部分があるかも知れない。しかしそれは、本作の魅力を減じるものではなく、数奇な縁の絡み合いを印象付けるべく働く。
物語の中には、いくつかの出会い、そしていくつかの別れがある。人と人との繋がりが絡み合い、結果、因果を紡いでいく。
その中でも注目したいのは、やはり主人公の『熊本くん』と『まつり』の出会いだ。こんなに残酷な出会いがあるだろうか。この出会いにより、熊本くんは自らの運命を認識する事になってしまう。
出会い以降、二人は運命に翻弄されていくが、熊本くんは積極的に抗ったりはしない。反してまつりは、定めを拒み抗い続ける。両者の温度差が様々なドラマを生み、熊本くんを更に翻弄する事になってしまう。
あくまでも受け身でありながら、様々な出会いを経ながら静かに抗う熊本くん。彼の淡々とした視点こそが、本作の魅力ではないかと感じる。
自らの人生の、静かなる観察者。彼は運命を拒む事ができるのか、そして何処へ流れ着くのか……ぜひご自身の目で確かめていただきたい。
最後に告白しておくが、ワタシは同ジャンルの書き手として著者に嫉妬を覚える。書こうと願いながらも未だ書けぬ物語を、高いレベルで完成させてしまったのだから。
粗削りな面もあるが、それもまた魅力。今後の作品にも、注目していきたい。
かなり前に途中まで読んで中断し、再開出来なかった作品なのですが、今回カクヨムコンに参加しているとのことで最初から読み直しました。中断した時点で★3&レビュー確定の読み応えがあったため、正当な評価が順当に応援に繋がるだろうと考えて。その予想は当たりました。当たったのですが……
レビューが書けない
繰り返します。予想は当たりました。面白いです。特に文章力、というか表現力が卓越していて、和紙に水が染みこむようにすっと文字とイメージが脳内に溶けています。それでいてしっかり緩急もついており、先へ先へと読む手を進ませる求心力も備えています。
しかし、レビューが書けない。まとまらない。あらすじに記載されているように始まりこそセンセーショナルかつエンターテイメントですが、すぐにそういった分かりやすい物語ではなくなります。俗世的でありながら幻想的でもある、絵巻物で現代劇を見せられたような読み口。この感覚を象る言葉を自分は持っておらず、その「言葉を持っていない」という言葉こそが唯一この物語を語りうる言葉であるという、禅問答のような結論すら導かれつつあります。
なのですいません、自分でも本当にどうかと思うのですが、レビューを放棄します。とにかく読んで下さい。読めば分かる。読まなきゃ分からない。これはそういう小説です。少なくとも自分は、そう感じました。
一つだけ考察じみたものを言えるとしたら、やはりキーワードは「本棚」なのかなと。だからこそ、あの結末なのかなと。失ったものは取り戻せない。死んだ人間が蘇らないように。願わくば彼の手に、彼が失ったものとはまた違う、新しい生命の息吹が芽生えますように。
長い時間をかけて拝読させていただきました。
レビューを書くことが難しく、以下は私の印象で、フワッとしたものとなります。
読了後、私は絶望しませんでした。
まつりさんの言葉と、熊本くんの変化がそういう印象を与えてくれたのだと思っています。
今作はその二人の他にも数名の人物が登場します。
血縁関係であったり、そうではなくても深い繋がりを持った人たちが、それぞれの言葉で熊本くんに、読者に話しかけてきます。
物語はどんどん思わぬ方向へ展開していきますが、その中できっと惹かれる人物が見つかるはずです。私はもちろんあの人なんですけど……誰かは内緒です!
こういった楽しみ方をする作品ではないのかもしれませんが、惚れちゃったら仕方ない!
没入するあまり立ち止まってしまい、なかなか読み進められない方もおられるかと思います。私もすこしだけそんな感じでした。
でも、最後まで読んで後悔することはないと私は言いたいです。
他にはない感覚で物語体験ができます。私はできました。おススメします!
とにかく頭の中が混乱するくらい、たくさんの情報がぎゅぎゅっと凝縮された作品だ。
あたかも子供がおもちゃ箱に自分のおもちゃを無造作に押し込む時のように、整然とした文章でありながら、雑然としている。
それはなぜかと言えば「タカハシタクミ」という人物が物語を常にありえない方向へと引きずり回し、主人公と共に我々読者は不可思議かつ非日常の中を連れ回される。
そこには普通に暮らしていたら絶対に手にすることの無い生活感の薄い世界があり、非日常感はますます増していく。
ぐるぐると目まぐるしく自分の意思と関係なく引きずり回される世界……。髪の毛を掴まれて、「痛い」と叫んでも逃れることができない。
しかしそれが記号としての「タカハシタクミ」にとっての薄っぺらい日常であり、熊本祥介にとっての世界との断絶だった。
わたしは作者の作品を読むと、その圧倒的な力量の差に一文字も書けなくなってしまう。今作も二日に渡って読ませていただいたが、その間、一文字も書く気にならない。
自分の書いた文章を見ると、吐き気がするほどだ。それだけの筆力を持って書かれた今作は、読者にも逃げ場を与えない。
書籍化が楽しみな作品だ。
できればもう少しお手柔らかにお願いしたい。
凄いと思った。
読者を話の中に引き込む吸引力、展開が読めないにもかかわらず滑らかにストンっと心に落ちる構成力、そして、思わず部屋で一人唸ってしまうほどの圧倒的な文章力。
いやーやばいですね、これ。鳥肌止まりませんよ、これ。なんだか拙い文章でレビューを書くことで、この作品を汚さないか心配になりますよ、これ。
でも、書いちゃいます!書かないと、この浮遊感がおさまりません!
ジャンルは文学……文学ですかぁ……ここまでずっと理系一筋で生きていた私には馴染みのないジャンルなんですよね。
だから、これまであまり読んでこなかったのですが、この作品に出合ってわかりました。
はっきり言います。文学やべぇ。
深い。人間関係の絡み合いが深すぎる。
危ないところを助けてもらったから好きとか、ちょっと優しくしてもらったから心奪われるとか、人間の心はそんな単純ではない。
もっと複雑で、もっと繊細で、もっと不可解なもの。
その微かな心の機微を、巧みに表現しているのがこの作品だと思います。
……なんか、全然上手く伝えられないっすよ(´・ω・`)
私の語彙力ではこれが限界ですね!いくら4Kテレビが凄くても、アナログテレビのCMじゃ、4Kの美しさは伝えられないでしょ!?そういうことです!!(意味不
多分ひとこと紹介も意味わからないですよねぇ……私もです(笑)
心に思い浮かんだことをそのまま書いたのです!
決して誰もが幸せハッピーハッピーという物語ではありません。
人によってはどんよりと雲が立ち込めるかもしれません。
ですが、それでも光は差します。
心がぽーっとします。
自分の表現力のなさに絶望を禁じ得ない今日この頃。
このレビューが目に留まった人は、これを読むより作品を読んでいただいた方が早いです(笑)
一度読んでみてください。そしたらあなたも私と同じ気持ちになるはずです!
この物語を、うまく言葉で説明することができません。
作者自身にもストップをかけられない何かが勝手に言葉になり、ずっと迸り続けているような……何かスピリチュアルなものさえ感じさせる不思議な世界に、有無を言わさず引き込まれます。
主人公である「熊本祥介」くんの歩いた日々。この物語には、自分に降り掛かった運命を直向きに歩く彼の姿が、一糸纏わぬ剥き出しの形で描かれています。
何がいい、何が悪い、という表現では、一切説明ができません。
あるのはただ、熊本くんの歩いた道と、その道のりで彼と人生の交差した人々の姿。
——そうして交わった人たちそれぞれの闇、そして自分自身の闇と真っ向から向き合い、闘う以外、彼に選択肢はありませんでした。
男性同士の関わり合いが作品の根底に常に流れていますが、そこに焦点が当たっている物語ではありません。それが熊本くんだった、という……こういう表現が相応しいような気がします。
物語を書く時、クライマックスのシーンで高揚感に浸る、ということはあっても、ある意味トランス状態のようなものをずっと継続させたまま作品を書き切ることは、普通は不可能ではないかと思えます。けれどこの作品は、意識を別次元へ置いたまま綴られた物語——私にはそんな風に感じられます。そんな神懸かりとも思える作者様の筆力に、ただひたすら圧倒され、言葉を失います。
ジャンルや何かで区分される世界ではなく——これは、どこにも、何にも属さない、『熊本くんの本棚』の世界です。
深い余韻が、いつまでも消えません。
多くの方に読んでいただきたい——いや、「体験」していただきたい世界が、ここにあります。
人との関係を書いている、と思うんですが、小説だけあって、関係は必要以上にめっちゃ毒々しく、めっちゃドロドロドロドロしています。清らかさがどこにもない。本棚くらいか。
人は何らかの形で繋がっている、その形が正なのか悪なのか、清いのか毒々しいなのかは別として。
こんな毒にまみれた関係が普遍的にそこかしこにあるとはちょっと思えない。
……いや、あり得るのかも知れませんが。思えないけどあり得そう。ここのバランスの凄さよ。
この関係性をあえて書くという心気、これぞ文芸そしてキタハラなのでしょう。
全体を通してうごめくドロッドロとした雰囲気は確かにきもちわるいのでしょうね。私はドロッとしているという表現が良いかなって思います。
読了後はなんだか、愛を確かめたくなる気持ちになりました。
最後になりますが、カクヨムのR15制限及び、性描写ありのセルフレイティングにもかかわらず、かなり攻めた性描写そしてシューキョー??を書いております。みなさん、ここまで攻めても大丈夫なんです、読んで勉強して攻めましょう。
以下初期寄稿文。
私は読む方にも技術が必要だと思っているタイプなのですが、この作品は見事に高い読む技術を要求してくる作品です。
話を理解できなかったと思ったら、読む技術不足で理解しきれなかったと思ったほうがいいかなって思います。
文芸とラノベには深い溝のように分かれている、読む手法及び技術があるので、ラノベ畑の人だと本当きついかもしれません。
私は読み取るのにかなり苦労しました。
私は1章と2章が好きなのですが、1章最後と2章全体を取りまく本物の気持ち悪さ、本全体を繕う書評で言う気持ち悪さは別物かも知れません。いや、別だな。
最後になりますが、カクヨムのR15制限及び、性描写ありのセルフレイティングにもかかわらず、かなり攻めた性描写を書いております。みなさん、ここまで攻めても大丈夫なんです、読んで勉強して攻めましょう。