本棚はその人を表すというけれども

面白かった。まず文章が巧み。引っかかる場所がほとんどない。
大変に面白かったのだけど、でも私はこの物語を他人になんと解説していいのか、それがわからない。物語がわかりにくかった、という意味ではない。そもそも人生にわかるべきところなどほとんどないはずだ。そういう点でこの物語はなによりもリアルだ。

それでも、私が子供の頃に好んだ読書経験というのはこのようなものであった、とも思う。おもしろかった、石に水がしみわたるように、文章がするりと入り込む。読んでいるときに考えることはしない。感じているだけ。言葉にすることで失われるものが恐ろしく、声にはださない。だから幼いころの私は、読書感想文という取り組みを憎んでいた。

小さなころからそうだった。何かに没頭しているうちに、夢中になって、「これおもしろいよ」と声を上げた頃には、周りに誰もいない。ぽつんと取り残されている。

いや、いいのだ、私の話は。でも熊本くんの本棚はそういう物語だ。まつりが。タクミが。祥介が。みのりが。自分の口で語る。人生を、他人を、愛を、虚無を。向こうから何か訓示を与えてくれるタイプの語り手ではない。突き放されている。それでは私は? 自分はいったいどうやって読み解けば、あるいは語ればいいだろうか? 否応なしに心を開かされる作品だ。

物語はみのりという女性が大学生活の中で出会った「熊本くん」という人物を語るところから始まる。熊本くんはあまり多くを語らない、ミステリアスなキャラクターだ。がたいのいい、好男子らしい。文学部なのに本を読まないみのりは、熊本くんの部屋で彼の作った手料理を食べ、いくつかの本を借りて帰る。
あるときお節介な女学生が言った。熊本くんがビデオに出てる。
男同士の、アダルトビデオ。

物語にはいくつかの家族が登場する。どこも問題を抱えていて、すれすれの生活をしている。宗教に入れ込む父親、見て見ぬふりをする母親、病んだ家庭の子供たち。目に見える暴力として、あるいは暴言として、それとも過剰な接触として、いびつな親の感情が子供をむしばむ。
不安定な家庭で育った子供たちはみな一様に他人を信じることができずに、自分の好きなものを好きだということができない。壊れた輪の中でぐるぐると堂々巡りを繰り返し、ときどき思い出したように、外へとはじき出されてしまう。誰もかれも輪の中にいて、ときどきふと口に出した言葉が過去のその人でありまた現在の誰かであったりする。

熊本くんは不幸な循環から逃れることができるのか、それとも。


作中、まつりと祥介が太宰治の『斜陽』を読んでいたのが印象的だった。まつりも本を読み切っていればあるいは? みのりは本を読まないけれども、本を通して熊本くんを知る喜びを知った。熊本くんの体を作ったのは水沢先生で、タクミを作ったのはまつり。でも熊本くんの心を作ったのはきっと、その本棚の中身だったのではないか。

斜陽が好きな人ならきっと好き。本好きの人なら、熊本くんの本棚に興味も沸くかもしれない。読んだ本はその人を形作るし、本棚はまたその人自身でもあるからだ。熊本くんの本棚、おすすめ。

熊本くんになにか一冊、本をお勧めしてほしくなる。そんな物語だった。
作者さん、熊本くんの代わりに、私に本を一冊おすすめしてくれませんか、とぶしつけなお願いをしたくなる。

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