繋がっているように見えて繋がっていなかったり、繋がっていないようでどこかで繋がっていたり。
言葉にすると想いと違う結果になってしまったり、黙っていたら伝わらなかったり、言葉にさせて貰えなかったり。
上手く距離を掴める人もいればつかめない人もいる、同じ家族の中でも。
同じことを言っているようでどこかがズレてる。
結果は同じなんだけど、途中経過が違う。
目指すものは一つなのに、どんどん広がって行く亀裂。
どうにもならない気持ちを毛糸玉に託す表現が秀逸。
ゆるゆるに巻いた毛糸玉と、かっちりしっかり巻いた毛糸玉、同じサイズでも全然重さが違う。それはまるで心の重さのように。
その固く巻かれた毛糸玉をほぐすのは、丁寧に作られたご飯。
押しつけがましくない、かといって逃げても行かない。
ただそこにいて、そこで作られる、優しいご飯、
読んだらきっとつくりたくなる。食べたくなる。
食べたら外に出よう、リュックと水筒を持って。
高校へ通うことができないユキノ。ある日彼女はタバコ屋さんのお家で不思議な「魔女」に出会います。そして、それをきっかけにユキノの中で少しずつ何かが変わっていくのですが──。
ちゃんと愛されているのに、こんなに沢山心配をかけているのに、当たり前のことが当たり前にできない自分。彼女の胸は締めつけられ、心の毛糸玉をどんどん絡ませてしまいます。それは、周りの大人のふとしたひと言だったり、視線だったり、そしてなにより、お母さんの「愛情」が、本当にユキノにとって相応しいものとはズレてしまっているから。そのもどかしさやるせなさ。主人公の母に対する複雑な感情が、まっすぐで正直な一人称によってこちらの胸にぎゅっと迫って来ます。
精神的に娘と融合してしまっている母の姿は、ともすれば批判的な視線で読んでしまいがちです。でもそこには母という役目を果たそうと努力するがゆえに神経をすり減らす一人の女性の姿もあるのです。誰かが悪いのではなく、父や弟も含め、それぞれの思いがすれ違ったり、交差したりして、家族を作っているのだと気づかされます。
オトコの魔女が作り出す、絡まった心を温めるように解きほぐしてくれるレシピの数々も素敵です。そして主人公と同じく、どこか隅っこで生きている魔女たち。その優しさは押しつける類のものではなく、まるで伝い歩きの子どもを見守るような温かさに満ちています。
一人で歩こうともがく子どもを抱っこしてしまうのではなく、信じて見守ってみること。もしかしたらそれはむしろ親にとって一番難しい過程なのかも知れません。
主人公と同じ気持ちで苦しんでいる少年少女はもちろんですが、そんな子どもを見守る立場にある大人にこそ、おすすめしたい物語だと思いました。
他のニュースアプリで紹介されていて
読み始めたらとても好きで、ちゃんと読みたかったから
カクヨムのアプリをインストールして
全部一気に読んじゃいました。
タイトルの付け方も上手いなーって。
本屋さんに並んでいたら思わず手に取っちゃいます。
登場人物の皆さんが全部人生を一生懸命生きている感じが
とても愛おしいです。
出てくるご飯もとても美味しそうで、私でも作れそうで
目の前にこれが出てきたら私もきっと元気でる!
と思えるのばかりです。終盤の主人公が絶望した時の食の選択肢は
これからの自分の選択肢にも大きな影響を与えるだろうと思いました。
元気をありがとうございました。
登場人物みんなの幸せを祈りたくなる、そんな素敵なお話でした。
フツウにすること、というのは、何なのか。鎖か、呪いか。
学校に通うこと。人と会話すること。何かをほしがること。
食べること。睡眠をとること。笑うこと。呼吸をすること。
フツウのことがフツウにできない苦痛は、言葉にならない。
ユキノは、不登校になってしまった自分を責め続けている。
母に対する息苦しさと後ろめたさと、自覚しづらい苛立ち。
閉じ籠もったまま、ぐるぐると、悪循環を繰り返す日々に、
突然、ちょっと変なマジョが不思議な料理とともに現れた。
英国育ちの若い男性マジョのニワトコさんは、料理上手だ。
ニワトコさんのホストマザーであるキワコさんも温かい人。
ユキノは、ニワトコさんやキワコさんと親しくなるにつれ、
少しずつ自分の心が見えてくる。心を言葉で表現し始める。
ユキノと母との葛藤は、形を変えながら続いていくだろう。
ニワトコさんにも自己解決できない苦悩があるのだろうし、
キワコさんは老いていく。タケシもつまずくかもしれない。
安っぽいハッピーエンドではないからこそ、温かく力強い。
ユキノは昔の私だ。
書きたい小説がまだある、まだまだ伸びしろがあるんだと、
それだけにすがっていた。ただただ、みじめな毎日だった。
食べることも眠ることも声を発することも下手くそだった。
「フツウじゃないから、だったら何だ」と、今なら言える。
今だから、ユキノの物語を、きちんとした距離感で読めた。
読めてよかったなあ、と思う。
魔女レシピの再現ごはん、作ってみたい。
とくに、主人公の高校生の心の動きが上手い、とても上手にすくい上げられていて自然に物語の中に入れた。作者の視点は常に16歳の主人公とともに有り、悩み、問いかけ、自分の力で立とうとする。それを支えてくれる「魔女の大人たち」が優しい。とても💛心温まる物語。また、私の身の回りにも、多国籍結婚で子どものいる親せきがある。外見は異国人、中身は日本人。これからの人生をどう過ごしてゆくのか、ヒントになった。物語の次の展開、成長して高校生活を終えて、大学生になる主人公も読んでみたい。作者に、「魔女の修行時代の物語。」も描いて欲しい、魅力的な、登城人物たちが「私も舞台に立ちたい。」と言っているようだ。
誰もが経験した、経験していなかったらちょっとラッキーかもしれない、「戦いたくない相手との戦い」。
ユキノはたった一人で、自分とも、母親とも、学校とも戦っていた。
みんなユキノの味方のつもりでいる。
でも、それはそれぞれが抱いている勝手なユキノ像の味方であって、本当のユキノの味方はしてくれない。皆が「ユキノ像」を守れば守るほど、ユキノはそのダメージを負って倒れてしまった。
でも、ユキノを本当の自分を見てくれる仲間を見つけだし、ささやかな反撃に出る。
ユキノ自身の成長だけでなく、本当のユキノが見えない母親達の成長も見守って欲しい成長物語。
不登校になってしまった女子高生が、ある日現われた『魔女』によって
少しずつ心を研ぎほぐされていく物語。
どこかぎこちない家庭内の描写は淡々としつつ、少しずつ真綿で首を絞められていくような息苦しさを克明に伝えてくる。
かつて親と境界のなかった――あるいは境界を作っても、当たり前のような顔でそれを乗り越えられてきた子供たちにとっては、ユキノと母親のやりとりの一つ一つが心にちくりと刺さるかもしれない。
そうして強張ってしまっていたユキノの心を、ニワトコさんやネコばあさんを初めとした人々が優しく解きほぐしていく。そして彼らとの交流でユキノは生きる道を見出し、外の世界とも少しずつ向き合っていく。
癒やしの物語であり、確かな自立の兆しを描いた物語。
作中に登場する料理は風変わりな和食から、伝統的なメニューまで様々。個人的にはルバーブの塩煮が練り梅の味に近いというのには驚いた……。
特に心に残っているのはジンジャー・エールと、ケジャリ。
どちらも実際に作りたくなるくらいに美味しそうに描かれているだけでなく、作中での登場シーンが印象深い。
心とお腹を刺激する良作です。
図書館へ行くとよく児童書フロアにも立ち寄ります。寺村輝夫、安房直子、赤木かん子のアンソロジー。懐かしい本を読みふけってしばし、中高生を対象とした今の時代にフォーカスした本も平置きにされて紹介されていることに気付かされます。他の方も仰っていたかもしれませんが、そのうちの一冊を手に取った、そんな心地です。
世界名作劇場の戦争や貧困や別離に翻弄される子がいれば、現代ならではの悩みや苦難がある。魔女との出会いと料理作り、人との縁に、少しずつ転がる主人公の心。彼女が母親との関係で抱える問題に、助けを求め、手段を考え、備え、自ら解決に向かって踏み出す様子は、こちらも息を飲みました。大人にも子どもにも薦めたくなる一冊です。
あ、本となったらば巻末にまとめてレシピの掲載をお願いします。
母親が行かせたがる高校に進み、不登校になったユキノ。
近所の煙草屋さんに来た「魔女」と一緒に、ヘンな料理を作ることに。
ハ行の最初の文字を2回続けて言うことはできるけれど、
「父」の対義語である漢字一文字をタイプしようとすると
吐き気がする(自分を娘の立場に置いたときに限る)。
ユキノの母、という文字は書けます。
私の一親等の女性を表す文字は、ここ数年で一切書けなくなった。
そんな私からすると、一話一話、胃がキュウっと締まって、
トラウマ刺激されまくりの作品です。
〝一見〟愛情に溢れている親と言うのは厄介で、
嫌いだと思う自分が間違っているのだと感じてしまい、
自分の中の矛盾に引き裂かれそうになるんですが。
ユキノはちゃんと、好きだけど、嫌いなところもあると
自分の感情を整理することができた。
彼女にとって不登校、ニワトコさんやキワコさんや
家族でも学校でもないところで過ごした日々は、必要な時間。
ユキノ自身が変わっても、親が変わってくれるわけではない。
安易なハッピーエンドではないのがいいですよね。
食べ物を美味しいと思って食べることができる、というのは、
生きていく上でとても重要だと思います。
食べることが嫌いだと、料理にも関心持ちませんし。
あと、両親の間に愛情があるのを、子供から見てわかる、
というのも、重要なんだろう。
十代の頃の自分が読んだら、激怒しながら号泣すると思う。
ユキノは高校生の女の子。心配性の母親と、ちょっと影の薄い父親と、中学生の弟がいる。ごく普通の家庭のようだが、ユキノの問題は学校にいけないこと――いわゆる不登校だ。他人の目を気にしつつ、日中は独りで過ごしている。
ある日、ユキノは近所の古いたばこ屋で、奇妙な張り紙をみつけた。下手な日本語と英語で書かれたそれは――
「まじょ はじめました」
”We now have a witch!"
――70歳をすぎたお婆ちゃんが、魔女に? 首を傾げるユキノの前に現れた若い男性は、こう名乗った。「ニワトコ=スティーブン。マジョです」
一見日本人な英国人ニワトコ氏と、ユキノと、魔女たちの、友情とごはんと自立の物語。
◇
他人への挨拶や接し方、服装や進路、感情の動きの隅々に至るまで、「愛情」という名の「支配」を押し付けてくる母親。それに合わせて生きることに精一杯なユキノちゃんが、可哀想に思えてきます。何とも濃厚で息詰まる母娘関係ではありますが、反抗期っぽい弟タケシ君の言動と、《外》の世界の文化をやんわりとした態度で教えてくれるニワトコ氏が、風を通してくれます。ニワトコ氏のホームステイ屋主キワコさん、現代日本で生活する”魔女”たち、カウンセラーのスズキ先生たちと、お好み焼きやジンジャーエールを作ったり、会合したり、考えを整理したりしているうちに、ユキノちゃんはゆっくり元気になっていきます。
「フツウって何?」「大人になるってどういうこと?」
誰もが成長過程で考えたことがあると思われる問題に、ユキノちゃんは正面から向き合っています。
思春期の自立を迎えた女子の葛藤と、煮詰まった親子の心理、英国ブンカ?に興味のある方にお勧めします。
新卒で入った会社が児童書専門の印刷会社で、随分多くの小児向けから中学生までの本の仕事をした。
挿し絵を組み入れてのページ組みでも全文読んで、構成に落ちはないかチェックをするのは大事なことだ。
児童書は図書館や児童館に入るし、課題図書にもなるので版元も超本気、作る側も真剣勝負だった。
自分が子供の頃によく見た表紙の、何世代にもわたって読み継がれた物語もあれば、彗星のごとく現れた新しい才能のユニークな作品もあった。
『ネコばあさんの家に魔女が来た』はそうした凛とした児童文学の風格を感じさせる作品である。
作者の赤坂さんはこれまで大人向けの作品が多かったが、この作品では、双子のように一体化したままいびつに育ってしまった母と娘を描く。
自身がミックスキッズで「淵」「きわ」に立つ、ニワトコさんという魔女(男)の作る食べ物に力を得ながら、一歩ずつ転びつつ歩こうとしている多感な娘・ユキノに、その母親は当然のように手を取って『こっちが安全なんだから、間違いないから』と連れ立って歩こうとする。
子を持つ母にとっては、おのれを振り返り心が痛む描写が続く。
ユキノの母親自身が「こういう母って嫌だなあ」と、少女時代に漠然と思った母親像になってしまっているかもしれない、危うさ。
現役少女も万年少女も、自分の道は一人で工夫して歩いて行かなければならない。
色んな「エッジ」に立っている魔女(男も女も出てくる)、少女、元少女。
様々な立場の人の心に沿う事が出来る清々しくデリケートな本作。
ぜひ是非児童・ジュニア文学関係者に着目して頂きたいし、本になって少年少女の心に入り込んでほしい
女の子と魔女と和食が出てきたら名作間違いなし。
枕草子にもそう書いてあります。
それはさすがに冗談ですが、
嘘ではないと思わせてくれるのがこの作品。
あらすじは、不登校の女子高生が
煙草屋さんの家に滞在し始めた魔女(英国人男性)と和食を作る、
というシンプルなもの。
内容がシンプルな分、面白くなるかは作者さんの腕次第。
なのですが、もう面白いなんてレベルじゃない!
読んでいて心揺さぶられました。
魂が震えるのは、私だけではありません。
登場人物のもそうです。
出会いによって、震えは響きになり、重なり合います。
和食が繋ぐ、人との縁。そして。
そのつながりが奏でる物語。
骨太の小説を求めている人、ココにありますよ!