第16話 姉

姉は美しかった。

モデルみたい、お人形さんみたいなんて挨拶の数より多く言われていたけれど、田舎者の考える陳腐な表現では足りなかった。頭からつま先まで、すべてが美しかった。とりわけ、近所の子供たちと同じように外で遊んでいても全く焼けない美しく透き通るような白い肌と、それに映える赤い唇は、幼いながらゾクッとさせるコケトリーがあった。

小学校に上がった頃には、姉に自ら声をかける者さえほとんどいなくなった。声をかけられなかったのだろう。人間は、結局似たような程度の者としか関わり合いになることはできない。姉の美しさは文字通り次元が違ったのだ。


この田舎町――はっきり言ってほぼ村と言って良いだろう――少子化の進むこの村には、一学年たった1クラスの小学校と中学校しかなかった。必然的に高校へ進学すれば、かなり距離のある場所に通わざるを得なかった。中学を卒業し、ますます美しさと艶を増した姉を両親も祖父母も大層心配した。通学途中にはさまざまな危険がある。おもに、男性に、をされはしないかと。

予想とは裏腹に、姉がそのような目に合うことはなかった。当然である。姉の姿を一目でも見ればそんな気は起きなくなる。瞬時に、自分とは立っているステージが違うと悟るに決まっている。人間は、神に恋することも、触れることも許されないのだ。


ところが、姉はが原因で高校をやめることになる。


姉の中身は神でもなんでもなかった。ただの15歳の少女だった。誰に容姿を褒められても、困ったような顔をして微笑んでいた。そういえば、小さいころは父について海に行くのが好きで、友達と外をかけまわるのが好きな活発な少女だったのに。誰もが彼女を勝手に崇拝し、イメージを押し付け、そう振舞うように、無意識に彼女を支配した。

同世代の子供たちの視線は、もともと子供の少ない村で育った彼女の心を容易く壊した。


「皆が私を見る。わざわざ遠くから見に来た人たちもいた。怖い」


姉は毎日家で過ごすようになり、食事もあまりとらなくなった。そして、ついに倒れて、布団から起きられなくなった。

彼女の白い肌はますます白く、青いようにさえなっていき、皮肉にも美しさを増した。






それがとてもうれしかった。

姉はもう何もできない。うれしかった。

姉の口元に食事を運ぶ。うれしかった。

姉の髪を梳かす。うれしかった。

姉の背中を流し、念入りに肌から滴る水を拭き取る。うれしかった。

美しい姉のすべてに触れることができる。

うれしい。うれしい。うれしい。


「お姉ちゃんのせいで遊ぶこともできない」


そう言って姉を布団に横たえる。

姉は美しい目から涙を流す。それを味わいながら舐め取った。


「お姉ちゃん、手は背中」


姉の顔が引きつった。


「やめて、なんでもするから!学校にも行くから!もう迷惑はかけないから……お願い」


「お姉ちゃん、手は背中って言ったよね」


姉の細い首筋に歯を立てる。続いて胸にも、腹にも、内腿にも。

口いっぱいに筆舌に尽くしがたい甘みが広がる。この世にこれ以上美味なものがあるとは思えない。誰かに自慢したいくらいだ。

姉が泣いている。少しうるさいな。そう思って首に手をかけた。顔に見合わないカエルのような音が姉の口から発せられる。


「お姉ちゃん、大好きだよ」


他の誰も入ったことがない姉の。そこに何度も何度も自身を叩きつけた。

うるさかった姉の口からも徐々に嬌声が漏れる。


「お姉ちゃん、大好きだよ」


姉の細い足がピンと伸びるのと同時に、姉のにあたたかいものを流し込んだ。荒い息遣いと、肌にしっとりと張り付く黒い髪。どんな姉よりも、この瞬間の姉が最も美しい。姉の汗のにおいを何度も、何度も飽くまで吸い込んだ。

散々愉しんだあと、姉の体を元通りにしてから服を着せる。


「また明日ね」


これから死ぬまで、姉との美しい日々を送っていけるのだと信じていた。



姉が死んでしまった。天井の梁に首をくくられていた。

最初に発見した母は気を失った。父は姉を梁から下ろし、祖母は救急車を呼んだ。

40分も経ってから到着した救急隊員は気の毒そうな顔をして、もう助からないし、例えすぐに到着していたとしても結果は変わらなかっただろうことを告げた。

娯楽のない田舎のことだ。野次馬が家の周りにわんさか集まった。


「あんな別嬪もああなっちゃお終いだな」


野次馬の一人の小さな声を父は聞き逃さなかった。胸ぐらをつかんで引き寄せてから、殴る、殴る、殴る。割って入っていった男たちも、大柄な父を止めるのにはずいぶん時間がかかった。ようやっと殴るのをやめた父の拳は真っ赤に染まっていて、殴られた男はもうピクリとも動かなかった。結果的に救急車は役に立った。


ああなっちゃお終い――確かにそうだ。糞尿を垂れ流し、目も舌も飛び出し、顔も青黒く染まっていた。あんなものは姉ではない。

それに、姉が死ぬ理由がない。姉は美しかった。醜く死ぬ理由がどこにもない。あれは姉ではないのだから、姉を取り戻さなければいけない。

姉が戻ってくるように、色んなことを、できるだけやろう。


すすり泣く祖母とまだ動かない母を横目に考えた。

この村には若い人間がほとんどいないな、と。


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